あらすじ
広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
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アメリカが広島に落とした原爆はグロテスクに広島の人を変えた。肉体も精神も。身体がグロテスクに剥がれ落ちた人。一見普通に見えても、遺伝子や細胞、心に治らない傷がついた人。
原爆の被害者として生きることを宿命付けられた人たちの記録。
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戦後80年企画で、ついにこの本を。毎年夏になると、戦争関連読書を行いたいと思って手に取るのだが、見ているNHKの番組と情報量が多く引きずられがちで、断念しがち、、なので、今回は読み通せて良かった。林京子作品も読みたいんだよなー
ヒロシマ・ノート、これは人類必読の書では?という感じで、今まで読んでこなかったのが恥ずかしいレベルだった。新書だし、多くの人に読んで欲しいと思う。
「広島的なるもの」と形容されるものは何か?それは色々な角度から定義されている。
…彼女たちにもまた、沈黙する権利がある。もしそれが可能なら、彼女たちには、広島についてすべてを忘れ去ってしまう権利がある。…ところが、たとえば宮本定男氏は、自分の死を賭して、原水爆禁止運動に参加する患者だった。かれは意識的に広島をひきうけた。広島でおこなわれた人間の最悪の悲惨を、あえて思い出そうとし、文章に書くことで追体験し、たずねてくる外国人たちに、それをくりかえし語ったのだった、しかも微笑して。広島から逃れるかわりに、かれは広島をひきうけたのである。誰のために?自分の悲惨な死のあとにのこるべき、かれより他のすべての人間のために、われわれのために。…自分の悲惨な死への恐怖にうちかつためには、生きのこる者たちが、かれらの悲惨な死を克服するための手がかりに、自分の死そのものを役だてることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、あとにのこる生者の生命の一部分として生きのびることができる。…
広島で生きつづける人びとが、あの人間の悲惨の極みについて沈黙し、それを忘れ去るかわりに、それについて語り、研究し、記録しようとしていること、これは実に異常な努力による重い行為である。そのために、かれらが克服しなければならぬ、嫌悪感をはじめとするすべての感情の総量すら、広島の外部の人間はそれを十分におしはかることができない。広島を忘れ、広島について沈黙する唯一の権利をもつ人たちが、逆にあえてそれを語ろうとし、研究しようとし記録しようとしているのである。(p.108)
…広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間のイメージがうかびあがってくるように思われる。僕はこのようなイメージの人間こそを、正統的な人間という名で呼びたいのである。(p.147)
どのエピソードも実際に迫るものがあって、胸を突いたのだけれど、特に最後の方の白血病の青年が、体調が良くなったタイミングで病歴を隠し就職し(病歴を隠した医師に対して、「医師たちは小っぽけな欺瞞にびくびくする、無能な清潔派でなかっただけのことである」にすげえってなった)、婚約者を得たものの、その後亡くなり、婚約者の二十歳の女性が病院にお礼を言いにきた翌日自殺したというエピソード。ちょっとトリイゾを思い出してしまった。
…自己犠牲などという意味合いはいささかもない、決定的な愛の激しさにおいて。そしてこの激越な愛とは、そのまま逆に、われわれ生きのこっている者たちとわれわれの政治に対する凄じい憎悪に置き換えられることもあり得た感情である。…
そして青年にはついに死の時がおとずれ、娘は穏やかに覚悟の死を選んだのであろう。娘は、婚約者の死に出会って、悲嘆のあまりに死を決意したのでもなければ、絶望し、死よりほかに選びようのない場所に追いつめられて自殺したのでもないだろう。彼女はおそらく、白血病の青年を愛しはじめたときから、間近の確実な死を眼のまえに見すえていたはずである。娘は青年の運命に参加し、自分自身をそこにまきこんだのであったが、それはこのようにもっとも徹底的なひとつの運命の選択であったのであろう。(p.154-6)
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本書の『ヒロシマノート』のヒロシマがカタカナなのは、原爆被災地広島を示すだけでなく、広島・長崎に投下された原爆による人類史上初めてであり、最悪の「人間的悲惨」を象徴する。また核兵器廃絶の意思である「ノーモア・ヒロシマ」を意味する。そして、大江健三郎は悲惨な体験をした広島の人々の生き方から励ましを受け、「まさに広島の人間らしい人々の生き方と思想に深い印象」を受けた。広島の人は、漢字となっている。そして、そこから「人間の尊厳」と言う言葉を紡ぎ出す。
1960年に広島を最初に訪問し、1963年から取材している。1963年は、大江健三郎が28歳の時だ。
1964年に『ヒロシマノート』を出版し、『個人的体験』を出版している。60年前のことだ。ヒロシマに真正面に向き合う姿勢が真摯でもある。
『ヒロシマノート』の冒頭で、大江健三郎は「このような本を個人的な話から書き始めるのは妥当ではないかもしれない。僕については自分の最初の子が瀕死の状態でガラス箱に横たわったまま、回復のみこみは全くない始末だった」と言う。そして、若い妻が、原爆の被害を受けても、子供を授かり、異常児を産むのではないかという不安があっても産む決意の人を眩しく見るのだった。
原爆の投下された日に広島で生まれた子が、東京オリンピックの聖火ランナーとなり、健康に走り抜けたことを喜んでいる。被爆したからといって、諦めない姿勢、そのことについて全く語らない「黙る権利」を行使して、黙々と生活を送る姿に、共感している。ヒロシマの中で、広島で生きているのことが、重要なのだ。
「尊厳、威厳、屈辱、恥」という言葉が大江健三郎にとって重要な言葉となっている。
核実験再開に対して、あるひとりの抵抗的な怒れる老人は、抗議する割腹をしようとしたが、体力がなく失敗し、抗議書も無視されて、「とうとう生き恥をさらしてしまった」と語る。敗北感に苛まされていたにもかかわらず、確実に人間的尊厳があると大江健三郎は思う。原爆被害を受けながら、原爆被害者の治療をする医師の姿に尊厳を見る。
原爆症が発症して働くこともできず10円がなくて電話がかけられなかったという極貧の孫の若者のお爺さんが、そのあまりにも貧しいことに、浅ましい理由、全く金がないという状況を嘆く姿の中にも尊厳を見るのだ。恥があるから、尊厳も輝くのだ。ヒロシマが生み出した、広島の人々の健気さ、尊厳に注目するのだった。「人間的な力への信頼」が、一筋の希望を見出していく。
広島の原爆は、20世紀の最悪の悲惨だった。そして広島の人々は、ただちに彼らの人間世界を復活させるべく働き始めた。広島の人々は自分たち自身を救済すべくこころみ、彼らに原爆をもたらした人々の魂をも救助した。さまざまな国家による核兵器の所有というガンに侵されている20世紀の地球の時代においては、広島の人々が救助した魂とは、すなわちわれわれ今日の人間の魂のすべてであると大江健三郎はいう。
彼女の動かぬひとみは 無表情だったが、
しかし、そこには何か悲しみ、
苦しみが、名づけようない、ひどく恐ろしいものがあった。
人間として、個人的に、その書斎の中で、自分自身と人類の運命について、考えようとすれば、彼はつねに、20年前、現実に原爆を体験した人々について、思いださざるをえないはずです。そして彼の個人的な志が、そのまま被爆者たちの志につながるような方法はないものかと考えることだ。
そういえば、50年以上前の学生の時に、広島の原水禁の集会に参加して、そして原爆記念館を見た時の衝撃を今更ながら、思い出したのだった。私の中にも、ヒロシマは、あった。思いをつなぐことの大切さを知った。
フクシマの地震、津波による電源喪失による原発のメルトダウンによってもたらされた被害は、人為的な問題が多く、それに向き合い方を、この本から学べた。この災難によって、故郷を奪われ避難するという事態が、家族の崩壊と共同体の人間の魂に大きな打撃を与えた。また森林は壊されたままだ。100年近い被害のありようにも向き合っていく必要があると思った。
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自身の被った悲惨さについて、沈黙し、忘れる努力をすることの唯一の権利を持つ被爆者が、その経験をこそ生きる目的へと昇華させることを選択する。そこに、人間の威厳を見る。
目も当てられないような人間の歴史について、想像することを怠らないことが、平和のさわりだと思う。なぜそれがこんなにも難しいのか
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戦後78年の2023年に読破。
これを読むまでは、抑止力のための核保有の考え方に賛同派でした。
しかし、これを読んで改めて感じたことは、抑止力といいながら、明らかに使用することが前提の核保有説であるということでした。
戦争を知らない世代の私は、はっきり言って原子力爆弾の惨さ、人間がもたらした醜悪さ、悲惨さの極みといったものを知らない、全く無知な人間でした。
ナチスのホロコーストは、歴史に語り継がれ、人々が忘れないように何度も映画化やメディアでとりあげられるのに、なぜ、広島長崎の原爆を克明に記した書籍や映画はメディアで取り上げられず(ときには残酷だといわれR指定もされるけれど、それこそ馬鹿げた話だ)、学校でもその意味を考えさせるよう、如実に教えないのか。
アメリカの圧力を感じずにはいられません。
私たちは、原爆を落とされてもアメリカを憎むことなく、ましてや敗戦して良かったのだ、原爆は落とされなければ、日本はもっと悲惨な道に突き進んでいたのだ、などと、どうしてそんな考えでいられたのか。戦争に負けても、アメリカを憎まない日本人の国民性に誇りまで感じていた、私はまったく無知で恥知らずな人間でした。
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この本自体は60年代半ば、戦後20年が過ぎようかという頃に書かれたもの。戦争の記憶も今より遥かに鮮明で、冷戦や日米安保、学生運動の只中を生きた人々のエネルギッシュさにまずは驚かされた。
その一方で、戦後20年にして既に戦争の記憶の継承が問題となっていたこと。特に広島で被曝した人々は、最初の数年を幸運に生き延びたとしても、いつ原爆症を発症するかは分からずにいた。それでも、ある日唐突に自分の命の終わりを告げられる恐怖におびえながら「悲惨な死にいたる闘い」を続けた人々の途切れない営みによって、現在の我々は、あの時に広島で何が起こったかを知ることができる。
戦後77年を迎え、戦争を知る世代からの直接の継承が、本当の意味で限界を迎える日はそう遠くないだろう。
だからこそ、戦争の悲惨、核の惨禍を繰り返さないことばかりを願いながら死んでいった先人たちの存在について、これまでのどの時代よりも真摯に知ろうとする必要があるのだと思う。
そして、灰谷健次郎の『太陽の子』にも共通するが、この本を読んで強く感じたのは「心の傷」こそが最も寄り添われづらく、寄り添うことに努力を要するということだった。
戦争体験だけに限りらないが、身体に残る傷は目に見えて、(こういう言い方はしたくないが)周りの人がそれに気づき、寄り添うことにそれほどの困難はない。
しかしこの本や『太陽の子』にあるように、健康体で、見た目にはまったく他の人と変わりない人間が、ある日突然に自ら命を絶つことがある。拭い去れぬ戦争の記憶、いつ自身の身体に原爆症の症状が現れてもおかしくない不安。これらの恐怖は一人の人間の生きる希望を奪うのに十分で、それでいて他人の目には映らない。もしそれを知っても、権力そして世の多くの人は寄り添おうとせず、反対に心無い批判の声を浴びせる。
いわゆる自己責任論、その人の心が弱いだけ、同じ状況から立ち直った人を知っている、などなど。正直に言って、そういった意見の全てを否定することはできない。自分にはない経験による、目に見えない心の傷である以上、自然にその痛みに寄り添える人の方がむしろ限られた才能の持ち主だとさえ思う。
しかし、自然には寄り添えない他人の内面に対してなんとか寄り添おうと努力をすること、これはどんな人にでも可能なはずだ。それすらもせずに無関心を決め込み、勝手な誹謗中傷をしてしまえる鈍感な人間にはなりたくない。たとえ結論としてその人の傷に寄り添うことができなくとも、寄り添うための努力は惜しまない人間でありたい。
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「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」
広島の原爆を、当時の戦争を、少しくらい知っていないと読み進めるのには苦労するかもしれない。
ただ、それでも多くの方に読んで欲しい。そんな本です。
ウクライナとロシアの戦争の真っ最中。
核戦争の危険性が、ほんの2ヶ月前までは薄れていた、嘘でも今より平和な空気感で満たされていた時代から一変した、そんな「核の今」だからこそ。
読んでおくべき一冊。
戦争直後。占領下の時代、原爆の悲惨さを書いた書籍の出版が、米国より発刊禁止になる。
理由は、「反米的思想である」、その一点。
ただただ惨劇を伝えようとした。
事実のみを淡々と。
今のウクライナとロシアの報道を見ていても、色々と感じてしまう。
そこに真実はあるのか? いや欺瞞が紛れてないか?
そこに事実はあるのか? いや疑念を入れてないか?
思想や理念を越えたところで、物事を取り込める冷静さや柔軟さは、自己として持っていたい。
そんな今日この頃。ですね。
「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」
この言葉が、読後に一番頭に残った本日です。
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記憶に残るいい作品。うまれる前に書かれたものだが、いまなお、考えさせられる問題を取り扱っている。著者の憤りと、広島人の沈黙と、広島人の真の感情を無視した一般人の感覚などが、うまく浮きぼりになっていて感動的ですらある。ヒロシマを訪れた時、なにか、悲劇の場所とは思えない、むしろ沈黙と、諦めのようなものを感じたが、その理由が、多少なりともつかめたかも知れない。現在の広島は沈黙に風化が付加された形で、少しづつ色褪せていっているのかも知れない。
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一時期,文学よりも評論で名前を博した大江健三郎。
その代表作がヒロシマノート。
あまりに印象が強く,大江健三郎の文学には、ノーベル文学賞をもらうだけの作品があるのだろうが影が薄れてしまっているかも。
広島で開催する原爆反対の運動の分裂。
政治的背景よりも、当事者を叙述することによって何かを伝えようとする。
今,福島について語る時なのだろう。
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64年
あの夏の日からの、永い永い時間
ヒロシマを生き延び続けている
「日本人」の名に於いて、
否定的シンボルであるあの日の原爆を、私たちは
世界へ発信することが出来ているだろうか
あの夏の日から
すぐさま活動を開始した医師たちの努力が
原爆そのものの悪の重みに匹敵する為
広島を忘れることも、無知でいることも
私たちには許されないはすだ
最悪の状況に立ち向かい
草の根の活動を続ける人々の存在を
決して見過してはならない
この本が書かれてからもう何十年も経つが
内容は全く色褪せることなく、
戦争を知らない世代にあの日の惨劇を伝えている
これからも読み繋げられるべき本だと思う
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「ピカは人が落さにゃ落ちてこん」
1945年に世界で初めて広島と長崎に原子爆弾が投下されて20年後、1965年に本著は出版されました。
原水爆禁止世界大会や被爆者への取材から、克明に描かれた当時の様子。
それは決して、学校の授業では学べないような凄惨な内容でした。
本著を読みながら、今は亡き祖父のことを思い出しました。
生前の祖父は新聞の『読者の声』の欄に、戦争を反対する旨の内容を投稿し掲載されていました。
その当時は僕もまだまだ子供で、『じいちゃん、また戦争の話してるなー』くらいにしか思っていませんでしたが、今になって思うと色々と聞いてみたかったなぁと思うようになりました。
それだけ大人になったということですかね。
今年、終戦から79年が経ちました。
いまだに世界中では戦争が続いている地域があります。
どうか、この憎しみを憎しみで洗い流すような、人類の負の遺産に終わりが来ますように。
そして、どうか原子爆弾という人類最悪の悪手に対して、抑止力なんていう程のいい言葉に踊らされる国がなくなりますように。
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広島の悲劇は過去のものではない。
一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。
著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。
平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
Posted by ブクログ
大江健三郎氏の訃報を受け、ずっと積読となっていたこちらを。
終戦後何年も広島の原爆被災者から、その苦悩や悲惨さは語られなかった。ずっと存在していた被爆者に対する差別。誤った原爆症に関する情報。。。
忘れてはならない事、持ち続けなければならない信念がある。
大江氏のご冥福をお祈りします。
Posted by ブクログ
1963年から65年にかけて、広島を訪れた著者が、いまもなおのこる原爆の後遺症にさいなまれながらも静かに今を生きている人びとの姿をえがいたノンフィクション作品です。
すこし気になったのは、「偶然にひとつの都市をおとずれた旅行者が、そこで困難な事件にまきこまれ、それをひきうけて解決すべくつとめる、というのは、ポピュラーな小説家が、たびたび採用してきた公式だった」という、蓮實重彦の問題提起を思わせるような文が記されていることです。本書には、政治的に対立する陣営の喧騒から距離を置くことで、文学を生業とする著者自身の観点から広島の真実にアプローチをおこなっているのですが、上の問題はそうした著者の態度そのものに反照してくることを避けられません。
おそらくこうした問題を踏まえてのことと思われますが、本書の冒頭に置かれた「プロローグ 広島へ……」という文章のなかで、「広島について沈黙する唯一の権利をもつ人々について書いた」著者の文章に共感を送る被爆者のことばを引きつつ、「僕はそれにはげまされながらも、同時に広島の外部の人間である自分の文章全体に、もっとも鋭い批判のムチが加えられたことにも気づかざるを得ない」と述べています。同時に、こうした批判を浴びるような立場にみずからが立っていることを引き受けながら、なおも広島について語ろうとする著者の強い意志をも感じ取ることができます。
Posted by ブクログ
後にノーベル文学賞を受賞(1994年)した大江健三郎が、1963~1965年に雑誌「世界」で発表したエッセイをまとめたものである。
大江氏は、その期間に繰り返し広島を訪れ、多くの、20年を経てもある日突如として死の宣告を受ける被爆者たち、そうした被爆者に対して献身的に治療に当たる医師たちと話をし、戦争の悲惨さと人間の威厳を訴えるメッセージとして本作品を著している。
私にとって強く印象に残ったのは、“人間の威厳”として、「広島で生きつづける人びとが、あの人間の悲惨の極みについて沈黙し、それを忘れ去るかわりに、それについて語り、研究し、記録しようとしていること、これはじつに異常な努力による重い行為である。そのために、かれらが克服しなければならぬ、嫌悪感をはじめとするすべての感情の総量すら、広島の外部の人間はそれを十分におしはかることはできない。広島を忘れ、広島について沈黙する唯一の権利をもつ人たちが、逆にあえてそれを語ろうとし、研究しようとし記録しようとしているのである」と語っている部分である。
2015年のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチも、『チェルノブイリの祈り』の中で、被災者が原発事故について話すようになり、自らがそれを消化し、作品にするまでに10年を要したと語っているが、人間はあまりに悲惨な体験をすると、本能的にそれを忘れようとするものだが、それを乗り越えることにより、“人間の尊厳”が維持されるものなのであろう。
原爆の、直接的な被害に留まらない悲惨さと、そこから我々が何を学び取らなければいけないのかを、現在にも伝える作品である。
丸木位里/丸木俊夫妻による画集『ピカドン』から取られた挿絵も衝撃的なものである。
(2005年5月了)
Posted by ブクログ
最初の2章くらいが面白くなくて、“これがそんなに話題作か~”って感じで匙を投げかけたけど、そこでぐっとこらえて読み進めると、後半になるにつれてより入れ込める感じになってきた。原爆のことを考える機会も久しぶりに持てた気がするし、そういう意味でも意義深い時間を過ごせました。
Posted by ブクログ
この本を理解するのはちょっと難解です。
ですが、私たちがいかに原爆という出来事を
知らなかったか、ということを理解できるでしょう。
どうしてもあのようなものが落ちて来ると
根こそぎ、という印象を抱きますが
そうではなく、それでも体に爆弾を抱えつつも
生きていた人がいたこと…
そう思うとアメリカの言いなりとなった
日本がふがいなく感じます。
さらに言えばこんな絶望的な出来事に
見舞われたのにまたも私たちは
過ちを犯してしまいましたし。
もう繰り返してはいけません。
絶対に、絶対に!!
Posted by ブクログ
プロローグで、広島の人が「ヒロシマ」でひとくくりにされることの苦痛の吐露、そして、沈黙する権利がある、とのくだりを常に、心の片隅に置きながら読むべき本だろう。それを意識しないと、大江氏の感情の起伏の激しさに呑まれてしまうからだ。はっきり言って冷静さを欠いていると思う。
しかし、大江氏の優れているのは、たしかな耳と眼をもっていることである。大江氏の洞察は決して深くはない。しかし、事実を探り当て、拾い出し、ありままに記述する、たしかな耳と眼があることは信じられる。
今の時代の若い人には、歴史的、政治的な背景が分からないために、著者の悔しさは伝わりにくいかもしれない。けれども、原水爆禁止運動がたどっている悲劇的な状態を理解するためにも、分からない言葉や団体は、丁寧に調べながら、読むことをオススメする。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
広島の悲劇は過去のものではない。
一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。
著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。
平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。
[ 目次 ]
プロローグ 広島へ
1 広島への最初の旅
2 広島再訪
3 モラリストの広島
4 人間の威厳について
5 屈伏しない人々
6 ひとりの正統的な人間
7 広島へのさまざまな旅
エピローグ 広島から
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
今はもう、戦後ではなくて戦前なのだという話を聞いた。
そういう世界で読む1965年の大江さんの静謐に満ちた、けれどとても力強い文章が隅々まで行き渡る。
『われわれがこの世界の終焉の光景への正当な想像力をもつ時、金井論説委員のいわゆる《被爆者の同士》たることは、すでに任意の選択ではない。われわれには《被爆者の同士》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。』
何も出来ないと思う前に、一冊本を読むことはできる。