大江健三郎のレビュー一覧
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「火をめぐらす鳥」を読んだ時点で。
大江健三郎という小説家を表すいくつもの側面があるけど、そのうちの一つは「小説の言葉で『詩』を書く作家」というものがあるだろう。この短編はその側面の最良の一つではないか。
読み終わって
大江の最後の短編集であり、まさに円熟の筆致ということもあるが、語り直し、捉え直しや新たな作品への習作となっている作品ばかりで、継続して大江を読んできた読者にはとても楽しめた。
余談ながら「読者に向けて」の「人生の親戚」誕生に関する挿話に思わず笑ってしまった。深刻な出来事を語っていてもいつもどこかにユーモアの感覚が必ず潜んでいる、とても大江健三郎らしいエピソードだった。 -
Posted by ブクログ
「著者初の本格的近未来SF」と銘打たれているが、発表当時の評価はあまり芳しくなかったような記憶がある。スペースシャトル「チャレンジャー」事故など、1980年代後半の出来事から作り上げられた世界観なので、古いと言えば古いのだが、東京電力福島第一原発事故を経た現在から見ると、作中に描かれた核戦争後の「残留者」たちの生活が奇妙なリアリティを持って迫って来るから不思議である。
ストーリーとしては決して起伏がある作品ではない。エクリチュールの緊張感という意味でも、直前に読んだ『万延元年のフットボール』に比べるべくもない。しかし、核に汚染された土地にうっそうと生える木々や雑草の力強い様子が、なぜだか印象に残った。「残留者」たちのしたたかなたくましさを重ねて読んでしまうからだろうか? -
Posted by ブクログ
短編集。めちゃくちゃ心震え感動に胸打たれた!というものはなかったが、どれもそれなりに面白かった。『不満足』は暗すぎて好きではないが。
全体的に暗いのはいつも通りだが、それプラス諧謔、皮肉が効いている印象を受けた。
『スパルタ教育』、『敬老週間』、『アトミックエイジの守護神』は特にそう。『スパルタ教育』は特に好き。「恐怖は負け犬でいるよりマシ」というメッセージがとてもストレートに描かれている。
『空の怪物アグイー』は、『個人的な体験』と同じテーマを扱いながらだいぶ軽やかだなと思った。
解説の「副題をつけるとしたら『現代の恐怖』」というのは的確だなと思った。様々な恐怖が描かれていて暗い。 -
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文学作品を読むための方法について、著者がみずからの創作体験を踏まえながら考察をおこなっている本です。
著者は、文学について「客観的な尺度」が存在するという考えが、たちまち裏切られるものであることを知りながらも、「小説を書きながら、あるいは小説を読みながら……ある客観的な尺度による批評、しかも自分としてそれを喜び、心から同意できる批評ということを夢想しないものがいるだろうか」と語ります。そこには、「客観的な尺度」を求める個の態度が、文学をつくり出す、あるいは文学を読み解くという試みにつながり、それを共同の場へもたらしたあと、ふたたび個の作業へと帰っていくというプロセスを後押ししているという著者の考えが示されています。
本書では、ロシア・フォルマリズムの批評家たちによって提唱された「異化」の概念や、文化人類学者の山口昌男がさかんに喧伝したことで知られる「道化」の概念、神話学やユング心理学における女性像や、バフチンのカーニバル論などを紹介し、それらの概念が文学作品をつくり出し、あるいは文学作品を読み解くさいの想像力の働きにどのような影響をあたえるのかといったことが論じられます。
さらに著者は、本書の冒頭でミラン・クンデラのことばを引用することで、文学によって賦活される想像力がもっているはずの可能性について示唆しており、文学の可能性をより広い領域へと開こうとする志向が示されているようにも感じられました。 -
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静かな生活といふ表題作
以前ツイッターで、気分が滅入った時には短篇「静かな生活」を読むと恢復する。といふ趣旨のツイートを見かけた。表題作だけは三度目くらゐの再読になるが読んでみて、本当にその通りだと思った。
今回映画で感動したのをきっかけに初めて通して読んだが、表題作は連作中で群を抜いておもしろいと思ふ。アクション的な描き方と伏線のために。
むしろ「この惑星の棄て子」と「案内人」はキリスト教色が鼻につく感じ(前者は情景描写も長いと思った)で、「自動人形の悪夢」と「小説の悲しみ」はイーヨーに対する思ひを吐露してゐるが、表題作に比べて幾分あっさりしてゐる。「家としての日記」は表題作同様にストーリーが中心で、締めくくりにふさはしい。
さて私は全体的にはどちらかと言ふと伊丹十三の映画の方が好きといふ気持が強い。しかし小説としては表題作が好きだ(映画のその部分は単純すぎると思ふ)。
解説は伊丹十三で、この映画をつくるきっかけなどが書いてあり、ネズミトリ機などのエピソードはいいが、文学のテーマを語るくだりは的外れなやうな、おせっかいのやうな気がする。 -
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なぜこれを読もうと思ったのか?
ノーベル賞受賞の根拠となったらしい作品だから、というミーハーな動機・・・
冒頭だけ読んだ時点では、蛭子能収のマンガみたいな不条理作品なのかこれは?と思ってしまい、文章の読みにくさもあってげんなりしてしまったけど、読み進めていくにつれて意外と普通に理解していけばよい作品なんだと気づいた。
乱暴に要約するなら、主人公兄弟が「本当のこと」を自他に認められるようになるまで、という至極真っ当な話、ではある。
加えて、60年安保闘争の空気感とか、歴史的事件を踏まえた神話的ストーリー展開とか、開化されゆく地方の習俗とか、重層的なテーマが絡み合ってとても読み応えがある。人類学や構造主義哲学の素養があればより楽しめる作品なのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
大江健三郎といえば、「左翼」のイメージを持つ人が多い
僕もそうである
しかし、それはやはりそう単純な話ではないのだ
というのも80年代以降
大江は、朝日ジャーナルの本多勝一から
激しいバッシングを受け続けているからだ
「反核のくせに核推進派の文藝春秋から仕事をもらっている」
というのが、批判のとっかかりだったらしい
大江じしんはそれを「不当としか思えない」と言い切ってるし
僕もまあそう思う
しかしこのバッシングが
80年代の大江を、ある意味停滞させ
また「晩年」への出発点ともなったのは間違いあるまい
「河馬に噛まれる」はその発表時
本多への回答であるとされた
左派赤軍のイメージを、本多に当てはめることは可能だが
単に原理主義的二元論の亡霊と
斬って捨てることもできなかったようで
それはやはり大江の原点が
実は反ユマニズムだったからだろう
「河馬に噛まれる」
浅間にある別荘近くの食堂に入ったさい
地元新聞を手にとってみると
1面コラムに「河馬の勇士」なる人物が紹介されていた
新聞社の社長がアフリカ旅行中に出会った日本人であるらしい
ウガンダの国立公園で河馬に噛みつかれながらも
生還した人なんだけど
それが妙に浅間山付近のことに詳しいものだから
意気投合したという
しかしどうしても彼の氏素性を聞きだすことができず
やむなくつけた渾名が「河馬の勇士」
…それを読んだ筆者には心当たりがあった
河馬の勇士は10年前、左派赤軍の山岳ベースにおいて
便所掃除を担当していた少年ではないだろうか
「河馬の勇士と愛らしいラベオ」
河馬の勇士が獄中にあったころ
彼の母親に頼まれて、手紙のやりとりをしたことがあった
そのときの思い出を、短編小説にして発表したところ
思わぬ反響があった
山岳ベースで殺された女の妹が、筆者を訪ねてきたのである
姉の追いかけた理想を確かめたい彼女は
河馬の勇士の居所を知りたがった
「河馬の昇天」
石垣ほそみと名乗る彼女は、本当にアフリカに行って
河馬の勇士のもとに転がり込んでしまった
ところが、じきに喧嘩して飛び出していくことになる
マルクス主義の理想に背を向けたかのような、河馬の勇士の生き方が
どうしても我慢ならなかったらしい
マルクス主義の理想とは未来のパラダイスであり
そこから見た河馬の勇士の勤勉さは
ほそみさんにとって、刹那的な自堕落でしかなかった
結果的に殺されたとはいえ
そこに理想があったからこそ、姉は赤軍に参加したはずなのだ
「四万年前のタチアオイ」
ミルチャ・エリアーデによると
キリスト教徒に核兵器を恐れる理由はないのである
滅亡とは最後の審判、すなわち救済であるから
核兵器を恐れるのは
現世のパラダイスを信じるマルクス主義の価値観にほかならない
かつて筆者が、自殺を肯定するかのような小説を発表したとき
マルクス主義者のタカチャンは憤慨して
筆者をYS(吉永小百合?)の映画に連れて行った
ここには希望がある、こういう希望を書けというのだった
そのタカチャンは学生紛争のときの傷がもとで
いまや寝たきりになっている
YSの中国訪問団に参加した筆者は、宿舎でタカチャンの夢を見た
初老を迎えようとする自分が、いかに生きていけばいいのか
タカチャンに助言を求める夢だった
「死に先だつ苦痛について」
二十代の終わり頃に付き合いのあったタケチャンは
筆者のことを「あにさん」と呼んで慕っていたが
脳障害の子供が生まれてから疎遠になった
タケチャンは男性であるが
筆者は彼をヒロインのモデルに、「個人的な体験」を書いた
実際に彼は、子供を殺せとそそのかしてきたのだが
筆者の思想的転向によって回避された
その後タケチャンは、海外旅行のコーディネーターとなる一方
若者たちを集めて秘密結社を組織した
死期が近いと悟った彼は、最後に「人の死なないテロ」を計画するが
結社の不満分子を殺害のあげく
タケチャンの病状を知って、情緒的になった女性メンバーが
秘密を外に漏らしてしまい
計画は頓挫する
大江健三郎は、理想の兄として「ギー兄さん」を書く一方
しばしば焚きつけてくる弟分を登場させた
実は「芽むしり仔撃ち」から「晩年」まで続くひとつのテーマである
「生の連鎖に働く河馬」
筆者の尽力もあって、よりを戻した河馬の勇士とほそみさんの間に
第一子が誕生したらしい
筆者はそのことを、女流作家N(野上弥生子だろう)の葬式で
ほそみさんの母から伝えられた
彼女からすれば、河馬の勇士は娘のカタキでもある
そんな事情あってか
日本への帰国に際し、河馬の勇士は
筆者の別荘を貸してほしいと頼んできた
それを快諾した背景には
彼らのことを小説のネタにしている負い目も
まったくないとは言えない
実際、ほそみさんはその点について筆者のスタンスに批判的だった
別荘に赴き、河馬の勇士一家の受け入れ準備をしながら
筆者は、毒蛇に噛まれた自らの少年時代を回想する
少年たちの掟に背いては、自殺行為を繰り返し
母に心配ばかりかけていた彼は
霊的なレベルにおける、故郷喪失者だった
河馬の勇士が帰国したのち
彼らの子供がダウン症であると判明する
ほそみさんはショックを受けるが
筆者の妻に支えられて立ち直っていった
小説は、やはり転向者だった中野重治の言葉で締めくくられる