司馬遼太郎のレビュー一覧
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義経だけでなく周囲の人物(特に頼朝)のキャラクターが丁寧に描写されていて良い。
私欲に動く策略家、自らの保身のために惑わされるおバカさんや権力に溺れる人、人の良さで裏切られたり、他人を信じ抜いてついて行ったり、人間模様。
当時の源氏は一夫多妻どころか、妻でもない周辺の女性にちょっかいかけまくる。チンギスハンかよ。
性欲も支配欲もハンパじゃない。
その結果血族がどんどん入り組んで複雑化する、血族の絆と諍い、野蛮だな〜と。だけど人間って元々これがベースだったんだよな〜と。
義経のまっすぐひたむきな感じ、けど生来の調子乗りで政治オンチな感じ、憎めません。
徐々に不穏な感じもあり、下巻が楽しみ。 -
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▼「砂鉄のみち」が強く印象に残っています。「銃・病原菌・鉄」でも読みましたが、「鉄が文明を、歴史を呼ぶ」というようなお話。島根県、鳥取県あたりに砂鉄の採取場が多い。それは朝鮮から渡来した技術である名残が?と。
▼(本文より)木器や石器が道具の場合、人間の欲望は制限され、無欲でおだやかたらざるをえないのである。木の棒で地面に穴をあけてヤムイモの苗を植えたり、木製のヘラで土を搔いて稲の世話をしているぶんには、自分の小人数の家族が食べてゆけることを考えるのが精一杯で、他人の地面まで奪ったり、荒蕪の地を拓こうなどという気はおこらないし、要するに木器にはそういう願望を叶える力はない。鉄器の豊富さが、欲望と好奇心という、現象的にはいかにもたけだけしい心を育てるのではないか。 日本は室町期から戦国期にかけて、農業生産高が飛躍する。農業者一人が、何人もの非農業者──武士、商人、馬借、車借、遊芸人、僧侶など──を食わせるだけの余剰分ができた社会といえるであろう。 商品経済の賑わいは、空前といっていい。たとえば桶という商品を大量に作るにしても、指物道具という鉄器が無数に要る。それによって桶問屋という流通をにぎる者ができ、多くの桶職人をかかえた。 この時代の一特徴は、数寄屋普請や城郭建築の盛行だったが、この技術をささえるためには、多種類の大工道具や指物道具を必要とした。これも、鉄である。鉄が少なければ、ひとびとを駆ってこういう建築を嗜好せしめたり、自分も建てたいと願望させたりすることはできない。さらにはこの時代に勃興した商品経済が江戸時代にひきつがれて日本的充実を見、明治の資本主義の導入を容易にする
▼(本文より)神武天皇というのはむろん架空の存在であるが、『日本書紀』に出てくるその皇后の名がおもしろい。姫蹈韛五十鈴姫ということになっている。名からすればタタラ技術集団の親分の娘といった印象なのである。
▼(本文より)十七、八世紀のイギリスの例でもそうだが、木炭による製鉄業者はつねに森林のそばへそばへと移動する。一つのその森林を食いつくしてしまうと他の森林へ移動し、たとえばウエールズ地方のディーンの森などは十八世紀には丸裸に近くなったという。
▼(本文より)朝鮮民族というすぐれた民族が寡少な農具にあまんじていたということは、さきの章で述べたことを繰りかえすようだが、砂鉄を吹いて鉄にするための樹木がすくなかったことによる。くわしくいえば、日本地域とは異なり乾燥地帯であるために山の木の自然的復元力が無いにひとしいというためであり、要するに、地域が乾燥しているかあるいは湿潤であるかによって、朝鮮地域にすむアジア人と、一方日本地域に住むアジア人とが、歴史の長い時間での様相を異にし、さらには民族性をも異にしてしまったというところへ私の妄想はつづく。
▼(本文より)資本主義にも効用があった。資本主義の胎内から生れたものが合理主義であるということである。合理主義は資本主義社会でなければ生育しないといわれているが、私はこれに多少つけ加えたい。資本主義の前段階として商品経済時代を置くとすれば、商品経済の旺盛な社会もまた、不完全ながらも合理主義に近似したものは育つのではないかとおもう。 日本の場合、室町期に成立した商品と流通の旺盛な経済は、織田信長という合理主義の権化のような男を作り出したし、江戸期になると商人の世界だけでなく諸藩の経済思想にまでそれが入った
▼(本文より)乾燥した中国内陸部や、鴨緑江流域をのぞく朝鮮は、いったん森林をほろぼすと、容易に復元できないのである。 この点、梅雨期から夏にかけて高温多湿な日本は、山そのものが多量の水をふくんでいわばスポンジのようになっており、こんにちの強力な土木機械による自然破壊がはじまるまでは、日本では禿山にしようとするほうが至難だといわれてきた。このため上代以来、はるかにのちの石炭を燃料とする熔鉱炉の出現まで、砂鉄によって鉄をつくるのに木炭が不足などということは、全国をおしなべていえばまったくなかったといっていい。この意味では、明治までの日本の鉄は、日本の豊富な水がそれをつくってきたということが言える。 明治以前、中国、朝鮮そして日本の鉄の生産量は、それを比較すべき資料があるはずがないが、もし腰だめでいえるとすれば、日本はよほど多量に生産していたに相違ない。
▼(本文より)日本中が、マツタケをよろこび、越前ガニを美味であるといい、牛肉は松阪にかぎると言い、すしのたねにウニが欠かせないというふうに、味覚までがマスコミ化して全国にゆきわたる大現象がおこるのは、昭和三十年代以後のことではないか。 このために、ウニが高級なものになった。 -
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奉天会戦が終わり、日本海海戦が始まるところまで。
全八巻のうち七巻まで読み進めてきて、いよいよ終盤という気配がある。
この七巻で特に印象に残ったのは、
「リーダーの器量が組織の力を左右する」
ということ。
司馬さんのバイアスがかかった言い分もあるだろうが、ロシア海軍の提督であるロジェストウェンスキーに対しての辛辣な評価がすごかった。
ここまでの一巻から六巻までを通して通底していたのは、「ロシア軍(ロシアの国自体)が日本という国を舐めていたから足元をすくわれた」ということだったが、ここでもそのようなことが描かれる。
どんな状況においても、相手を侮り、傲慢な態度で事に当たれば痛い目を見る。
この「坂の上の雲」という作品の全体的に日本という国が当時は海外から侮られていた空気を感じられるが、小さい国にはそれなりの戦い方や生き残り方があるということで、同じ日本人として誇らしい。
しかし読み進めるうちに考えたのは、これほど日本の存亡は綱渡りな状態だったのかということだ。
日本やロシアの様々な選択、気象や時の運、それらが違っていたら、今の日本は無いかもしれないと思うと、ゾッとした。
国家の戦争とは規模は違うが、組織に所属する一人の人間として、「自分の選択が組織の命運を握っているのだ」と捉えることには、日々の過ごし方に影響があると思う。
この7巻では、騎馬隊の秋山好古が活躍する場面が描かれた。
日本軍内で無用の長物と扱われていた騎兵隊を鍛えてきた秋山好古が活躍するシーンは、孤独に頑張る社内ベンチャー的立場を経験した自分にとってはアツい展開だ。
圧倒的な火力はなくても、その行動によって敵の戦意を削ぐことで敵を制することができる。
組織は様々な役割の人間がいて成り立っている。 -
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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ネタバレ戦国大名や幕末の志士を主人公にした小説が目立つなかで、司馬遼太郎にしてはめずらしく、民間人である廻船商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした長篇小説。この高田屋嘉兵衛という人物については、わたし自身はゴローニン事件の一方の当事者として、日本史ですこしだけ習った記憶があったが、ラクスマンやレザノフといった海禁政策下におけるほかの来航者と、それに対して幕府がどのような対応を行ったかという一聯の流れのなかで教わるため、個個の案件や人物については詳しくは知らない人が多いのではないであろうか。わたしもほとんど名前だけしか知らない状態で読み始めたが、この嘉兵衛という人物がじつに魅力的で、なぜいままでもっとよく知らなかったのだと後悔するほどである。嘉兵衛はたんに巨万の財を築きながら、不運にもロシア艦船に拿捕されてしまった被害者というわけではない。嘉兵衛は拉致された人質という立場にありながら、坐してただ助けを待っていたわけではなく、みずから事件解決の糸口を切り開こうと尽力する。突然言語もわからぬまま極寒の地に連れられてきて、希望を失わないどころか事態を理解して日露交渉に活路を見出したその姿勢には舌を巻くばかりである。また、事件に至るまでの前半生もすばらしい。「百姓は生かさず殺さず」という言葉に象徴されるように、江戸幕府がさまざまな規制によって農民を締めつけていたことは有名な話であるが、こと商人に対しても例外ではなく、たとえば船舶の建造にかんしても、じつにさまざまな制約があり、他国に見られるようなより技術的に発達した種類の船の建造は禁じられていた。嘉兵衛はこのような規制を率直におかしいと感じつつ、禁を侵さずにできるだけ最適の構造を追求して建造するなど、開明的な思想の持主であった。開明的といえば蝦夷地開発においてもそうで、当時まだ寂れた漁村に過ぎなかった箱館にその航海上の利点を見出し、開発に尽力したほか、松前藩が非人道的な扱いをしていた土着のアイヌに対しても、ちゃんと人間として尊重して、漁法を教えるなどの交流があった。こんにち、嘆かわしいことにいまだにネット右翼などのあいだでアイヌに対する差別が見受けられるが、いまから200年以上前の高田屋嘉兵衛のほうがよっぽど進歩的な考えの持主であった。嘉兵衛の行動については、それぞれ人質として助かりたい一心からどのように振る舞うことが最適か考えただけに過ぎない、あるいは商人としてひたすらに利益を追求した結果としてこのような姿勢になっただけである、という側面もないとはいえないかもしれないが、たとえそうであったとしてもやはり偉大な人物であることには変わりがないと思う。司馬遼太郎はよくもまあ、教科書にちょっと名前が出てくるだけの商人がこのようにすばらしい人物であるということを「発見」したものである。
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台湾旅行から帰ってきてこの本を読んだ。自分の旅先と「街道をゆく」シリーズの旅先とが重なったとき、旅の前後に手に取ることが多い。
司馬遼太郎は風土を重視する。地理、気候から産業、歴史を踏まえたうえでその土地に詳しい案内人と共に各所を訪れる。
50年間の日本統治時代に生きていた台湾の人々は、皆かつて"日本人"だったことがあるということであり、本書の中ではもちろん、私が行った現在の台湾でもその痕跡を辿ることができる。
司馬遼太郎は台東に住む原住民の"大野さん"に「戦前風の日本人」を感じ「このさびしさの始末に、しばらくこまった。」と書いている。私も旅先の台南で日本統治時代の痕跡を見て、さみしさ、傷み、捨ててきた故郷のような感覚を持った。
司馬遼太郎は、車中で会った青年から李登輝さんまで、台湾の風土の中にその個人を落とし込んで描き出す。
私は地元の人の生活を垣間見る事ができるような旅がしたいと思っているが、「街道をゆく」の影響が大きかったのかもしれない。