大江健三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
これまでおよそ時系列で大江健三郎の著作を読んできましたが、ピンチランナー調書辺りから主題と言うか、小説を書く目的みたいなものが少しずつ変わってきている気がします。
前期は人間の虚飾や欺瞞や、ありとあらゆる醜い部分を徹底的にほじくっていますが、後期は虚飾や欺瞞をバイパスに、その先にあるものを書こうとしている様です。
私は作家としての大江健三郎自身に強い思い入れはなく、単純に作品のみを好んでいます。従って好みの問題で言えば、前期の方が圧倒的に好きです。だいたい作者が30代以前の作品が特に。
ただし若いころの作品は、若かったから書けたんじゃないかとも思います。
大江氏の場合、負の部分をほじくるな -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
「私は渡辺一夫のユマニスムの弟子として、小説家である自分の仕事が、言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています。」―一九九四年ノーベル文学賞受賞記念講演ほか、全九篇の講演に語られた、深く暖かい思索の原点と現在。
[ 目次 ]
あいまいな日本の私
癒される者
新しい光の音楽と深まりについて
「家族のきずな」の両義性
井伏さんの祈りとリアリズム
日米の新しい文化関係のために
北欧で日本文化を語る
回路を閉じた日本人でなく
世界文学は日本文学たりうるか?
[ POP ]
[ おすすめ度 -
Posted by ブクログ
ネタバレまず、表紙裏の解説には「老人たちの奮闘記」てなことが書いてあったけど、私は全くそうは感じなかった。
虐待にあった女性が傷へ向き合い、再生へ。
それが「ミヒャエル・コールハース計画」を通して語られている。
主人公は大江自身を思わせる作家であり(私は大江作品を初めて読んだのでいつもこうなのか定かではないが)どこまでが現実なのかどこからがフィクションなのかわからなくなる。その境界から、読み手はいつの間にかフィクションの世界に誘われていくのか。
でも私は全くフィクションのほうが入り込みやすいな。
こういう設定だと書き手は人物設定が簡単で済みそうな気がする。
きっと、木守は映画の完成を待たずに亡く