大江健三郎のレビュー一覧

  • 火山 旅への試み  大江健三郎デビュー前小説集

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    本作品は大江健三郎が東大生だった頃、北区西ヶ原の(私も同じ町内だった)下宿先の家主の加藤シノさんの遺族の下に長年保管された原稿2作品を含めて書籍化したもの。大江健三郎のデビュー作は短篇小説「奇妙な仕事」(1957/5/22)なので、それよりも前に執筆されたものとなる。習作的位置付けとなるが、学生時代に試行錯誤しながら小説を書くといった側面も感じられ、当時の学生活動も垣間見れる内容となっている。

    時々出てくる「ユマニスト」という言葉は、政治団体・党の名前として用いられている。これはフランス語の発音であり、英語の「ヒューマニスト」と同義である。似た名前の「ヒューマニズム(人道主義・博愛主義)」とは意味合いが少々異なるとのこと。神や宗教に依存せず、あくまでも人の心が優先される、人が内面的にどの様に考えるかが論理の中心となる。日本現代のユマニスト渡辺一夫に憧れて東大に入り、もちろん渡辺教授の研究室に入り、自身がユマニストとなりフランス文学にどっぷりと浸かり、次々に名作を執筆し続けることになる。

    4作品の主人公の心の動きは基本的に共通するものがある。特に人間の尊厳に対する拘りに固執する考え方が文章の端々に散りばめられているのが特筆すべき点である。それを表現するためには、少々非常識な発言をしても構わない節が見られる。

    私が大好きな安倍公房、小澤征爾、武満徹とも親交があり、少しではあるが関連する書籍も出版されている。現在のババア政権とは全く反対で、反戦・広島に関して共感する面がかなりあるので、機会を見てマイペースで未読作品とこれからも向き合っていきたい。

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    2026年10月01日
  • 同時代ゲーム

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    荒唐無稽というか、縦横無尽な想像力でひたすらに書かれた作品という印象。どれが、と何か一つを取り上げて伝えることはできないし全体感から何を読み取るかも悩んでしまう。一つの村なのに、ここまで世界観が膨らんで読み手を引き込む。また読み返したい。

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    2026年09月26日
  • 個人的な体験

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    面白かった!こういう小説ばかり読んでいたい
    情景 じゃなくて 比喩 に傾いているからごまかしがなくてうれしい 喩えって本当に大好き 暗いけど 豊か

    ものすごく体力のある主人公だと思った

    お金の話が都合上ほとんど消えてて それに脅かされることがない物語になってて だからこそ読みやすかったけど無視していいのかなと思った

    農薬に触れた芋虫みたいにじっと横たわったまま青臭い体液を滲み出させ続けている
    とか!最高

    223ページ何回も読むべきだぜ

    汗粒

    恥ずかしさに支配されて心が世界を受け付けなくなっている覚えがあったので、ものすごくわかった わかってしまった

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    2026年09月06日
  • 沖縄ノート

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    ネタバレ

    戦後の沖縄に繰り返し訪れた記録。ただの記録ではなく、著者の表現力によって文学作品のようになっている。内省と苦悩と焦り、怒り、さまざまな感情が封じ込められている。読むのは苦しいけれど、読んでよかった。
    日本人の本質のようなものを追求しているのが興味深いと同時に恐ろしくもあった。今に至るまで何も変わっていない気がしたのだ。
    沖縄の人々のなかにも複雑な感情が入り混じっていて、それを知りたいと思うけれど、そう思うこと自体が傲慢ではないかとも思う。
    「本土」との隔たりが深刻なものであることはわかった。それは今も続いていて、本書で警告されているように危機が訪れていると思う。沖縄の歴史を知り、ひとりひとりが向き合わなければ再び同じ道をたどる恐れがある。そんなこと、絶対にあってはいけない。

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    2026年08月13日
  • 個人的な体験

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    重度障がい児として誕生した第一子を受け入れられずに性的逸脱に逃げ込む主人公が葛藤の末に決意を固めるまでの、生々しい迫力と凄みのある文体とストーリー。物語の収束の部分の短いがさらりとした雰囲気が好き。

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    2026年08月11日
  • ヒロシマ・ノート

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    今まさに「広島平和記念式典」が執り行われています

    そんな日に大江健三郎さんの『ヒロシマ・ノート』を読み終えたわい
    う〜んなんかいい感じじゃね?
    などと酔いしれてる場合じゃないのよ大馬鹿者!

    松井広島市長の平和宣言の中に「広島のこころ」という言葉が何回か登場しました
    では「広島のこころ」ってなんなの?って考えたとき、その答えのひとつが、この『ヒロシマ・ノート』の中にあったような気がします

    ノーモア広島

    No more Hiroshimas

    核兵器廃絶!

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    2026年08月06日
  • 死者の奢り・飼育

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    この人好きかも。他の作品読んでみよー。
    誰しもが持ったことある言い表し難い感情を本当に上手に文章にするよね。

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    2026年07月31日
  • 死者の奢り・飼育

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    どの短編でも自分が悪いわけではないが、不運にもなし崩し的に巻き込まれる厄介な出来事が主題になっていると思った。徒労に終わったり、解放されても後味の悪いこれらの話を読んで、読者は自身の日常の気まずい出来事に読み換え、想起するだろうと思う。
    「飼育」は、〈僕〉の通過儀礼の物語であると思った。
    捕虜となった黒人に感じる気安さは家畜やペットへの気安さと同義であったが、立てこもりによる黒人と〈僕〉の立場の逆転で〈僕〉の世界は崩壊し、まるで死んだ黒人の情念が乗り移ったかのように、〈僕〉は大人たちに脅え拒絶する。
    〈僕〉の掌を叩き潰したのは父の斧ではなく戦争だったのだと、大人になった〈僕〉は認めるのだろう。
    最も好みだったのは「死者の奢り」で、今まで読んだ短編作品全体の中でも最も面白かった作品の一つになった。冒頭が本当に秀逸で引き込まれた。
    人体が死を経て《物》となっていくこと。妊娠した女学生の語り。水槽にぎっしり詰まった死体。この短編ひとつで、社会全体を描いているような濃密さがあった。

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    2026年07月10日
  • 同時代ゲーム

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    超大作にあっぱれを送りたい、ここ最近読んだなかで一番良かったです

    理解するのに時間がかかる構造ゆえ前半は忍耐が必要だけど、中盤以降は著者の編みだす圧倒的なスケールの世界観を前に、ただただ屈服w

    最初は聖書や神話、幕末期の歴史を絡めて何かを見出そうとしてたけど、結局(読み終わった今も)よく分からなかった笑
    だけど理解できたと思ったら興味なくしてしまう私からすれば、この本は咀嚼してもし尽くすことができないスルメのような味

    そういった言語化したいけどできない感情をとりあえず脇に置いとくとすれば、ただただ自然にかえりたい!という人間の本能に近い部分を刺激された体験だった。別に田舎出身でもないけど。

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    2026年07月07日
  • 個人的な体験

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    障害を持った子供が生まれたら、育てるとしたら、そして個人の自由が奪われるとしたら。そんな父親の心の揺らぎがとことん美しく表現されており、一言で言うとずっとおもしろかった。
    どん底に落ちた主人公が最後に自己欺瞞に打ち勝つというストーリー自体はよくある話ではあるが、ほんの数日間の出来事を終始緊迫したシーンで埋め尽くされた強烈な内容だった。

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    2026年06月20日
  • 洪水はわが魂に及び(下)

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    ネタバレ

    今まで読んだ大江の本の中で最も好きだった。下からは特に後戻りできない感じが強くなってきて絶望的だが最後まで明るい
    綺麗に畳まれていってスッキリと終わった
    カタストロフ
    最後の籠城戦、本当に多麻吉は敵を打ち倒していたのか?

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    2026年06月07日
  • 万延元年のフットボール

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    ネタバレ

    圧巻とはこのことか。
    戦後日本に生きた人々が抱えていたであろう、先行きの見えない晴れない気持ちとやり場のない暴力的な欲求が、見事に鷹四とその仲間たちというキャラクターに投影される。蜜三郎と鷹四は表裏一体の関係であり、蜜三郎が鷹四を嫌うのは自己嫌悪的な側面を持つ。社会に置き場のない暴力的な欲望と理性の狭間に、私たちはどう向かい合うべきなのか。

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    2026年05月20日
  • 芽むしり仔撃ち

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    表紙が新しくなっていたので買いなおして再読。新潮文庫の大江健三郎は、他にも何冊か表紙がリニューアルしていて、どれも凶々しくて全部購入。戦後最高の小説家の言語空間ににワープ

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    2026年04月16日
  • ヒロシマ・ノート

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    ノーベル賞作家である大江健三郎が、1963年夏から数回にわたって広島を訪れ、被爆者や医師たちへの取材を通じて書き下ろしたルポルタージュ。
    感情に訴える文体や天才的な比喩表現が如何なく発揮されており、単なるノンフィクションとは決定的に違う読み応えがある。
    発行から60年以上経った現在でも、全く色褪せることのない平和へのメッセージに胸を打たれる。

    「Ⅰ 広島への最初の旅」では、1963年夏の原水爆禁止世界大会に揺れる広島の様子が描かれる。本章では、ソ連の核実験を支持する共産党と、いかなる国の核兵器も認めない社会党の無意味な対立を批判的に書き留めている。そして、原爆病院長の重藤氏への取材を経て、著者にとって広島の存在感がどんどん増していく様子が描かれる。
    その後の「Ⅱ 広島再訪」以後は、被爆者自身や医師たちへの取材を通じて、原爆以降の広島の惨状を明らかにしていく。被爆者たちの個人的な物語がいくつも紹介されるが、そのひとつひとつがとても悲しい。本作の読者は、心に「ノーモア・ヒロシマ」を確実に植え付けられることだろう。

    自分は読書をしながら心に響いた文章には付箋を貼るようにしている。本作は名文の連続だったため付箋を貼る手が止まらなかった。
    その中でも、最も胸を打たれたのはp.106の下記の文章。
    「われわれ、偶然ヒロシマをまぬがれた人間たちが、広島をもつ日本の人間、広島をもつ世界の人間、という態度を中心にすえながら人間の存在や死について考え、真にわれらの内なるヒロシマを償い、それに価値をあたえたいと希うなら、ヒロシマの人間の悲惨→人間全体の恢復、という公理を成立させる方向にこそ、すべての核兵器への対策を秩序だてるべきではないか。この政治的時代には、ひとつの国の新たな核武装が、かえって核兵器の全廃への道につうじる、というお伽話が現実的である可能性もあるという人たちがいるかもしれない。(中略)
    しかし、僕は見すごすことはできない、すなわちそのお伽話の城へむかって一歩踏みだされた現実的な足は、広島のいまなお昏い室内でケロイドを恥じながら青春をすでにうしないつつある娘たちの自己恢復の希望を、確実に踏みにじったのである。そして、それでもなおかつ、実際的に核兵器全廃の見とおしがおとずれていないという現状が、広島の人間たちにとって、まったくどれほど苛酷なことであるか、ぼくはそれをおしはかる勇気をもたない。」

    著者自身の平和への願いが込められた、千年後も読み継がれるべき名文である。


    自分自身の祖父も広島市内で被爆した。祖父は父にも自分に対しても、原爆のことを全く語ろうとはしなかった。さして原爆病を発症することなく、約90年の生涯を生き抜き一昨年他界した。
    祖父は荒廃した広島を生き抜き、瓦職人として三人のこどもを育てた。そのうちの一人、被曝2世の遺伝子から被曝3世の自分が誕生した。そして、この冬に自分に被曝4世の娘が誕生した。
    祖父は文字通り、「真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、しかも決して過度の希望をもたず、いかなる状況においても屈伏しないで、日々の仕事をつづけている人々」(p.199)の一人だったと言える。
    そんな祖父が繋いでくれた命を大事にしながら、平和のために何ができるかを、娘と一緒にしっかりと考えていきたい。
    そう思わせてくれる、素晴らしい本だった。

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    2026年03月14日
  • 死者の奢り・飼育

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    ノーベル文学賞受賞作家の初期の短編し6作品を収録した一冊です。6作品の中からタイトルとなっている「死者の奢り」と「飼育」を紹介します。

    まず「死者の奢り」。

    主な登場人物は、「僕」「女子大生」「管理人」で名前は無し。従って、登場人物のパーソナリティや物語性ではなく、彼ら彼女らの言葉や行動に描かれる心象描写に、著者「大江健三郎」さんの主張が込められているのだと思いました。

    「僕」は文学部の学生で、「僕は希望を持っていない。毎日の生活に希望はいらない。子どものとき以外は希望を持って生きたことが無いし、その必要もなかった。」と、はっきり言いきるほど虚無的な思想を持った学生で、目的は分かりませんが、大学医学部の事務室でアルバイトに応募します。地下にある死体処理室の、アルコールで満たされた水槽に保存されている解剖用死体を新しい水槽に移し替える仕事でした。そのアルバイトには「女子学生」も応募していて、彼女は妊娠していて胎児を堕ろす手術費用を稼ぐために応募していたのでした。2人は、この死体処理室に30年間勤めている「管理人」の指示に従って、アルコールと遺体の異臭にまみれながら、アルバイトに従事します。

    「僕」はアルコール水槽の中に浮かんでいるたくさんの死体たちを見て、初めは、存在はしていても意識のない「物」あるいは単なる「物体」として考えていましたが、通常死体は火葬によって、「物」としても存在しなくなってしまうのに対して、アルコールの中に浮かぶ死体たちは、死んでも依然として、むしろ死を終わりではなく始まりとして、沈黙したままその存在感を残していることを強く感じ、生きていながらも希望もなく虚無的に毎日を過ごしている自分と、なんら変わらない存在であるように思われ、少しずつ気持ちを変化させているように感じられます。

    一方、「女子学生」は、自分のなかの胎児を葬ってしまうための手術費を稼ぐために、死体を処理するという作業の中で、足を滑らせて転倒し自身の身体の異常とともに流産の危機に瀕します。アルコールの水槽に浮かぶ死者たちの憤りとまではいいませんが、新たな命を葬るために死体の処理をするという行動への死者たちからの仕打ちかと、思わず考えてしまいました。

    「管理人」は30年間の実務経験で培われた技術を発揮しながら、何の感情もなく惰性的に淡々と作業を進めます。死体を「物」として扱い、何の意思も感情もなく存在しているという点では、死者と同じなのかもしれません。

    ところが、医学部教授会での正式な決定により、古い死体は全部火葬し、両方の水槽は清掃することになってしまい、「僕」たちの仕事は徒労に終わってしまうのでした。

    「僕」や「女子学生」が、その存在感によって気持ちを動かされた多くの死体が、火葬によりその存在すらも無に帰してしまうことになったわけですが、アルコールの水槽の中で存在し続けてきた死体たちが、無気力に惰性的に生きている自分たちと何も変わらないことに気づき、このままではいけないと考えあらためるところが、この作品のテーマであり、著者大江健三郎の当時の無気力な人間たちに対する訴えだったのだろうか、と思いました。


    そして「飼育」。

    戦時中のある夏、山奥の村に敵国アメリカ軍の爆撃機が墜落し、生き残った黒人兵が村人に捕らえられます。

    捕えられた黒人兵の扱いについて、村では町役場に問い合わせた結果、県の指示が来るまで、この物語の語り手である少年の家の地下倉で「飼う」ことになります。少年の父親の言葉をそのまま表現すると、「あいつらは獣同然だ」、だから「黒人兵を獣のように飼育する」ということになるのですが、現代社会では考えられない、当時の山奥の村に住む人々の感情が露骨に描かれていて、この考え方には不快感しか感じられませんでした。

    「飼育」という言葉の通り、村人は黒人兵を非人間的な扱いをしますが、村の子供たちとは次第に人間的な触れ合いを持つようになります。

    しかし、黒人兵の移送が決まると、身の危険を感じた黒人兵は、少年を人質にして地下倉に立て篭もります。少年を助けるため村人たちが黒人兵に襲いかかると、少年の父親は、黒人兵の頭上に鉈を振り下ろします。

    黒人兵は死に、少年は左手に深い傷を負いますが、この夏の出来事を通じて、少年は、仲が良くなったと思っていた黒人兵に裏切られたことに衝撃を受け、また危うく黒人兵とともに自分も殺されそうになった大人たちの対応に、もはや大人も信用でなくなります。「僕はもう子供ではない」という思いが強くなります。

    こんな山奥の村へはやって来ないと思っていた戦争が、突然この村にもやって来て、自分の左手に深い傷を負わせ、唐突な人の死に対しても慣れてしまったと、しみじみ少年が思うというこの小説の最後の描写は、前述の、敵国の黒人兵を「あいつらは獣同然だから、獣のように飼育する」とした村人の考え方と同じく、閉鎖的な山奥の小さな村をも容赦なく巻き込んでいく戦争の理不尽さを描いた作品であると思いました。

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    2026年03月13日
  • 個人的な体験

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    ネタバレ

    社会的役割と感情との乖離がある男が、その乖離と責任から、情欲と退廃に逃げる物語

    具体的には頭に腫瘍のある奇形児が生まれてしまい、それを妻に見せず義母と共犯で殺す合理的な役割と、妻の手前や仕事先や病院で与えられる感情的な父親としての役割とに板挟みされた主人公が、そのどちらの演技も必要とせず、理解と議論とカウンセリングと性の解消を与えてくれる母親のようなヒミコに傾倒していく。
    赤ん坊を確実に殺してヒミコとアフリカに駆け落ちしようとしたところで、主人公が昔裏切ったゲイの経営するバーに行くことになる。そこで突如、逃げ続けた結果どんな自分を守りたいのか?と自分に問いかけてみたところ、答えは出ず、ただ逃げるための逃避でしか無かったことに気づく。
    最終的に赤ん坊の手術を受けたら、脳ヘルニアではなく、ただの腫瘍だったというオチ。

    メタファーがすごく多く、主人公が極限状態で全てに対して疑心暗鬼になっている主観を追体験で来てたのしかった。これは大江健三郎の文体だから、"この主人公が'という訳ではないんだろうけど。
    特児室での看護師の権力と監視の試練、医者に無理な反論を続け"白便"という言葉を生み出した荒唐無稽なチビ男、義眼の医者、ヒミコの同級生である守護霊の狸のような女、3p僻のある少年に、ハゲ頭の産婦人科医、ドラゴンのジャケットを着たハイティーン。

    自分とバードを重ね合わせて、社会的役割から逃れたい気持ちに共感していたから、最後急に正気に戻られて裏切られたような気持ちになった。
    自分はきっと、ヘッセの荒野の狼でも感じたけれど、自分よりも頭が良く寛容でカウンセリングのような対話をしてくれる女性が好きなんだな

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    2026年03月11日
  • ヒロシマ・ノート

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    大江健三郎による、広島に関するエッセイ。
    原爆後の状況、悲惨さ、それを乗り越えていく人間の力などが書かれている。
    原爆投下による地獄であるなかで、それを乗り越えて生きてきた人の状況が克明に描かれている。
    何度も読むと、その度ごとに印象に残るフレーズがある。

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    2026年03月09日
  • 個人的な体験

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    人生でこれからも読み続けていくであろう一冊になりました。

    畢竟、人は自分のために生きるべきである。うん、きっとそうです。人生で遭遇する幸も不幸も、それに伴する個人的な選択は必ず良いものではあるとは言えない。しかーし!余生での幸を慮り、果てしなく永い時間思い悩んで出した選択であれば何もその先を思いやられる必要なんてない!お前の選択だ!エレンイェーガーも言ってました。お前が始めた物語だろってね。これはフランスの実存主義者の言葉ですか?



    しかーし!!
    バードよ!君は表現力が豊かすぎるあまりグヌヌ!!と言う気持ちにさせられましたよ!もうかなんわ!男はセクースをしたくなるとIQが著しく低下するとよく言いますが、あなたは睾丸でさえも人間の脳の倍以上の知能があるのではないですか!本当にグロいです!グロいグロいグロい!でも癖になります!これはピータンです。ピータン本です。

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    2026年02月24日
  • 死者の奢り・飼育

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    『飼育』大江健三郎の短編小説。芥川賞を取った作品です。この小説は文章、構成、筆致と流石の巧みぶり。
    23歳の天才。初期作品はみずみずしい。
     難点はセンテンスが長い。だが、このことで視点や焦点がぼやけないのが素晴らしい。他の作品にも挑戦してみたい。

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    2026年02月21日
  • 万延元年のフットボール

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    自己処罰の欲求は本質的に「罪悪感(恥)」に関わる。そこに多少の前後関係はあろうとも、一方は他方を必要とし、他方は一方なしには生きられない。その意味で、主人公が暴力的な子供たちの前に片目を失ったのは、後に来る「罪悪感(恥)」に対する自己処罰の前払いのような物であったと言えよう。
    自己処罰は欲求であり、手段である。原因は罪悪感(恥)にある。つまり、我々は罪悪感(恥)から逃れるために進んで自己処罰を欲求するのであり、それはさながら、亡者が永遠の地獄の業火に包まれ、金棒を手にした鬼に殴られながらも、そこに相互関係を見出し、鬼に親しみを覚え、業火に心地よさを感じるようなものである。

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    2026年02月15日