大江健三郎のレビュー一覧
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読み終わった後しばらく放心して、自然と一人一人の決断や行動の意味をずっと頭の中で考え直していました。読む人によって受け取り方が大きく変わる、そして考えさせる非常に奥深い作品でした。
一言で到底言い表せないけど、「破壊」と「再生」という言葉が私にはキーワードとして浮かびました。
登場人物の多くは、地獄とも呼べるような現実と葛藤しながら闘い、自らの意志で決断し、行動を取っています。そこには凄まじいほどの「覚悟」があり、読んでいて、鬼気迫るものが感じられました。
大江さんの文体の特徴として、さまざまな比喩表現やバリエーション豊富な形容詞を用いて文章を修飾しまくっています。そのため、一つ一つの文章 -
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ネタバレ最初に描かれるのは、犬の殺処分や大学病院での死体管理といった題材。そこで主人公は「死」と真正面から対峙するのではなく、ただそこにあるものとして淡々と受け止めているように感じた。生と死の境界が明確でありながら、強く拒絶もせず、平静さをもって描かれている点に独特な世界観を感じた。
続く作品では、日本人の共同体に現れる外国人兵士がいくつか取り上げられる。閉じられた共同体に異物が入り込み、風景が歪む。その異物に人々が慣れ、同化したかに見える瞬間があっても、再び異質さが露呈する構成となっており、その不気味さが際立っていた。
「空の怪物アグイー」がとても印象に残った。作曲家には、これまでの人生で失った -
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今の我々、若者にはこのフットボールの精神などはない。ましてや、一揆などという気概は殆どといっていいくらいない。それが良いか悪いかではなく、自分の内として経験ないことがこの評価たらしめる要因ではあった。(蜜にもないと思う人もいるが、蜜自体は一連の流れに身を任せていないだけで経験はしている。)
だからこそ、この一点につき、私はこの本を推薦したいと思うのだ。我々の内に秘めたる鷹のような心。社会的な後ろめたさ、挫折感、そう言ったマイナスな感情を幼い時分から持っている、同世代がこの本を読む。言葉に刺される。そして、動く。そしたら、令和幾年のフットボールとして、社会に発現する時が来るかもしれない。私はその -
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ネタバレ戦後80年企画で、ついにこの本を。毎年夏になると、戦争関連読書を行いたいと思って手に取るのだが、見ているNHKの番組と情報量が多く引きずられがちで、断念しがち、、なので、今回は読み通せて良かった。林京子作品も読みたいんだよなー
ヒロシマ・ノート、これは人類必読の書では?という感じで、今まで読んでこなかったのが恥ずかしいレベルだった。新書だし、多くの人に読んで欲しいと思う。
「広島的なるもの」と形容されるものは何か?それは色々な角度から定義されている。
…彼女たちにもまた、沈黙する権利がある。もしそれが可能なら、彼女たちには、広島についてすべてを忘れ去ってしまう権利がある。…ところが、たと -
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やっぱり大江健三郎はすごかった。
かつて大江氏は、自分にわからない世界について、そのギャップを埋めてまで小説を書こうとは思わないし、自分があえて書く必要性も感じないというようなことを言っていた。
本作に出てくる短編は、児童期が戦時中であった彼だからこそ書けた話であり、学生らしさを失っていない時代だからこその初々しさに溢れている。
それにしても天才にしか考えつかないようなシチュエーションが設定されている話ばかりである。
こんな設定、どうやって思いついたんだと舌を巻くような作品ばかりである。
一方でアメリカ兵を否定的に描写している場面も多く、アメリカ人は大江氏の作品をどのように読むのだろうと -
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本書の『ヒロシマノート』のヒロシマがカタカナなのは、原爆被災地広島を示すだけでなく、広島・長崎に投下された原爆による人類史上初めてであり、最悪の「人間的悲惨」を象徴する。また核兵器廃絶の意思である「ノーモア・ヒロシマ」を意味する。そして、大江健三郎は悲惨な体験をした広島の人々の生き方から励ましを受け、「まさに広島の人間らしい人々の生き方と思想に深い印象」を受けた。広島の人は、漢字となっている。そして、そこから「人間の尊厳」と言う言葉を紡ぎ出す。
1960年に広島を最初に訪問し、1963年から取材している。1963年は、大江健三郎が28歳の時だ。
1964年に『ヒロシマノート』を出版し、『 -
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本書は、大江健三郎の最後の作品である。2011年3月11日の東日本大震災及び原発事故の後に、76歳の大江健三郎が綴った日記に近い私小説である。
本作品は、大江健三郎の妹、妻、娘の3人からの手紙を起点とし、物語が構成されている。これらの手紙は、大江健三郎に対する非難の内容であった。大江健三郎の表現について、私小説であるがゆえに、家族からの反論と批判がなされている。大江の物語の編集方法が家族によって問い直されている。また、大江の妻が伊丹十三の妹であることを知るのは初めてのことであった。大江が愛媛の田舎から松山東高校に進学した際、同級生として伊丹十三が在籍していたというエピソードも印象的である