4日くらい、1章ずつ読み進んでいたのだが、5章目に入ったところで我慢できずに一気に読み終えてしまった。
義兄・吾良の自殺と遺されたカセットテープをきっかけに、主人公・古義人の少年時代の体験が呼び起こされる。
古義人らが少年時代に体験した森の中の練成道場での出来事。
そこでは、政治的な問題や思想を大き
...続きを読むく含みながらその集団と進駐軍の軍人、少年時代の古義人と吾良のホモソーシャル、ホモセクシュアルな関係が描かれる。
最終章は主人公の妻の視点に切り替わる。それまで、男たちが主眼に置かれていたこの物語の中で、この章だけは女性が主役にすえられる。取り替えられた、あるいは失われた子どもを「生みなおす」存在として彼女らは表舞台に登場する。しかし、私はこの章について納得がいかない点ある。
一つは、無垢で美しい子どもが無条件に欲望されること。主人公の妻は、子どもの頃から美しく才能あふれる存在だった兄が、森の中の出来事を経て「向こう側」にさらされたことを悔やみ続ける。無垢さや完璧な美しさを失ったとき、子どもは「取り替え子」になるのだろうか。それはそんなにも悲しむべきことだろうか。そして、たとえば「取り替え子」として生まれた子どもは、欠けている部分を他の何かで補うことによって、いつか美しい自分を取り戻さなければいけないのだろうか。
もう一つは、そういう子どもを産むことを女たち自身が望むこと。この作品の中で、女は常に「母」である。「母」は美しい息子を産もうとし、息子は死んでまた「母」の胎内に戻っていくかのようだ。そして、「父」はほとんど不在である。
この作品から読み取ったものを確かな言葉にする術を私はまだ持たないけれど、もっと突き詰めて考えなければいけない作品だと感じた。