司馬遼太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
再読完了です。
何度読んでも面白いですね。忍者活劇最高です。
解説によると、この本は昭和30年後半に書かれたとか。戦後ということで、その時代の本もその力は全然すり減っていません。
忍者で有名な伊賀は、その得体の知れなさを敵視した織田に滅ぼされてしまいます。その生き残りの忍者が、自分の生き様を織田の後継者豊臣にぶつけようとしますが。
秀吉を暗殺する依頼をめぐり、敵味方様々な忍者が入り乱れて、乱舞します。その忍者も色々な個性で描かれていて、それぞれの矜持がぶつかり合う展開に引き込まれます。
女性も忍びとして登場しますが、いわゆる「くの一」のイメージが自分のものとは違い、格好いいものではありません。登場する女性は忍びとして一般に求められる「くの一」を拒絶し、翻弄されながらもそれぞれの意思を育てる姿に、応援したくなります。
また、石川五右衛門についての、司馬さんの考察もあり、歴史心がくすぐられます。
淡々としかし興味の尽きないいい本でした。
伊賀と甲賀でも全然違って、伊賀は我が強いですね。自分の技と使命、生き様に命をかける。
そんな伊賀から服部半蔵が出たのはちょっと意外で、服部と伊賀との関わりが気になりました。そんな題材の本、どっかにないかな。 -
Posted by ブクログ
日本が韓国を一方的に支配したのは歴史上の事実であり、そのやり方があまりに非道であり誤りだったことは認めざるを得ないけれども、戦後何十年も「あの時は…」という恨みに凝り固まって、反日感情をむき出しにするのはどうなの?と思っていました。
中国にもそれは言えるし。
この本を読んで、いろいろ判りました。
中国も韓国も、日本のことをずっと野蛮国と思って嫌っていたのですね。
その証拠が「倭」であり「卑弥呼」という文字。
小さいという意味を持つ「倭」を当てたのは、日本人の背が低いからなのか国土が小さいからなのかはわかりませんが、少なくとも対等とは考えていなかった。
何しろ儒教精神が行きわたっている漢民族も韓民族も、人前で上半身裸に褌一丁であぐらをかくなんてのは言語道断。
年長者を敬えない、礼儀を知らない倭人は、東アジアにおけるがん細胞のように忌み嫌われ、人として見下されていたそうです。
そんな国が、やっぱり長幼の序を無視して上から目線で支配者として君臨していたわけですから、これは屈辱以外の何物でもない。
それと、「倭」には『従いやすい』という意味もあるそうですが、もともとの倭人はものすごく弱肉強食の社会で、「勝てば官軍」「勝利こそ正義」とばかり、勝ち組になだれ込んでいく性質があるのですって。(思い当たること多々あり)
だから日本としては、イギリスに負けた清国(中国)に従ういわれはなく、(あるていど)対等に外交を行っている自分たちの方が上、と思うわけですが、儒教的精神で言えば、何がどうあろうと上下関係は固定なわけで、ここがずっとすれ違っているのですね。
それから儒教では、「天は公のもの」という考え方があって、「だから当然地も公のもの」という考えなので、日本のように自分の土地だからせっせと土地改良をする、という考え方はなく、ただその地で農業をするだけだったので、里山を育てるとか灌漑とかはされなかったらしい。
だからもしかすると、中国や北朝鮮などが共産主義と結びつきやすかったのかもしれないと思った。
ちなみに朝鮮半島の三国時代、新羅と百済は韓民族で、高句麗は北方の騎馬民族の国だったんだって。
言語は同じツングース語族。もちろん日本語も。
この本とは直接関係ないけど、韓国は英語でKOREAというけど、どこから来た言葉なのだろうと思っていたが、多分、韓(から)からだね。
中国のCHINAは巡り巡って秦が由来らしい。
日本のJAPANは日本を中国語読みで(ジツポン)と読んでいたのを、マルコ・ポーロがジパングと言い、そこからジャパン。
本に戻って、論理的思考ではなく、観念的な部分で頭に血が上って逆上しがちなのはツングース語族の特徴らしいです。
司馬遼太郎の肌感覚なのではないかと思うけど、だから日本と韓国の問題は難しいんだなあと思いました。
勉強になった一冊です。