司馬遼太郎のレビュー一覧
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▼1973年。2026年現在からは53年前。まだ冷戦、ソ連、だった時代。日本人の小説家がモンゴルに行きました。その旅行&思索記。モンゴルは当時、ソ連寄りの社会主義国でした。
大変に面白かった。国家とはなんだろう、歴史とはなんだろう、というのが一つの主題。
それは、国家や歴史に翻弄されてきたモンゴルだから、という意味合いも深く。そしてこの頃のモンゴルは、ソ連と切っても切り離せない関係です。
(その後、ソ連崩壊とともにモンゴルも一応民主化されているそうで。例えば、チンギスハンはこの1973年当時、タブーだった。なぜか。ソ連の歴史においては、とんでもない侵略者だったから。2026年現在は、解禁 -
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単行本は1991年刊。初出は「週刊朝日」連載(89.12.1~90.8.31)。
オランダは、日蘭貿易やシーボルトをはじめとして、昔から日本とはゆかりがあり過ぎるほどある。そういや、あの咸臨丸にしたって、オランダ製だったもん。でも、ほとんどの人は、オランダのことをよく知らない。そういった人たち(私とか)のための、オランダ歴史紀行、400ページ。なお、この紀行には、歴史的にフランドル(一部はベルギー)も含めている。
なかでも、かなりページを割いているのは絵と画家。ゴッホ74ページ、ルーベンス24ページ、レンブラント12ページといったぐあい。でも、あのフェルメールは素通り(司馬好みでなかったか)。 -
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日本海海戦にてバルチック艦隊に敗れた場合、日本陸軍が孤立して全滅。おそらく全土がロシア領にならないにしても、対馬島と佐世保はロシアの租借地になり、北海道と千島列島はロシア領になっていたであろう。⇨ウクライナ、特にブチャを見ていると、日本人が虐殺されたかもしれないと想像すると恐ろしい。
民衆が政治を担い、国家の安危を共同に分担するという政体ができない限り、近代においては他国と近代戦をやるというのは不可能であるかもしれない。
日本人、ヤボンスキー
民族は軍人に対し、その合理的判断による降伏よりも、名誉と壮烈さを望んでいる。前者はその時期においては多少の生命を救うことができても、後世、その民族の子孫 -
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うん。面白かった。文句はない。
韓信は趙を下し、張耳を王につける。
劉邦は宛城に入り、敵を惹きつけて滎陽城に一息つかせる。次は成皋城に入る。そして逃げる。韓信のところに行き、兵を取り上げてしまった。そして斉を下すように命令する。
韓信は斉を下した。斉王は高密城に籠る。そこに項羽から竜旦が送られてきた。韓信は両方とも倒して、斉王を名乗る。
項羽と劉邦は山と山に陣を取り、睨み合う。
項羽は劉邦を置いておいて、韓信と和議を結ぼうと思ったが、韓信は項羽が嫌いなのだった。劉邦が好きだからと拒まれる。カイ生は韓信をなんとか自立させようと頑張るが、韓信は劉邦を裏切らない。なのに劉邦に反乱の疑いで攻 -
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司馬遼太郎は毀誉褒貶が好きだなぁと思う。誰かを祭り上げる筆には嬉々として余念がないし、劉邦を貶めるときは本当に楽しそうだ。古代のゴシップを描いている気分なのだろうか。
張良、字名は子房、韓の国の宰相の息子である。劉邦に会い、配下に入り、項梁の下に入る。韓の王族を探してきて王とする。項羽と分かれてから、西進する。勝ったり負けたりしながら、楊熊を破る。南陽と宛を下し、武関から関中に咸陽に入る。趙高は焦る。胡亥に自殺させ、兄の子の子嬰を立てる。子嬰は趙高を殺して秦王となった。咸陽宮に入ると、劉邦は美女に突入した。蕭何は行政文書を押さえた。霸上に戻る。秦の法を撤廃し、人を殺すもの、傷つけるもの、盗む -
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漢文対策として高校時代に読んだが、再読。本の中盤に至るまで、筆がくどくどしく驚いた。司馬遼太郎はもっと面白かったのに、と思った。
まあ、昔ほど司馬遼太郎に心酔していないし、話を誇張しすぎたり、嘘も拵えることを知っているせいかも知れない。前巻も終盤になるとかなり面白いのだが。
秦の始皇帝が死んだ。宦官の趙高が胡亥を即位させ、李斯と皇太子格だった扶蘇を殺した。陳勝呉広が謀叛を起こす。
項梁は甥っ子の項羽を10歳ごろから養育した。項梁は会稽郡郡守の殷通を殺して、会稽郡郡守となる。
沛県にすむ劉邦。わりとブラブラしているロクデナシ。蕭何と曹参は沛県の役人。夏侯嬰は下級の県吏。劉邦は蕭何の引き立て -
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長州藩桂 小五郎と吉田松陰
竜馬は長身だけど髪の毛はぐちゃぐちゃでボーっとしてるのに、田鶴•さな子•冴となぜだか次々と女にモテる?
敵討ちの助太刀で信夫との対決、長州藩との剣術試合で5人勝ち抜くなど竜馬の剣の腕前の凄さにビックリ‼
土佐藩の郷士と上士の身分差別の軋轢、神道無念流塾頭で長州藩の桂小五郎との出会い。
桂小五郎の幼年時代の葛藤と吉田松陰との出会いと目覚めなど興味深い話が一杯です!
桂小五郎は美男で有名ですが、この作品の作画はどっちかと言うと雑でコメディータッチなので、桂小五郎は普通で後はみんなブサイクです..... -
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単行本は1992年刊。「街道をゆくシリーズ」『モンゴル紀行』の、17年後のスピンオフ。
司馬が少年の頃から憧れ、夢膨らませ続けたモンゴル、その地を初めて訪れたのは1972年。その時の現地ガイドは、笑顔を絶やさない、司馬と同い年の女性ツェベクマさん。今回の旅は、その彼女と会うのが主目的。
前半部分はほぼモンゴルの歴史。古来、モンゴルの地にどのような民族が住み、どのような入れ替わりがあったのか。不明の点も多く、そこは司馬の想像も交じる(最近の分子遺伝学的研究を知ったら、喜悦するかもしれない)。そして近現代、モンゴルをめぐるロシアと中国と日本のにらみ合いと交戦。
ツェベクマさんは後半に登場。ロシアの -
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初出は『週刊朝日』連載(1973.11.2~74.6.14)。旅と取材は73年の8月。
「街道をゆく」シリーズは43冊を数えるが、そのなかでもっとも緊張感みなぎる一冊。それもそのはず、著者が少年時代に夢見たのはモンゴルの草原、そしてゴビの砂漠。進学先も大阪外語の蒙古語科。その憧れの地に初めて足を踏み入れる。(なお、日本とモンゴルの国交樹立は72年の2月。)
いまなら成田や羽田から直行便で5時間半だが、当時は最短で3日がかり。まず新潟からハバロフスクに飛び一泊、次にイルクーツクに飛んで一泊、モンゴル領事館で入国ビザをもらってから、ウランバートルに飛ぶ。しかし、イルクーツク便は遅れに遅れて、領事館