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作家自身を思わせる主人公の長江古義人は、3.11後の動揺が続くなか「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」と題する文章を書きだす。妻、娘、妹の「三人の女たち」からの反論。未曾有の社会的危機と自らの老いへの苦悩。少なくなる時間のなかで次世代に送る謎めいた詩。震災後の厳しい現実から希望を見出す、著者最新にして「最後の小説」。
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Posted by ブクログ
本書は、大江健三郎の最後の作品である。2011年3月11日の東日本大震災及び原発事故の後に、76歳の大江健三郎が綴った日記に近い私小説である。 本作品は、大江健三郎の妹、妻、娘の3人からの手紙を起点とし、物語が構成されている。これらの手紙は、大江健三郎に対する非難の内容であった。大江健三郎の表...続きを読む現について、私小説であるがゆえに、家族からの反論と批判がなされている。大江の物語の編集方法が家族によって問い直されている。また、大江の妻が伊丹十三の妹であることを知るのは初めてのことであった。大江が愛媛の田舎から松山東高校に進学した際、同級生として伊丹十三が在籍していたというエピソードも印象的である。 しかし、本書の76歳の大江健三郎は精神的にも老い、弱っている印象を受けた。「晩年」というテーマについての書こうとする意思がなんとも言えない。死の直前の年が「晩年」とされることに関しては、ガンなどによる余命宣告があれば納得もできるが、本来自ら「晩年」を自覚することは死ぬ時がわからないので、難しいものである。結局、大江健三郎は2023年3月3日に88歳で亡くなることとなり、本書の執筆時期から12年後のことだった。 また、大江健三郎と同年生まれの文学評論家エドワード・サイード(2003年没、67歳)は、『On Late Style:晩年のスタイル』という書を執筆した。それをもじって『In Late Style:晩年様式集』と名付けられた。サイードはオリエンタリズムを論じ、西洋の視点で東洋を見つめることを批判し、大江健三郎を高く評価していた。 本書の長江古義人(大江健三郎)は、東日本大震災と原発事故によって深い精神的ダメージを受ける。本棚が倒れ、片付ける気力も失い、原発の事故によってさらなる衝撃を受ける。自宅の階段の踊り場で「ウーウー」と声を出し泣く姿を息子のアカリ(光)が目にしていた。アカリは「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ、夢だから、夢を見ているんですから、なんにも、ぜんぜん、恐くありません、夢ですから」と呼びかけた。しかし、書き進めていた長編小説の執筆意欲を失い、放棄することとなる。 長江が「ウーウー」と声を出して泣いたのは、原発事故による放射能汚染の深刻さを痛感し、未来への絶望と悲しみに圧倒されたためであった。福島原発から放出された放射性物質による汚染の現状を追うテレビ特集を深夜まで見て、その事態の深刻さに打ちのめされたのである。 そして彼は、「この放射性物質に汚染された地面を、少なくとも私が生きている間は、元に戻すことはできない。それをわれわれ同時代の人間はやってしまった。われわれの生きている間に恢復させることはできない。この思いに圧倒されて、私は衰えた泣き声をあげていた」と語った。 大江健三郎は、これまでも核問題や原発の危険性について発言しており、東日本大震災後の原発事故は彼にとって大きな衝撃だった。「私らの『未来の扉』は閉ざされたのだ。そして自分らの知識は、悉く死んでしまったのだ」と述べている。また、ダンテを引用し、「未来の扉が閉ざされるや否や、われわれの知識は、悉く死物と成り果ててしまうことが理解できるだろう」と語った。 カタストロフィー委員会のギー・ジュニアは、「3・11後の破局的な危機に直接な関心を示しながら、この国に生きている。その危機に関して自分なりの活動をし、表現することもできる。そのあなた(長江)が絶望的なほどの危機感を表明している。次の原発事故が起きれば、もうあなたは未来を語ることができない」と警告した。また、大江健三郎は同様の原発事故を恐れており、再稼働による新たな事故の危惧を抱いていた。 本作品の中では、「カタストロフィーの時代」という言葉が登場する。この言葉は、大きな破局や災害、さらには悲劇的な転換を指すものであり、人間の存在や社会の変化に対する深い問いかけや、個人の内面的な葛藤を描く文脈で使用される。大江健三郎が直面する状況や内面的な危機は明らかにされている。ヒロシマ、ナガサキにおいて、原爆の被害を受け、その上原発事故の放射能汚染が襲った。核時代の想像力で、対処できない事態が生まれたのだ。 大江健三郎の生まれ故郷である「森の中の谷間の村」で起こった事件のギー兄さんの死の謎も描かれ、自殺なのか殺されたのかが問い直される。また、『同時代ゲーム』、『M /Tと森のフシギの物語』、『懐かしい年への手紙』、『燃えあがる緑の木』などに反映されている。さらに、塙良吾(伊丹十三)の自殺は本当に自殺だったのか、『取り替え子(チェンジリング)』に反映する。 三人の女性たちからの大江健三郎への反論を受け止める彼は、そのことを通じて女性たちの抑圧された静かな生活から、自由に向かう動的な生活へと発展していく。閉ざされた扉は、開かれることとなる。 「私は生き直すことができない。しかし、私らは生き直すことができる」という言葉で、『晩年様式集』は締めくくられる。 読みながら、私もまた、晩年ライフスタイルに移行しているのだ。
大江健三郎さんが亡くなり、彼の本を一生懸命読んできた俺として、この時だから何か読みたいと思って読んだ。 大江健三郎さんを読んだのは久々だったけど、よく感じてた読みづらさ、わかりにくさは俺にとって相変わらず、章(節?)ごとに二回読みながら、没頭(?)できた。 最後は詩で終わる 詩が出てくるとわからない...続きを読むからいつも飛ばしてしまうけど、今回は彼がいなくなったという脳の認識が感情を動かしたのか、詩がとても良かった
大江の後期をいくつか読んできて、一番面白かった。変なエロとか暴力(殺人)がないのがいい。『水死』も最後にどちらも唐突に出てくるし。とはいうものの、そこはかとない"不穏"は一番かも。いままで作中で声を上げられなかった、書かれた女性陣からの反撃や若い世代との考え方の違い。違和のあるま...続きを読むまにヘンにまとめようとせず、最後は祈りに似た詩で終わる。いつもは正確な文章がところどころで破綻してたり、ずっと硬い散文を書いてきたのにその最後の作品の締めくくりが詩だったり、、これは新しい境地なのか単なる衰えなのか。興味深い。
「赤革のトランク」に入っていた古い手紙類などは ほとんど資料的価値のないもので 長江古義人は結局 父の不可解な死にまつわる謎を解くことができなかった そんなわけで、長江には父についての核心的な思い出がない ただし、父に代わって彼の人格形成に深い影響を与えた人物は2人いた ひとりは松山の高校に入ったと...続きを読むき出会った親友で のちには義兄ともなった映画監督の塙吾良 もう一人は、戦後「森」に帰ってきた本家筋のギー兄さんである ところが前作「水死」では 老齢を迎えた長江じしんが、おそらくは人生初といっていいだろう 父親としての試練を前に立ちすくむこととなった それは、長男アカリの善意による「イタズラ書き」に端を発した 父への反抗と、家庭内不和である 劇団関係の仕事に乗じ、四国の森にアカリとの共同生活を営むうち 問題はなんとなくウヤムヤになってしまったが きちんとした結論があって落ち着いたわけではなかった 女たちのあいだにくすぶったそのわだかまりが 近親者のみに配布するプライベートな雑誌づくりというアイデアを 思い立たせたのだろう それはまず、小説の題材として扱われてきた家族たちからの 異議申し立てを形にするという意図ではじまる アメリカに拠点を置くギー・ジュニアや 塙吾良の若い「女友達」だったシマ浦さんも加えて 雑誌は号数を重ねていくが それにつれ読者の前で明らかになっていくのは それぞれに不可解な死に方をした塙吾良とギー兄さんのことが 実はまったくわかっていないまま 根拠の乏しい思い込みで納得しようとする長江の姿だった それはひょっとすると 読者へのわかりやすさを言い訳に …それで必ずしも読者の理解を得られたとは言い切れないにせよ… 事実を簡略化、あるいは ねじ曲げてきた姿勢と通じる安易さそのものかもしれないし もっと言えば自分自身の核心から目を背けている証拠かもしれなかった
作者キャリア最期の小説作品。 自身を“長江古義人”と称する私小説シリーズであり、今まで作品に登場させてきた親族達から徹底批判を喰らうというメタ要素は変わらず。表題、内容から作者周りの関係の清算が行われていると感じ少し寂しい。 過去作未読者は完全に排除される上、再翻訳した様な独特の文体はより難読性を...続きを読む上げているが、これまでオーケンを読んできて良かったと思える作品だった。
難しい。複雑な事情を複雑なまま表現していようとしているんじゃないかと感じた。はちゃめちゃな文体だ。そしてそれは、確かに読者をいい具合にも刺激させる。
試みが成功しているかはともかく、相当意欲的な作品だ。群像での連載時に最初の数回のテンションに、これは!と思ったけど、ギー・ジュニア登場以降について行けなくなり一旦断念。文庫化で読み直したけど、そこの印象は変わらずも何とか読破。しかし、途中でそのようなブレに対して作中の登場人物(真木)が同様の批評をし...続きを読むていたのにはちょっと笑った。 自らのテキストをメタ的に批評する手法、社会状況を個人の体験と重ねて消化しようとする手法。前作では長年の宿題としていた父の死に対し、今回はまた伊丹十三、また後期作品の核であるギー兄さんの死に向き合う。自らの老年の危機、それと直結するアカリ、家族の危機、また、長年のテーマである核へも対峙せざる得なくなるという状況。凡百の作家であればお茶を濁すものを、この作家はとにかく正面切って向き合おうとだけはする。あまりにもテーマが多岐に渡り、商業作品として必ずしも消化し切れていない嫌いは確かにあるが、そのようなスタイルを示す、それで書いてみるということこそがこの作家の本領なのだ。(一点、どうしても残念なのはタイトル。そもそもの着想からいけばしょうがないが、この作家の無二のタイトルセンスを味わいたかった) 老齢の極み(度々失礼)にあって、このように作家として誠実に生きる彼を映し出す作品を我々は読まなければいけないと思う。個々の作品の出来のみがその本を読むかどうかの判断基準にならない、継続的な歴史を持った作家というのは本当に少ないのだ。もっともっとみんな大江を読むべき。今のうちに!
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大江健三郎
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