大江健三郎のレビュー一覧
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ある集落を追放された人々が、四国の山奥に小国家を創造した。外来者どうしの両親から生まれた「僕」が、双生児の妹へと向けて書簡の形式でしたためた、《村=国家=小宇宙》の神話と歴史のすべて。
どの語がどの語にかかっているのかわかりづらい、英文を逐語訳したような独特の文章で綴られる、現代におけるあまたのエピソード。そのそれぞれが僕の記憶と結びついて《村=国家=小宇宙》の神話や歴史を語らせる……
つまりは日本の中にあるもう一つの小国家の創建以降の伝承を語った物語。その意味で小説内において一つの国家を造りあげるような試みを作者は行なっている。それだけでも、まずはこの厖大な想像力に敬服する。
また -
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ネタバレ「敬老週間」なんかは別として、「アグイー」なんかはもう少し読み込みたいと思っているのだけど、サルトル的空気から大江健三郎自身(というのはある種私の偏見かもしれないけれど)の、どんどんずれていっちゃうような、深刻なことを語りながらも同時に滑稽である状況を描いてしまう、彼の常に一瞬前を自省せずにはいられないような意識が書かせる文章が面白くて仕方ない。
普通の人はシリアスな場面で同時並行して起こる滑稽な部分を削ぎ落として文章を書くのかもしれないけれど、この人はシリアスになればなるほど振り子は残酷を含んだ滑稽へも大きく揺れる。この調子が近年失われてしまっているのが私としてはすごく残念なところなのだけれ -
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ネタバレ年代はめちゃめちゃに読み進めている状態なのだけれど、「木から下りん人・隠遁者ギー」と、『燃え上がる…』の括弧付き「ギー兄さん」は知っていても、ギー兄さんとは誰か、というところがすっぱぬけていたので、やっと少し穴が埋まったような気がする、と同時に、ようやく最近読んだばかりの『ドン・キホーテ』前編によって『憂い顔の童子』の「憂い顔」の意味が分かったばかりで、今度はダンテか…(大体イエイツも読んでないし…)と以前挫折したダンテを遠く思うような。
それにしてもこの『懐かしい年…』は私の最も好きな独特の言い回し、冒頭が一番読みにくい頃の大江健三郎の文章からは少し離れて来ているようだけれど、かといって『 -
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ネタバレ単純に好みや自分へのフィット感の問題なのかもしれないけれど、個人的に「生きるために書かねばならぬ」という逼迫性が感じられる作家は少なくて、ある時期までの村上春樹もそうだったと思うのだけれど、もうここ10年以上彼は自分ではなく他者のために小説を書いていて、そういうのを成長と呼ぶのかもしれず、ある程度まで行ったら天井に手が届いてしまうものかと思ったけれど、大江健三郎を読むにつけ、彼程、スタイルはその時々によって変更されつつも、基本的には長きに渡って自分の為に書き続けている人は私の知る限り他にいない。やはり『燃え上がる…』のような、K伯父さんとして自分は三歩程度下がって他者に語らせるスタイルよりも、
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ネタバレ大江健三郎の初期は別に好きじゃないんだけど中期以降を読んで行くのが最近の唯一楽しいことといってもよくて、彼の何が好きかという理由の一つに、あの連綿としたいつ終わるともつかないかんじというのがあるのだけど、展開や終わりを殆ど気にしないで、その1ページ1ページが面白く読める。だからきっと何度でも読める。少し前まで彼の作品をいつか読み終えてしまう日が来るのを怖いと感じていたけど、ほとんど終わりなく読める、ブレイクを読んで、ドン・キホーテを読んで、また戻ってくることも出来る。こんな「森」を作り出せるなんて、魔術。
しかしながら通して読んでみて、はっきりと続きを予感させる終わり方の部分を読み終わって、 -
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ネタバレ似て非なる「虚構」と「想像的なもの」
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文春文庫版の、渡辺広士氏の解説を読んでいて、どうも分かるような分からないような気がしたのは、おそらく『個人的な体験』以降の大江健三郎の作品に引き続いている、私小説のような体裁(例えば大江健三郎に起こった出来事とかなり近い体験をしているらしい「作家O」が主語であることなど)に対して渡辺氏がすっきり割り切れていないらしいことが原因だと思った。
渡辺氏は『河馬に噛まれる』について、この「河馬の勇士」や秘密結社を組織していたタケちゃんを虚構の人物としておきながら、「サンタクルスの「広島週間」」については「自ら見た夢を、作者は作品に書き留めずにはすませ