大江健三郎のレビュー一覧
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ネタバレ当時の大江健三郎のあらゆるエッセンスが詰め込まれた意欲作。
物語の設定とストーリーは、自身の故郷である愛媛の山間の村落、障害を患ったであろう子の誕生、戦後民主主義の中のアメリカ文化、学生運動と命をかける青春(跳ぶ、ほんとうのことなど)などの作者のバックグラウンドが複合して形作られている。
同時に、冒頭の難解な長文はロシアフォルマニズムの異化の手法、弟鷹四の村落への反乱とその消滅は当時からの有力な学説であった異人による日常への祝祭の現出を採用しており、それらをすべて一つの作品で詰め込んだ内容の濃い作品なのだ。
一度目を読むのに時間はかかるが、それだけの意味のある作者の最高傑作。 -
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日本人でありながら、自国からのノーベル賞受賞作家作品を読んだことがないのもいかがなものか、と思いまして。で、その大江作品の中、例の福田書評集で最も高評価だった本作をチョイス。勝手な印象だけど、何となく読み心地は村上春樹風。それをもっと小難しくした感じというか。あと思ったのは、英語みたいな日本語だな、ってこと。何を言っているのかというと、一文あたりがやたら長くて、文の途中まで意味が掴めないと思ったら、最後まで読んで腑に落ちる、みたいなあの感覚。なので読解に骨が折れる部分も少なくないけど、意外にリーダビリティは悪くない。内容は、タイトルからはイマイチ想像が出来なかったけど、江戸時代の一揆を、現代に
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大江健三郎は難解のように思われていて、じっさい簡単に読み解けるというわけではないのだが、言うほど難しくもないと思う。ただ、何通りもの読みかたができたり、いくつもの意味が込められたりしていて、たんに読むだけならまだしも、そのすべてに自分なりの解釈を与えてゆくという作業を加えると、やはり読むのにものすごく時間がかかってしまう。それに、そのことを言葉で適切に表現することも非常に困難であるが、さいわいにして本作には巻末に優れた解説があるので、そちらを適宜参照したい。同解説で触れらえているとおり、「懐かしい年への手紙」という、通常では組み合わせない単語のタイトルになっている点にまず注意する必要がある。こ
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ネタバレ「おれはいまセックスとは何か? ということを考えているんだよ。おれはひとつのテーマについて永いあいだ瞑想するのがすきなんだ。それで三時間おれはセックスの問題について瞑想していたんだよ。考えてみろよ、昔はモラリストとかフィロソファーとかがいて、基本的な命題をじっと徹底的に自分の頭で追求したんだ。そして自分の声で表現したんだね。だから、その時代には、あの男は自然についてこう考えているとか、この男は悪魔の存在についてああいう仮説をたてているとか、町の人間がみな知っていたんだ。しかし今日では、そういうことはない。もう現代の人間どもは、いろんな基本的な命題については、二十世紀の歴史のあいだにすべて考えつ
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うわぁぁぁーーーーーっ!
確かに、しっかりと、その「叫び声」を聞いた・・・。
「人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫び声が自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑う」(ジャン=ポール・サルトル)
生臭さと、鋭利さと、ざらつきが一度に迫ってくるような、そんな小説。
エロスとグロテスクとタナトスに彩られ、眉をひそめるような嫌な感覚がびしびし伝わってくるのだが、それがまた生々しくて、小説の状況とは裏腹に活き活きとしていて、とても面白かった。青春群像劇特有の疾走感も良かったのかもしれない。
サルトルの言葉 -
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ネタバレ高校時代からの親友であり映画監督の塙吾良がビルから投身した。古義人のもとには彼の声が吹き込んであるカセットテープとそれを再生するための「田亀」があった。「田亀」をとおして吾良と会話する古義人。その姿におびえる妻の千樫と息子のアカリ。
「田亀」と距離をおくためベルリンに赴く古義人。
週刊誌では吾良の死因が悪い女に求められるが、吾良と千樫はそうではないと思う。
吾良がヤクザに襲われたときのことから、吾良は自然と自分に襲いかかってきたテロルについて思いを寄せる。
ベルリンに行く前、千樫は古義人に言う。
彼らが学生のとき、夜中に帰ってきてガタガタになっていた、あのときのことを今度はウソをつかずに書 -
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ネタバレ想像力とは、「究極のリアリティー…すなわち、われわれが神と呼ぶところのものと接触するための、人間の心理にとって知られている最高の方法である」
「世界は、ひとつにまとめる想像力の力を必要とする。それをもたらしてくれる最良のもの二つが、詩と宗教なのだ。科学はあたえるけれど、破壊しもする。」詩というより自分にとっては小説を中心とする文学の全体と、これという宗教が思い定められないのであれ神秘的なものへの祈念と、その二つを介して、つまり想像力の力において、私もこの世界をひとつにまとめて把握したい。自分が生まれ出てきたこと、そして今まで生きてきたし、現に生きている、そして死んでゆくけれどもその総体が生きる -
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復帰40周年記念読書。
「沖縄」と「本土」の埋まることのない溝を認識しつつ、かつ自身が「本土」側に属していることを痛感しつつも、沖縄のふところに深く入り込んで、本土の人間なら見て見ぬふりをしたいであろう問題を真正面から見つめ続ける著者に脱帽。
本書の中で大江は繰り返し問う、「日本人とは何か、このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか」と。
沖縄(基地)関連のニュースが出るたびに、「傲慢だ、強欲だ、日本の癌だ」と沖縄を貶めたがる人たちがいる。あるいは積極的に罵倒こそしないが沖縄問題など自分には関係ないことだと思っている人たちがいる。彼らがすなわち大江の言う「こ -
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非常に為になったと思う。じっくりと、非常に時間をかけて読み取って多くのことを読み取った。
これから自分が一人の読み手/書き手としてどのような姿勢を持つべきなのか、どのようなものに着手するべきなのか、それを具体的に明示してくれていた。しかも、その内容が、示し方が、非常に納得の行くものであった。論理的に説き伏せられるのではない、感覚として実感を与えてくれるような言葉の力があったように感じる。
異化するということ、そして想像力と言うこと...文学の中核を為す概念について、今まで自分がいかに無頓着であったかを初めて認識させられた。一冊一冊と、一人一人と、もっと真摯に向き合っていきたい。