プラトンのレビュー一覧
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哲学の入門書として「ソクラテスの弁明」と同じ程優しく読めると言われるプラトンの著作。
「徳は教えられうるか」というテーマで対話がすすめられています。
そして、魂の不死や想起についても触れられています。
「人間は、自分が知っているものも知らないものもこれを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っている以上、その人には探求の必要はないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」
というソクラテスの言葉が非常に不思議に思われます。 -
Posted by ブクログ
「徳は教えられるか」を主に話しているが、一番面白かったのは、想起説。
ソクラテス:ぼくは徳とはそもそもなんであるかということを、君と一緒に考察し、探究するつもりだ。
メノン:なにであるかわかっていないとしたら、どうやってそれを探究するおつもりですか?もし、探り当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか?もともとあなたはそれを知らないはずなのに。
ソクラテス:つまり、「人間は、自分の知っているものも知らないものもこれを探究することはできない。というのは、まず、知っているものを探究するのはありえないだろう。なぜなら、知っているのだ。ゆえに、その人には探究の必要がまったくない。また、知らないものを探究するということもありえないだろう。なぜなら、その場合は何を探究すべきか、ということも知らないはずだから」ということかね?
メノン:よくできていると思いませんか?よくないか指摘できますか?
ソクラテス:できる。というのは、僕は神々の事柄について知恵を持った男や女の人たち(たとえば、ピンタゴラス)から次のことを聞いた。すなわち、「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたりする――これがふつう『死』と呼ばれている――ときにはふたたび生まれてきたりするけれど、滅びてしまうことはけっしてない」。
このように、魂はいっさいのありとあらゆるものを見てきている魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない。よって、徳というものが何であるのか、それがそうであるということは、わかるはずだ。ある一つのことを想い起したこと――このことを人間は「学ぶ」と呼んでいる――その想起がきっかけになり、他のすべてのものを発見することもありえる。つまり、探究するとか学ぶということは想起することにほかならない。
イデア論の根はこれかなーと思います。
たとえば、「生きる意味とはなにか」と探す。
でも、なぜ生きる意味があると思うのか?
それは、全くわからないものなのに。仮にわかったとしても、なぜそれが真であると思うのか?
ソクラテスは、ここで「魂」を出してくる(ここで面白いのが、ソクラテスはすべてのことを疑ったのに、「魂」の存在を疑わなかったこと)。
「人間の魂は不死であり、生々流転する。魂はありとあらゆるものを見てきている。したがって、魂がすでに学んでしまっていないようなものは無い。」
人間の魂。では、一番初めの人間には、誰の魂が入ったのか?
その魂は、どこで、ありとあらゆるものを見たのか?どこからきたのか?
疑問。魂なんていうものを信じていいのか!
さて、多くの哲学者は普遍的なものを探してきた。いまだに見つかっていない。
でも、なぜ、「普遍的なものが存在する」と思うのか?
わからないものなのに。もしその「普遍的なもの」が見つかったとして、どのようにそれが真だとわかるのか?理論?科学?
なぜ、それが理論的・科学的にわかるのか?
魂が知っているから、それを見つけたら思い出すんだ。
って考えると、なるほどなー。
(まっちー) -
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ネタバレ徳とは何か、どういう性質で人に教えられるものかどうかを探ります。
今回ソクラテスと対話するメノンは傲慢なところがなく好感が持てる青年です。
この話の中では、魂が既に学んだことを「想起する」という考え方が出てきます。
ソクラテスは言います。
「知らないものは発見することもできなければ探求すべきでもないと思うよりも、我々はよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、怠け心が少なくなるだろうということ、この点についてはもし僕に出来るなら、言葉の上でも実際の上でも大いに強硬に主張したいのだ」
正しいか正しくないかはともかく、想起説を信じる方が実践において有益であるというこの考え方は好きです。
また、知だけでなく「正しい思惑」も人を正しい行為に導くものであると言う。
ソクラテスらは徳は知では無さそうだという結論を出しているから(これはプラトンの意見のようですが)、この「正しい思惑」が徳と密接な関係がありそうです。
そしてこれは神の恵みによってもたらされるのだろうと推測しています。
個人的には徳が何であるかより何であると信じるかが大事だと思うので、判断を神にゆだねるというか、神の意志を反映するような自分の直感や良心にまかせるのが良いのかなと思う。 -
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上巻の終盤で放たれた超弩級の思想(哲人統治、イデア論など)に引き続き、下巻も読みどころ満載である。有名な《善のイデア》や《洞窟の比喩》は、下巻の割と早い段階で語られる。下巻の中盤では、国家の諸形態の分析がなされる。名誉支配制国家、寡頭制国家、民主制国家、独裁制国家のそれぞれの特徴を論じたこの部分は、ある意味、最大の読みどころかもしれない。特に、「民主制国家が堕落したらどんな現象がみられるようになるか」「民主制から独裁制への移行はどのようにして達成されるか」を論じた部分は圧巻。下巻の最後は、正義の報酬として有名な《エルの物語》で締めくくられる。ここは哲学というより物語(神話)として興味深い。
・《哲人王》による《善のイデア》を希求する政治(≒ユートピア思想)
・エリート層による大衆の統制(≒民主主義の否定)
・エリート層における私有財産の禁止(≒共産主義)
・エリート層における妻女と子供の共有(≒優生学的思想)
…など、私には容認しがたい極論も多いのだが、「衆愚政治へと堕落した民主主義への批判」や「僭主独裁政治への批判」など、現代人必読の警告と思われる箇所も多い。その主張の是非はともかく、形而上学的にも政治学的にも西洋思想の原点となった著作である。 -
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ネタバレ政治家は何をしたらいいの?といういまとあまり変わらない話を延々としている。
国家は民衆に「快」と「善」とのどちらを示すべきか?それともどちらかがどちらと合一なのか?それともどちらかがどちらの下にあるのか?それとも上にあるのか?ということだ。
プラトンは最終的に、「政治家は民衆の料理人や給仕ではなく、医者でなければならない。」とする。ということは善を与えるべきであるとする。これが哲人王であるということなのだろう。
このような発想は、てっきりアリストテレスのものだと思っていたが(彼はどうすれば善く生きられるか、何が目的なのか、という思考であるから。)、ソクラテスの時代からあったのかと思った。
プラトンの考え方から云えば、大衆迎合主義は批判さるべきである。
ただこれは非常に危険な考え方だ。一つ間違えれば、「これが正しい。」という名の下に専制支配が行われる危険性さえある。ただ、憲法典で「民主国家を志向する」と歌い上げればそれが目的になるし、大衆迎合主義はそれを批判することさえある。逆に専制国家であれば、大衆迎合主義は民主国家を志向することもあるだろう。「自由か、それとも目的か。」は、常に堂々巡りをしているのであり、それは古代ギリシアから語りつくされているのかもしれないが・・。 -
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最強の敵、カルリクレス登場!(笑)というコピーがぴったりの対話篇。というか『ゴルギアス』という書名で本当にいいのか!(笑)
著名な弁論術家ゴルギアスのもとに「弁論術」とは何かという議論をふっかけにいったソクラテス。法廷や政治の場において人々を説得する技術だというゴルギアスに対し、説得する以上、全ての事柄が「正」だと知っているのか、それを教えることが可能で実践している者がいるのかと矛盾を追及し、早々に戦意喪失に追い込む。
第2ラウンドは代わりに登場したゴルギアスの弟子ポロス。ソクラテスは「弁論術」は技術ではなく、料理と同様に経験であり、その本質は「善」ではなく「快」で民衆への迎合だと喝破する。対するポロスは「弁論術」を使えば人は欲しいままに権力を行使することも可能だと反論し、さらに不正を行っても栄達できた者は幸せだとするのに対し、ソクラテスは人に不正を行うよりも不正を受ける方が幸せだといってポロスを驚かせる。そして、不正を行えば「醜」=「悪」だという論理を、例によってソクラテス自身が設定した条件文による択一という詭弁調!で導いたソクラテスは、そのような方法論である「弁論術」も政治や法廷では「正」という真の目的のためには役に立たず、不正を行った償いの刑を受けるために用いろと迫り、ポロスをさらに驚かせる。
そしてメインイベントの第3ラウンドで最も白熱した議論が展開される。このカルリクレスの態度は、これまでソクラテスの詭弁気味な言い負かし勝利に抑圧され続けてきた「プラトン」読者にとって、喝采ものといってよい。(笑)いわく、ソクラテスよ、もっと大人になれ!ゴルギアスが遠慮していることに気がつかないのか!法律によって抑制されているが、自然状態となれば不正だろうが弱肉強食は当然だろ!哲学なんていうものは大人が行うものではない、これ以上、馬鹿話を続けていると、法廷に引きずりだされ死刑になることだってあり得るぞ!、と。
だが、ここからのソクラテスの言説は光っている。先の弁論術は知識ではなく迎合であり、国民を正義や徳を導かないとの観点から、かつてアテナイの偉大な政治家とされた人々も、最後は自分が指導した国民により排斥されたことから、「政治家」としては無能であり、自分ソクラテスこそが真の政治を行っているとする。そして、仮の宿である身体から離れた魂がよき審判を得て救われるには、正しい行いや不正も裁かれ済みの状態になっている必要があるとし、仮に自分が死刑になっても魂は救われるとした格調高い道徳観・死生観を展開するのである。迂闊にも感動しました。(笑)
後のソクラテスの末路を暗示するとともに、ソクラテスに仮託したプラトン自身の政治へのかかわり方への決意表明としてとても面白かった。
もう一度、『ソクラテスの弁明』を読み返したくなりました。
それにしても「犬に誓って」って一体何に誓っているんだ?(笑) -
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恋している男よりも恋していない男に抱かれろ!と少年(!)に説くリュシアスの衝撃的な言説に見事に喰いついたソクラテスが、パイドロスと真夏のお花畑の木陰で物語るという図式です。(笑)神に憑依された(!)ソクラテスは詩的な調べで「恋」(エロース)についてのいくつかの見解を披露してパイドロスを翻弄する。(笑)結論、「恋は狂気」。
だが実はプラトンはこの話を発端に、詭弁に走りがちな弁論術を批判し、ディアレクティケーを駆使して真実そのものを把握し議論せよという結論を導きたかったのだ。
そういえばいつもよりもソクラテスの詭弁的言説も少ないような・・・。(笑)
ムゥサの後裔たる蝉の鳴くもとで語られる、不死なる魂転生の人生観(?)と、善悪?2者を象徴する2頭馬車の行き先をめぐる対決の物語は本書の大いなる見どころだ。
文字の発明が、口伝の基本たる記憶力の妨げとなるという見解には眼から鱗が落ちました。そういえばワープロ機能のおかげで漢字、書けなくなったな。(笑)
話の成り行きがぽんぽん変わるので、うっかりすると論旨を見失いがちなり、自分も翻弄されたクチです。(笑) -
Posted by ブクログ
哲学に生き、死んだ人。哲学・思想と行為を一致させた人。自らの命を度外視して正しさを主張した。
哲学の基本書。プラトンの著作はたいてい対話形式で書かれているが、この著作に限っては、途中メレトスとのやりとりがあるものの、主としてソクラテスの一方的な独白形式で話が進む稀な作品。確かに弁明という性質上、形式的には必然かもしれないが、ソクラテス自身が聞き惚れそうになったと言うほどの (流されないようにと陪審員へ注意を促すのが真意だろうが)メレトス側の弁論が一切書かれていないのは、双方の主張を取り上げて吟味するプラトンの一連の作品からすると読者にとってあまりに一方的で異例な事のように思われる。例えば饗宴においてソクラテス以外の人々がエロースに関して延々と自説を述べたように、ソクラテスに関係ないから割愛するということはありえないわけだし。『ソクラテスの弁明』は「ソクラテスの」ということがまず面白い。
無知の知を語るようになった経緯、当時のソクラテスがアテナイにおいてどういう扱いであったのか、また彼自身がどうやって生きてきたのかを知ることが出来る。社会的・処世的・通俗的正しさではなく、論理的に、正しさにおいて正しい選択をする、自己の哲学に生きた哲学者の滑稽とも不器用とも勇敢ともとれる最後を目撃することができる。政治的謀略において告訴されたこの裁判でも、彼はついぞ自身を曲げることなく、避けることのできた死刑が確定する。これは生き様です。 -
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パイドロス
著:プラトン
訳:藤澤 令夫
出版社:岩波書店
岩波文庫 青601-5
ちょっと、とっつきが悪い書でした。
「積読こそが完全な読書術である」で本書のおすすめがあったので購入しました。
プラトンの書は、ソクラテスの教えを記載し、発展させたと理解していて、ソクラテスが開祖、プラトンが2代目、アリストテレスは、3代目という位置づけかとおもいます。やがて、アリストテレスは、アレキサンダーの師となり、ギリシャ哲学は、彼の力で当時の全世界に広がっていくことになるのです。
プラトンが建てた学校が、アカデメイアであり、アリストテレスが建てたのは、リュケイオンです。
それぞれ、アカデミー、教育機関、ライシアム、講堂という言葉の語源になっています。
パイドロス、とは、ソクラテスの知り合いの名前で、会話形式で話が進んでいきます。プラトンの対話編という形式で書かれています。
古代ギリシアは、民主政だったので、議論の上で、政策を決定する流れで、対話を重視したのかなと思います。シナリオの台本のような、ようでないような書き方です。専制国家では、横並びで会話をする書物が公開されないし、第一そういった発想がなかったと思います。
本書に流れているのは、愛、狂気、対話(ダイアログ)と、修辞法(レトリック)です
パピルスなのか、陶器なのか、どういう形かはさてあれ、ギリシアには、文字があり、書があったればこそです
東洋には、百家争鳴あり、西洋には、ギリシア哲学あり、言葉は内にも、外にも、鋭い刃物であり、発したものを傷つける。蘇秦や張儀、ソクラテスは自ら発した言葉に倒れた。
気になったのは、次です。
・君は、君を恋する者の言うことに従うより、ぼくの言うことに従うことほうが、優れた人間になるはずである
なぜならば、恋している人たちは、1つには相手の機嫌を損ねるのをおそれ、
1つには、自分自身も欲望ために心の眼が曇らされているので、
恋人の言うこと為すことが、それがたとえ最善の事柄に反したものであっても、ほめそやすからだ。
・我が言の葉の底意をさとれ
・狂気には、2つの種類がある
その1つは、人間的な病いによって生じるもの
もう1つは、神に憑かれて、規則にはまった慣習的な事柄をすっかり変えてしまうことによって生じるもの
・神から授けられる狂気は、人間から生まれる正気の分別よりも立派なものであるということを、古人はまさしく証言しているのである
・魂は全体として、魂なきものの全体を配慮し、時によりところによって姿を変えながら、宇宙をくまなく巡り歩く
・考察の課題。すなわち、どのようにすれば上手に話をしたり、上手に文を作ったりすることができるのか、どのようにすれば、その反対になるのか、これを考察しなければならない
・言論の技術について書かれた書物をみても、じつにたくさんの事柄がその中には記されているように思えます。
まず、最初に序論が語らなければならない
次は、陳述、加えて、証拠
三番目には、証明
四番目には、蓋然性
それから、保証、続保証というものをあげていたかと思う
それから反駁、続反駁、を、告発のときも、弁明のときも行わなければならない
・話の最後にあたって、話された事柄について、聴衆にそのひとつひとつを要約して思い出させる
・弁論術を身に着けようとするものは、魂にどれだけの種類の型があるのかを、かならず知らなければならない
・技術によって、語ろうとするものは、ほかならぬこの、真実らしくみえるところのものに専心しなければならぬ
よしんば、実際に行われたことであっても、もしそれが真実と思えないような仕方で行われたとしたならば、
それをありのままに述べてはならない場合もしばしばあるのであって、
真実らしく見えるような事柄に置き換えなければならない
・神テウトと、王様タモスとの会話
王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう
私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから
テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を
与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別のものなのだ
彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものは彫り付けられたしるしによって
外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである
人びとは、生み出した、文字によって、豊かになるどころは堕落していくということである。
目次
凡例
パイドロス
解説
訳者註
ISBN:9784003360156
判型:文庫
ページ数:210ページ
定価:850円(本体)
1967年01月16日第1刷発行
2010年12月09日第57刷改版発行
2024年03月05日第70刷発行