ジョージ・オーウェルのレビュー一覧
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J.オーウェルというと1984年と動物農場のイメージしかなく、生活のために書評や短文エッセイを書いていたとは知らなかった。
文化や自然に関してあくまで保守的な態度である点、産業主義的な娯楽や全体主義に関しては批判的である点、洞察力に優れている点はイメージ通りだが、あの理知的な文章で食器洗いに毒付いているのには笑った。先進的技術憎しではなく、あくまでそれによって社会に齎される負の影響に懸念を抱いていたのだということがよく分かる。
また、オーウェルの書物・文章への美学と拘りを知ることができた。
彼が風刺した未来の只中であっても、「一杯のおいしい紅茶」を楽しむ心の余裕は持ちたいものだと思う。 -
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ネタバレ本作品もテーマが著者オーウェルの代表作「1984年」の中で描かれる「ニュースピーク」に重なる。
それは「全体主義の恐怖政治」において、法(作中では7つの掟)や歴史の解釈(作中では追放された元リーダーのスノーボールが活躍した事実)がこっそり政治の中枢で改訂され、それが知識人らによって流布され、大衆が簡略化されたスローガンを連呼して全体主義が浸透していくという流れ。
資本家の象徴として描かれる元荘園主を追い出して動物による動物のための農場を作ったリーダーのナポレオンだったが、最後は隣接する農園主の人間と密会を重ねるうちに豚のナポレオンが2本足で歩くようになり、服を着るようになり、人間と見分けがつかなくなっていく。
これは労働者のリーダーのはずのスターリンが資本主義国家の英国や米国首脳と会談を重ねて彼らに同化していく様子を風刺している。
オーウェルは言う。
【現代の戦争】とは、支配集団が自国民に対して仕掛けるものであり、戦争の目的は領土の征服やその阻止ではなく『支配構造の保持』にある、と。
そして法や歴史的解釈、ニュースの真相といった政治的教養は、いかにマスコミやフェイクニュース、プラットフォームのアルゴリズムによって自在にプロパガンダに変貌しうるのかを示している。 -
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『1984年』のジョージ・オーウェルの随筆および書簡集とあったので読んでみた。
これを読むと、ごくありふれた生活感情の持ち主だったことがわかる。紅茶の淹れ方のこだわりや、ビール大好きなところなど、何だか微笑ましくさえ感じられる。だからこそ、『1984年』や『動物農場』がこの人によって書かれたのだということに意味を感じる。当たり前の生活感情を持った一個人だからこそ、当たり前でない「何か」が生活の中に忍び込んでくることにアンテナを立てられたのかもしれないということ。そして、当たり前の生活感情と非凡な表現能力は乖離しないものなのだということ。当たり前に暮らしながら、当たり前でない何かを残せることに、ますます畏敬の念が深まった。 -
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ジャック・ロンドンと違い、著者はイギリス人=ヨーロッパ人であること、そして、必要に迫られて貧乏暮らしをしたことなど、貧しさが他人事ではない印象。
そして面白いのは、母国については批判的なのに、パリに対しては友人のような気安さがある。
「金が人間を労働から解放してくれるように、貧乏は人間を常識的な行動基準から解放してくれる」
そして、考えないようになっていく。
本当の貧乏の中で、革命は生まれないのではないかという気づきが新鮮だった。
そういう意味で、今の日本は全体的に貧しいと思う。誰も自分で考えず、誰かが考えてくれるのを待ち、それが気に入らないと「批判」する。
そんな仕組みの中で、埋もれないようにしたいものだ。 -
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ネタバレついにジョージ・オーウェルの1984を読んだ。いや、厳密には読んでいないが、森泉岳土による漫画版「オーウェルの一九八四年」を読んだ(オーウェルの、と付くところが良い)。
救いがないとは聞いていたが、本当に。
でも何より救いがないのは、読み終わったときに「ああ良かった、怖い話は終わった、"あんなんとは無縁の"現実へ戻ろう」と心から思えないところだ。
あとは備忘メモ。(ネタバレもあり)
・舞台はロンドン、ただしイギリスではなく「オセアニア」という国。オセアニアを率いるイングソック党の党首ビッグブラザー(BB)がすべてを監視し、好ましくない兆候があれば「思想警察」に連行される。党は人々の行動、音声、表情ばかりでなく、心臓の鼓動まで把握している。(エマワトソンとトムハンクスの映画の原作の)「ザ・サークル」と同じだ…と開始3ページでざわつく私。サークルという会社に入社したメイは、入社オリエンテーションのなかで、これが私たちの誇る新しい社員健康管理の方法なのよ、とアプリ?の仕込まれたスムージーみたいなものを飲まされていた(といってもあの輝かしいサークルの一員になれたことが嬉しいメイは喜んで飲むんだけど)。私事ながら、「端末の利用状況を送信する」のチェックを外させることにはうるさいくせに、人の身長体重歩数をほぼ強制的に送らせる"ヘルスケア"施策、ほんと嫌悪。
・党のやり口。景気が回復していると喧伝する(人々は剃刀の刃一枚、穴の空いていない靴下ひとつ都合できない生活だが、チョコレートの配給が増えたとかで喜んで、BBの手腕を褒め称えている)。
・そのときどきのBBの発言に合わせて、記録局は出回っているあらゆる文書を修正する(訂正版であるという印などもちろん付けない。「いわば」「すなわち」「するなかにおいて」といった文言を散らしておけば、ありもしなかった演説を捏造するのは容易い、と記録局務めの主人公ウィンストンは言う)。
・「二重思考(ダブルシンク)」によって人々の記憶までも改竄させる(矛盾している二つの事柄を両方とも頭から信じ、忘れなければならないことは忘れ、必要があればふたたび思い出す)。
・「新言語(ニュースピーク)」という新しい公用語を制定する(実際のところは、言葉の破壊なのである。「良い」で十分なので「素晴らしい」「申し分ない」は削除、「悪い」という曖昧な言葉も無くし「反良い」とする、など。言葉が削られれば思考も縮小される。それが狙いである)。
・隣国への憎悪を植え付け、戦争を正当化する。(敵国は「ユーラシア」であったり「イースタシア」であったり、そのときどきによって変わる。この三大国は戦争状態を維持し続けることによって、富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、各国の支配階級が永遠に権力を持ち続けることができるという仕組みをもって結託している。この秘密については漫画では描かれておらず、さっきWikipediaで読んで知ったことだ)。
・このような社会で教育を受けた子どもは、戦争好きに育つ。無邪気に「人民の敵!」などと叫ぶ。ウィンストンの隣人パーソンズはのちに自分の七歳の娘に告発されて思想警察に連れ去られる。このような一般市民によるスパイ行為は英雄的ということで大いに賛美される。
・この社会の仕組みに違和感を覚え、ひそかに日記をつけ続けていたウィンストンは、小道具屋チャリントン、党の高級官僚オブライエンなど、このモヤモヤを共有できるかも?と思える人々との接触を通して、社会転覆の希望をわずかに持って生活しているが、実は体制側の人間であった彼らに裏切られ、恋人ジュリアと共に思想警察に連行される。そして「治療」という名の壮絶な拷問を受け、受け、受け、……党を愛する従順な一市民になるのだった。信念打ち砕かれる瞬間の1ページの表現が、つらかった。 -
Posted by ブクログ
オーウェル、鋭いっ!
と言いたい場面が多々あった。
『スポーツ精神』では、スポーツとは本来的に競争であって銃撃戦のない戦争と変わりないとバッサリ言い切られる。オリンピックに浮かれる日本に水を差されているみたいだがその通りかもしれない。韓国とこんな風になっている時にオリンピックをすることにいささか恐怖を覚えた。
「サッカー場での清く健康的な対抗意識や、国民を統一するためにオリンピックが果たす多大な役割について戯言を言うよりも、現代のスポーツ崇拝がどのように、そしてなぜ、起こったのかを問うてみることの方が有益だろう。」
なぜかというと、スポーツは
「自分自身をより巨大な権力の単位と同一化して全てを競争的な名声を通して見るという狂気じみた現代的な慣習(=ナショナリズム)と、切っても切れない結びつきを持っている」から。