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Posted by ブクログ
「あいまいな日本の私」ということについては、そのタイトルのノーベル賞受賞講演よりも、「回路を閉じた日本人でなく」の方がその意図するところについて詳しい。1992年から、1994年末の表題作までの講演から採られたものだが、憂もありながら、どれもユーモアに溢れ、分かりやすく、面白い。後書にあるように、テーマや引用は重複する部分も多いが、これに限らず小説や評論で度々引用されてきたものなので、大江読者なら馴染み深い話題だばかりだ。しかし、ノーベル賞受賞の4日後にされた「世界文学は日本文学たりうるか?」には爆笑。受賞直後の興奮も勿論あったのだろうが、これも後書にあるようにこの時期書き進めていた「燃え上がる緑の木」を以て小説家としての締めくくりをしようと本気で考えていた、一定の達成感もあったのではないか。ところが我々は知っているようにこの作家がそう簡単に筆を置くわけはないのであった、という意味でも割と気楽に読める良い講演集。
Posted by ブクログ
おじいちゃんの書斎からくすねてきた。私がずっと聴いてきた國光の音楽と、おじいちゃんが色んな本を読んで考えてきたことが繋がるような気持ちになった。
私が初めて天皇陛下を見た時に思ったのは、空虚だ、ということだった。日本というのは曖昧な抽象物であり、実は天皇にも象徴されるように中心が空っぽなのだろう。そしてそこから生じる曖昧さとうちに閉じてしまう感じ。
また、周縁たる田舎。そこで心的感覚麻痺に落ち込み、乗り越え、再生する。これはそのまま再生の風景ではないか。
あいまいと言うことが何かはっきりと語られない(かろうじて両義性?)ものの大きな示唆のある一冊だった。
Posted by ブクログ
今期,大学の非常勤でテッサ・モーリス=スズキの『日本を再発明する』を教科書として使っている。今回はとてもいい選択だったと思う。とても授業がやりやすいし,学生の反応もまずまず。もちろん,理解が浅い部分もあるが,そのくらいの難しさを兼ね備えているところも理想的。
ということで,レポートのテーマとして「日本論・日本人論・日本文化論を読む」という課題を設定した。この件については,西川長夫『地球時代の民族=文化理論』を読んだ時にも,主要な日本論については読んでおかなくてはと思ったが,今回そのいくつかをレポートの課題図書として設定することで自らも読むことにした。
まず,読み始めたのがこちら。ノーベル文学賞を受賞したときの公演が書名となっているように,1994年の受賞前後の公演の内容を収録したもの。岩波新書の一冊です。
あいまいな日本の私(1994年12月,ストックホルム・ノーベル賞授賞式)
癒される者(1994年10月,東京・国際医療フォーラム)
新しい光の音楽と深まりについて(1994年10月,東京・サントリーホール)
「家族のきずな」の両義性(1994年11月,東京・上智大学)
井伏さんの祈りとリアリズム(1994年11月,広島)
日米の新しい文化関係のために(1992年5月,シカゴ大学)
北欧で日本文化を語る(1992年10月,北欧諸国)
回路を閉じた日本人ではなく(1993年5月,ニューヨーク)
世界文学は日本文学たりうるか?(1994年10月,京都・国際日本文化研究センター)
こうして目次を見ると,公演がかなり多いことに驚きます。ノーベル賞を受賞するくらいの作家になると公演も主な収入源になるんですかね。大江健三郎の作品はきちんと読んだことがない。以前,母の家に泊まった時に,暇を持て余して書棚にあった日本文学全集の大江の巻をちょっと読んだが,非常に驚いて,今度改めて読もうと思った以来,岩波現代選書の『小説の方法』は読んだが,小説作品には手を出せていない。しかも,『小説の方法』を読んで,彼がミラン・クンデラやバフチンを読んでいることを知って,やはりノーベル賞を受賞するくらいだから,日本の小説家としては珍しく批評もしっかりしている人だという認識は持っていた。
目次からも分かるが,講演先でその場にあったテーマを選んで素晴らしい話をしている。しかし,ノーベル賞受賞が決まってからはあまりにも頻繁に公演があったので,やはり内容が重複しているのは仕方がない。また,彼には障害を持つ息子さんがいて,そのこと自体を作品に書いているということは知っていたが,その息子さんが音楽家としてCDも出しているという話は初めて知って,しかもその話をいろんなところでしているということだ。
まあともかく,大江健三郎という作家は国内外にさまざまな目を向けている世界的視野に立った人であるということが再認識できる一冊です。一度きちんと彼の作品を読まなくてはと思いました。
Posted by ブクログ
四国の山奥に生まれた大江健三郎
彼は少年時代、海外の児童文学にふれて広い世界に憧れ
やがて小説家になるのだが
初期の作風は、実存主義的なものであった
それは一口に言えば、外に目を向けようとする自分に対して
抑圧をかけてくる社会への反発であり
そういう社会を象徴する存在として、天皇を仮想敵とするものだった
しかし1964年の「個人的な体験」以降、作風は大きく変化する
きっかけは、脳に障害を持って生まれてきた息子だった
息子の存在は、世界に跳ぼうとする大江にとって
言ってしまえば足枷だったが
そんな息子との向き合いを書いた「個人的な体験」は
国際的な評価を得て
結果的に、大江を飛躍させた
そういったことから、大江は自らの息子を
天皇に対置される存在…トリックスターと定義するようになった
だから、ノーベル賞を受賞した際のスピーチでも
息子・大江光のことは大きく取り上げている
天皇を嫌う自分が、ある意味では天皇主義者と同じく
息子に依存している様は
確かに「あいまいな日本の私」と称するにふさわしいだろう
父親から自立する道のない息子は
ひょっとすると悲しい存在かもしれないが
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