司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ8巻読んで良かった〜!
全てが決着し、このための物語だったんだなぁという感慨を感じた。気に入った箇所:
p92 「時間と空間が次第に圧縮されてゆく。刻々縮まってゆくこの時空は、この日のこの瞬間だけに成立しているものではなく、歴史そのものが加熱し、石を溶かし鉄をさえ燃え上がらせてしまうほどの圧縮熱を高めていたと言ってよかった。」
p278 「ロジェストウェンスキーは、彼が演じたあれほど長大な航海の目的地がこの佐世保海軍病院のベッドであったかのようにしずかに横たわっている。そのことが一種喜劇的ではあったが、元来戦争とはそういうものであろう。戦争が遂行されるために消費されるぼう大な人力と生命、さらにそれがために投下される巨大な資本のわりには、その結果が勝敗いずれであるにせよ、一種のむなしさがつきまとう。」 -
Posted by ブクログ
1992年刊。「週刊朝日」連載(1991.8.9~92.2.28)。
ごちゃごちゃ言わずにさっと撫でてゆくのが、このシリーズの特徴。今回は本郷「界隈」、本郷、湯島、千駄木や根津などをめぐっている。
頻繁に顔を出すのが鷗外と漱石。その作品には本郷界隈を舞台にしたものが多く、彼らの住まいもそのあたりで何度か変わっているからだ。たとえば、千駄木の家では、漱石は『吾輩は猫である』を書いた(この家には十年ほどまえに鷗外が住んでいた)。この小説には近所のことも登場するが、なかでも有名なのが落雲館中学の生徒と苦沙弥先生が対決する場面。このモデルはいまもある郁文館、そこにも寄っている。
本書、最初のほうには、エドワード・モースも登場する。無学歴ながら博物学を志し、アメリカの大学の先生にまでなり、39歳の時にシャミセンガイの調査研究のために3カ月の予定で日本にやってきた。そしたら大森貝塚の発見、さらにはできたばかりの東大に乞われて教授になってしまう。のべ2年半ほど日本にいて、大きな足跡を残す。日本で最初に進化論を講じ、『日本その日その日』という名著も著した。
なお、本郷と言えば東大だが、東大はキャンパス内の加賀屋敷跡と三四郎池を訪れているだけ。 -
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ネタバレロシアに戦力で劣る日本は、海軍も陸軍も、機敏で連携の取れた動きと奇策で戦った。
しかも大勝を収めるというのではなく、和平交渉でギリギリ勝ちに持ち込むという狙い。
そのために策を巡らし、資源や訓練を集中する場面がこの巻ではみられる。
小さいものが大きな相手に勝とうと思うと、結局はそれしかないのかもしれない。
そして日本人はそんな話が好きだ。
少ない兵が死力を尽くして忠義を守る的な話。
また、この巻ではロシアの組織としての脆さも際立った。
大きな組織にあるあるな、独裁的な権力を持つリーダーや派閥争い、指揮系統の乱れ。
そんな一つ一つが、真剣にやれば楽勝に思える戦力差のある日本に追い詰められていく原因になる。
相手を侮ってはいけないということだ。
私の会社でも、最近では現場と本部との乖離を感じるようになってきた。
上場しているわけでもない中小企業だが、どうも大企業のような建前を整える作業ばかりに終われ、肝心の事業の方が疎かになり、売上も利益も落ち続けている。
ビジネスと戦争は似ている面があるとこうした本を読むと思う。
資源は集中した方が強いし、政治的な建前で人事を行なって現場を振り回すと碌なことにならない。
資源が限られる小さな企業なら尚更、多方面に中途半端に手を出してはいけないのだ。
新規事業は、やるなら本気で集中してやり切らないといけないし、資源を集中的に投下することも考えないといけない。
小説から学ぶことも多い。 -
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日本史は大の苦手だったはずなのに、司馬遼太郎を読んでいるなんて、私やるじゃん!と思いながら最後まで読みました。最高〜!!
新撰組の漫画である「アサギロ」にハマり、最新刊まで読んだところで、このあと一体どうなるのかいてもたってもいられなくなり、小説で読むことに。アサギロで得た知識のおかげで幕末の空気にすっと入っていけた。
史実なのか創作なのか私には分かりかねるところも多かったのだけど、もしかしたら本当にそうだったのかもしれないというような、壮絶な人生を見せてもらったように思う。幕末という変化し続けた時代に最初から最後まで士道をつらぬいて生きる。哀しかったけれど、武士というものは生き方そのものなんだと感服しました。かっこよかった…!!
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文学の才能を余すことなく発揮している子規だけれど、軍事への憧れ、それに従事する真之を羨ましく思い、自己憐憫に浸る姿。一方、文学への想いに蓋をし、自分の適正を見極め、そして発端は生活のため軍事へ邁進する真之。才能ある2人でも、互いに無いものねだり、隣の芝は青い、というような想いを持つ姿には親近感を持つなぁ。子規は病気が進行していく中なのだから、余計に他に目がいきがちなのも当然だろう。
真之の、頭脳が考えた目的を最後実施するのは性格である。その性格をつくらねばならない、という考えは、いざという時に弱腰になりやすい、人間の弱さを受け入れた上で、厳しい戦場で目的を遂行する覚悟を感じる。
どこまでもシンプルで、実直な兄の好古は、武士の姿。
列強国が東アジアをも牛耳ろうといよいよ情勢が激しくなりつつある中、日本、そして子規、秋山兄弟がどのような運命を辿るのか。 -
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「街道をゆく」シリーズ、ついに台湾。「週刊朝日」に1993年7月から94年3月まで連載。台湾取材は93年の1月と4月。司馬遼太郎にとっては、最後の海外取材になった。
「紀行」と聞くと、なにやら優雅な旅の思い出を連想するが、本書はさにあらず。かなり重い歴史紀行。しかも訪ねる先々で、みなが涙を流す。司馬はそうした自分たちを「涙袋」と称する。これまでの「街道をゆく」シリーズにはなかったような光景が展開する。
冒頭に登場するのは葉盛吉。司馬と同じ1923年の生まれ。日本統治下の台湾で育ち、旧制二高(仙台)を経て東大医学部入学、そして敗戦。帰台し、台湾大学医学部を卒業、マラリア研究所で研究するも、50年に銃殺刑。27歳。
台湾にはずっと支配者がいなかったが、清が領有権を主張、日清戦争で日本に負けたため、日本の領土となった。戦後は、蒋介石一党が大陸から逃れてきて、台湾を支配するようになった。そこで起こったのが1947年の二・二八事件。これが契機になって、反体制とみなされた者は数年のうちに一掃された。犠牲者は2万とも3万とも言われる(上記の葉盛吉はそのひとり)。驚くことに、1987年まで台湾には戒厳令が敷かれていたのだ。いまの台湾からはとても想像できない。
連載時、台湾の総統は李登輝。司馬と同じく1923年生まれ。旧制台北高校を経て京都大学で農業経済学を学ぶも、学徒出陣。終戦後帰台し、台湾大学農学部を卒業。二・二八事件に参加。その後アメリカの大学院で学び、台湾大学教授。50歳にならんとする時に、政治の世界に足を踏み入れた。司馬とは初対面なのに、旧知の友人のように語り合っている。しかも旧制高校時代の話し方で。
連載には安野光雅による台湾の風物のスケッチが添えられていた。安野は、司馬の台湾行きに同行するも、ほぼ別行動で写生して回っていた。司馬は、敬愛の念も込めながら「俗事に無頓着な画伯」と表現している。挿画は『台湾小景』(朝日新聞社)として刊行されている。