大江健三郎のレビュー一覧
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おほきな疲労感とともに
狂気を書く。その点では『ねじまき鳥クロニクル』とおなじだが、前者は社会の狂気。こちらは個人の狂気だ。
しかも、こちらの狂気は説明的な人工の(=絵空事の)狂気なのだ。人間に直に根ざした狂気とは感じられない。
一文がながながしい変革期の文体。それは、大江がのちに『さようなら、私の本よ!』で書いたとほりだ。《あなたの出発時の文章はスッキリして、書いてることがよくわかった、いまはゴテゴテしている。それは批評家が賞めてるような、あなたに豊かな資質があるということじゃなくて、いま何を書いたらいいかわからないから、形容詞の煙幕を張ってということじゃないのか?》
「核時代 -
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大江健三郎作品6作目
著者の代表作であり人気の作品なのですが、正直、難解だった。難しすぎて思考停止状態に陥り、何度も眠くなることがあった。でも後半になると主題としてあるものが見えてきて、それについて深く考えることができた。
自己欺瞞に自己憐憫、決定的な要因がない場合でも、人は誰しも何かしらの荷を背負って生きているものだと思う。その重みはそれぞれであり、軽くなるものもあれば、どんどん重くなるものもある。その重みに耐えかねて、懺悔し審判を受けて、その重みから解放されたいと願うこともあるだろう。しかし、それができず、そのことで苦しむことになると狂気をはらんだ自己破壊的な衝動が芽生えてくるのかもし -
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ネタバレ著者の作品は初めて読んだが、特に“飼育“では遠藤周作みを感じた。黒人を“獣“として見物する描写が特に。飼育の前半は少し読みずらかった。
死者の奢りは芥川賞特有の雰囲気があり、まさか死体整理のバイトの話とは、題材が衝撃であったが、妊娠中の女学生が登場するのは取ってつけたように感じた。段取りが異なるとして作業がやり直しになるなど、面白いことは面白いが。
他人の足では、同士としてどんな話をしようが例え仲良くなろうが、あくまで同士だからという前提がとても強く、同士ではなくなる(足を得る)と根底が崩れ、もう元の関係には戻れないという当たり前ながらも複雑な現実について。
一番好みの話だった。 -
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晩年の大江健三郎が、自身の短編を初期、中期、後期に自薦したもの。初期作品は新潮版の死者の奢りで大体読んだため再読。万延元年のフットボールで感じた苦手意識はなくなった。とはいえ全然理解は追いついていない。全く内容が入ってこなかった作品もちらほら。
アグイー以降、障害児を育てることになってからの作品は明らかに初期作品と違いを感じるし、段々日記なのか作品なのか分からなくもなる。日常ではあまり触れることのない剥き出しの人間の本音、本性に触れるようで嫌な気持ちにもなるが、真逆の感覚も同時に味わうような複雑な気持ちになる。
もっと精神的に成熟してから読むと突き刺さるのかも。 -
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戦時中、慶良間(けらま)諸島において、赤松嘉次元大尉は沖縄住民に集団自決を強制した。大江健三郎『沖縄ノート』1970
赤松元大尉による自決命令があったという住民の供述は得られなかった。曽野綾子(その・あやこ)『ある神話の背景』1973
※赤松嘉次元大尉の遺族は、2005年、大江健三郎・岩波書店を名誉毀損で訴えた。二審判決は「命令があったかどうかは”わからない”が、大江が命令を真実と”信じる”相当の理由があった」として原告の請求を棄却した。
遺族が遺族年金や弔慰金を国から支給してもらうには、自決した人々が準軍属扱いでなければならず、「軍の自決命令」が必要だった。そこで島民らは当時の駐屯隊の