司馬遼太郎のレビュー一覧
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長州藩桂 小五郎と吉田松陰
竜馬は長身だけど髪の毛はぐちゃぐちゃでボーっとしてるのに、田鶴•さな子•冴となぜだか次々と女にモテる?
敵討ちの助太刀で信夫との対決、長州藩との剣術試合で5人勝ち抜くなど竜馬の剣の腕前の凄さにビックリ‼
土佐藩の郷士と上士の身分差別の軋轢、神道無念流塾頭で長州藩の桂小五郎との出会い。
桂小五郎の幼年時代の葛藤と吉田松陰との出会いと目覚めなど興味深い話が一杯です!
桂小五郎は美男で有名ですが、この作品の作画はどっちかと言うと雑でコメディータッチなので、桂小五郎は普通で後はみんなブサイクです..... -
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単行本は1992年刊。「街道をゆくシリーズ」『モンゴル紀行』の、17年後のスピンオフ。
司馬が少年の頃から憧れ、夢膨らませ続けたモンゴル、その地を初めて訪れたのは1972年。その時の現地ガイドは、笑顔を絶やさない、司馬と同い年の女性ツェベクマさん。今回の旅は、その彼女と会うのが主目的。
前半部分はほぼモンゴルの歴史。古来、モンゴルの地にどのような民族が住み、どのような入れ替わりがあったのか。不明の点も多く、そこは司馬の想像も交じる(最近の分子遺伝学的研究を知ったら、喜悦するかもしれない)。そして近現代、モンゴルをめぐるロシアと中国と日本のにらみ合いと交戦。
ツェベクマさんは後半に登場。ロシアの -
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初出は『週刊朝日』連載(1973.11.2~74.6.14)。旅と取材は73年の8月。
「街道をゆく」シリーズは43冊を数えるが、そのなかでもっとも緊張感みなぎる一冊。それもそのはず、著者が少年時代に夢見たのはモンゴルの草原、そしてゴビの砂漠。進学先も大阪外語の蒙古語科。その憧れの地に初めて足を踏み入れる。(なお、日本とモンゴルの国交樹立は72年の2月。)
いまなら成田や羽田から直行便で5時間半だが、当時は最短で3日がかり。まず新潟からハバロフスクに飛び一泊、次にイルクーツクに飛んで一泊、モンゴル領事館で入国ビザをもらってから、ウランバートルに飛ぶ。しかし、イルクーツク便は遅れに遅れて、領事館 -
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三巻構成の中巻。
今回は、関ヶ原の合戦で負けた真田幸村、後藤又兵衛基次、キリシタン大名の明石全登、
長曾我部盛親、毛利勝永らの豪将及び10万の浪人が、大坂城に集まり、徳川家康と対峙する大坂冬の陣のお話。
関ヶ原の合戦で負け、浪人に成っていた大名、豪族、足軽、浮浪者などの10万ほどが
大坂の大野修理の呼びかけで、続々と大坂城に集まった。
対する徳川方が約20万の軍勢で大坂城の周りに布陣した。
冬の陣に至っては真田幸村、後藤又兵衛等の奮戦に依って、徳川方は甚大な損傷にあった。
大坂方の実権を握っているのは、淀殿、秀頼の乳母の大蔵卿局などの女性陣である。
家康はこの大坂城の女性陣に対し、和睦の申 -
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奉天会戦での戦敗の情報がひろがるたびに、ロシア国内の社会不安は深刻になった。開明家ウィッテ。ロシア国家は、偉大な軍隊で統制する以外に治めようがない国である。
陣地に拠る敵を攻撃する場合、攻撃側は敵より三倍の兵力を必要とするというのが兵学上の常識であった。
⇨小泉悠さんが言ってたことと同じだ。
ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を抜擢してそれに仕事を自由にやらせ、最後の責任だけは自分がとるということであった。⇨組織にいない場合はどうすれば良いのか?育てる必要はないのか?
ロシアの建国精神は土地略奪である。と小村寿太郎がいったことは、同時に児玉の戦慄でもあり、かれがこの無理な戦い -
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ネタバレaudibleで再読。通勤の行き返りを利用して聴読。
耳で聞き、映像を思い浮かべながら楽しんでます。
遊学のため土佐藩を出て、千葉道場で剣術の修行をつみ、北辰一刀流の目録を受けたのは、竜馬が23歳のころ。このころには、身体もたくましく、また剣術も道場内でも屈指の達人と認めらる存在となっていたが、悲しいかな遊学の身、期限というものを守らねばならず、道場の重太郎やさな子と別れを告げ、土佐へと戻る。
竜馬が19歳のころ、品川沖で生の黒船を自分の目で見、竜馬は竜馬で異国への恐怖やスケールのどでかさなどを体感しつつも、世の中の「尊王攘夷」の気風の盛り上がりを肌で感じていただろう。道中をともにした市川 -
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最終巻
ついに最後となってしまいました。
大政奉還が成立、まるで天が「竜馬の役目は終わったから、さっさと空へ帰っておいで」といわんばかりに幕末の動乱を見事に治めたらすぐ、天に帰ってしまった・・・。
「坂本さァ」
と西郷は猪首を竜馬にねじまげた。縁側にいた竜馬は、それに応じて西郷のほうへ上体をまげた。(略)
「この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名がみあたらんが、どぎゃンしもしたかの」
「わしの名が?」
竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどくほそめている。意外なことをきくといった表情である。
「わしァ、出ませんぜ」
といきなりいった。
「あれは、きらいでな」
なにが、 -
Posted by ブクログ
久しぶりに大長編を読み終えたという満足感もさることながら、この2~3ヶ月、坂本竜馬という人とずっと一緒にいたような感覚になりながら小説を読み進めていたからこそ「近江屋」の3文字が出てきた時には「ああ…いかないでくれ…」という気持ちになったり、読み終えた時はお別れの寂しさにむせび泣いてしまった。
読み物として面白くする上で脚色があることは承知の上で、坂本竜馬という人の魅力は海のように広い鷹揚さと、かと思えば小さいことで意地を張ったり、背中の体毛を見られるのが恥ずかしかったりといった人間らしいところが同居しているところなんだろうな、と思いました。人として生きるならかくありたい、と思わせてもらえたこ -
Posted by ブクログ
ロシアは何故負けるのか、専制政治による独裁者の妄想にブレーキを掛けられない仕組みと、軍人が背後に気を遣い勝利よりも政敵の失敗に努力する事が理由とのこと。またロシアは皇帝と貴族が土地と人民を私物にし、ヨーロッパの概念である国民が存在しなかった。先制国家は滅びると世界的常識になっていたそう。日露戦争当時、ポーランド、フィンランドの様にロシア総督を迎えたくなかった日本。ポーランドの農民はどんどん徴兵され、危険な場所にやられ、真っ先に死ぬことを強要された。ロシアは属国に内乱が起こると、他民族を使って征伐させるので、半目しあう。革命の機運が高まっていた中、革命の毒気を抜くためにちょっとした戦争として日露