大江健三郎のレビュー一覧

  • 同時代ゲーム

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     ある集落を追放された人々が、四国の山奥に小国家を創造した。外来者どうしの両親から生まれた「僕」が、双生児の妹へと向けて書簡の形式でしたためた、《村=国家=小宇宙》の神話と歴史のすべて。
     どの語がどの語にかかっているのかわかりづらい、英文を逐語訳したような独特の文章で綴られる、現代におけるあまたのエピソード。そのそれぞれが僕の記憶と結びついて《村=国家=小宇宙》の神話や歴史を語らせる……

     つまりは日本の中にあるもう一つの小国家の創建以降の伝承を語った物語。その意味で小説内において一つの国家を造りあげるような試みを作者は行なっている。それだけでも、まずはこの厖大な想像力に敬服する。
     また

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    2013年08月27日
  • 空の怪物アグイー

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    ネタバレ

    「敬老週間」なんかは別として、「アグイー」なんかはもう少し読み込みたいと思っているのだけど、サルトル的空気から大江健三郎自身(というのはある種私の偏見かもしれないけれど)の、どんどんずれていっちゃうような、深刻なことを語りながらも同時に滑稽である状況を描いてしまう、彼の常に一瞬前を自省せずにはいられないような意識が書かせる文章が面白くて仕方ない。
    普通の人はシリアスな場面で同時並行して起こる滑稽な部分を削ぎ落として文章を書くのかもしれないけれど、この人はシリアスになればなるほど振り子は残酷を含んだ滑稽へも大きく揺れる。この調子が近年失われてしまっているのが私としてはすごく残念なところなのだけれ

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    2013年08月23日
  • 懐かしい年への手紙

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    ネタバレ

    年代はめちゃめちゃに読み進めている状態なのだけれど、「木から下りん人・隠遁者ギー」と、『燃え上がる…』の括弧付き「ギー兄さん」は知っていても、ギー兄さんとは誰か、というところがすっぱぬけていたので、やっと少し穴が埋まったような気がする、と同時に、ようやく最近読んだばかりの『ドン・キホーテ』前編によって『憂い顔の童子』の「憂い顔」の意味が分かったばかりで、今度はダンテか…(大体イエイツも読んでないし…)と以前挫折したダンテを遠く思うような。

    それにしてもこの『懐かしい年…』は私の最も好きな独特の言い回し、冒頭が一番読みにくい頃の大江健三郎の文章からは少し離れて来ているようだけれど、かといって『

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    2013年08月16日
  • 性的人間

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    生物が元来脈々と受け継いできたという意味で大いなる他力である性に自己実存を委ねることを、全て肯定できるかというと、突っかかるところがある

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    2013年08月14日
  • みずから我が涙をぬぐいたまう日

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    大江健三郎「みずから我が涙をぬぐいたまう日」

    なぜ今までこの作品を未読だったのか非常に悔やまれる!
    やはりこの時期の大江作品は神憑っている。
    物語の進行上かなり重大な新事実を、
    さも当たり前の事ででもあるかのように
    関係詞節内にさらっと入れる手法は、
    明らかにフォークナー、マルケスからの影響だろう

    2012-09-20 00:42:55 Twitterより

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    2013年06月16日
  • 万延元年のフットボール

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    ネタバレ

    レビューすることを放棄したくはないけれど、
    この作品を的確に言い表すのは難しい。

    中盤まで文章は深く淀み、息苦しい。
    得体の知れない嫌悪、不安がまとわりつく。
    後半は物語が展開して文章的には読み進めやすくなるが
    不安はますます確信めいて目を離すことも出来ない。

    寝取られとか読んでるだけでも辛いよ。
    これ以上苦しめないで!苦しまないで!
    登場人物より読者のほうは思い悩むのは何故だ。
    しかし最後前向きに終わるのに違和感がある。
    どこに希望があったの……?

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    2013年05月28日
  • われらの狂気を生き延びる道を教えよ

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    ネタバレ

    単純に好みや自分へのフィット感の問題なのかもしれないけれど、個人的に「生きるために書かねばならぬ」という逼迫性が感じられる作家は少なくて、ある時期までの村上春樹もそうだったと思うのだけれど、もうここ10年以上彼は自分ではなく他者のために小説を書いていて、そういうのを成長と呼ぶのかもしれず、ある程度まで行ったら天井に手が届いてしまうものかと思ったけれど、大江健三郎を読むにつけ、彼程、スタイルはその時々によって変更されつつも、基本的には長きに渡って自分の為に書き続けている人は私の知る限り他にいない。やはり『燃え上がる…』のような、K伯父さんとして自分は三歩程度下がって他者に語らせるスタイルよりも、

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    2013年05月28日
  • 憂い顔の童子

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    ネタバレ

    大江健三郎の初期は別に好きじゃないんだけど中期以降を読んで行くのが最近の唯一楽しいことといってもよくて、彼の何が好きかという理由の一つに、あの連綿としたいつ終わるともつかないかんじというのがあるのだけど、展開や終わりを殆ど気にしないで、その1ページ1ページが面白く読める。だからきっと何度でも読める。少し前まで彼の作品をいつか読み終えてしまう日が来るのを怖いと感じていたけど、ほとんど終わりなく読める、ブレイクを読んで、ドン・キホーテを読んで、また戻ってくることも出来る。こんな「森」を作り出せるなんて、魔術。

    しかしながら通して読んでみて、はっきりと続きを予感させる終わり方の部分を読み終わって、

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    2013年05月21日
  • 河馬に噛まれる

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    ネタバレ

    似て非なる「虚構」と「想像的なもの」

    ***

    文春文庫版の、渡辺広士氏の解説を読んでいて、どうも分かるような分からないような気がしたのは、おそらく『個人的な体験』以降の大江健三郎の作品に引き続いている、私小説のような体裁(例えば大江健三郎に起こった出来事とかなり近い体験をしているらしい「作家O」が主語であることなど)に対して渡辺氏がすっきり割り切れていないらしいことが原因だと思った。

    渡辺氏は『河馬に噛まれる』について、この「河馬の勇士」や秘密結社を組織していたタケちゃんを虚構の人物としておきながら、「サンタクルスの「広島週間」」については「自ら見た夢を、作者は作品に書き留めずにはすませ

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    2013年04月22日
  • 万延元年のフットボール

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    彼自身の状況を象徴するような「どん詰まり」の谷間の中で、最後に思いもかけない地下室を発見するところがなんとも言えず爽快。この頃から円環の要素が出てくるのか?万延元年の出来事に似たことが再び繰り返されるならば、出来事というものが反復されるならば、万延元年の事件の思いもかけない「抜け道」であった「地下室」は同時に閉塞した今の自分を励ますという…。そして「スーパーマーケットの天皇」のスーパーであるようなものが後の『燃え上がる緑の木』などで川沿いのスーパーまで行って来たのよ、などと登場するところも面白い。

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    2013年04月06日
  • 同時代ゲーム

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    これを生の日本語で読めることはとてつもない贅沢だ。「押し込め」→「お醜女」と解読して行く言葉の閃きのセンスなんかは必ずしも日本語にのみに適用される訳ではないけれど、大江健三郎の言葉の選択を直に見ることが出来る愉悦。よく言われる冒頭の読みにくさにもそれこそアハハと大笑いさせられた。彼の言葉の逸脱ぶりはいつも心地いい。テングの陰間と呼ばれるに至る事件の間での「小宇宙」を見る神秘的体験に、大江健三郎の学部時代から『個人的体験』あたりのサルトルしばりな実存主義からの飛躍が始まる。後の作品の為にも必読な「聖書」。

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    2013年04月06日
  • 性的人間

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    短編集「性的人間」「セブンティーン」「共同生活」。「セブンティーン」は日本社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺事件を題材にしていて、主人公の青年が右翼に目覚めていく様子が、迫力の筆力で描かれいます。

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    2013年03月15日
  • ヒロシマ・ノート

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    記憶に残るいい作品。うまれる前に書かれたものだが、いまなお、考えさせられる問題を取り扱っている。著者の憤りと、広島人の沈黙と、広島人の真の感情を無視した一般人の感覚などが、うまく浮きぼりになっていて感動的ですらある。ヒロシマを訪れた時、なにか、悲劇の場所とは思えない、むしろ沈黙と、諦めのようなものを感じたが、その理由が、多少なりともつかめたかも知れない。現在の広島は沈黙に風化が付加された形で、少しづつ色褪せていっているのかも知れない。

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    2012年11月05日
  • 沖縄ノート

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    ネタバレ

    ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の評論での代表作の一つ。
    沖縄ノートとひろしまノートは、それぞれノートという題をもらっているが、内容の方向性は違うかもしれない。

    時代を代表する作品であることと、大江健三郎の個人としての記録であることに違いはない。

    始まりは広島ノートと同じ様に個人が遭遇した事象から始めている。

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    2012年10月16日
  • ヒロシマ・ノート

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    ネタバレ

    一時期,文学よりも評論で名前を博した大江健三郎。
    その代表作がヒロシマノート。

    あまりに印象が強く,大江健三郎の文学には、ノーベル文学賞をもらうだけの作品があるのだろうが影が薄れてしまっているかも。

    広島で開催する原爆反対の運動の分裂。
    政治的背景よりも、当事者を叙述することによって何かを伝えようとする。

    今,福島について語る時なのだろう。

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    2012年10月16日
  • 新しい文学のために

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    非常に難しい内容が多い本でした。

    しかしながら僕が「期待した地平」以上のものが確かにあった気がします。

    改めて、大江健三郎さんは頭が良いのだな、と思いました。

    また、「小説」を読むことの重要性を改めて感じました。

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    2012年10月06日
  • 同時代ゲーム

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    狭く深く掘り下げるほどに、世界が広く濃く大きくなっていく。語り手、村=国家=小宇宙の世代を超えた歴史、語り手の家族たちの数奇な人生。さまざまな時間が「同時代」のことのように語られ、その中でも否応なく「時間」のにおいを感じざるを得ない。そして、最後の最後で本当に同時代のこととして解体された。閉じ方の完璧さ。
    解説もよかった。解説に書かれなきゃたぶん一生気づかなかったと思うけど、確かにこの小説はどこの章から読んでも問題ない。

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    2012年09月21日
  • 性的人間

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    「セヴンティーン」が読みたくて。
    人間の生と性。しれっと、社会と関わっていながらも、人間は孤独で変態。

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    2012年09月10日
  • 憂い顔の童子

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    「おかしな二人組」三部作の真ん中にあたる作品。ドン・キホーテをモチーフに作品は進んでいく。そして、毎度のことながら面白い。やはりアカリのキャラクターが彼の作品の中ではとても大事な、光になっている。彼の何気ない一言で、作中にパッと灯りがともる。(10/6/7)

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    2012年08月17日
  • 取り替え子

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    「おかしな二人組」三部作のスタートとなる作品。義兄である伊丹十三の死を経て書かれた作品ということで、吾良が大きな役割を持って描かれている。とも言えるし、いやいや、吾良は彼の他の作品でだって大きな役割をいつだって担っていたじゃないか、とも思うし。終盤がとても美しかった。モーリス・センダックの絵本を一つの題材として展開される部分が。そうか、だから取り替え子なのか、と。(10/6/7)

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    2012年08月17日