【感想・ネタバレ】国家 下のレビュー

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Posted by ブクログ

現代にも通用する政治思想のエッセンスに加え、価値の原理のルーツともいえる「善のイデア」に関して解説した壮大なる古典。これが2400年前に書かれたという驚愕の名著。

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2021年01月06日

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「洞窟の喩え」の出典でもある「国家」下巻。
正しいものごとを理解していない人、そしてそういった人々へ真実を伝えることの難しさ、その中でどう振る舞うべきなのか。
そういった困難を比喩の力で見事に表現しきっている。

画家、詩人について喩えるくだりで語られる、使う人と作る人、そして真似る人。
ここでは何にも増して、使う人の考えこそが重要であると語られる。
これは現代社会においてもUXの重視という形で語られるものであり、普遍的な価値が語られていることの証左でもあろう。

人物から国家に飛躍し、様々な形態の国家について吟味する。
そして国家という粒度での議論から、当初の問題であった正義と不正、正義「のようにみえる」ものと正義そのものについて帰着する。

現代のまなざしでは粗く感じる部分も多分に存在するが、それ以上に現代にも通底する本質が宿っている。
難解な部分がないといえば嘘になるし、上下巻あわせたボリュームは人を尻込みさせるのに十分だ。
それでも、手に取る価値のある、いや手に取るべき名著であるのは間違いない。

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2019年09月04日

Posted by ブクログ

ソクラテス先生「正義」の話をしようの巻

「国家」という邦題が付けられているが、
最後まで読めば解説に書かれている通り
「正義」がこの本のメインテーマで有り、
国家論に関しては、その一部だと分かる。

多くの人が指摘しているが、洞窟の比喩や
国家論の「民主制から独裁制が生まれる」
という指摘は現代人も舌を巻く観察眼である。

最後のエルの物語はプラトンの師への想いが感じられ、
輪廻転生の概念がギリシアにも存在することが分かって興味深かった。

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2019年01月19日

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下巻もサラッと読み終わる。翻訳は読みやすい。しかしきっと原著がまだるっこしい。
知的探索の方法としてプラトンが対話を選んだことには理解を示しつつ、それが上手く機能しているのか、というと、どうだろう。
1人に1つの役割、というプラトンの想定では、1人が自分の中で複数の意見を対立させる、ということが考えにくかったのか。
もしくは、自分の中で対話をするにも、その仮想の対話をシミュレーションするにはいくつかの人格を置く必要があり、自己のなかのそれぞれの立場にソクラテスやそれ以外の名をつけたのだろうか。
プラトンは実際には1人で本著を書いているわけだから、後者なのだろう。しかし、その前提になるのは前者、1人に1つの役割、という考えがあったのだろう。でなければ、自問自答でもこのように議論を進められるはずだ。

廣松渉の四肢的構造などを考えると、1人に1つの役割というプラトンの考え方がいかに素朴であるかは言うまでもないことだが、ではやはり完全に無視すべきか、というと、人にとってのアイデンティティは、究極にはやはり1つのものに結実する場合もあるだろう。特に男性はそうなりやすいのではないか。
女性は、よくいわれるように、女としての自分、母としての自分、妻としての自分と、いくつものペルソナを有することの自覚があると思う。男性は、割と、俺は俺だ、となりやすい。
これにはなんら裏付けはなく、個人的な感覚的な話だ。もちろん、今の社会では多くの場合、という程度の条件をつけての感覚だが。

というわけで、プラトンの考える方法が、まさにここで想定する「国家」の基本構造にもなっており、「正義」になっている。

大きな理想的な構造を個人が描くとそうならざるを得ないが、描かれるものは自然と自分の精神構造の相似形になる。

ホワイトヘッドが、「西洋哲学はすべてプラトンの注釈に過ぎない」というときには、(原文読んだことはない。引用で知ってるのみ。そのうち読む。)そういう、プラトンという1人の人間の相似形である構造が、そのまま1人の人間と人類一般との(西洋の)精神構造の相似形ともなるので、然るべくしてその注釈という形を持たざるを得なくなるのであろう。

逸れたが、本著でプラトンの言おうとしていることを把握するのは、この対話構造によって少しわかりにくくなる。対話のために必要な不要な文章が出てくるからだ。もちろん、それを不要とするかどうかは受取手の精神構造に由来するのであって、プラトンにしっかりそれを重ねることができる人には、必要なものなのだろう、が、僕はせっかちなのだ。「、、、っていう論理が成り立つと思うけど、どう?違う?」「いえ、まさしくその通りです」みたいなのは邪魔くさい。今日的合理主義なのだろうか、もう少し数論的に幾何学的に整えたくなる。でも、それがプラトンの論理方法なのだ。

で、それを気持ちよく整理してくれてるのがこの岩波文庫の解説等だ。すごくよくできてる。何が書いてあったのか、をまとめるには素晴らしい出来だと思う。
構造化してくれる。
まだるっこしかった気持ちをすっきり整理してくれた。

さて、次は、ティマイオスにいこうと思う。ティマイオスの始めが国家の一部要約のようなところから始まるのもいい。
プラトンを知るには国家は最適な主著のようだが、プラトンの与えた影響、新プラトン主義をみるには、国家よりもティマイオスなのだろう。哲学史で勉強する限りにおいては新プラトン主義のどの辺りが新プラトンなのかよくわからかかったけども、ティマイオスがそこをつないでくれると思ってる。

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2018年11月18日

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プラトン最大の対話篇。
正義から始まり、国家、真実在、教育、芸術、魂を対話によって哲学する。
2000年以上たっても何も変わっていないのだなあとつくづく感じる。イデアはどこか天上界にあるのではない。洞窟の比喩が間違って解釈されてしまっている。イデアは、見るー見られるの関係と同じく、知るー知られるの関係によるものなのだから、ほかでもない、自分自身の思推の力によってしかたどり着けないもの。
優れた芸術は常に感覚による模倣だから、真実在へ思考する力を養う教育において大きな役割を果たすが、模倣であることからは逃れられない。ワイルドのいう「芸術は人生そのものではない」や「外観で判断できないような人間」「善良さとは自身との調和状態」といった言葉の意味がよりクリアに入り込んできた。
特に話題としては上がっていないが、一巻初めの、年を取ることについてのさりげない言葉もとても味わい深いものがある。
本編で語られているように、真実は単調かつ素朴に語られるものだから、読んでいて一部の逃げる隙もなく、ストレートに言葉が伝わってきた。池田さんが「プラトンは素直すぎる」というのを肌身で感じた。
自らの力で、真実を求めることをこれからも決してやめない。

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2014年03月14日

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「その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、そういう国家こそが、最もよく、内部的な抗争の最も少ない状態で、治まるのであり、これと反対の人間を支配者としてもった国家は、その反対であるというのが、動かぬ必然なのだ」(p109-110)

・この認識を土台として、支配者となるべき者は、金銭や名誉に関心がなく、かつ優れた人間でなければならないとする。すなわち、哲学者が支配者となるか、支配者が哲学するかのいずれかでなければ、国家はうまく統治されない。

・この哲人王が支配する極度に理想的な国家との対比として論じられる、他の政体(寡頭制→民主制→僭主独裁制の変遷)についての記述は、不気味なほどその後の歴史と符合している。富を寡占する支配者への反発から民主制が生じ、自由が秩序を崩壊させた結果として僭主独裁制が生じるというプラトンの予言は、市民革命と全体主義によって見事に的中した。

・まさに西洋思想の源流とも言うべき一冊。詭弁のオンパレードに辟易するところはあるが、それも人間社会の基本的諸要素の全てが合理化を経ないで未整理のまま抱合されているがゆえのこと。そこから救い出すべきものは決して少なくはない。

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2013年08月03日

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上巻の終盤で放たれた超弩級の思想(哲人統治、イデア論など)に引き続き、下巻も読みどころ満載である。有名な《善のイデア》や《洞窟の比喩》は、下巻の割と早い段階で語られる。下巻の中盤では、国家の諸形態の分析がなされる。名誉支配制国家、寡頭制国家、民主制国家、独裁制国家のそれぞれの特徴を論じたこの部分は、ある意味、最大の読みどころかもしれない。特に、「民主制国家が堕落したらどんな現象がみられるようになるか」「民主制から独裁制への移行はどのようにして達成されるか」を論じた部分は圧巻。下巻の最後は、正義の報酬として有名な《エルの物語》で締めくくられる。ここは哲学というより物語(神話)として興味深い。

・《哲人王》による《善のイデア》を希求する政治(≒ユートピア思想)
・エリート層による大衆の統制(≒民主主義の否定)
・エリート層における私有財産の禁止(≒共産主義)
・エリート層における妻女と子供の共有(≒優生学的思想)

…など、私には容認しがたい極論も多いのだが、「衆愚政治へと堕落した民主主義への批判」や「僭主独裁政治への批判」など、現代人必読の警告と思われる箇所も多い。その主張の是非はともかく、形而上学的にも政治学的にも西洋思想の原点となった著作である。

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2012年11月07日

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正義とは何か、正しい国家とは何かについて語られる。哲人王の統治や有名な洞窟の比喩もコンテクストの文脈で語られると意義深い。広範に渡って語られるため全貌を掴むにも何度も読み込む必要がありそうだ。理想の国家から堕落していく国家のあり方はアテネだけでなく、古代ローマ、フランス革命などと照らし合わせても正しいと感じられ洞察力には舌を巻いた。また、魂の不死を説いたエルの物語は現代人にも説得力を持つように感じられた。

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2011年07月20日

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内容に入る前に一言…「長いんじゃ、ボケ!」 そして、対話のテーマが、柱である「国家論」「正義論」に留まらず、あらゆる方向に伸びてるのに巻数ごとのテーマ別の分類などが一切無いため、非常に読みづらい。まぁ、解釈書じゃないから原典に忠実でなければならないのはわかるけど…苦しかった。



さて、下巻では上巻の最後で登場した「哲人統治」の続きから。結局は真理や実在を愛する哲学者が、国を守る…というか支配するのに相応しいということでファイナルアンサー。トラシュマコスさんが陥落した今となっては、誰もソクラテスの意見に異を唱えません。「アナタノイウコトハタダシイデス」…そんな言葉ばかり繰り返してないでもっと食い付いていかないと対話篇とした意味が無いような…。



そして、出ましたイデア論。哲学的な素質を育てるために必要な「善」のイデアについて、有名な洞窟の比喩などを用いての説明。個人的にはこのイデア論の考え方、「(元々は良い素質を持っているはずの)魂の向く方向を変えればいいんだ!」的な発想は大好き。



また、国家の五種類の形態・国制の話をとても面白く感じた。まずはソクラテス達が上巻で作り上げた完璧な国家「優秀者支配制」。そして、そこから生じてくる不完全な四種類の国家、すなわち「名誉支配制」「寡頭制」「民主制」「僭主独裁制」。これらの国制について、そこに存在する人間の性格をも検討しながら語り出す。ちなみに幸福という観点から見て順位をつけると、ここに挙げた順に素晴らしい国家であるそうだ。…民主制がやたら低い順位にあるのをソクラテスが(直接)民主制国家の下で殺されたことを受けてのプラトンの情報操作かと疑ったり、優秀者支配制と僭主独裁制を対極に位置するものとしているけど両者は非常に紙一重の関係…というかほとんど同じでは?なんて批判的に見てしまったりもしたが、まぁ面白かった。



締めくくりは、イデア論と密接な関係を持つ「魂の不死」について説いた後、「エルの物語」という話で魂の行く先について語ってお終い。だんだん普段自分達が認識できる範囲の世界から離れるようにして語られてきた、国家篇の最後としては綺麗な形で終われてる気がする。



読み終えて…自分はどうもこの本を批判的に見てしまったことに気付き、反省した。「法は国家全体に幸福を行き渡らせるように存在すべき」としながらも「正しい人は望むなら国を支配し、どこからでもすきなところから妻を貰い、誰でも好きな者と子供達を結婚させることができる・・・」云々、ソクラテスの基準での「徳のある者」「善い魂を持つ者」…すなわち「哲学者」がほとんど独裁者と化すことを喜ばしいことだとしている(ようにも思える)下りがどうも現代人たる自分にはマッチしなかったみたいで…。



もう少し大人になったら読み返したい一冊。…これ以上歳をとってからだと、こんな長い本は読む気力が無くなりそうだと不安に思いながらも、今はそう思いながらこの本を本棚にしまうことにしよう。

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2009年10月04日

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単に政治論、政体論などと一言で片付ける事の出来ない、哲学の歴史的名著。一人の人間として、どう生きるべきか、ということを考えさせられる。哲学的思考法のお手本。

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2024年03月07日

Posted by ブクログ

何となく読んでみた。内容は確かに難しいが、対話形式であり、また難しい箇所を飛ばしながら読んだので割とスラスラ読めた。よく教科書に出てくるイデア論や哲人王による国家、4つの徳などが本書にすべて盛り込まれている。表紙にも書いてあるが、善のイデアに関する「太陽」「線分」「洞窟」の比喩も本書に当然存在する。教科書でなんとなく覚えた事項について、実際にそれが記述された本で読むと感動と共に頭にしっかり刻み込まれる感覚がある。

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2021年01月21日

Posted by ブクログ

一先ず通読しました。
厳しく合理的で誤解を生みそうなところも感じられましたが、熱くロマンがあって、尚且つ愛を感じる作品だと思います。素晴らしいです。

復習したり、要所で読み返してみましたが誤読があるかもしれません。
今度は参考書や研究書を読みながら多角的な視点で読み返したいと思います。

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2020年11月03日

Posted by ブクログ

久々に読むのに骨が折れた。

正義とは何か、正しい国家の姿とはどのようなものなのかを根源的に問い詰めたプラトンの著書。ある種の理想の姿なのかもしれないが、この理想を目指して失敗したのがナチス・ドイツだったりレーニンのソヴィエト連邦だったりポルポトだったりするのだろう。家族を否定し、心を揺さぶる娯楽的なものを排除し、理想的な人間の完成をひたすらに目指す。宗教の原理主義もこんな感じなのかもしれない。

だが、だからと言って本書を悪書とは思わない。元来哲学とか思想とかは、斯様に根源的であり、社会にとって劇薬―薄めると薬にもなり、原液だと毒にもなる―であるべきだから。

とは言え、私はプラトンよりもホメロスを愛す。

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2012年10月08日

Posted by ブクログ

最初、哲学史を理解するための教養として読むつもりで手に取ったのだけれど、その気高い思想に触れるうちに読むこと自体が快楽になってしまった。たとえ、本書で語られている内容がほとんど理解できなかったとしても、著者がこれを書かざるをえなかった動機のようなものは感じ取れると思う。そして、それだけでも本書を読んだ価値はあると断言したい。
個人的には、これまで頭の中でばらばらの点として存在していた数々の思想が、一応弱いながらも一定の線を描きつつあるように感じられたことも含めて非常に満足のいく読書となりました。

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2012年07月29日

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プラトン以降の歴史は全て、彼の手の平の中だったのかもしれない-そんなことを痛切させれらる。とにかく国家の形態とその推移に関する分析は圧巻だった。ここでプラトンは自由と平等を愛する民主主義というのを決して優れた国家形態とはみなしていない。またこの制度は富者が支配する寡頭制に対する反発として、寡頭制の次に必然的に現れるものと考察している、正に歴史がそれを証明している通りに。そして何より恐ろしいのは、この民主制というのが自由と平等を愛する結果、守るべき秩序も失われ僭主独裁制、つまりファシズムを必然的に生み出すものと描かれているのだ。そう、歴史は今まさに、その事実を証明しようとしつつある。

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2012年04月11日

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『国家』の第6巻~第10巻までを収録。プラトンの正義論については、ポパーはじめ多くの批判的意見が提出されてきた。しかし、洞窟の比喩、エルの物語など、いまなお人の精神にゆさぶりをかける優れてアクチュアルな内容が含まれていることは間違いない。その意味で、やはり『国家』は第1級の古典と言えるだろう。

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2011年06月09日

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有名な「洞窟の比喩」が出てきます。
私のゼミでは「洞窟」=「現代の映画館」論へ強制的に持って行かされます。

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2009年10月04日

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上巻を読み終えてからしばらくたちました、ようやく読み終えたプラトンの『国家』。イデア論を中心に、ソクラテスとグラウコン、アディマントス兄弟の答弁は続きます。知ること、知識こそが真理を見出す唯一の道といい、感情がいかに芸術を求めようともそれを切って捨てることが正義。ホメロス批判が響きます。上巻で取り上げられた『ギュゲスの指輪』に対する答えも一応答えられています。結局は本心の問題。死後の世界が巻末に広がりますが、当時の価値観としては意味がある答弁だったのでしょう。黄泉の有無よりも、そういった恐怖信仰以前の人間の本性としての正義を追及した点で哲学のすばらしさを感じます。今より2500年ほど昔に、このような道徳の語らいがあったのは驚きです。ソクラテス、プラトン、やはりすばらしい。

09/5/8

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2009年10月04日

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若いころに政治に熱心だったプラトンは、ソクラテスの裁判以後哲学に傾倒していくが、それでも政治に対して完全に決別できず、どこかで、ソクラテス的哲学と、政治の融合できる方法を探していた。しかしこの両極の二つが融合するには、そこに揺るぎない理論的支柱がなければならない、その確信が得られたのは、プラトンがアカデメイアを創設してから10年もの歳月を要した。
その哲学と政治の融合、哲人政治をこの「国家」によって明らかにしたのである。

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2009年10月04日

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ネタバレ

下巻は洞窟の比喩、善のイデアの役割、様々な政治形態の国家とその国民の性格の解説、詩人追放論、あといつもの巻末魂の不滅神話など。国家の様々な政治形態のくだりの、形態から別の形態への移り変わりの部分はプラトンの洞察力のすごさを感じた。
下巻まで読むと、正義の議論で始まり正義の議論で閉じるきれいな構造もあって見通しが良く感じるし、イデア論・四徳・洞窟の比喩・魂の不滅など有名な理論がそろい踏みするので壮観でもある。ただそれらは国家論の下敷きであって、その上に立った壮大な国家論こそがプラトンの思想の結晶というべき存在なのだろう。解説にもあったが、ソクラテスの徳や正義の問答、魂を磨き続けるという目標と自らの政治への興味が長い年月をかけてこうして実を結んだのだろうかと思うとなんだか感慨深い。

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2023年12月15日

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「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という有名な言葉がある。この『国家』を読んだだけでも、なるほど確かにそうなのかも、と思わされてしまう、それほど広範かつ重要なテーマを扱った本である。

ただ、完全無欠の神のような人間の存在(ないしは創造可能性)を前提とした国家設計は許容しがたい。個人より国家を優先して思考を突き詰めれば当然の帰結なのかもしれない。

プラトン曰く、理想的な哲人政治もいつかは落ちぶれる運命にあるという。しかしそれがなぜかを説明する箇所は意味不明の数式で煙に巻く。そもそもプラトンが説くような、完全無欠な哲人が統治を続ける限り、その国家の衰退はありえないはずではないか。この部分のプラトンの論旨展開は、統治者として君臨すべき完全無欠な人間の存在を自ら否定するようなものだ。

下巻で展開された詩人追放論は、上巻で主張された音楽・文芸の効用と矛盾するものではないか?という陥りがちな疑念は、訳者による説得力のある註釈により晴らされた。
本書は、世人の間で哲学が文学よりも重要であるとは必ずしもみなされていなかった時代に書かれた。そしてプラトンは哲学の地位向上を図るためにあえて強い書き方を選んだのだった。

2400年も昔の人が書いた本を読むというのは刺激的な体験であった。ルソーやニーチェなど後世の哲学者を先取りしたかのような考え方が随所に見られた。ニーチェが否定した西洋哲学の伝統とは何かを知るための重要な手がかりとなることは間違いない。

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2014年12月13日

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古代ギリシアの哲学者プラトン(前427-347)の主著。副題「正義について」。

真/偽、善[正義]/悪[不正]、美/醜、存在/生成、同一性/差異、概念/個物、一/多、内/外、イデア[界]/仮象[界]、知識/臆見、彼岸/此岸、秩序[cosmos]/混沌[chaos]、必然/偶然、精神/肉体、理性/感性、観想/実践 ・・・。世界をこうした階層化された二項対立的図式によって解釈し、ヨリ価値の低い後者の現実とヨリ価値の高い前者の理想とを区別して(現実とは、イデアを分有しただけの不完全な代物である)、後者から前者への階層移動を志向する、そういう機制としての西洋形而上学は、プラトンによって見出され、その後2000年以上ものあいだヨーロッパの思想の骨格となっていった。存在論としてのイデア論、認識論としての想起説も、それぞれの時代に於いて変奏されながらその基本的な機制は反復されてきたと云える。

 □ ユートピア思想

ここで語られているのは、西洋最古の壮大なユートピア思想である。

ユートピアは理想郷として現実に於いて場所をもたない[ou-topos]が、と同時に、理想の完全性により生成変化することもなくそれゆえそこには時間が無い[ou-chronus]ともいえる。そこには人工的な空想の無表情な不気味さがある。そこで語られるユートピア社会の構成員の"顔"が見えないのだ。空間や時間が無いだけでなく、人間もいない。

本編における大きな特徴は、個人の問題が国家の問題へと接続されている点にある。「ところで、国家は一個人より大きいのではないかね?」「するとたぶん、より大きなもののなかにある〈正義〉のほうが、いっそう大きくて学びやすいということになろう。だから、もしよければ、まずはじめに、国家に於いては〈正義〉はどのようなものであるかを探求することにしよう。そしてその後でひとりひとりの人間においても、同じことをしらべることにしよう。大きいほうのと相似た性格を、より小さいものの姿のうちに探し求めながらね」

匿名的な知性=徳性によってあらゆる価値が一元化されたソクラテス/プラトン思想の下に展開される理想国家の構想は、一部の隙も無い息苦しさがどこか狂気染みている。人間は知性=徳性の下位に置かれ、それを否定=超越する自由が無いものとされているように思われる。空想に於いて実行される理想の"独裁"である(勿論、プラトンが本書後半で述べる独裁僭主 tyrannos とは全く意味が異なるが)。そこに、人間的な自由や文化は、その存在余地があるのか? 歪な初等教育論然り、「詩人追放論」然り、国家に無用な者に対する死刑の肯定然り、「国家の守護者」の選抜試練然り、管理生殖然り、女と子どもの共有然り。表現統制・優生思想・選民主義・個人の国家への全き同一化の要求・・・。個人の人間としての尊厳や、そもそも私生活それ自体が、国家の存立よりも下位に置かれている。端的に云って、グロテスクである。「・・・、一人の人間のあり方に最も近い状態にある国家が、そうだ[苦楽の私有化による国家の分裂から最も隔たっている]ということにもなる・・・。――たとえば、われわれの一人が指を打たれたとする。そのとき、身体中に行きわたって魂にまで届き、その内なる支配者のもとに一つの組織をかたちづくっている共同体が、全体としてそれを感知して、痛められたのは一つの部分だけであるのに、全体がこぞって同時にその痛みを共にする。そしてこのようにしてわれわれは、その人が指を痛めている、ということになるのだ」。ここに、国家と国民の区別はない。国民は国家に溶解してしまっているようだ。これは、最古の素朴な全体主義思想ではないか。「人間性」「個人の尊厳」「人権」という現代の我々にとって"自然"な観念が決して普遍的なものではなく"歴史"的なものであるという事実を、痛感する。

(尤もプラトンは、独裁制(僭主制)は民主制の崩壊によって生じる、というファシズムを通過した我々にとって極めて鋭い指摘をしている。優秀者支配制国家〈理知〉→名誉支配制国家〈気概〉→寡頭制国家〈金銭欲〉→民主制国家〈自由〉→僭主制国家(欲望のアナーキー、狂気、カリスマ希求? 自由の隷属化)。「・・・、民衆の慣わしとして、いつも誰か一人の人間を特別に自分たちの先頭におし立てて、その人間を養い育てて大きく成長させるものではないかね? ・・・。則ち僭主(独裁者)が生まれるときはいつも、そういう民衆指導者を根として芽生えてくるのであって、ほかのところからではないのだ」「まず第一に彼[独裁者]のすることは、たえず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆を、指導者を必要とする状態に置くためにね」「さらにその目的はまた、人々が税金を払って貧しくなり、その日その日の仕事に追われるようになる結果、それだけ彼に対して謀反をたくらむことができにくくなるようにするためでもある」。まるで現代の我々の社会のことを2000年以上前から指摘されているような気にならないか。なお、別の個所で国家の起源としての社会契約論の萌芽が見出されるのも興味深い)

これが、アテナイ民主制によって師ソクラテスが殺されたプラトンの政治的到達点なのか。

〈正義〉の原則は次のようなものとされる。「各人は国におけるさまざまの仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、一人が一つずつ行わなければならない」。さて、理想たるべき国家には、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉の三つの徳が備わっていなければならないとされる。つまり、国家の構成員が各自の分に応じた仕事に専念し、思い上がりによって自らの分を逸脱することなく、三つのうちの各自の分に応じた徳を体現することが、国家に於ける〈正義〉といわれる。そして、国家が三部分に区分されるように、個人の魂にもそれに対応した三部分〈理知的部分〉〈気概的部分〉〈欲望的部分〉が存在するとされる。そして、〈理知的部分〉が魂全体を支配し〈気概的部分〉がそれに服従し(欲望的部分)の放埓を制御する、則ち自分で自分自身を支配し秩序づけ節制と調和のうちに一人の人間と成ること、これが個人に於ける〈正義〉といわれる。こうした考えのうちにも、ユートピア思想特有の「構成員の匿名性・"顔無し"性」「理性による理想的な統御」が現れていないか。

繰り返し見てきたように、ソクラテス/プラトンの政治哲学の裡には、共同体の構成員たる個々人の「実存」という視点が見事に抜け落ちているのである。それが数学や哲学的問答法の訓練を受けた哲学者=哲人王の理性によって統制可能であると考えられている。唯物史観に基づく共産主義の革命思想にも欠落している観点である。「実存」との緊張関係を通過することのない「政治」はもはや通用しない。事象の本質的概念的把握を目指す哲学的精神を政治権力と結合させる哲人王思想では、「実存」という人間の存在様態に追いつかないのである。

現代の我々に、ユートピアは不可能である。では、「革命後の世界」は?

 □ 自己関係性

〈善〉のイデアとは、太陽が見られるものを照らし出し以て視覚=見ることの原因となるように(「太陽の比喩」)、認識対象に真理性を付与し認識主体に認識機能を働かせるものとされる。しかし、〈善〉のイデアが"在り"且つ"かく在る"ことを、ソクラテス・プラトンは如何に認識しその認識を正当化するのか。彼の哲学体系の内部に於いてその正当化は可能か。そこが問われない哲学体系は、端的に独善であり無意味ではないか。

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2014年04月12日

Posted by ブクログ

 プラトンが国家で、ソクラテスに哲人王として君臨すべき人物として彼を想起させるような論理展開をさせたことはやはり、『ソクラテスの弁明』の結果処刑されたソクラテスに対する複雑な感情と、民衆のみならず、都市の頭脳たちに対する不満と怒りの念が会ったからであろう。
 
 教育論も語られていて、読み物として面白いのでぜひ一読してはいかがだろうか。

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2012年02月09日

Posted by ブクログ

哲学の授業で読んだ本

「洞窟の比喩」が出てくる。

私がプラトンに興味を持ったのは
洞窟の比喩が引用されている
「アルジャーノンに花束を」
を読んだから。

難しいけど哲学を、人の考えを学ぶのは面白い

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2010年08月17日

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