大江健三郎のレビュー一覧
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ある日突然貸してくれた本。初めて一緒に働いた日に、私が伊丹十三の話をすると彼は大江健三郎を私に教えてくれた。マニュアルの端に急いでメモをとり、マニュアルに書くのはあんまよくないかってそのあと自分のメモ帳に書き写した。今もそれを使ってる。少し朽ちている。
当時芥川賞を受賞したときの年齢が23歳。それぐらいの年齢の子たちと今暮らしてる。朝椅子に座って、夜ソファに転がって、同じ空気を吸いながら読んでた。海で読んだら気持ちいいだろうなって港へも連れて行った。読みたがっている女の子がいたけれど、彼女は借りずに帰った。
彼に読んだことを伝えると急に人が死ぬでしょって笑ってた。本を貸してくれたことをどれだけ -
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ネタバレ醜い脂肪を持った売春婦の情人のヒモをやっている兄とアンラッキーヤングメンという男根愛で戦争経験済みの朝鮮人と、血と争いに飢えた青年ふたりで形成されたバンドとで交互に進んでいく。
情人が精液を流すのに戸惑っている所から始まる、主人公はフランス文学部所属しており、フランス文学で受賞して温くて余生じみてる日本から脱出することを夢見ていた。が、情人は妊娠してしまい弟が殺人の嫌疑をかけられかけて気が狂ってしまったのと、大学の反フランスの同級生のアラブ人の友人に惚れ込んだ。情人と弟に関しては跳ね除けたのに
、アラブ人の友情(連携)を取ってしまった。
弟はアンラッキーヤングメンのみんなと天皇を見送ったら -
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ネタバレJリーグ観るのが好きなのでタイトルが気になって読んだ。この作品においてフットボールとは念仏踊りであり、念仏踊りは歴史の再現なのね。Jリーグは差別に対して毅然と対応してくれるから、こうした懸念を払ってくれる。ありがたい。それはさておき、読むのに体力が要るけど次々と怪人が出てくるから何とか読めた。めちゃめちゃ面白かったのでみんな読んでここに感想を流してほしい。
アンニュイな語り手である蜜が、弟が恥辱に塗れて死ぬまで正論で殴り続けるところが好きだった。英雄になりたい欲を潰すことにかけては自分で「悪意の迫撃砲」とか言うレベルで容赦がない。で、終盤に100年前の一揆について重要な思い違いが判明して、一揆 -
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ノーベル賞作家・大江健三郎の骨太な長編。安保闘争に敗北し「政治の時代」が終わりを迎えた鬱屈した時代感の中で、性や障害、記憶、歴史といった実存主義的なモチーフが次々に繰り出され、グロテスクで仄暗い小説世界が形成される。
全編を通じて飽きさせないが、中でも第1章が出色。一文が極端に長く、比喩も多用されており到底スラスラと読める代物ではない。「僕は、自分の内部の夜の森を見張る斥候をひとり傭ったのであり、そのようにして僕は、僕自身の内側を観察する訓練を、みずからに課したのである。」(P.9)といった具合に(これは主人公の失明した片目について触れた箇所である)、難解でありつつセンチメンタルな格調高さを -
購入済み
前から読んでみたかった大江健三郎さんの作品。初めてページ数を見た時には存外短いなと思いましたが、実際に読んでみたらページ数から想像する10倍は重たく、濃い内容の作品でした。面白い、などと形容していい作品ではないですが、出産や障害、仕事といったリアルな側と、憧れの外国の地や光の差さない愛人の部屋での逢瀬といった非現実な側の対比が美しく、長く心に残りそうな作品だと思いました。読んでよかったです。
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1950年代後半から1960年代にかけて、戦後の鬱屈とした社会が生々しく描かれている。
実存主義から構造主義に移行していくような、社会規範のあり方が大きく変わろうとしていた時代。
どの短編にも共通するのは、変わりゆく時代に敏感な(何かを期待されている)若者たちが主人公ということだ。
社会正義を押し付けられ、何者かにならなければならないような空気感に抑圧されている学生や、残酷で不寛容な社会で成長せざるを得ない子どもたち。
当時の人たちが外国人をどのように客観していたのか、令和に生きる私は、私たちの主観で、大江健三郎の文体によって、それを生々しく、悲しく体感させられた。 -
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大江健三郎は、芽むしり仔撃ち の頃のような若い時は、10代の自分には友達のささやきのようであった。それから、自分が20代のなって以降は大江健三郎は、遠くにいて会うことのないお父さんのようであった。わかる時もあればわからない時もあった。亡くなられたときは大きな光が静かに失われたようだったし、脱原発のことを考えている友人はとても落胆していた。
この新書のなかでは、毎日毎日うつむいて という文章が何気なく良かった。私はほとんど希望を失い毎日毎日うつむいているが、政府の対応がこれだけ反・市民的なのでは、次の大集会にもでかけるほかはない。と。この感じが私の好きな大江健三郎。
ミランクンデラが文学表現の最