大江健三郎のレビュー一覧
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ネタバレ戦時中に感化院の少年たちが僻村の疎開地で疫病を理由に隔離及び放置される話
いつ疫病が理由で誰が死ぬのだろう、この傷か?
それとも空気感染か?などとずっとハラハラしながら疑り深い目で見ていた
それでいながらたくみに描かれる主人公と無邪気で人懐っこい弟との兄弟愛だったり、情婦の南や、逞しく男らしい朝鮮人である李や、犬の幸福そうなやり取りを見ていると、もしや僕の想像しているようなバッドエンドでは無いのかもしれないなと思えてきた
しかし疫病は犬をつたって村に取り残され主人公と絆を築いていた少女に感染する
そして犬は殺され哀願するような目で見たのに誰も助けてくれなかったことに弟は絶望して失踪
隊から逃 -
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独特な比喩表現や会話や文章で、翻訳された本を読んでいるような気分になったので、どこか情景を思い描くときも日本離れしたイメージがずっと頭の中にあった。
火見子の多元宇宙の話はとても面白かった。なんとなくシュタインズゲートを思い出すような話。
鳥(バード)という一人の青年の心の成長の物語だったと思う。
障害を持った子供が産まれたことで生じた自分のこれからの人生や死などに対する様々な不安や恐怖の心情が丁寧に描かれていた。
障害を持った子供が産まれた父親という立場での振舞いとしてはまじでくそで0点だったけれど、一丁前に医者の言葉に腹が立ったり、恥ずかしくなったり0点の中にも心の葛藤があったんだと思わ -
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火見子とバードの妻という「女」の描き方。
火見子はファムファタール的であるがバードにとってあまりに都合の良い女。バードの妻は名前すら語られない。「赤ちゃん、どうしたかねえ」と呟き、バードに「みすぼらしい溝鼠みたいね」と言う妻。女の存在、立ち位置の描き方へのモヤモヤは、この作品が62年前が故、と一旦頭から追い出す。ここには書いておく。
生々しく、汚らしく、臭い。よくもここまでこのように書けるなと。(それが素晴らしいところ)
読み手は容易に、自分の不具の赤ちゃんの死を望む人間の心境に入っていける。それはそれは気分が悪く吐きそうで、実際にバードが嘔吐するシーンは本気で気持ちが悪くなりそうだった。バ -
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生々しい異質たる文体。その異質さは妙に現実味を帯びており、より奇妙である。坊主であろう少年たちの、小さなどんぐりのような性器も、糞に犯された血まみれの尻も、汚くも輝きは純白な恋も、動物の重層化した液体も、その色が、その匂いが、その形が、まるで叩き込まれるように脳内に浮かんでくる。少年たちと少女。これらの、関係性が本当に好きで好きで仕方がない、主人公が少女と恋仲になり、仲間には口笛を吹かれ、冷やかされる。その様は、微笑ましいがら白々とした雪の世界の中で起こるのは、赤色の糞に塗れ、紅の血を吐き出し喘ぐ少女の姿。異質たる文体がより一層に、それを充満に華々しく、血生臭くしている。ここの描写愛おしいほど
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読んでいて辛くなる場面が多々ある。
ヒロシマの人々は自分の想像など及びもつかないような過酷な世界の中で生き死にをされてきたのだと、改めて衝撃を受けた。
原爆症を宣告されたときに自ら死を選択する動機の一つとして、「ヒロシマの一例としてでなく名前のある個人としての尊厳ある死を選びたい」という気持ちが存在するなど、思いを馳せたことがなかった。
本当に壮絶で凄惨な、筆舌に尽くし難いほどの過酷な経験を経て、それでもなお自殺しない人々の威厳。
特に重藤病院長のような、被害者になったその瞬間から、一方で同時に人命救助の最前線に立たされて、休む間もなく白血病やそのほかの未知の症状と戦い続けた”正統的な人間” -
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「あいまいな日本の私」ということについては、そのタイトルのノーベル賞受賞講演よりも、「回路を閉じた日本人でなく」の方がその意図するところについて詳しい。1992年から、1994年末の表題作までの講演から採られたものだが、憂もありながら、どれもユーモアに溢れ、分かりやすく、面白い。後書にあるように、テーマや引用は重複する部分も多いが、これに限らず小説や評論で度々引用されてきたものなので、大江読者なら馴染み深い話題だばかりだ。しかし、ノーベル賞受賞の4日後にされた「世界文学は日本文学たりうるか?」には爆笑。受賞直後の興奮も勿論あったのだろうが、これも後書にあるようにこの時期書き進めていた「燃え上が
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この時点の大江のまさに集大成的作品。イェーツを媒介にして、過去作、「懐かしい年〜」は言うに及ばず、「M/T〜」、「人生の親戚」、「静かな生活」、「僕が本当に若かった頃」に収録の短編や、驚いたのは「治療塔/惑星」の続編構想の話まで、捉え直しをしながら、「信仰のないものの祈り」というテーマに実に大江健三郎らしい取り組み方をしている。
聖書原典の読み解きよりも、読み解きを行なった「作家」たちの作品をさらに深く参照しているところが大江の魂のこととは文学に他ならないのだと思わされる。
それが過激なカルトの台頭という時代性とシンクロしてしまうところが、また作家の「炭坑のカナリア」たる所以なのだろう。 -
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四国の大窪村物語の読破2作目。万延元年のフットボールが実は第1作だったことを同時代ゲームを読んだときに知り、発表された時間軸を逆行することになった。しかし万延元年の曾祖父の弟、戦後のS兄など逆行したからこそ把握しやすい設定だった。それにしても文芸誌に発表しながら書き進めていく作業は、当初の設定からこの全容がプロットできていたわけではなく、話を展開させていくうちに姿が見えてきたのだろうと思う。同時代ゲームより叙事詩的要素は薄いものの、蜜と鷹の濃厚な関係は二重身のように思え、当初は妻と呼ばれていた菜採子(ナツコ)と二人の関係が-挑戦的で自己破壊的な鷹を殺してもその鷹の子を生き残り続ける蜜と菜採が育
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人間の醜い感情のうねりや嫌厭を緻密に繊細に(かつ、くどすぎるぐらいにしつこく)描いていて、読んでいて重く締め上げられる気分。特に人間の汗や脂だとか汚物だとか、外も泥や泥濘の汚れだとか獣臭だとかドブ川だとか、とにかく穢らわしさ、粘っこい気持ち悪さなどの描写が多くて、ずぶずぶと嫌厭の情がすごい。
文体はややクセありたまに迷子になるが、中身に惹かれて意外にあっさりと読み切ることができた。
個人的には、表題作よりも「人間の羊」が一番刺さった。傍観者、偽善者、自己中心的な押し付けがましい”正義”に陶酔する者の醜悪さと、やるせ無い怒りや諦め、疲労感をまざまざと見せられた。
氏が戦後の混沌の中で描きた -
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ブレイクの詩が私には難解でどう解釈したら良いのかさっぱりわからなかった。ブレイクの詩を理解できたら、この本への理解もまた変わりそうだけれど、
不思議な光さんの言動に、人間の本質が表れているような気がして、光さんの言動を、よく理解しようと思いながら読みました。寄宿舎から帰ってきた時、イーヨーと呼ばれることに抵抗した。イーヨーと呼ばれること、光と呼ばれることの違いをどう感じたのかな?
それから、誘拐された時に辛かった想いは、なぜ吐き出さずに内に留めようとするのかな?
光さんは頭が良くて、内にたくさんの情報を溜め込んでいるのに、「父は死んだ」と思い込み、「善い足」の定義が思い浮かんだことで、よみがえ -
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大江健三郎が亡くなったニュースをみて、この作家の本を全く読んでいないことに気づいた。あれから数年が経ち、読む機会を得ることが出来た。
それぞれの作品ごとの感想を書くと長すぎるので、全体の感想のみまとめる。
初期短編は有名な死者の驕りをはじめ、大江作品としては読みやすい。ただ暗鬱な世界観ではある。そして覇気がない主人公(セブンティーンは覇気だらけだが、あれは異質だろう)でありながら、作品そのものには強い推進力があるのが特色だろう。どの作品も面白い。傑作といってよいのではないか。
問題は中期以降だ。ここから主人公が大江自身をモデルにした小説家となることが多く、思考がいろんなところに飛んでいく。読者 -
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ネタバレ学生時代、友人が、卒論代わりに大江健三郎の書誌を作った。
身近に大江健三郎を読む友人などいなかったので「好きなの?」と聞いたら、「難しいけど、好きなんだよね。特に『芽むしり 仔撃ち』が」との返事に、「めむしりこうち」という音が意味するところが分からず、当惑した。
後に漢字表記を見て、間引きの話か、と思った。
感化院(昔の少年院)の少年たちが、集団疎開のために山奥の村に連れてこられる。
彼らはもちろん良い子ではないが、イメージするほど悪い子たちだとも思えない。
戦時中という時代を考えれば、子どもたちの心がすさんでいるのもしょうがないと思う。
谷を渡るトロッコに乗らなければ村に入ることはできな