大江健三郎のレビュー一覧
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大江健三郎 「 燃えあがる緑の木 」 3部 大いなる日に
土地の伝承から始まった宗教集団が、個の信仰に分裂し、魂として土地に帰還する物語
神に帰依する信仰でなく、死者と共に生き、人間と集団をつなぐ信仰を対象としている。伝承、詩、文学など読み継がれてきた言葉が人間と人間、人間と集団をつなげている。
集団化によって起きる問題に対して、弱い人間、障害のある人間が 暗闇の中のヒカリになっている。両性具有や燃えあがる緑の木(露が滴りながら燃える木)などの両義的なモチーフは、弱い人間と強い人間の共生や集団維持の象徴として用いている
救い主の自己犠牲による死は必要だろうか。キリストの復活を想起させる -
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大江健三郎 「 燃えあがる緑の木 」 1部 救い主が殴られるまで
100分de名著により 人物イメージと主要テーマを学習済みなのでスイスイ読める。
1部の内容は 土着宗教の誕生プロセス と 魂の動きに関する思考実験と捉えた。これから宗教と魂、人間と命、記録としての文学を考察するための伏線だと思う
土着宗教の誕生プロセス
*土地の伝承を蘇らせる 救い主が現れる
*救い主の言葉と神秘的な力により、信仰者と糾弾者が現れる
*救い主と信仰者が一体となり 教会を建てる
魂の動き
魂が 身体の中で生き、身体を残して浮かび上がり、自分に割り当てられた樹木の根におさまる
救い主の言葉(死の恐怖の克服 -
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大江健三郎という作家は、自らの作品を改稿する癖で知られているが、2014年に出版された本書は、1957年のデビュー当時から60年代までの初期作品、80年代の中期作品、90年代前半の後期作品という3つの時代の短編を、自らの改稿に基づき編集し直された自作短編アンソロジーである。
長きに渡って活躍している作家であるが故に、決して執筆ペースが早い作家ではないものの、トータルでの作品数もそれなりに多くなる。それなりに彼の作品を読んでいる自身であっても未読(特に短編は)のものが多いため、改めて大江健三郎という作家の面白さを実感することができた。比較的初期作品は昔に読んでいたが、生々しいグロテスクさを詩的 -
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少し前の新聞に中村文則の「掏摸」が紹介されていた。中村さんは今や海外でも名を知られた作家だが、そのきっかけになったのが大江健三郎賞を受賞した本作が、賞の特典として翻訳されたからだ、という内容だった。
大江健三郎賞は聞いたことがあったが、選考委員は大江健三郎さんひとりで、賞金の代わりに海外に翻訳されて紹介される、賞は八年続いて既に終了しているということも知らなかった。
で、その賞の始めから終わりまでの受賞作の紹介とそれぞれの著者との対談を収録されているのが本作。
なかなか手ごわい本だったがおもしろかった。
受賞作のどれも読んだことが無いが、長島有の本は読んでみたいと思った。対談も一番楽しかった。 -
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読んだのは、昭和40年発行、昭和47年11月30日の11版です。
読書会の課題本で知りました。大江健三郎さんの本は難解とイメージがあり避けてました。
これは23歳のときに書かれたと知り驚きでした。
感化院の少年が村へ疎開するのですが、村では謎の疫病で動物たちが次々に死んでいるところでした。村人は少年たちを村に置き去りにして逃げ出します。朝鮮の人と疎開してきた小さな女のこも置き去りにされてました。マイノリティの連帯、正義が常に反転していて、少年たちの目線で物語を読み進められ。脱走兵もみなから侮辱をうけながら、ちゃんと学問を修めつつある人物だとわかります。
戦時中の全体主義の狂気がいまのコロナ -
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「赤革のトランク」に入っていた古い手紙類などは
ほとんど資料的価値のないもので
長江古義人は結局
父の不可解な死にまつわる謎を解くことができなかった
そんなわけで、長江には父についての核心的な思い出がない
ただし、父に代わって彼の人格形成に深い影響を与えた人物は2人いた
ひとりは松山の高校に入ったとき出会った親友で
のちには義兄ともなった映画監督の塙吾良
もう一人は、戦後「森」に帰ってきた本家筋のギー兄さんである
ところが前作「水死」では
老齢を迎えた長江じしんが、おそらくは人生初といっていいだろう
父親としての試練を前に立ちすくむこととなった
それは、長男アカリの善意による「イタズラ書き」に -
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天皇主義の戯画を演じて死んだ三島由紀夫に対し
戦後民主主義の戯画を引き受けて生きる大江健三郎は
三島の死をトリックスターのそれと決めつけ
影響力を無効化するために
天皇との和解を目論んだのだと思う
「あいまいな日本の私」とは、まさに天皇のことでもあるわけだ
それはもちろん逆説的に不敬だった
とはいえ、天皇との和解
小説を使ってのことにせよ
さすがの大江も、そんなご都合主義をやらかすほど
恥知らずにはなれなかった
それはあるいは、障害持ちの息子という心残りを置いた
老年の弱気なんだろう
そこでかわりに、三島のホモソーシャル志向を叩くべく持ち出したのが
メイトリアークという概念だった
天皇の家系を -
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1963年から65年にかけて、広島を訪れた著者が、いまもなおのこる原爆の後遺症にさいなまれながらも静かに今を生きている人びとの姿をえがいたノンフィクション作品です。
すこし気になったのは、「偶然にひとつの都市をおとずれた旅行者が、そこで困難な事件にまきこまれ、それをひきうけて解決すべくつとめる、というのは、ポピュラーな小説家が、たびたび採用してきた公式だった」という、蓮實重彦の問題提起を思わせるような文が記されていることです。本書には、政治的に対立する陣営の喧騒から距離を置くことで、文学を生業とする著者自身の観点から広島の真実にアプローチをおこなっているのですが、上の問題はそうした著者の態度