ジョージ・オーウェルのレビュー一覧
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ネタバレ「100分で名著メディア論」で、高橋源一郎氏が紹介していたのが気になって読んでみた。
高橋氏によれば、この本は1949年の出版であるが、すでにディストピア小説として完成しているものらしい。
p170からの101号室の拷問場面で、2つに仕切られた箱の片方にネズミを入れ、もう片方に顔を入れ、質問に答えなかったら仕切りを外し、ネズミに顔をくわれるという仕掛けは、ホラーやサスペンス系の映画やアニメで見たことある。これが元ネタなのか?
p110 かつてのユートピア思想の代表格であった社会主義 byカール・マルクス
《読書クイズ》
1 辞書のようなものだが、それに掲載する言葉を削除することで、国民の思考や概念自体を削除していき、国家への反逆や疑問を抑止するものは何と呼ばれているか。
2 主人公のウィンストンたちが属するのはオセアニアという国であるが、二重思考によって、オセアニアの国民はどこの国と交戦していることから、どこの国と交戦していることへと記憶を書き換られることになったか。
3 エマニュエル・ゴールドスタイン著『寡頭制集散主義の理論と実践』において、3つの国は同意の上永遠に戦争をしていると記述されている。その理由を説明せよ。
4 党中枢による二重思考の考え方を最もよく表す標語を3つ答えよ。
5 オブらいえんの説諭になかなか従わないウィンストンが連行された拷問部屋は何というか。
6(100分で名著より) 100分で名著メディア論において、高橋氏は二重思考の例として、戦後日本のある教育施策を挙げていた。それは何か。 -
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ネタバレ動物たちが反乱をおこして人間を追い払う。
そして独立した「動物農場」はどのような共同体になっていくのか?
1945年に出版された作品で、
ソビエト連邦の真実をあぶりだしたようなおとぎ話だということです。
以下、ネタバレありです。
人間に完全に支配されている動物たちの蜂起は、
はじめ平等と平和という理念のためでしたが、
反乱が成功してからはちょっとずつ変容していく。
知識階級が牛耳るようになっていくのが
悪い方向へ行く徴候なのだけれど、
外敵がいるから知識階級が指示をだしたり計画を練る立場に
ならざるをえないんですよね。
そして、知識層の「ぶた」たちには公共心が薄いところが、
他の動物たちにはみえていなかった。
知識階級が権力を手中にするのをためらわず、
そしてその権力欲と支配欲を詭弁をつかってめくらまししつつ、
いつのまにやら支配体系ができあがっていく。
平民にはわからないインテリ言葉で彼らを欺きながら、
ウソも用いて、洗脳とも言えるようなことをし、
さらに暴力で脅かして掌握するという方法。
ソ連とスターリンの風刺だそうです。
人間、頭が回らない老人になっても
「ずるさ」ははっきり残るひとには残るし、
頭の回転が速くて人生の全盛時にいるようなひとも
「ずるさ」から離れられないひとは離れられないし、
そういうひとたちって多いと思う。
公共心の有無だとか強弱ですかね。
人間の「ずるさ」という根本的な性質が、
共産主義なんかを成立させないポイントだと思ったり。
そういうのもありますから、
インテリ層が力を与えられて、
計画を練り政策を行うということになったとき、
彼らに求められるのは、
公共心をはっきり持てないならば、
「善いことをしているときには、
悪いことをしていると思ってやんなさい」
という吉本隆明的、ポール・ヴァレリー的姿勢なんじゃないか。
動物農場のインテリ層が権力を牛耳り始めたのには、
「俺たちは善いことをしているのだから、
ちょっと悪いことをしてもいい」という
モラルライセンシング効果が働いたとみることも
できるんじゃないだろうか。
そして、それは、ソ連にも当てはまるのかもしれない。
根本的な「ずるさ」とモラルライセンシング効果が重要でしょうか。
反乱をおこして、
外敵がいるからインテリ層が指導します、としても、
そこで権力をふところにしまいこむのが間違いだ。
でも、
そこで間違わないやつのいない世界がどこにあるんだ!?
と思うほうなんですよね、ぼくは。
読んでいくと、どんどん腹が立つし、
最後までいくと義憤にかられます。
サブタイトルに「おとぎばなし」と題されていますが、
そういう単純化されてわかりやすいからなお、
憤りを感じるのだと思います。
この「動物農場」で展開されることは、
パロディですけれども、
現代にも通じることだし、
その根っこのところは常につかんでおきたいものです。 -
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「人間を支配する権力がどのように行使されるか知っているかね?」「思考を表現する言葉がなければ考えることがなくなる」「ニュー・スピークの目的は思考の幅を狭めることにあるんだ」
統制される生活や思想…テレスクリーンにより常に監視され、真理省で報道や記録の管理・改竄が行われる。そんな世界で、周りの人たちと異なる考え方をする主人公が疑問に感じていたことを徐々に行動に移していくが…
これまでに読んだ本とは趣がだいぶ異なるように感じた。何度か読み直した今でも、疑問符がいくつか消えないままなので、原文に触れてみるつもり。なぜ露見したのか、なぜ若返っているのか等々。
上層階級の人々が考えること↓
社会を構成する人々は3つの階級に分けられるとする。それぞれ上層・中間層・下層。上層は「現状維持」、中間層は「上層に取って代わること」、下層は「平等な社会の実現」という目的を持っている。産業革命等により物の生産性は上がり、物が余るようになった。それらは中間層に分配され、これにより中間層は豊かになり知識を持つ者も現れ、上層に取って代わろうとする。これを防ぐために上層の人たちが考えたことが「戦争」だった。余った物を中間層に届かないように、消費してしまうためだ。 -
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Animal Farm(1945年、英)
共産主義を批判した寓意小説。動物農場はソビエト社会主義共和国連邦のアレゴリーである。メージャーじいさんはレーニン、ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキーをモデルとしている。ユートピアを目指していたはずの農園が史上最悪のディストピアへと変貌していく逆説は、人類が忘れてはならない歴史の教訓だ。
しかし、これを読んで「共産主義怖すぎ」と他人事のように言っていられるほど、世界は単純ではない。作品は1944年2月に脱稿していたにも関わらず、その発表は翌年8月17日まで待たねばならなかったという事実がある。日本のポツダム宣言受諾から2日後、米ソの冷戦時代の始まりだ。
発売されるやいなや、本書が世界的ベストセラーとなったのは、傑作だったからには相違あるまい。しかし、他言語への翻訳を積極的に推奨したのは米国だったこと、敗戦直後の日本に本書の翻訳をいち早く許可したのはGHQだったことなどは、銘記しておくべきだ。プロパガンダの愚かさを皮肉った作品が、プロパガンダとして利用されるという二重の皮肉である。
それでも、様々な人々の思惑を超えて、作者のメッセージは21世紀の私達にも強く訴えかけてくる。私の尊敬するクリエイター、宮崎駿氏の言葉を引用させて頂く。
おとぎばなしは、まだ終わってはいない。
「自分が善意であるからといって、自分が善良な存在だとは思ってはいけない。とくべつお金を稼いでいるとか、楽をしているわけじゃないから、自分は無罪だ、とは思ってはいけないんです。しくみのなかでは、自分だってナポレオンなんです。そのしくみの問題はいっぺんには解決できないですけど、だからといって、手をこまねいて、無関心でいられること自体、すでにそれはナポレオンなんだってことなんです。(略)社会にはしくみがあるということ。複雑になってはいるけど、でも根源には、労働者がいて収奪者がいるという、そのしくみは変わってないんです」 -
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説明不要なくらい名作と名高いディストピア小説である。もう1つの名作アトウッド『侍女の物語』が面白かったのでこちらも読んでみた。主人公が体制中の反逆者なので設定だけなら『誓願』が近いかもしれない。
本書は1949年に刊行されている。当時は全く架空世界だったろうが、現代から見ればかなり現実味を帯びた世界が描かれている。街中に監視カメラがあり、マイナンバーにより口座や病歴などあらゆる情報が名寄せできる環境が整っていて、SNSやAI動画による新たな「真実」が途方もない勢いで出現し、本当に歴史が修正されている現代人からすると、ディストピア小説というより、やや暗めの近未来予想という印象である。
登場人物がひとりの人間に見えるかという点でいえば、圧倒的にアトウッドの2作が勝る。アトウッドが主役を一人称で舞台に置いたのに対し、本書は三人称の視点で語られることもあり、主人公ウィンストンも恋人ジュリアも物語のなかで都合よく振舞う著者の代弁者という感じがしなくもない。また、作中の本の内容が長々と引用(?)される部分があるが、架空の世界の本を盗み見ているというより、オーウェルが考えた1984の設定資料を読んでいる気分になった。
本書の中で「支配の方法は分かる(知っている)がそこまでして支配する理由が分からない」と主人公が考えるシーンがある。私も常々、古代ローマやモンゴルの支配者たち、プーチンやネタニヤフやトランプや、公文書を改竄しデマをまき散らすような日本の政治家は、いったい何のためにその地位にしがみつき、何のためにそんな真似をしているのかと不思議に思うことがあったので、何かしら回答が提示されることを期待して読みすすめたが、示されたのはなんということはない回答だった。だが、それが真実なのかもしれない。困っている人に手を差し伸べる者が、息をするように他意なく自然とそうするように、征服し、支配する者は当然の権利のように、生まれながらの本能のように、特に深い理由も目的意識もなく他人に対してそのように振舞うのかもしれない。たまったものではない。
ウィンストンは最終的に反抗心も疑いも捨て、党の支配者ビッグブラザーを心から愛するようになる。その様に全体主義への批判や皮肉というより、宗教的な崇高さを感じた。恐怖と暴力をもって行動も思考も変容させる圧倒的な支配者を愛するというのは、神への信仰そのものである。地球が太陽のまわりをまわり、物理法則に支配された外部の世界はまぼろしであり、意思によって変えられると、体制側のオブライエンはいう。外の世界に抗おうともがいても、結局は受け入れるほかない。過酷な状況もとらえ方次第で歓喜にみちた世界になる。圧倒的な存在に屈するならばそれを愛そうというのは、そんな人間に備わった精神の機構だし、強さでもあるのだろう。
ただし、ビッグブラザーは神ではなく、党も不変のものでもない。オブライエンは自らを司祭だと言ったが、神でもないものに屈する必要はないのだ。ただ立ち上がり、蠅を追い払うウマのように身を震わせて、ビッグブラザーを打倒しよう。
フランス革命は粗削りで犠牲も過大だったけど、人類にとって大きな一槌だったのだなと思った。われわれには力があり、何者をも打倒できるのだ。