司馬遼太郎のレビュー一覧
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漢文対策として高校時代に読んだが、再読。本の中盤に至るまで、筆がくどくどしく驚いた。司馬遼太郎はもっと面白かったのに、と思った。
まあ、昔ほど司馬遼太郎に心酔していないし、話を誇張しすぎたり、嘘も拵えることを知っているせいかも知れない。前巻も終盤になるとかなり面白いのだが。
秦の始皇帝が死んだ。宦官の趙高が胡亥を即位させ、李斯と皇太子格だった扶蘇を殺した。陳勝呉広が謀叛を起こす。
項梁は甥っ子の項羽を10歳ごろから養育した。項梁は会稽郡郡守の殷通を殺して、会稽郡郡守となる。
沛県にすむ劉邦。わりとブラブラしているロクデナシ。蕭何と曹参は沛県の役人。夏侯嬰は下級の県吏。劉邦は蕭何の引き立てがあって亭長になった。驪山に農民たちを連れていく役目になったが、工事が終わったら皆殺しにされるという噂が流れていたのもあり、農民たちは逃げてしまったので、劉邦も逃げた。蕭何は劉邦を潜伏させた。始皇帝が死んだ。劉邦はその辺の人たちをまとめて、城に入ろうとしたが門は閉ざされていたので、父老に矢文を飛ばす。父老は県令を殺させて劉邦を迎え入れる。
陳勝は陳に入り、張楚という国を名乗った。
趙高は胡亥に反乱が起こっていることを隠した。しかし趙高は反乱に対しての対策を持っていない。有能な将軍たちはほぼつぶされている。章邯は財務官吏だったが、武官の家で生まれた。驪山や阿房宮で働く罪人たちを兵として用いることにした。
陳は人を集めすぎて、集まった人たちの食糧が足りなくなったので、米倉のある栄陽を攻めたが、攻めあぐね、ここで呉広は殺される。陳の周文は函谷関に攻め入ったが、章邯により破れる。陳勝は内部から殺される。秦軍に降ったり、ちりぢりになったりした。
項梁は項羽に江南をまとめさせた。楚の大柱国を名乗り、揚子江を渡る。季布と鐘離眛が先鋒を務める。下邳に入る。項梁は陳勝と合流しようと思っていたが、敗れたことを知る。黥布が胡陵で秦嘉を殺して勢力を伸ばす。薛に向かって移動を始める。范増がやってきて、以前の王たちの末裔を探して立てることを献策する。最後の楚王の孫を立てる。薛の町に、亡楚の遺臣が溢れる。王が来ると面倒臭い儀礼が増える。
劉邦がやってきて、項梁に兵を借りたいという。10人の将をつけてやった。5000人の兵。劉邦はこの後将軍として活躍する。
項梁は軍を二つに分け、もう一つの将を項羽と劉邦にした。項羽と劉邦は城陽に向かい、項梁は定陶を陥落させる。しかし秦の章邯に取り囲まれる。項梁は死ぬ。項羽と劉邦は城陽を陥落させる。項羽は陳留城を攻めたが、劉邦は危ないとみた。范増も項羽に退却を提案。
彭城を目指す。楚王を呼ぶ。劉邦は別働隊となる。宗義が斉に近づいて、自分の氏に利することを謀っているのが知れて、項羽は宗義を殺す。秦の章邯との決戦に向かう。
章邯は張耳と陳余の作った趙の首都邯鄲を攻めている。趙王と張耳は鉅鹿に逃げ込む。鉅鹿には蓄えがかなりあったが、章邯は飢えさせるつもりで囲む。援軍が続々と来るが、重厚な包囲網に驚き、戦争見物の様相を呈した。陳余は鉅鹿の外にいた。鉅鹿は飢え始める。
項羽は黄河を渡って鉅鹿にいく。兵が7万人。章邯の兵は20万人。しかし鉅鹿城は解放された。章邯は近くの棘原にいた。秦軍の負けは咸陽の趙高の耳にも届く。彼は取り急ぎ、劉邦に内通して、いざとなったら皇帝の胡亥を殺すので自分の権力を保証して欲しいと訴える。章邯が生きていると知って兵が集まってくる。結局、漳水を挟んで膠着状態になる。ついに章邯が投降する。
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長州藩桂 小五郎と吉田松陰
竜馬は長身だけど髪の毛はぐちゃぐちゃでボーっとしてるのに、田鶴•さな子•冴となぜだか次々と女にモテる?
敵討ちの助太刀で信夫との対決、長州藩との剣術試合で5人勝ち抜くなど竜馬の剣の腕前の凄さにビックリ‼
土佐藩の郷士と上士の身分差別の軋轢、神道無念流塾頭で長州藩の桂小五郎との出会い。
桂小五郎の幼年時代の葛藤と吉田松陰との出会いと目覚めなど興味深い話が一杯です!
桂小五郎は美男で有名ですが、この作品の作画はどっちかと言うと雑でコメディータッチなので、桂小五郎は普通で後はみんなブサイクです..... -
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単行本は1992年刊。「街道をゆくシリーズ」『モンゴル紀行』の、17年後のスピンオフ。
司馬が少年の頃から憧れ、夢膨らませ続けたモンゴル、その地を初めて訪れたのは1972年。その時の現地ガイドは、笑顔を絶やさない、司馬と同い年の女性ツェベクマさん。今回の旅は、その彼女と会うのが主目的。
前半部分はほぼモンゴルの歴史。古来、モンゴルの地にどのような民族が住み、どのような入れ替わりがあったのか。不明の点も多く、そこは司馬の想像も交じる(最近の分子遺伝学的研究を知ったら、喜悦するかもしれない)。そして近現代、モンゴルをめぐるロシアと中国と日本のにらみ合いと交戦。
ツェベクマさんは後半に登場。ロシアのシベリアにモンゴル族(ブリヤート人)として生まれ、日本占領下の満州(内蒙古)で育ち、戦後はその地で中国人として暮らし、文化大革命では、死を覚悟で、幼い娘を連れてモンゴルへと逃れた。モンゴル国籍を得たのはその10年後。自分は草原の民、笑顔を絶やさず、強い。それが司馬を魅了した。
日本がモンゴルとの国交を樹立したのは1972年。『モンゴル紀行』の取材は、その翌年の73年。今回の取材は90年。17年の間に、モンゴルをとりまく状況(中国もソ連も)も大きく変化した。そうした歴史的な動きも含め、近現代の国家の変化がツェベクマさんの生き方と重なる。
『モンゴル紀行』では、日本語の巧い(ただし来日経験のない)、明晰で、いつも笑顔のガイドのおばさんだった。その彼女が感動的に主役に変身する。司馬が魅せられた人。 -
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初出は『週刊朝日』連載(1973.11.2~74.6.14)。旅と取材は73年の8月。
「街道をゆく」シリーズは43冊を数えるが、そのなかでもっとも緊張感みなぎる一冊。それもそのはず、著者が少年時代に夢見たのはモンゴルの草原、そしてゴビの砂漠。進学先も大阪外語の蒙古語科。その憧れの地に初めて足を踏み入れる。(なお、日本とモンゴルの国交樹立は72年の2月。)
いまなら成田や羽田から直行便で5時間半だが、当時は最短で3日がかり。まず新潟からハバロフスクに飛び一泊、次にイルクーツクに飛んで一泊、モンゴル領事館で入国ビザをもらってから、ウランバートルに飛ぶ。しかし、イルクーツク便は遅れに遅れて、領事館はclosed。さあ、どうする。
期待をふくらませながら、モンゴル入りするまでが本書の半分。長い助走だが、さまざまなエピソードを挟みながら、コンサイスなモンゴル史。ソ連・中国・日本との歴史的関係をよく知った上で、ウランバートルに到着。そこは山羊たちが草を食む近代都市だった。
夢に見たゴビ砂漠にもゆく。夜、懐中電灯ひとつでパオから離れ、これまでけっして見たことのないような満天の星空のなかを歩く。 歴史紀行なのに、良質のSFを読んでいるかのよう。
(p.s. 司馬のモンゴル語は片言。それも当然、大阪外語に入るも、1年半で学徒出陣。配属先は満州の戦車学校。だから、モンゴルの近くにいたことはあったのだ。彼が満州にゆく4年前、1939年に満州国とモンゴルの国境で起こったのがノモンハン事件。この日本vs.ソ連の大規模な軍事衝突で、日本軍は壊滅した。司馬は、軍の将校のあまりの無能ぶりを糾弾しているものの、深入りはしていない。この事件については、後日著書として書くつもりだったようだが、厖大な資料を集めながら、それが書かれることはついになかった。) -
Posted by ブクログ
三巻構成の中巻。
今回は、関ヶ原の合戦で負けた真田幸村、後藤又兵衛基次、キリシタン大名の明石全登、
長曾我部盛親、毛利勝永らの豪将及び10万の浪人が、大坂城に集まり、徳川家康と対峙する大坂冬の陣のお話。
関ヶ原の合戦で負け、浪人に成っていた大名、豪族、足軽、浮浪者などの10万ほどが
大坂の大野修理の呼びかけで、続々と大坂城に集まった。
対する徳川方が約20万の軍勢で大坂城の周りに布陣した。
冬の陣に至っては真田幸村、後藤又兵衛等の奮戦に依って、徳川方は甚大な損傷にあった。
大坂方の実権を握っているのは、淀殿、秀頼の乳母の大蔵卿局などの女性陣である。
家康はこの大坂城の女性陣に対し、和睦の申し出をし、妾の阿茶局などに交渉を任した。
関東方では、大坂城三の丸の外堀を埋めるなどの和平案を出し、大坂方はこれを了承した。
しかし、関東方は三の丸どころか、二の丸まで、十万の人夫を使い、堀を埋めてしまった。
これに依り、巨城である大坂城は裸城に成ってしまった。
家康は余命短い自分の生きているうちに豊臣家を滅ぼし、後の100年の徳川家を安泰にしたかった。
しかしながら、世間の耳目、家康に従っている昔の豊臣恩顧の大名などの寝返りを恐れ、力攻めは出来なかった。
大坂方は内面でも家康に牛耳られていた。
大坂城に居る、徳川の間諜、特に織田有楽、その子の長瀬などが徳川に通じていた。
淀殿は叔父の織田有楽を信じていて、毛ほども疑いを持っていなかった為、有楽の進言を信じた。
豊臣方に対する家康の巧妙な、嘘、罠などは絶妙で、
「息子の将軍秀忠は豊臣を滅ぼしたいが、自分は秀頼を助けたい」などの嘘を世間に流した。
家康のこの時期の考え方は極悪人のそれで、本巻を読んでいて、なんとも後味が悪い。
家康を信じて滅ぼされる、淀の方、秀頼などが本当に可哀そうだ。
下巻は裸城にされた大坂城から真田幸村、後藤又兵衛、毛利などが撃って出るが……。
豊臣滅亡の夏の陣へと続く。 -
Posted by ブクログ
奉天会戦での戦敗の情報がひろがるたびに、ロシア国内の社会不安は深刻になった。開明家ウィッテ。ロシア国家は、偉大な軍隊で統制する以外に治めようがない国である。
陣地に拠る敵を攻撃する場合、攻撃側は敵より三倍の兵力を必要とするというのが兵学上の常識であった。
⇨小泉悠さんが言ってたことと同じだ。
ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を抜擢してそれに仕事を自由にやらせ、最後の責任だけは自分がとるということであった。⇨組織にいない場合はどうすれば良いのか?育てる必要はないのか?
ロシアの建国精神は土地略奪である。と小村寿太郎がいったことは、同時に児玉の戦慄でもあり、かれがこの無理な戦いへ踏み切った唯一の動機でもあった。
児玉は返答もせず、長岡の顔を見るなり、火をつけた以上は消さにゃならんぞ。消すことがかんじんというのに、ぼやぼや火を見ちょるちゅうのは馬鹿の証拠じゃないか。
ロシアに内兜を見透かされてはつまらん。ということで、むしろ野戦軍は積極的な姿勢だけはとる、というのが基本方針であった。その第一は、ハルビンを占領する。その姿勢をとらねばロシアは講和には乗らないであろう。第二は、韓国内にロシアの一兵をもとどむべからず。第三は、すみやかに樺太を占領すべし。第一軍の一部を東方へ移動する事によって、ロシアをしてウラジオストックを襲われるのではないかという不安を抱かしめるようにする。
英国というのは情報によって浮上している島国帝国であると言うるであろう。伝統的外交方針として、ヨーロッパを操縦するにあたつて、勢力均衡を原則とした。ヨーロッパにおける一国のみが強大になることをおそれ、その可能性が生まれた場合は、すばやく手をうち、その強国から被害を蒙るべき弱国を影に陽に支援してきた。
ロシアが、東アジアにおいてとどまるところのない侵略主義をとってきたために、英国は自国の東アジア市場を侵されることをおそれ、ロシアに対する抑止力として日本を同盟者にえらんだにすぎない。
理性的判断力に富んだ英国政府の要人たちはべつとして、おおかたの英国人の利害と感情を日本が百パーセント満足させようというなら、やってくる機関車も吹っとぶかわりに、石を抱いて飛び込んだ日本人もこなごなにくだけねばならなかった。その両者の残骸のかなたに、英国人にとっては無限の食欲の対象になるシナ大陸のあぶらみのごとくよこたわっている、という風景画でなければならない。
ルーズベルトは当然なことながら日露戦争についてはアメリカの利害を中心に考えていた。ロシアがアジアにおいて強大になることはアジアにおける勢力均衡がくずれることになる。まず日本によってこれを押さえねばならない。英国のたちばにそっくりである。日本は、道具にすぎない。
日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、あるいははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった。
カシニーの性格、という言葉をルーズベルトはしばしば使っているように、倨傲で頑質な性格をもち、たとえは微笑は微笑を表現せず
逆に憎悪や殺意を表現するといったふうの、表情や言葉からその人物の真実や真意を汲み取りがたい性格の男であった。
ロシアの官吏は、もっともかれらが恐るところのものはその国家の専制者、皇帝、とその側近者であり、かれらはつねに体内的な関心のみを持ち、その専制者の意向や機嫌をそこなうことのみを恐れる。
世界の歴史の中で無数の専制者が出たが、そのわずか二、三人のみが優れた政治業績を残した。あとはことごとく専制のために国家をやぶり身の破滅を来たした悪例の歴史があるが、しかし存在としてはすでに悪である専制者たちは、つねに歴史上数例しかない英雄的な、先例を神聖視することによっておのれの専制を正当化する癖がある。
ルーズベルトは、調停というもののむずかしさをこのときほど感じた事は無かったであろう。さらには日本人の国民性の浅薄な部分と、ロシア帝国を動かす暗黒の一団、宮廷というものの性格を、第三者であるだけに、痛いほど感じたに相違いない。
ロシアは世界で最も濃厚な官僚国家であるくせに、官僚機構そのものは銹び腐ってなんの役にもたたなかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレaudibleで再読。通勤の行き返りを利用して聴読。
耳で聞き、映像を思い浮かべながら楽しんでます。
遊学のため土佐藩を出て、千葉道場で剣術の修行をつみ、北辰一刀流の目録を受けたのは、竜馬が23歳のころ。このころには、身体もたくましく、また剣術も道場内でも屈指の達人と認めらる存在となっていたが、悲しいかな遊学の身、期限というものを守らねばならず、道場の重太郎やさな子と別れを告げ、土佐へと戻る。
竜馬が19歳のころ、品川沖で生の黒船を自分の目で見、竜馬は竜馬で異国への恐怖やスケールのどでかさなどを体感しつつも、世の中の「尊王攘夷」の気風の盛り上がりを肌で感じていただろう。道中をともにした市川宇一郎も長州藩の熱烈な「尊王攘夷」論者だった。
時代の空気が「尊王攘夷」に傾いていると感じつつも、リアルな黒船の存在を目の当たりにした竜馬にとっては、「そうは言っても、そう簡単なものではない」と竜馬特有の大局観で、市川の話を聞いたり、世の動きを自分独自のスタンスで消化していたのではないだろうか。時代の流れに飲まれていなかったのか、あるいはまだ未熟だったのか。
帰路途中、京の街に入ると、「尊王攘夷」熱はさらに殺気立っている。憧れのお田鶴さんとの再会と別れを経て、竜馬は故郷・土佐に戻ってくる。そこで旧友・武市半平太と再会するが、武市は「土佐勤王党」を結成し、「尊王攘夷」まっしぐらだった。
一方、土佐藩には土佐藩主の片腕的存在の吉田東洋という大学者で、「尊王攘夷」とは正反対の「富国強兵・開国」論者がいた。若い武市は、この吉田東洋の暗殺計画を企ててでも、「尊王攘夷」を実現しようと考え、竜馬をも仲間に引き入れたいと思う。
しかし、竜馬はどうも武市のように一途にはなれない。それは、おそらく武市達の思いも理解しつつも、ある意味、吉田東洋の思想の裏側にあるリアリティをも感じていたからではないだろうか。竜馬は、結局、武市よりももう一段高く、この国難への解決策をさぐろうと、命がけの「脱藩」を決意する。
時代の流れを察知しつつも、時代の流れに、安易に流されるのではなく、自身の信じる視点で、自分の信念に生きた竜馬。そのような生き方を貫けるところが、竜馬の偉大なところだ。そして、そのような竜馬の生き方のベースを作り上げたのは、乙女姉さんの存在だろう。竜馬の「脱藩」に、なんともろ手を挙げて賛成する乙女姉さんのスケールのでかさ。乙女姉さんこそが、竜馬のスケールの根源に違いない。
あっ、一人重要な人物のことを書き忘れていた。河田小竜、この人物は、乙女姉さんと同じくらい、竜馬に強い影響を与えた人物として、とても興味深い人物だと思う。
河田小竜についての書籍があるのか、調べてはいないが、あればとても興味深く読めるのではないかと思う。
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Posted by ブクログ
最終巻
ついに最後となってしまいました。
大政奉還が成立、まるで天が「竜馬の役目は終わったから、さっさと空へ帰っておいで」といわんばかりに幕末の動乱を見事に治めたらすぐ、天に帰ってしまった・・・。
「坂本さァ」
と西郷は猪首を竜馬にねじまげた。縁側にいた竜馬は、それに応じて西郷のほうへ上体をまげた。(略)
「この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名がみあたらんが、どぎゃンしもしたかの」
「わしの名が?」
竜馬はいった。陸奥が竜馬の顔を観察すると、近視の目をひどくほそめている。意外なことをきくといった表情である。
「わしァ、出ませんぜ」
といきなりいった。
「あれは、きらいでな」
なにが、と西郷が問いかけると、竜馬は
「窮屈な役人がさ」といった。
「窮屈な役人にならずに、お前さァは何バしなはる」
「左様さ」
竜馬はやおら身を起こした。このさきが、陸奥が終生わすれえぬせりふになった。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
陸奥がのちのちまで人に語ったところによると、このときの竜馬こそ、西郷よりも二枚も三枚も大人物のように思われた、という。
いやぁ!!格好いい!!
この歳になっても、やっぱ竜馬は恰好いい! -
Posted by ブクログ
久しぶりに大長編を読み終えたという満足感もさることながら、この2~3ヶ月、坂本竜馬という人とずっと一緒にいたような感覚になりながら小説を読み進めていたからこそ「近江屋」の3文字が出てきた時には「ああ…いかないでくれ…」という気持ちになったり、読み終えた時はお別れの寂しさにむせび泣いてしまった。
読み物として面白くする上で脚色があることは承知の上で、坂本竜馬という人の魅力は海のように広い鷹揚さと、かと思えば小さいことで意地を張ったり、背中の体毛を見られるのが恥ずかしかったりといった人間らしいところが同居しているところなんだろうな、と思いました。人として生きるならかくありたい、と思わせてもらえたことも、竜馬がゆくという作品を読み終えて得られたもののひとつだと思ってます。自分の中の価値観がアップデートされる書籍は文句なしに面白い。
学生の頃、世界中の歴史なんか覚えきれるわけがないんだから日本ひとつに絞った方が絶対楽でしょ~、という理由で日本史専攻して学んだ程度の知識しかないので、正直なことを言うと1巻から8巻まで、その当時ならではの表現や名詞が出てきたり、難しい話になるたびに目は滑り続けてました。登場人物が着ている衣装の詳細な描写や幕府や朝廷の役職の話で知らない単語がわんさか出てくるけど、そこで立ち止まってスマホで意味を調べたりすることもせず「多分こういうことだろう」と雰囲気で理解した気になって、竜馬という人物の生き様のみを追い求めるような読み方をしちゃいましたが、それでも楽しめたのは司馬遼太郎先生の筆力なんだろうなぁと。昔読んだ燃えよ剣もすごく面白かったので、他の作品も読んでみようかな。