大江健三郎のレビュー一覧
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購入済み
『ツバサ・クロニクル』とともに
大江さんが2023年3月3日に亡くなられ、
13日の今日その発表がありました。
もっとお言葉をお聞きしたかったのですが。
『洪水はわが魂に及び』の子のように
繰り返しが特徴。太字の「壊す人」など。
日本の中の双子の国家、双子の妹への手紙、
天体学者の、アポ爺、ぺリ爺も双子。
妹はモンローのパロディか米大統領と関係。
日露戦争相手国ロシアの血。
この国、貿易(?)までしてる。
歯痛とか悪臭とかペインティングとか、
感覚的にわかりやすく刺さってきますね。
社畜の方が息をついたろうキャバレーとか
そんな俗悪なものと神話の巨人が併記され、
聴覚で村人を誘導、 -
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「大江健三郎全小説」は、講談社から2018年から2019年にかけて刊行された15巻構成の、大江健三郎の小説全集であり、本書はその第4巻にあたる。全集に収載されている小説は、基本的に年代順となっている。本書に収められている作品で発表が最も古いのは、「走れ、走りつづけよ」であり、「新潮」誌に1967年に掲載されているものだ。その他の作品も、1968年から1972年くらいに発表されたものであるが、本書の最後に掲載されている「水死」という長編小説は、その他の小説の発表時期から40年程度の間が空いており、2009年の12月に書下ろしとして発表されたものである。
「水死」が本巻に収載された理由に何故かにつ -
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ネタバレ鳥が世界中でただ1人、彼の身に降りかかる異常児を巡る運命と信じる悲惨に、人間が元来備えるニヒルで利己的な心情を当人の堕落と衰退にのせて壮大に描いた作品。
自身にとって、前身だろうが後退だろうが、自分を取り囲む欺瞞の罠を掻い潜り、解放しながら受け止めて対処することが生きるということ。
鳥が見舞われていた異常児の問題は、周りの他人たちが共有している時間や運命からは完全に孤立した「個人的な体験」であった。
だからこそ、自身が受け止めて対処することが重要。
「個人的な体験」に情人である火見子が自ら参入し、共通の体験として解決に精進するのは、感慨深かった。
また、突発的に「脆い」という概念の素晴ら -
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ネタバレ柳田国男が現在の成城に居を構えたことがあると知って、ぎくりとした。Kちゃんがやろうとしたことがまさに民俗学であったからだ。共同体で語られる物語/歴史としての神話をまとめる者。
ギー兄さんは作者自身をも含むさまざまな人物像の集合だと著者が言っててなるほどなと思った。長兄の投影でもあるし、自分の理想像の投影でもある、またその他多くの人の断片の結集としてのギー兄さん。
カトー=ギー兄さんとも読めるような気がする。先導者かつ巡礼者であるギー兄さんを案内する異端者かつ自殺者のカトー=ギー兄さん。「ギー兄さん」のモデルの多面性を考えるとあり得ると思うのだけれど。ただこの辺りは『神曲』を読み通してないと -
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戦後78年の2023年に読破。
これを読むまでは、抑止力のための核保有の考え方に賛同派でした。
しかし、これを読んで改めて感じたことは、抑止力といいながら、明らかに使用することが前提の核保有説であるということでした。
戦争を知らない世代の私は、はっきり言って原子力爆弾の惨さ、人間がもたらした醜悪さ、悲惨さの極みといったものを知らない、全く無知な人間でした。
ナチスのホロコーストは、歴史に語り継がれ、人々が忘れないように何度も映画化やメディアでとりあげられるのに、なぜ、広島長崎の原爆を克明に記した書籍や映画はメディアで取り上げられず(ときには残酷だといわれR指定もされるけれど、それこそ馬鹿げた話 -
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この「大江健三郎全小説2」には、9編の小説が収められている。1959年から1962年、大江健三郎が24歳から26歳の間に書かれたものである。
大江健三郎は、「大江健三郎 作家自身を語る」の中で、以下のように書いている。
【引用】
自分の人生を振り返って、あの時をよく生き延びたな、とぞっとする時期がいくつかあります。それが一番はっきりしているのが、小説を書くようになってからの四年ないし五年だったと思います。
【引用終わり】
また、「大江健三郎全小説2」の解説の中で、尾崎真理子は、大江健三郎のコメントの引用として、下記のように書いている。
【引用】
このように小説を書きつづけることで、自分は、 -
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「大江健三郎全小説3」のハイライトの一つは、「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」の掲載だ。本作品は、「文學界」1962年2月号にて発表されたが、それ以降、57年間、一度も単行本等の形で再録されることがなかったものだ。その作品が57年ぶりに、この「大江健三郎全小説3」で再録されることになった。
その背景は以下の通りである。
1960年10月12日に、右翼団体である大日本愛国党の元党員である山口二矢、17歳が、日本社会党浅沼委員長を東京の日比谷公会堂で行われていた公開演説会の場で刺殺するという事件が起きた。「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」は、この事件を扱ったものである。「中央公 -
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本書には、1957-1959年に執筆された19編の小説が収載されている。
1957年に「奇妙な仕事」で東大の五月祭賞を受賞し、それが「東京大学新聞」に掲載されたのが、大江健三郎の実質的なデビューである。1958年1月の芥川賞では「死者の奢り」が候補となり、同年の7月に「飼育」によって、実際に芥川賞を受賞している。
当時がどういう時代であったかと言うと、1955年には保守合同・社会党統一による「55年体制」が始まり、1956年の経済白書には「もはや戦後ではない」という言葉が登場する。1990年前後の東西冷戦の終焉やバブル崩壊までの間の、いわゆる高度成長期を含む、日本の発展がまさに始まろうとしてい -
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この本自体は60年代半ば、戦後20年が過ぎようかという頃に書かれたもの。戦争の記憶も今より遥かに鮮明で、冷戦や日米安保、学生運動の只中を生きた人々のエネルギッシュさにまずは驚かされた。
その一方で、戦後20年にして既に戦争の記憶の継承が問題となっていたこと。特に広島で被曝した人々は、最初の数年を幸運に生き延びたとしても、いつ原爆症を発症するかは分からずにいた。それでも、ある日唐突に自分の命の終わりを告げられる恐怖におびえながら「悲惨な死にいたる闘い」を続けた人々の途切れない営みによって、現在の我々は、あの時に広島で何が起こったかを知ることができる。
戦後77年を迎え、戦争を知る世代からの直 -
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初期
「奇妙な仕事」5
「死者の奢り」5
「他人の足」5
「飼育」5
「人間の羊」5
「不意の唖」4
「セヴンティーン」
「空の怪物アグイー」3
中期
「頭のいい「雨の木」」3
「「雨の木」を聴く女たち」3
「さかさまに立つ「雨の木」」3
「無垢の歌、経験の歌」3
「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」5
バタイユ?
「落ちる、落ちる、叫びながら」4
「新しい人よ眼ざめよ」4
「静かな生活」3
「案内人ストーカー」3
「河馬に噛まれる」3
「「河馬の勇士」と愛らしいラベオ」4
後期
「「涙を流す人」の楡」3
「ベラックヮの十年」3
「マルゴ公妃のかくしつきスカート」3
「火をめぐら -
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「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」
広島の原爆を、当時の戦争を、少しくらい知っていないと読み進めるのには苦労するかもしれない。
ただ、それでも多くの方に読んで欲しい。そんな本です。
ウクライナとロシアの戦争の真っ最中。
核戦争の危険性が、ほんの2ヶ月前までは薄れていた、嘘でも今より平和な空気感で満たされていた時代から一変した、そんな「核の今」だからこそ。
読んでおくべき一冊。
戦争直後。占領下の時代、原爆の悲惨さを書いた書籍の出版が、米国より発刊禁止になる。
理由は、「反米的思想である」、その一点。
ただただ惨劇を伝えようとした。
事実のみを淡々と。
今のウクライナとロシアの報道