大江健三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「性的人間」について
痴漢歴のある人に読んでもらって感想を聴きたい作品。
この痴漢嗜好はどこまでリアリティを持っているのか?
後半の詩人が最期に出した結論は何だったのか。
彼は嵐のような詩を書くために、自身が最大級の興奮を得られる痴漢を実現しようとしていた。
その結果彼が起こした行動は、幼女を誘拐した上で電車の迫る線路上に幼女を投げ出し、自分の生命と引き換えに幼女救出を自演することだった。
彼の行動は一見、痴漢とはかけ離れている。
救出された幼女の母親は言った。「あの人は神様です」。
つまり母親の本心におさわりしたかったと・・・?
・・・うん、わかんない。
「セヴンティーン」について -
Posted by ブクログ
プロローグで、広島の人が「ヒロシマ」でひとくくりにされることの苦痛の吐露、そして、沈黙する権利がある、とのくだりを常に、心の片隅に置きながら読むべき本だろう。それを意識しないと、大江氏の感情の起伏の激しさに呑まれてしまうからだ。はっきり言って冷静さを欠いていると思う。
しかし、大江氏の優れているのは、たしかな耳と眼をもっていることである。大江氏の洞察は決して深くはない。しかし、事実を探り当て、拾い出し、ありままに記述する、たしかな耳と眼があることは信じられる。
今の時代の若い人には、歴史的、政治的な背景が分からないために、著者の悔しさは伝わりにくいかもしれない。けれども、原水爆禁止運動 -
Posted by ブクログ
全体の構成がこれほど奇異な長編もなかなかないだろうけど、その中で章を追うごとに小説の中の常識・世界観・思想がずれて現実から全く掛け離れていく感覚がある。もともと始まりから常識とは微妙に違う位相にあるようで、それが他者の言葉を受け止める・投げ返すという構造に途中から変わるとまったく新しくもはや手に余るものになってしまった。
所々で(やたら)現れるカタカナで書かれた台詞(というか切実な叫び)は読みにくくて苛々するけれど、わざと読みにくい小説を読むような人間にはいいみたい。転換後の森・父はいい具合にたがが外れているし、作中の人物が驚いたときにあげるン!?といった書き方もなぜか"残る&quo -
Posted by ブクログ
物語は、現在、70代になった作者が、大学時代の級友、木守に再会する場面から始まります。
そこから、二人が30年前に、とある映画を撮影する企画を通して再会し、また疎遠になっていく過程が回想されます。
国際的に映画のプロデューサーをしていた木守は、計画中の映画のシナリオを書かないか、と、級友だった作者を訪ねて来ます。その時、木守が連れて来た、海外で活躍する日本人女優のサクラさんは、作者が高校生の頃に故郷で偶然観た、プライベートに作られた映画、『アナベル・リイ』に登場した少女でした。
今回作られようとしている映画は、原作が外国のものですが、それを日本の農民一揆に置き換えようという事になり、そこで、