大江健三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
びっくりしました。
大江健三郎は過去の作家ではなく、今でもかつて「同時代ゲーム」を書いた時と同じ意味で同時代性を持った作家であることが、この本から確認出来ます。
興味のある人は、村上春樹の「海辺のカフカ」と本書を丹念に比較して見るといいでしょう。
2つの小説の構造を丹念に解き明かしていくならば(本書の言い方にならってRe-readingするならば)、この2つは実は中心点がほぼ同じところにあることが分かるはずです。
ただ、惜しむらくは現在の大江健三郎がライターズライター(小説家のための小説家)になっていることでしょう。
コアな読み手、あるいは小説を書くために読んでいるような読者でなければ伝わらない書き方を選択しているので。
それ故に「海辺のカフカ」のような幅広い読者は得られないかもしれませんが、小説というものをとことん知的に楽しみたい読者が今の日本に仮に存在するとするならば、そういう読者にとっては堪えられない小説になっています。
(知的に楽しむという意味で、文庫版の解説でリービ英雄が実に的確なガイドを行っていますね。おそらくそのような的確さがリービ英雄に可能であったのは、彼が小説を書く人間であるからだとも言えますし、同時に知的に小説を楽しむ方法を知っているからだとも言えそうです。)
もしこれからこの小説にチャレンジしようとする人がいるならば、「主人公に感情移入しない読み方をしたほうが良い」と言っておきます。
感情移入しない、というよりは、主人公に感情移入出来ない小説です。
そういう意味で楽に読める小説ではありませんし、そこでこの作品を醜悪な失敗作と位置づけてしまうことも可能です。
しかし、作者の大江健三郎はそういう書き方を明らかに意図的に選んでいますし、そこで
「なぜそのような書き方をしているのか?」
という問いを発しつつ読むならば、そこからこの小説の面白さは立ち上がってくるのです。
でも、まぁ、どう読んでも良いんですけどね。
賞賛も批判も批評的な読みも含めて
「私の小説をどう読んてもいいよ」
ということが、大江健三郎がこの小説にこっそり仕込んだメッセージでもあるのでしょうから。
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Posted by ブクログ
薩摩の血を持つ北海道人のシャモである当方にとって、この本はまた別の意味を持つ。
琉球王室の、薩摩の、日本の暴力に常に晒されてきた沖縄が戦後日本の生贄として米国に支配される状況、そのあらゆる意味を、大江氏は日本人である自分を絶えず問い直すことで可能な限り誠実に可視化しようと試みる。沖縄の状況の、なんと北海道侵略及び支配に似通っていることか。そしてその沖縄がベトナム侵略のベースとなり、北海道がイラク侵略のベースとなるさまのなんと似通っていることか。
琉球の人々をかくのごとく搾取した薩摩が近代において北海道でこれを上回る過酷さをもって先住民族の命と文化を破壊したのは偶然ではあるまいと思う。
当時の日本人の男としての限界性を覗かせつつも、当時の日本人の男として可能な限りの誠実さをもって、そこに向かい続けようとする若き日の大江氏に共感と拍手を送りたい。 -
Posted by ブクログ
僕が思う良い小説ってのは実は読むのがどれだけ苦しかったかってことに起因しているかもしれない。
この『叫び声』はまさに僕が思うそれ的な小説だということが出来る。(今回は電子辞書が手放せない位生きていく中で聞くことの無い響きの言葉が頻出していてそういう面でも苦しんだ;; 純文学度が高いってこと?)
自分の核をどれだけ深く下げて生きていくかが、精一杯生きるってことなのかなとも思った。ずっとどうにか追いかけてきたんだけど呉鷹男の第四章怪物で完全においてかれてしまった。
僕が一番好きな小説家、伊坂幸太郎さんが影響を受けた本ということで何度かあげていたので読みたいと思っていた。
確かに影響を受けているなと感じた。特に、伊坂さんの中で一番僕が好きな『砂漠』はまさに伊坂版『叫び声』だなと気付いた。(全く違うけれど雰囲気や設定が?)
誰もが一度は経験する《黄金の青春の時》を経て、絶望的に帰ることの出来ない現状を嘆く。奇抜な仲間に対して一歩引いた主人公の立ち位置から見た青春模様。はぁ。
読んでいる期間は(読んでいる以外の時間でも)溜め息が止まらなかった。むなしい・・・ 何が言いたいのか分からない僕もまた、むなしい・・・
(2008.08.09)
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日本の「私」からの手紙
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
一度読んだ本は、よっぽど気に入るか、読んだことを忘れていない限りは再読しないのに、
なぜかこの本は3回読んでいる。理解している自信はまったくないにもかかわらず(ノーベル賞で一瞬ブームになったとき、「燃え上がる緑の木」などを買い求めた人々はちゃんと読破できたのであろうか)。
いつも同じシーンでどきっとする。息子ふたりを、あまりにもむごい出来事で同時に失ってしまったまり恵さんが、
「こんなに疲れ果てているのに、死んでしまったら、あの子たちのことを覚えている人間が残らなくなってしまう、だから死ねない」というようなことを話すところ。
愛していたから死にたいのに、愛しているから死ねない。強く過酷な人生の物語。 -
Posted by ブクログ
難物です。本人が全部書いてまた第一章を書き直したというくらいなので、最初から生真面目に読むとそこでもう挫折しそうです(笑)。けれどこれは、全部読み終えたときのその独創性、重量感たるや類をみないものです。初期大江作品が必ずといっていいほど書評にあがるのに対して、この頃以後はあまり語られませんが、万延元年と折り返して向い側にあるような作品ではないかと。大江作品の中では傑作の1つだと信じております。この不可思議で民俗的な世界は、作品の通り、まるで遡行していく旅でもあります。脳髄に。全部読むと第一章に戻りたくなるんですが、ほんっとに最初でかなりの人が挫折するかと思う手強さなもんで(笑)
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Posted by ブクログ
ノーベル文学賞受賞者である大江健三郎の、自身と障害を持つ長男との共生を描いた作品。障害による困難や家族の葛藤、周囲の人間の酷な視線がリアルに描かれているため、読んでいて社会の厳しさに心が抉られる場面もある。
一方で、障害のある長男について次男が「みんなをいつも元気づけてくれている」と言い、著者も長男のことを「われわれの家庭につねづね祝祭の雰囲気があるのは、祝祭の道化であり、かつ祭司でもある長男がいてのこと」と述べており、弟妹たちの長男を支える優しさや聡明さには心が温まる。とりわけ次男が長男の成長に気付き、彼の呼び名を変える瞬間は、深い愛情を感じた。
筆者はウィリアム・ブレイクの詩を引用しながら、目の前の出来事や自分の感情を咀嚼していくのだが、長男がプールで危険な目にあっている時ですら「ブレイクの詩を思い浮かべることしか出来なかった」等と言ってしまうほど、どこかぼんやりとしているところがあり、それが面白くもある。
文章は難しいが読み進めると大江健三郎の面白さが伝わる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
初・大江健三郎作品
何度か読もうとしたが、とにかく読みにくい。
そこで映画「飼育」を見てから挑むことにした。
予め何らかの(映画の原作としての)世界観を掴むと良いと思ったから。
映画「飼育」をみたあとだからこそ、共通のモチーフがあるのに驚いた。
そして、この箇所は「飼育」の下敷きなっているのではないかと思った。
「火山」86ページより
あなた達は確に外国兵士団S火山支隊とは無関係ですか。もし、はっきりした証拠がなければ私達はあなた達をスパイであると考えます。すぐこの場所を離れていただくか一応あの小屋へ収容して取調べをやらしていただく。
「火山」については次の話からも元ネタではないと言われている。
1953年の浅間山米軍演習地化計画は、東大地震研究所の火山観測断絶への懸念を最大の武器に、思想や立場を超えた長野県民の猛烈な反対運動によってわずか3カ月半で撤回された。
大江作品は同モチーフが異なる作品に頻出する。しかし、それが同じ意味を持つのではなく、大江はその時々の時代背景や大江自身の変化により、モチーフの意味を変えてきているので注意が必要だ。
この本の年譜が好きだ。どうも作品よりこちらに惹かれる。それを見て作品を読むとさらに大江の世界が掴める。その時代に何があったか、要素を入れ込んで作品を読んでいく。改めて歴史を知っておくことの大切さはここにある。とにかく深く掘る思考ができる。自己満足的な知的好奇心が満たされる。
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Posted by ブクログ
1963年の原水爆禁止世界大会の話から始まる。
正直なところ、背景がよくわからないまま、その深刻な状況に引っ張り込まれる感じだった。
もともとは原爆は人類にとって最悪の悲惨な体験であった。しかし、原爆の「悲惨」よりも「威力」がもてはやされるようになり、ロシア、中国と原爆の開発を進めた。ロシアの核実験再開がアメリカへの抑止力になるとして、共産党がそれを支持した。それにより、「いかなる国の核実験にも反対する」という社会党・総評系と足並みが揃わなくなり、大会が政治の場に変えられてしまった。大江はこれに暗澹たる気持ちになっている。
これに対置されるのが、広島的なるもの、広島の市民が有する威厳である。大江のこの威厳の概念は独特で、子供のころに見た映画で仲間を守るために黙秘を貫き敵兵に殺される兵士に威厳を見る。広島市民の中にこの種の威厳を見出す。
どこまでも広島で起こった悲惨の方を見つめながら、なんとかヒューマニズムに希望を見出そうとする真摯な試み。 -
Posted by ブクログ
ノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎氏の代表作にも挙げられることが多い三部作の第一作目。十分の一も理解出来ていないが、深い思想と独特な視点で描かれる本作の凄みは感じる。文章的卓越性と言えば良いだろうか。
テーマは「魂救済」。四国の片田舎を舞台にギミック的な「救い主」であるギー兄さんと物語を綴る両性具有の主人公。浮世離れした旧弊たる慣習と宗教的な幻想、そこに妙に現実的な現代カルチャーが入り乱れる不思議な世界観を打ち出す。本編のピークはその名の通り「「救い主」が殴られる」場面。物語の本流に自身で懐疑を挟みグッと物語を進めていく。第二部が楽しみ。