福田恆存のレビュー一覧
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四大悲劇(ハムレット、オセロ―、リア王、マクベス)執筆の直前に書かれた政治劇で、そのほぼ全てをプルタークの『伝記』から取っている。
英国では、知識人・エリートと呼ばれる人々はみなシェイクスピアを読んでいると言われるが、中でも、現在最も読まれているものは本作品であろうと言われ、教科書にも取り上げられているのだという。
本作品では、シーザーが絶命寸前に言った「お前もか、ブルータス?」の台詞があまりにも有名だが、クライマックスはむしろ、ブルータスがシーザーを暗殺した後、市民の前で、「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのである」と演説して市民を納得させた直後に、シーザーの腹心であったアントニーが壇上に上がり、巧みな弁舌で、「ブルータスは公明正大の士である」とくり返しながら、徐々に市民を味方につけ、遂に市民たちに暴動を起こさせる過程である。
欧米人は討論や演説が得意だというが、本作品のような良質な政治劇に親しむ習慣があることを考えれば、当然と言えよう。
四大悲劇とは趣の異なる、テンポのよいシェイクスピアの傑作である。 -
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血を血で洗う薔薇の戦争
約束は脆く、愛は偽り
突き動かすは復讐の炎
他の悲劇とはその動き方が違うように感じられる。悲劇の歯車がひとつひとつ噛み合って徐々に動き出すのに比べ、リチャード三世はすでに悲劇が動き始めた状態で幕が上がる。人を呪わば穴二つ、因果応報、どのような形にしろ、不条理な形で死を迎えるのではなく、始まりからすでに血にまみれた死の臭いが漂い、物語全体が果てのない復讐で包まれている。
父を殺され、夫を殺され、子供も殺される。憎い敵でも、偽りの愛だとわかっても、結婚せねばならぬ。それはただ、ランカスター家だとかヨーク家に生まれたがため。たとえ王の前で、神に誓って手と手を取り合っても、もう外部からの強い介入がなければ止めることのできない連鎖。民衆はただただそれを眺めるだけ。というよりは、民衆にはとても届かぬ世界。歴史とはかくも重い。
キリストが愛をわざわざ説いたのは、抗えぬ復讐の定めから少しでも目を逸らさせるため。右の頬や左の頬を殴って済むようなものなら、それは復讐ではない。一度血で手を汚してしまうということは、もう誰にもその血を落とすことができないという烙印。自己を犠牲にしろというのではなく、そんな宿命に身を委ねさせないようにするためのキリストなりの愛という魔法なのだ。
リチャード三世の戦死、ヘンリー7世の祝福をもって幕が閉じられるが、ヘンリー8世が示したように王家が血にまみれないことはない。そうやって作られる歴史だからこそ、王家は王家であり続けなければならない。 -
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遠く離れた森の中
愛と嘲笑が交差する
お気に召すまま暮らす中
それでもすべてが調和する
暗い出来事が下地となっているのに、どういうわけか悲劇とならない。それは、愛の力が初めからひとを結びつけているからか。その愛を育むのが、人里離れた森の中。屋敷にあのままロザリンドたちがとどまっていたら、きっとマクベスやオセロ―のように悲劇になっていたんだと思う。背景の描写は細かくなされていないのに、確かに存在感があるアーデンの森。劇のときは、やはりこの森をどう表現するか演出家や舞台さんの力が求められるところ。疲れ切った心を和らげ、愛の力が存分に発揮される森。
愛という夢を紡ぐのは、男装したロザリンド。男性として振る舞う女性、愛すると同時に愛され、実在すると同時に実在しないという奇妙な二重性が、憎しみの色を喜劇の喜びの色へと導いていく。
かといってのんびり事が過ぎるわけでもなく、道化やジェイキスの配置によって、まるっきり夢を見ているわけではなく、思考にピリッとしたスパイスが加えられて単なる恋愛物にとどめない。道化が最初に述べた、偽の誓いというのがよく効いている。欺瞞という行為は、それ自体、正しさを浮かび上がらせるという矛盾。正直者ほどよく嘘をつき、嘘つきほどよく正しいことを言う。役者は嘘を正しさとして演じなければ嘘になるし、観客は嘘が嘘だということを常に見極めていなければ、嘘になる。そうでなければ、喜劇にならない。常に二重性がつきまとう。
そして最後にはそれぞれのお気に召すように、すべてが調和する大団円を迎える。各々が勝手に動いているようで、実はひとつの構図の中を生きていた。 -
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シェイクスピアの最後の作品「あらし」に加え、メンデルスゾーンの結婚行進曲でお馴染みの「真夏の夜の夢」
あえて夏の夜の夢と訳した理由もキリスト教の文化圏から考えると納得できる。
どちらの作品も妖精が物語に重要な役割を果たしていて、物語性がより一層増している。また、下地になる作品がなく、ほぼシェイクスピアの想像の世界でできている。
どちらの作品にもこれまでの悲劇作品のような愛憎劇が多分に盛り込まれているのにも関わらず、それを超越した力で喜劇にまとめ上げているところに、シェイクスピアのひとつの終着点がみえる。
だが、どうしても作品が短いためか、その転換が煮詰まらないまま成されているような気がしてしまった。 -
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ネタバレブルータス そうなのだ、キャシアス、もちろん、おれはシーザーを深く愛してはいる……しかし、何か用があるのか、こうしてさっきからおれを放そうとせぬが? 何が言いたいのだ? もしそれが公のためになることなら、右の目には名誉を、左の目には死をさしだすがいい、おれはそれを二つながら平然と眺めよう。神々もお守りくださろう、このおれには名誉を愛する気もちの方が強いのだ、死にたいする恐怖よりも。
シーザー もっと肥っていてもらいたいものだな! いや、気にかけはせぬ。ただ、もしこのシーザーの名にとって気にかかる何者かがあるとすれば、まず誰よりも先に遠ざけねばならぬ人物が、あの痩せたキャシアスだ。あの男は本を読みすぎる。なんでもよく見える。人のすることが底の底まで見とおしだ。やつは芝居が嫌いだ、お前とは違うな、アントニー。音楽も聴こうとしない。めったに笑わぬ。たまに笑えば、それはまるでおのれを嘲るような、そしてうっかり笑いを洩らしたおのれの心をさげすむような、そんな笑いだ。ああいう男は自分より強大な人物を見ると、もうそれだけでおもしろくなくなる。だから、非常に危険だというのだ。いや、おれが言いたいのは、ただどういう人物が恐るべきかということだけだ、それをおれが恐れているということではない。いかなるときにも、おれはシーザーだからな。
キャスカ おれにも出来る。同様、どんな奴隷でも、おのれの手で囚れの境遇を打ち切る力はもっているはずだ。
キャシアス それなら、なぜシーザーを暴君にさせるのだ? かわいそうに! あの男だとて、すき好んで狼になりはしまい、ローマ人を挙げて羊の群と思いさえしなければな。獅子にもなるまい。ローマ人が牝鹿でなければな。人、もし大いなる火を急ぎ起こさんと欲せば、小なる藁しべをもって始めようという。ふん、ローマは炊きつけか、ただのがらくた、ぼろ屑か、シーザーのごときやくざな代物を照らしだすため、喜んで塵芥の役を演じようとは! 待て、悲しみが、ああ、貴様はおれをどこへ連れて行こうというのか? 今、おれがこうして話をしている男は、おそらく奴隷の境涯にいつまでも甘んじていよう気かもしれぬ。それなら、おれは自分の言葉に責任をとらなければなるまい。だが、覚悟は出来ている、わが身の危険など、もとより意に介しはしない。
ブルータス 正直に言って、シーザーという男、今日までおれは、奴が私情のために理性をしりぞけるのを見たことがない。それにしても、ありがちなことだ、身を低きに置くもの、所詮は若き野心が足を掛ける梯子のたぐい、高みに昇ろうとするものは、かならずそれに目をつける。が、この梯子、一度天辺を極めてしまえば、もう用はない、そしらぬ顔で背を向けて、目ははるか雲のかなたに預け、それまで登ってきた脚下の一段一段に蔑みの足蹴を食わせるのだ。その手をシーザーも使いかねない。それなら、その手を食わぬよう、機先を制するのだ。
キャシアス そして、われわれの決意を誓いあおう。
ブルータス いいや、誓いは要らぬ。民の心の動き、われらの心の痛み、時代の弊風、それでもまだ―それだけでは動機がたりぬと言うなら、今すぐやめてしまうがいい、みんな家へ帰って、いぎたなく眠りこけていたほうが、よほどましだ。
アントニー この私には才智もなければ、言葉もない、名も通ってはおらず、身ぶりよろしく人を惹きつける術も知らない、喋り方も不器用なら、説得力にも欠けている、聴き手の血を湧かせることなど思いもよらぬ。私はただありのままに話すだけだ。諸君自身が知っていることを告げ、諸君に向かって愛するシーザーの傷を、あの痛ましげに物言わぬ口を差し示し、かれらみずから私の代りに語りかけることを求めるのみ。もし私がブルータスであったら、そしてブルータスがアントニーだったら、おそらく諸君の心を奮いたたせ、このシーザーの無数の傷口に一つ一つ舌を与え、ローマの石すら立って乱を起こすほど、興奮の渦を巻き起こしたに相違ない。
ブルータス その言葉のとおりだ、熱い友情がさめてゆく過程というものは。よく覚えておくがいい、ルーシリアス、愛情というやつは、消え衰えかけると決ってわざとらしい儀礼を用いはじめるのだ。むきだしの素直な実意は細工を必要としない。が、不実な人間は、まあ、馬にたとえてみれば、駆けだしだけが調子よく、いかにも派手で、溢れんばかりの気力を見せるが、いざ決戦の場に臨み、厳しい血まみれの拍車に耐えねばならぬとなると、たわいなく頭を垂れて、いや、まったく見かけだおしの駄馬同然、肝腎のとき、つぶれてしまうのだ。 -
Posted by ブクログ
いやぁシェイクスピアさん、悪人書かせると天下一品!絶対本人悪くないとこんなの書けないよ!
そしてこの悪口の応酬ね。皆さん悪口のネタが尽きた際には是非シェイクスピアを。この作品はもう呪詛のレベルだけど。
その呪詛のクライマックスで、締めくくりにその対象の名前呼んで決めようとした所をタイミング良く相手の名前に変えて呪詛返しした上に、言い直されたら「は?」って。「は?」と来ましたよこのリチャード3世。笑った。
ガンガン邪魔な奴を殺しまくって、要所要所で演技も挟んで相手を騙くらかし、しかも上記のようにお口の達者っぷりが他の追随を許さない(皮肉の言い合いで絶対負けない)リチャード3世。あっという間に王冠を手にしましたが、その瞬間から破滅へ急降下。すごいアップダウン、そしてスピード感。
このリチャード3世の退場で薔薇戦争は終了、赤薔薇白薔薇組み合わさった紋章が作られ、時代はエリザベスも出るテューダー朝へと進みます。
漱石の「倫敦塔」を思い出しながら読んでいた。沙翁の穴に落ち込んだ漱石の白昼夢を脳裏に浮かべて本家。日本人ならではの贅沢。