プラトンのレビュー一覧
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今までの読んだプラトンの作品に比べて、反論なく円滑に議論が進んでいくので分量も少なく読みやすい。
「徳とは教えられるのか」についての議論だが、そもそも「徳とは何か」に議論がすり替わる。
というのも、それがどうであるかはそれがどのような性質のものかを定義づけなければ語ることができない。これは日常的な会話にも言える。
例えば旅について語っても、「一人なのか複数なのか」、「どこにいくのか」、「目的は何か」と性質を限定して定義づけなければ、議論は想定違いの結論を生みかねない。
話がずれたが、本書では『パイドン』で語られていた想起説やイデア論について述べられており、合わせて読むとプラトン哲学をより深く理解できる。
個人的に最近「直感」が実在することに気づき、自分の奥底に眠るイデアがある特定の物事に触れると思い出されるかのような、まさしくプラトンの言う想起説で説明がついてしまう興味深い発見をした。最初は想起説なんて机上の空論だとたかをくくっていたが、そうでもないのかも知れない...。 -
Posted by ブクログ
プラトン一冊目。思ったより堅苦しいものではなく、所々盛り込まれいるユーモアにはクスッと笑ってしまう。
僕は頭が良くないので、読みながら一々頭で論理を整理する必要があったため読むのにかなり時間を要した。
早速僕の気づきをいくつか挙げてみる。
①現代社会での我々の会話はソクラテス(というよりはプラトン?)に注意されかねない。例えば、Aを質問されているのに、あたかもAが非難されていると認識してBの回答をしてしまうことは想像に難くないだろう。本質を捉えて簡潔に答えればOK。
②国家社会の政治のあり方について。
本来「政治にたずさわる人間のなすべき唯一の仕事は、市民一人ひとりができるだけすぐれた者となるようにすること」(善)である。
それに反して、ソフィストは国民の善を目指さず、快楽を目指した腐敗した存在であり、それが国家の実情そのものである。彼らは世俗的成功こそが人生の目的だという実利主義者であり、それをプラトンは批判している。
「正しさ」や「幸福」とは何か
快楽のために不正を侵しても罪を逃れることか?
これは現代の資本主義社会についても当てはまることだと思う。人に対して善にならないことで金稼ぎすることは正しいことであり、また幸福なのか?
道徳が備わっていない人間ほど、これに当てはまることを侵しているのだろう。
③プラトンはこのように哲人が政治を行うことを理想としたが、後のローマ帝国の五賢帝マルクス・アウレリウスはそれに該当するのかな? -
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「洞窟の喩え」の出典でもある「国家」下巻。
正しいものごとを理解していない人、そしてそういった人々へ真実を伝えることの難しさ、その中でどう振る舞うべきなのか。
そういった困難を比喩の力で見事に表現しきっている。
画家、詩人について喩えるくだりで語られる、使う人と作る人、そして真似る人。
ここでは何にも増して、使う人の考えこそが重要であると語られる。
これは現代社会においてもUXの重視という形で語られるものであり、普遍的な価値が語られていることの証左でもあろう。
人物から国家に飛躍し、様々な形態の国家について吟味する。
そして国家という粒度での議論から、当初の問題であった正義と不正、正義「のようにみえる」ものと正義そのものについて帰着する。
現代のまなざしでは粗く感じる部分も多分に存在するが、それ以上に現代にも通底する本質が宿っている。
難解な部分がないといえば嘘になるし、上下巻あわせたボリュームは人を尻込みさせるのに十分だ。
それでも、手に取る価値のある、いや手に取るべき名著であるのは間違いない。 -
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プラトン初期の作品『ゴルギアス』
初期の中でも後期にあたるこの作品の特徴は、
それ以前の作品では、もっぱら「無知の知」で対話が終了していくのとは打って変わって、問いに対する結論が出てくるようになってくることだ。
結局のところ何も私達はわからないというところで終始していたソクラテス的スタンスに、
イデア論をはじめとしたプラトン思想といえるようなものが出てくるようになる。
それは、
プラトンがシチリアへ赴いた時に、当時の数学の権威であったピュタゴラス派と交流をもったことをきっかけにしている。
プラトンの思想体系に変化が起こり、それ以降の作品にも変化が起こることを示している。
プラトン40歳頃のその時期からすぐ、
世界でも最も長く続いた学校の一つである学園「アカデメイア」という学園が創設される。
約700年続いた学校で、
アカデミーという語源はここからくる。
この『ゴルギアス』では、
数あるプラトンの作品対話篇の中でも
最も激烈に議論が火花を散らしてなされる。
ソクラテスの対話相手として出てくる三人の人物。
ゴルギアス、ポロス、そして最も苛烈なカリクレス。
最後のカリクレスは、
プラトンの中にあった自身の哲学思想への批判全てを背負って、プラトンの思想を共にする本の中に出てくるソクラテスに対して対峙しているように感じる。
このやり取りは、
その流れをくむこと自体が、
ただ結論を知ることよりも、
非常に価値あるものとなる。
プラトンやソクラテスが意図したように
この対話の中にこそ、「真実」がある。
結論ではなく、
問いを通じて探究を続けるそのスタンスこそが
なによりも大事なことではないか。
それを伝えたいがために、
プラトンは対話篇で全て著書を書き起こした。
いや、対話篇でなければならなかった。
その理由はそこにあるのではないか。
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2011年5月23日(月)に阪大生協書籍部豊中店にて科研費で購入。同日読み始め、25日(水)に読み終える。
訳文も読みやすいし解説もすばらしい。これは訳者というよりも光文社翻訳編集部に対する意見だが、たしかに訳者もあとがきで書いているようにプラトンの『プロタゴラス』は藤沢令夫訳が出てからすでに50年以上経っており、「光文社古典新訳文庫」が謳う「いま、息をしている言葉」ではなくなってきているのかもしれない。だとしても、誰でも手軽に読める文庫で新訳を出すのなら、『ニコマコス倫理学』とかもっと優先度が高いものがほかにもあるような気がする。
今度から藤沢訳と交互に読みたい。 -
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[高橋一生が演じているかのような生き生きとした鼻持ちならないアリストテレス]
ソクラテスの対話編を読むのははじめて。それ以上に古代ギリシャ哲学について書かれた本を読むのもはじめて。
しかし神業のような翻訳によって、まるで脚本 宮藤官九郎、ソクラテス 高橋一生というようなイメージで一気に読んだ。
いきなり冒頭から、最近自分が入れあげている美少年についてのろけるソクラテス(35歳)に大笑いする。
とにかくうざい高橋一生版ソクラテス。
・揚げ足とり
・はい、論破ー
新進気鋭のネット番長、ソクラテス35歳が著名作家プロタゴラス(60歳)に粘着リプライを繰り返す話。
物語のコアは、人間の徳(プラトー)は教育によって教える事が出来るのか?という点。
これって、今の学校教育でも言える。
多くの大衆は思う。「学校で教わる事など人生で役に立たない。知識、知恵を活かすよりも、人は小隊不明の非論理的衝動にかられて行動してしまう」
衝動とはなにか?
衝動と徳(アレトー)は異なるものなのか?
徳(アレトー)は教えられるものなのか?
これは哲学問答なので、答えは提示されない。
でも、これこそが今の学校教育に不足している事なのかもしれない。
教えるのではなくて、問う事。
そして、いい加減、高橋一生が「夕べの美少年良かったわぁ」としたり顔をする幻覚から肺胞されたい。 -
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下巻もサラッと読み終わる。翻訳は読みやすい。しかしきっと原著がまだるっこしい。
知的探索の方法としてプラトンが対話を選んだことには理解を示しつつ、それが上手く機能しているのか、というと、どうだろう。
1人に1つの役割、というプラトンの想定では、1人が自分の中で複数の意見を対立させる、ということが考えにくかったのか。
もしくは、自分の中で対話をするにも、その仮想の対話をシミュレーションするにはいくつかの人格を置く必要があり、自己のなかのそれぞれの立場にソクラテスやそれ以外の名をつけたのだろうか。
プラトンは実際には1人で本著を書いているわけだから、後者なのだろう。しかし、その前提になるのは前者、1人に1つの役割、という考えがあったのだろう。でなければ、自問自答でもこのように議論を進められるはずだ。
廣松渉の四肢的構造などを考えると、1人に1つの役割というプラトンの考え方がいかに素朴であるかは言うまでもないことだが、ではやはり完全に無視すべきか、というと、人にとってのアイデンティティは、究極にはやはり1つのものに結実する場合もあるだろう。特に男性はそうなりやすいのではないか。
女性は、よくいわれるように、女としての自分、母としての自分、妻としての自分と、いくつものペルソナを有することの自覚があると思う。男性は、割と、俺は俺だ、となりやすい。
これにはなんら裏付けはなく、個人的な感覚的な話だ。もちろん、今の社会では多くの場合、という程度の条件をつけての感覚だが。
というわけで、プラトンの考える方法が、まさにここで想定する「国家」の基本構造にもなっており、「正義」になっている。
大きな理想的な構造を個人が描くとそうならざるを得ないが、描かれるものは自然と自分の精神構造の相似形になる。
ホワイトヘッドが、「西洋哲学はすべてプラトンの注釈に過ぎない」というときには、(原文読んだことはない。引用で知ってるのみ。そのうち読む。)そういう、プラトンという1人の人間の相似形である構造が、そのまま1人の人間と人類一般との(西洋の)精神構造の相似形ともなるので、然るべくしてその注釈という形を持たざるを得なくなるのであろう。
逸れたが、本著でプラトンの言おうとしていることを把握するのは、この対話構造によって少しわかりにくくなる。対話のために必要な不要な文章が出てくるからだ。もちろん、それを不要とするかどうかは受取手の精神構造に由来するのであって、プラトンにしっかりそれを重ねることができる人には、必要なものなのだろう、が、僕はせっかちなのだ。「、、、っていう論理が成り立つと思うけど、どう?違う?」「いえ、まさしくその通りです」みたいなのは邪魔くさい。今日的合理主義なのだろうか、もう少し数論的に幾何学的に整えたくなる。でも、それがプラトンの論理方法なのだ。
で、それを気持ちよく整理してくれてるのがこの岩波文庫の解説等だ。すごくよくできてる。何が書いてあったのか、をまとめるには素晴らしい出来だと思う。
構造化してくれる。
まだるっこしかった気持ちをすっきり整理してくれた。
さて、次は、ティマイオスにいこうと思う。ティマイオスの始めが国家の一部要約のようなところから始まるのもいい。
プラトンを知るには国家は最適な主著のようだが、プラトンの与えた影響、新プラトン主義をみるには、国家よりもティマイオスなのだろう。哲学史で勉強する限りにおいては新プラトン主義のどの辺りが新プラトンなのかよくわからかかったけども、ティマイオスがそこをつないでくれると思ってる。 -
Posted by ブクログ
饗宴を買いに行ったのになかったので、こっちを買う。結果的にはその順序で良かったか。これが最後というのもあまりよくなかっただろう。
対話篇としては、国家を先に読んでると、最後の方はダレてくるが、それでも、抜群に面白い。270ページを1日半で読み終えた。
哲学なんて子供のやるもんだ、大人は嗜む程度でいい、というようなことを、プラトン が書いているんだと思うとやはり驚く。
現実でそう言われたことがあってそれへの反論でもあるのかもしれないが、そのときに、もしかしたら本当にそうなのでは、と逡巡したということもあり得るだろう。
ソクラテスの弁明やクリトンを細かく吟味しなおす様子は、当時のソフィスト、弁論家からの反応への回答という部分があったのだろうし、そこから、国家へと続くような思想の萌芽をみせているのは、やはりソフィストや弁論術と戦うなかで、こいつらではなく、哲学こそが政治をすべき、統治すべきだ、でないと、また次のソクラテスが殺されるだけだ、という考えをプラトンが持ったのだろうと想像される。
ソクラテスの小乗から、プラトンの大乗へ、と言えるかもしれない。もちろん、ソクラテスも、自分だけ、と考えたわけではないが、あくまで、常に、対話の相手と自分、というなかで善を追求し、死後の自分をよくすることを考えていたのに対し、哲人統治によって国家を善のもとにおこうと考えたプラトンなのだろう。
また、死後に救われることを期待して善に励む、というのは、やはりそれは、より大きな快(死後の快)を目指して小さな快(現世の快)を我慢する、ということでは?ということへの疑問(を僕は感じるのだが)を少なくともプラトンはもったのではないか、と思う。
プラトンやソクラテスの語る言葉のなかに、どうしても後にキリストを待望する時代の精神を感じてしまうし、そこから、国家ではなく教会というシステムを築き上げる精神への相似なんかを、そのへんの事情はよくわからんのに感じてみたりする。
ちょっと勉強してみたいけども、どうするかなぁ、、、。
次こそ饗宴。 -
Posted by ブクログ
ソクラテス先生の僕が考えた最強の国家の巻。
プラトン哲学の集大成の呼び声も高い本書。
正義とは何か?という導入部から始まっており、
理想の国についての議論に移っていくという流れだが、
扱うテーマは職務や結婚、戦争など多岐に渡っており、
男性も女性も分け隔てなく向いている職務に着き、
幸福を皆で共有し、それを実現するために支配者は
真理を追究する哲学者であるべきと結論を出している。
個人的に印象に残ったのは以下の二点。
一つ目は、神々の不道徳な逸話を問題視している点。
ギリシア神話の神々のやることがひどいというのは、
「図解雑学ギリシア神話」の感想に書いたが、
神々を人々の道徳の規範とすべきという点において、
プラトンも問題視していたということが分かる。
彼らの後継者であるローマ帝国の支配者が、
絶対的に正しいキリスト教の神を選択したのは、
当然の成り行きだったのかも知れない。
二つ目は、早くも男女平等を説いている点。
この時代英雄と言えば戦争で活躍した者だったが、
その権利を女性にも平等に与えようとしており、
女性が戦争の訓練をすることを滑稽だとしつつも、
スパルタの訓練法も最初は馬鹿にされていたが、
今では誰も笑わなくなったと言う論に舌を巻く。
ただ、ギリシア人のみで結束することを説き、
異民族は奴隷要員としているのは残念。
下巻ではどんな議論がなされるのか楽しみ。