大江健三郎のレビュー一覧
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一度読んだ本は、よっぽど気に入るか、読んだことを忘れていない限りは再読しないのに、
なぜかこの本は3回読んでいる。理解している自信はまったくないにもかかわらず(ノーベル賞で一瞬ブームになったとき、「燃え上がる緑の木」などを買い求めた人々はちゃんと読破できたのであろうか)。
いつも同じシーンでどきっとする。息子ふたりを、あまりにもむごい出来事で同時に失ってしまったまり恵さんが、
「こんなに疲れ果てているのに、死んでしまったら、あの子たちのことを覚えている人間が残らなくなってしまう、だから死ねない」というようなことを話すところ。
愛していたから死にたいのに、愛しているから死ねない。強く過酷な人生の -
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難物です。本人が全部書いてまた第一章を書き直したというくらいなので、最初から生真面目に読むとそこでもう挫折しそうです(笑)。けれどこれは、全部読み終えたときのその独創性、重量感たるや類をみないものです。初期大江作品が必ずといっていいほど書評にあがるのに対して、この頃以後はあまり語られませんが、万延元年と折り返して向い側にあるような作品ではないかと。大江作品の中では傑作の1つだと信じております。この不可思議で民俗的な世界は、作品の通り、まるで遡行していく旅でもあります。脳髄に。全部読むと第一章に戻りたくなるんですが、ほんっとに最初でかなりの人が挫折するかと思う手強さなもんで(笑)
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ネタバレ社会的役割と感情との乖離がある男が、その乖離と責任から、情欲と退廃に逃げる物語
具体的には頭に腫瘍のある奇形児が生まれてしまい、それを妻に見せず義母と共犯で殺す合理的な役割と、妻の手前や仕事先や病院で与えられる感情的な父親としての役割とに板挟みされた主人公が、そのどちらの演技も必要とせず、理解と議論とカウンセリングと性の解消を与えてくれる母親のようなヒミコに傾倒していく。
赤ん坊を確実に殺してヒミコとアフリカに駆け落ちしようとしたところで、主人公が昔裏切ったゲイの経営するバーに行くことになる。そこで突如、逃げ続けた結果どんな自分を守りたいのか?と自分に問いかけてみたところ、答えは出ず、ただ逃 -
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読んでいて辛くなる場面が多々ある。
ヒロシマの人々は自分の想像など及びもつかないような過酷な世界の中で生き死にをされてきたのだと、改めて衝撃を受けた。
原爆症を宣告されたときに自ら死を選択する動機の一つとして、「ヒロシマの一例としてでなく名前のある個人としての尊厳ある死を選びたい」という気持ちが存在するなど、思いを馳せたことがなかった。
本当に壮絶で凄惨な、筆舌に尽くし難いほどの過酷な経験を経て、それでもなお自殺しない人々の威厳。
特に重藤病院長のような、被害者になったその瞬間から、一方で同時に人命救助の最前線に立たされて、休む間もなく白血病やそのほかの未知の症状と戦い続けた”正統的な人間” -
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「あいまいな日本の私」ということについては、そのタイトルのノーベル賞受賞講演よりも、「回路を閉じた日本人でなく」の方がその意図するところについて詳しい。1992年から、1994年末の表題作までの講演から採られたものだが、憂もありながら、どれもユーモアに溢れ、分かりやすく、面白い。後書にあるように、テーマや引用は重複する部分も多いが、これに限らず小説や評論で度々引用されてきたものなので、大江読者なら馴染み深い話題だばかりだ。しかし、ノーベル賞受賞の4日後にされた「世界文学は日本文学たりうるか?」には爆笑。受賞直後の興奮も勿論あったのだろうが、これも後書にあるようにこの時期書き進めていた「燃え上が
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この時点の大江のまさに集大成的作品。イェーツを媒介にして、過去作、「懐かしい年〜」は言うに及ばず、「M/T〜」、「人生の親戚」、「静かな生活」、「僕が本当に若かった頃」に収録の短編や、驚いたのは「治療塔/惑星」の続編構想の話まで、捉え直しをしながら、「信仰のないものの祈り」というテーマに実に大江健三郎らしい取り組み方をしている。
聖書原典の読み解きよりも、読み解きを行なった「作家」たちの作品をさらに深く参照しているところが大江の魂のこととは文学に他ならないのだと思わされる。
それが過激なカルトの台頭という時代性とシンクロしてしまうところが、また作家の「炭坑のカナリア」たる所以なのだろう。 -
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四国の大窪村物語の読破2作目。万延元年のフットボールが実は第1作だったことを同時代ゲームを読んだときに知り、発表された時間軸を逆行することになった。しかし万延元年の曾祖父の弟、戦後のS兄など逆行したからこそ把握しやすい設定だった。それにしても文芸誌に発表しながら書き進めていく作業は、当初の設定からこの全容がプロットできていたわけではなく、話を展開させていくうちに姿が見えてきたのだろうと思う。同時代ゲームより叙事詩的要素は薄いものの、蜜と鷹の濃厚な関係は二重身のように思え、当初は妻と呼ばれていた菜採子(ナツコ)と二人の関係が-挑戦的で自己破壊的な鷹を殺してもその鷹の子を生き残り続ける蜜と菜採が育
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人間の醜い感情のうねりや嫌厭を緻密に繊細に(かつ、くどすぎるぐらいにしつこく)描いていて、読んでいて重く締め上げられる気分。特に人間の汗や脂だとか汚物だとか、外も泥や泥濘の汚れだとか獣臭だとかドブ川だとか、とにかく穢らわしさ、粘っこい気持ち悪さなどの描写が多くて、ずぶずぶと嫌厭の情がすごい。
文体はややクセありたまに迷子になるが、中身に惹かれて意外にあっさりと読み切ることができた。
個人的には、表題作よりも「人間の羊」が一番刺さった。傍観者、偽善者、自己中心的な押し付けがましい”正義”に陶酔する者の醜悪さと、やるせ無い怒りや諦め、疲労感をまざまざと見せられた。
氏が戦後の混沌の中で描きた -
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ブレイクの詩が私には難解でどう解釈したら良いのかさっぱりわからなかった。ブレイクの詩を理解できたら、この本への理解もまた変わりそうだけれど、
不思議な光さんの言動に、人間の本質が表れているような気がして、光さんの言動を、よく理解しようと思いながら読みました。寄宿舎から帰ってきた時、イーヨーと呼ばれることに抵抗した。イーヨーと呼ばれること、光と呼ばれることの違いをどう感じたのかな?
それから、誘拐された時に辛かった想いは、なぜ吐き出さずに内に留めようとするのかな?
光さんは頭が良くて、内にたくさんの情報を溜め込んでいるのに、「父は死んだ」と思い込み、「善い足」の定義が思い浮かんだことで、よみがえ -
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大江健三郎が亡くなったニュースをみて、この作家の本を全く読んでいないことに気づいた。あれから数年が経ち、読む機会を得ることが出来た。
それぞれの作品ごとの感想を書くと長すぎるので、全体の感想のみまとめる。
初期短編は有名な死者の驕りをはじめ、大江作品としては読みやすい。ただ暗鬱な世界観ではある。そして覇気がない主人公(セブンティーンは覇気だらけだが、あれは異質だろう)でありながら、作品そのものには強い推進力があるのが特色だろう。どの作品も面白い。傑作といってよいのではないか。
問題は中期以降だ。ここから主人公が大江自身をモデルにした小説家となることが多く、思考がいろんなところに飛んでいく。読者