ジョージ・オーウェルのレビュー一覧
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初ジョージ・オーウェル
ディストピア小説とは聞いていたが予想の斜め上をいったものであった
三国体制、管理社会といった壮大なスケールのようでその人の思考がポイントになってくる
特に二重思考という概念は自分も時折やってしまっているものだと痛感した
なんだかんだ希望のある感じになると思いきや急にどん底に落とされ思考、精神を体制に合うものになるまで徹底的な教育を施す
実際の1984年とは違うような世界であったが現実と同じようなところや未来に起きそうなところがあり感心よりも恐ろしさを感じた
暗い話ではあったが読み終わった後に何故か爽快感が湧き上がってきた
また読んでみたいと思える本だった
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Posted by ブクログ
ネタバレ某所で今読むべき本として紹介されていたので読んだ。怖かった。ここに書いてあることが遠くない未来に自分の身にも起こるかもしれない、そういう社会に生きちゃってるんだなぁと思えてしまうのが心底嫌だった。
(2026/7/19 追記)
1日置いて、余韻がじわじわきている。ゴリゴリのディストピア小説。1948年に書かれたというのが本当に驚きだ。
この作品は、社会主義国家・資本主義国家の如何に関わらず、全体主義に対する盛大な警鐘・風刺となっているのかなと思う。全体主義国家に反抗しようとする人々は、どのようにして「教育」されるのか、大変よくわかった。ひたすら怖い。ジュリアへの愛を捨てることになった最後の拷問が特にグロくて、自分の場合はどうなるかと想像しただけで総毛立った。人の心の折り方が、懇切丁寧に書かれている…
最近暗いニュースばかりで、追わなければと思いつつ疲れからあえて追わずに過ごすという日も増えてきていたのだけど、これはこの本で言うところの「自己防衛的愚鈍」な振る舞いに当てはまるのかもしれない。抵抗者がそうなることは折り込み済みで全ては予定通りである、と見透かされていたかのようで、ぞわっとした。最近の鬱々とした気分は、これから本格的に始まると予想されるディストピア的な未来に対して感じる鬱なのかもしれないと思った。
過去の歴史を為政者の思い通りに改竄できる社会というのは、Wikipediaの作られ方を思い浮かべれば容易に想像できた。Wikipediaは有志が記事を作っており、編集履歴も誰でも閲覧できるけれど、これを国主導で行って(歴史の教科書などに対して)、しかも編集履歴は全く残らない状態と思えばいいのかな。今の政府は重要書類をしばしば軽々と破棄するから、余裕であり得る話だなと思った。
作中に繰り返し出てくる「2+2=5」。Radioheadの楽曲にもこのタイトルの曲があり、どういう意味なのか長らくわからなかったんだけど、この作品から取っていたのかなぁとぼんやり合点がいって、ファンとしてはうれしかった。
愛(もしくは人間的な心)は恐怖で踏み潰すことが可能だ、ということを教えられた(知ってしまった)のがしんどかった。それでも愛を貫きそして殺されてしまう人のことを、宗教的には「殉教者」と呼ぶのかなと思い、中世〜近世で弾圧されたキリシタンの人々のことを思わず考えた。彼らの場合は、神に対する愛ということになるんだろうけども。
ウィンストンと同じ目に遭った時、私ははたしてどちらを選べるんだろう。
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Posted by ブクログ
ビッグ・ブラザーという独裁者が管理する世界で、2+2=5と洗脳される大衆と、それに違和感を持つ主人公。
国民の思考力を奪うため最低限に単純化されたニュースピークを使用させたり、偽りの戦争を続けることで国民を搾取する最もらしい口実をつくったり、性交渉を禁じ子に親を監視するよう教育することで男女や家族の関係性を希薄なものにしたりと、恐ろしい世界が描かれている。
大衆には酒や宝くじといった知識の伴わない娯楽を提供し続けることで、党への反撃を実行するどころか考えつきすらしない愚民へと育て上げる。一方ある程度の思考力や知識を持った者はテレスクリーンと呼ばれる実質的監視カメラで管理する(敵は近くに置け方式)。
難しくて理解できない部分(主にゴールドスタインの秘密の本)もあったが、理解できるようにならなければいけないことだけは分かった。
何度も読んで理解を深めていきたい。
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Posted by ブクログ
未来世紀ブラジルを見たあとに読んだので、情景が非常にリアルに思い浮かんだ。特に最初の働いているところなど、ディストピアの描写がかなり丁寧で読んでいて面白かった。
ただ、中間の本の内容がそのまま延々と書かれているシーンがどうにもつまらなく、読み進めるのが辛かった。でもこれを読んでる人がみんなしれっとこのシーンに苦戦しているのかなと思うと頑張れた。(このシーン面白すぎるぜひゃっほうって人は絶対にいないはずなので)また最後の拷問のシーンも非常に辛かった。敵なのか味方なのかわからない(とはいえ敵である←これぞ二重思考の体現者)オブライエンが与える本物の恐怖がかなり怖かった。
しかし、そんなシーンを経たあとでも、骨董品店の主人や、宿の下にいるガタイのいい女性や、ニュースピークの専門家の友達など、周りをとりまく人物が魅力的で、不思議と頭から離れない。ジョージオーウェルの文章のバランス感覚がすごい。
私だったらサンゴが入った置きものを表紙にする。
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Posted by ブクログ
途中で放置した期間があったので、ちょいちょい忘れてしまったところがあり、難しい話をあんまり理解できずに読み終わってしまった。いつか再読したい…
最後のシーンが印象的だった。ウィンストンが変わってしまった(生まれ変わった?とも言うかも)ことがその世界にとって、彼にとって良いことだったのかは分からない。思考の内容がビッグ・ブラザーと同じだったことで自分が“ビッグ・ブラザー”の一員になってしまった、と言うことなんだろうか。
ん〜よく分からないけど、結局ウィンストンはビッグ・ブラザーに飲み込まれてしまったのだろうね。
附録にある『ニュースピークの諸原理』を読んだとき、ニュースピークが実際にあったものだと勘違い!
「へー、昔の人は大変だったなー」と一瞬自分の中で歴史が改竄されました…
もしかして、適性あり? -
Posted by ブクログ
読みやすい。
社会主義、共産主義への批判の寓話。
古典作品だけど今も通ずるものがある。
農場の動物たちをまとめ上げ動物主義革命を起こし人間の農場主を追い出した豚さんスノーボールが、同じく同志の豚さんナポレオンに農場を追われ、ナポレオンが私腹を肥やし恐怖政治を敷いていくお話。
何て腹黒いんだナポレオン!!と思っていたら、スノーボールのモデルがトロツキー、ナポレオンのモデルがスターリンだとは。(訳者解説に説明されてあった)
何て腹黒いんだスターリン!!
そして恐怖政治を敷いていくなかで、ナポレオンの出す指示や行動が、だんだん動物たちに不利となりナポレオン側に有利になっていくのに、動物たちが「おかしい、…でも、実は最初からこうだったような気もする」と洗脳または思考停止していく過程がとても恐ろしい。
ナポレオン側の声明を、腰巾着のスクウィーラーという豚が毎回話すのだが、事実を捻じ曲げ決まっていたことをひっくり返しているのに、巧みな演説で動物たちを騙していく過程も怖い。ナポレオン自身はそんなに表に出てこず、このスクウィーラーが動物たちを丸め込んでいくのですよね。
スクウィーラーにモデルがいるとは書いていなかったが、これは当時の新聞などのメディアの擬人化かなと思った。偏った情報のみしか出さないメディアの洗脳は恐ろしい…。
ナポレオン自身もだが、スクウィーラーのほうがヤバさ100倍な気がする。
オーウェル実は自身は社会主義者で、当時の社会主義を正道に戻すという目的で書かれたらしい。
が、訳者解説にもあったように、今までの現実世界で理想を掲げて始まった革命国家が独裁化せずに成功した例は少ないみたいなことが書かれていて、人間ってやはり理想の◯◯を実現するためにみんなで頑張ろうと行動を起こしても一定の悪い人物が出てきて独裁化しちゃうんだよなあ、と切なくなる。
これは国家だけじゃなくてもっと小さい単位、会社でも何かのグループでも家族でも同じ。
どこかで不正を糾弾するシステムや勇気がないと結局は自分たちの首を絞めることになるということを教えてくれる作品。
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Posted by ブクログ
ネタバレドナルド・トランプ大統領の誕生と時を前後する頃から世界を席巻し始めたように思われる、息苦しさを覚える不気味な閉塞感に満ちた現在の世相と驚くほど似通った窮屈さを1949年発表のこの作品は包含し、警告を発している。
SNSの普及に伴う醜いモラルハザード、フェイクニュースや陰謀論の蔓延、利己のみに囚われた極端な排外主義、恐怖を後ろ盾にした同調圧力…現代に生きる我々が直面している人間の愚かな側面の数々が、形こそ異なれどことごとくこの小説の中で著されていると言って過言ではなかろう。
歴史は繰り返す、という言葉が自ずと思い浮かぶ。
中盤、ゴールドスタインの著書という触れ込みでウィンストンの手に渡ることになる書物の中で語られる長広舌こそ、ジョージ・オーウェルが配置した核であり、そこには彼の主張がたっぷりと詰め込まれている。
21世紀における戦争の意味合い、意義というものを既にこの時点で正確に説いていることに瞠目した。
半世紀、いやことによれば100年先を行っている。
そしてその後にくる、恐ろし過ぎるオブライエンとのやりとり…結局は人間という種が原罪として持つ下劣さを描ききって終わるところが凄烈である。
「現代の戦争とは、純粋な内政問題なのである。」
「権力とは手段ではなく、目的なのだ。」 -
Posted by ブクログ
伝説的ディストピア小説。『素晴らしい新世界』を読んだ時は、「こんな世界でも、悪くないかも」と思ったが、今作に描かれていたのは明確に嫌な世界だった。同時に、そんな世界に対して、自分がきちんと論理立ててNOを突きつけられるかと言われれば、そうではない。
オブライエン対ウィンストンの3部が圧巻なのは、そのためである。日本という比較的平和な民主主義社会に生きる自分にとって、オブライエンの唱える社会、それはすなわち、イングソックの諸原理に基づき、ビッグ・ブラザーを皆が崇拝する社会は、まさに悪夢そのもの。しかし、彼の狂気的な雄弁に対し、読者の自分は始終押し除けられていた。なぜか。それはウィンストンも言っていた通り、知性の点において彼に敵わないから。3部での2人の問答(拷問)において、読者は当然ウィンストンの視点に立ちながら、自分の思考・哲学・ポリシー・常識といったものがいかに脆いかを、果てしないまでに痛感させられる。
二重思考、ニュースピーク、思考犯罪といった、本作のディストピアを構成する様々な独自要素は、物語創作的な視点で捉えると、あまりにも魅力的である(もちろん、実現は希望しない)。また、人が戦争をする意味、権力を求める理由、記憶や記録の有効性といった、非常に抽象的なトピックに対し、重厚かつ長大な思索が綴られている。これもまた、上述した諸要素とともに、本作の魅力であり凄みであると思う。