Posted by ブクログ
2018年07月28日
大江健三郎(1935-)の初期短篇。人間の孤独や政治の欺瞞の在りようが、読み手の五官の神経(特に触覚と嗅覚)や臓器感覚に訴えかけてくるような独特な表現を通して、描かれている。
□「死者の奢り」
死んでしまった《物》と生きている《人間》と、その二者に間にはどれくらいの距離があるのか。死体を前にして...続きを読む、青年は観念的に、妊娠している女子学生は胎児を下腹に感じながら、死体処理歴30年の管理人は自分の子や孫を想像しつつ、それぞれが死と生との距離を測ろうとしているように見える。《人間》はいずれはみな死んでしまうのだから、《物》との距離は然程遠くはないのか。しかし、意識を備えている《他者》は、《物》とは異なり、別の意識の持ち主である《私》が発する眼差しや思惑を撥ねつけ調和を拒もうとする。生は希望のない徒労のようなものなのか。冒頭の死体処理室の描写が妙に美しく感じられ、アニメーションで観てみたいという気持ちになった。
「あれは生きている人間だ。そして生きている人間、意識を供えている人間は躰の周りに厚い粘液質の膜を持ってい、僕を拒む、と僕は考えた」
□「他人の足」
物語の冒頭、脊椎カリエス療養所は、少年たちにとってまるで母の子宮であり、彼らはその羊水のなかを揺蕩っているような、生活への不安も「健常」への強迫観念もない、無時間的で、重ぼったく惚けたような安逸に包まれた、或る種のユートピアのように描かれる。「僕らには外部がなかったのだといっていい」。しかし、如何なる自閉的な《内部》に退却してみようとも、《政治》から逃れることはできない。《他者》としての学生が闖入して以来、「凡てが少しずつ、しかし執拗に変り始め、外部が頭をもたげたのだ」。そこには《政治》にまつわる欺瞞もあれば、正義の名のもとの全体主義化だって起こり得るだろう。我々はどこにいても《政治》に対して無垢では在り得ない。この意味では、我々には《政治の外部》はない。
世界とは、あらゆる《外部》性の閉包であり、それ故にもはや《外部》の余地が残されていないもの、と云えるのではないか。
「この男は外部から来たんだ、粘液質の厚い壁の外部から、と僕は思った。そして、躰の周りには外部の空気をしっかり纏いつかせている」
□「飼育」
読んでいてぎょっとさせられるほど残酷な物語であるが、詩的に美しく昇華されているようでもある。事件を通して少年はもはや子どもではなくなるが、そこで彼が喪失したものを思うと、そしてその喪失を通して果たされることとなった成長ということの彼にとっての意味を思うと、哀しくなる。前二作に比べて、一文の中に比喩が多くなったりまた長い修飾節が挿入されたりと、意識的に凝ったであろう文体が読みづらく感じられた。
「僕はもう子供ではない、という考えが啓示のように僕をみたした。兎口との血まみれの戦、月夜の小鳥狩り、橇遊び、山犬の仔、それらすべては子供のためのものなのだ。僕はその種の、世界との結びつき方とは無縁になってしまっている」
□「人間の羊」
読んでいて苦々しい気持ちにさせられる。腕力を振るう物理的な暴力も特定価値を押し付ける政治的な暴力も、どちらも他者の人格を無視したところで可能となるものであり、エゴイズムそのものであることには変わらない。体験から被る衝撃は、ときに人から言葉を奪う。自己を無化する暴力的な世界を自分の理性で解釈し(再)構築することを、億劫がり拒否してしまう。当の屈辱が自分の言語によって何かしら言い訳がましく別物にすり替えられるような仕方で再現されてしまうことは、それ自体が再度の屈辱となってしまうから。
「啞、不意の啞に僕ら《羊たち》はなってしまっていたのだ」
□「不意の唖」「戦いの今日」
「飼育」「人間の羊」もそうだが、当時の大江は、あるいは敗戦から間もない当時の日本人は、米兵に対してどのような感情を抱いていたのだろうか、と思わされた。根底にあるのは、敗戦国の劣等感だろうか、恐怖心だろうか。それとも作中の米兵とは、別の何かの象徴だろうか。ただこうしたどぎつい物語の中に、作者の屈折した拘泥のようなものが顕れてしまっているのは、確かだろうと思う。