池田香代子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ小説の形式で哲学を語る、ということがはたして可能なのか? 本作と出会ったとき、最初に胸に兆した疑問がこれだった。
読み始めると、殊の外相性がいい。著者ヨースタイン・ゴルデルの筆力に負うところが大きいのだろうが、日ごろ「哲学」と聞いただけで忌避してしまいがちな人にこそお勧めしたい。
このレビューは、『ソフィーの世界』の上下巻を通読しての感想となる。
著者はノルウェー出身なので、ここで語られる「哲学」は、西洋哲学である。
古代ギリシャのソクラテス・プラトン・アリストテレスと続く哲学に始まり、中世哲学やルネサンス、啓蒙主義などに触れ、近世の合理論や経験論の解説がなされる。最後に近代哲学に分類されるニーチェやサルトルが語られる。
せっかくなので現代の哲学についても触れてほしかった思いはあるが、本作を一通り読めば、西洋哲学の系譜を俯瞰することができるだろう。小説なので、なおかつ読みやすいのはうれしい。
深く掘り下げるには、なお専門書の類を渉猟しなければならないが、哲学の入り口としては申し分ない。子供たちに向けたバージョンも発行されているのもうなずける。
小説としては、物語の中で、別の世界の物語が語られる。メタ構造の物語であり、それがミステリー要素を生み出している。こうしたギミックも小説ならではであり、ややもすればとっつきにくさを感じてしまう哲学を、平易な次元に下ろして読ませることに寄与している。
哲学を学ぼうとするよりも、物語を楽しむという気持ちで読み進めるほうがよい。
本作でも哲学が投げかける命題は難解だが、ソフィーと先生の軽妙なやり取りのなかで、自然に何となく理解できたような気になる。
読んでいくうちに、普段とは異なる哲学的な思考方法にいくつも触れて、その中から多くの発見をすることになるだろう。そして、同時に優れたファンタジー小説を読み終えた満足も得られる。
一つの物語で、たくさんの楽しさを感じることができる。非常に「お得」な作品だと思う。 -
Posted by ブクログ
_/ 感想 _/_/_/_/_/_/
出版から時間がたっているので、今は状態が変わっていると思いますが、世界に目を向けると、文字が読めないひとがいたり、きれいで安全な水を飲まないひとがいたり、日本での生活とは大きな違いがあることがわかります。
それは、幾度となく聞いていることではありますが、あらためて、100人に置き換えて考えると、その割合には驚かされます。
いま、辛いと思えることは、きっと些細なことでしょう。
もっと、喜びを出していかなければなりません。
そして、できることに、手を差し出していかなければなりません。
この本は、それをわかりやすく伝えてくれます。
/_/ あらすじ _/_/_/_/_/
世界の状況を、100人の村に置き換えて、語りかけてきます。
もしもこの本を読めたなら、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります。 -
購入済み
「苦しむことはなにかをなしとげること」
はたして自分がその境遇になったときに
そのように境地に達することはできるのだろうか。
解放されずに殺されてしまった人々は、どう思うだろうか。
結論を出せるような問題ではないが
自分にはない視点を得られた。 -
Posted by ブクログ
前回読んだ、「点子ちゃんとアントン」の3年前に書かれた本書(1928年)は、まだ世界恐慌前の、新しいものに囲まれ目覚ましい発展を遂げたベルリンを舞台に、主人公の男の子「エーミール」を初めとした、子どもたちの活き活きとした個性が、爽やかな余韻を残してくれる、子どもに語りかけるような、ケストナーの文体を見事に日本語で表した、池田香代子さんの訳も楽しい作品となっております。
そうした個性は、『女なんてあわれなもんよ』と、如何にもな知ったかぶりを得意気に言う姿に、却って、可愛らしさや明るさがある「ポニー」や、『てやんでい』が口癖の「グスタフ」、皆のまとめ役の「教授」、素直な寝言に微笑ましさがある、ちびの「ディーンスターク」等々、様々でありながら、その中でも考え方の違いから浮いてしまう子達も、当たり前のように同等の視線で描いているところが、如何にもケストナーらしいなと感じつつも、そんな平等性の素晴らしさは元より、ただ優しいだけではない点に、更なる彼の素晴らしさがあることを、ここでは、より強調しておきたい。
というのも、今の世の中で感じられる、ひとつの閉塞感として、その人らしさとして認めてあげながらも、時にはそれは違うと判断が出来、尚且つ、その人を傷つけずに理解へと促せるような、的確な線引きを行える人が少ないような気がしており、ここでは、それをケストナー自身の人生と重ね合わせることで、より説得力を増しながらも、明確なのは、子どもだけでなく、大人にも平等性を唱えていることである。
例えば、お父さんの人間性を表した教授の言葉に、『父さんがいっしょにいても、おんなじことをするかなって、いつも考えろって。きょうも、そうするだけだよ』があるが、この言葉は、お父さん自身がそうした人格者で無ければ、まるで説得力の無いものとなってしまう事に加え、彼と教授とが、父と息子でありながら、対等な関係性を位置付けていることも良く分かる台詞である点に、家族のひとつの素晴らしさが垣間見え、そうした教えを受けているからか、教授自身の大人顔負けの台詞として、『道徳的には、おまえが正しいよ。だけど、裁判所はおまえを有罪にする。ここんとこ、おとなだって、わかってないやつはいっぱいいる。だけど、そういうことなんだよ』が挙げられ、これには、思わずハッとさせられるものがあった。
また、そうした親子の対等性は、エーミールとお母さんも同様であり、父を幼い頃に亡くした彼は、それ以来、自分が周りの子どもたちからも見劣りしないように、お母さんがどれだけ身を粉にして働いているのかを、よく理解しており、そんなお母さんに応えてあげたいと行動で示す彼の思いは、まさに二人だけだからこそ、上下関係ではない共に生きていく対等で大切な存在であることを裏付けた、読んでいて、とても心が温かくなる関係性だと感じつつ、それぞれの自由を認めながら言いたいことも言い合える、懐の深い素敵な関係性でもあり、それは、彼の思いに寄り添ったケストナーの言葉からも感じられた、生きていく上でとても大切な、相手の気持ちに寄り添い、それを思うことなのです。
『エーミールはお金を思って泣いたのだ。母さんを思って泣いたのだ。これがわからないような人は、どんなにごりっぱな人でも、たいしたことはない』
私も同感です。 -
Posted by ブクログ
勇気とかしこさについての物語
寄宿学校で生活する個性豊かな少年たちのクリスマスのお話。悲しみを抱えながら一生懸命生きている少年たちや、彼らに寄り添う素敵な大人たちに出会えます。先生は「正義さん(ベク先生)」が好きで好きでたまりません。作家ケストナーの熱の込もった珠玉の言葉の数々も心の奥底を響かせます。何度読んでも味わい深い、先生の大好きな本です。
「人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。」
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友達を救出するために「無断外出」した少年たちに正義さんが話をする場面、ウーリが名誉のために飛び降りる場面、正義さんと禁煙さんが再会をする場面、きっぷ代がなくクリスマスに帰省できないマルティンに正義さんが手を差し伸べる場面、そしてマルティンが家の呼び鈴を鳴らし両親に会う場面など、いくつもの大好きな場面がある。
登場人物もみんな魅力的。粗暴に見えて、ウーリをいつも気にかけているマッツは優しい心根をもっているし、正義先生の話を聞いて心を打たれたかっこつけテーオドールなんか、物語の序盤は憎いやつだったのに、後半はすごく可愛く思えた。不幸な境遇にいるはずのジョニーが「心配するな。ぼくはすごくしあわせってわけじゃない。そんなこと言ったらうそになる。でも、すごくふしあわせってわけでもないんだ」と言って、マルティンを安心させられるのはすごい。尊敬する。家に帰ったマルティンが両親に真っ先に言った言葉「帰りのきっぷ代ももってるよ」には、じーんとした。
大人も最高。正義さんみたいに信頼できる大人になりたいと思うし、禁煙さんみたいに「正義さんには言いづらいけど、禁煙さんには言える」と思われるような大人にもなりたい。司書としては、禁煙さん的な存在を目指したい。最近は、そんなふうに、先生に言えない話や相談をしてくる子もちらほら現れるようになってくれて、少し緊張するがうれしい。
ケストナーの心のこもったメッセージもたくさん入っていて、少し教訓的で苦手な人もいるかもだけど、自分は好き。この物語の大きな魅力だと思う。ケストナーは、「子どもたちに届けたいメッセージ」をストレートに伝えてくれる大人で、それを楽しい物語の中に散りばめることができる稀有な存在だ。ナチスの時代に書かれたという背景を知って、その思いがさらに強まった。本当にすごい。
大学生のときに初めて読んで以来何度も読んでいるが、そのたびに心が揺さぶられる。クリスマスのたびに読みたいと思える作品。 -
Posted by ブクログ
読後感の重いものを読むのが好きなので、好みの本の中で、読み終わって幸せな気持ちになる本はあまりないのだが、児童文学の名作は、読むと幸せを感じることがある。それは単に明るく軽々とした気持ちではなく、不幸やアクシデントが人生には必ずあるが、幸せに生きることは不可能ではないという思いが満ちるといった感じ。そしてその中でも特に切ない幸福感を感じられるのがケストナーの作品である。
そのケストナーのその人となりがどのように形成されていったかがわかるのがこの本である。
ケストナー自身が、祖先から始まって、第一次世界大戦までの自分自身のことを書いた、前半生の自伝である。
子どもにも読めるように書かれているが、ケストナーの家庭の特異さは伝わる。二十歳のイーダは、姉たちに、結婚は生活だからと説得され、「ぜんぜん好きになれない」と感じた、真面目な職人のエーミールと結婚する。これがケストナーの両親である。
これは非情な選択というわけではなく、ちょっと前の日本も同じ感覚だった。ましてや1892年である。
「結婚とは家事とやりくりと料理と子どもを産むことでできているのだから。愛なんて、よそいきの帽子くらいには大切かもしれない。でも、とっておきの帽子がなくたって、人生ちっとも困らない!」(P60)
結局イーダ、すなわちケストナーの母は生涯夫を好きにはならなかった。夫エーミールは真面目で穏やかで、子どもを可愛がったのに。イーダは一人きりの子どもであるエーリヒだけを愛した。エーリヒと母は気も合ったし、趣味も合った。そしてお互いに愛しあっていた。
たった三人の家族で二人だけが愛し合う。残された一人はどんな気持ちでいる?
そしてその一人の思いに、気づかないような二人ではないのだ。気づいていながら、それには触れない。それは、二人がどんなに朗らかに過ごしていても影を落とさないわけにはいかない。
ケストナーは子どもの心を忘れないからたくさんの子どもを主人公にした名作を書けたわけだけど、忘れられなかったというのが本当のところなのだろう。そのことが、彼自身の家庭を作ることにストップをかけたのではないか。
しかし、お陰で私たちは彼の作品を読むことができる。
不思議なことだし、ありがたいことだと思う。
「ぼくたちは幸せで不幸だ。不幸の中にも幸せがあったりもする。」(P207)
「忘れてしまったのは古いことで、忘れられないことはきのうのことだ。そこでのものさしは時計ではなく、大切さだ。いちばん大切なのは、楽しかろうが悲しかろうが、子ども時代だ。忘れられないことは忘れてはいけない!」(P20)
コルドンの書いた評伝も読まなくちゃ! -
Posted by ブクログ
存在は知っていたものの未読だった本で、新訳を機に初めて読みました。ケストナーらしい、優しく、たまに鋭く斬り込む文章で、まるで物語を読むのと変わりなく楽しみましたが、奥に秘められた故郷や家族親族への大きな想い、時代に対する深い慈しみと怒りのような、生身の感情が溢れていて、小説とはまた違ったケストナーの言葉を感じました。
タイトル通り、少年時代の終わりと共に終わっていて、あくまでも子どもの目線で見たままの世界がそこにあり、苦しさよりも、生き生きとした少年の日常の印象が強く、戦争の気配はまだないですが、ケストナーが生きた時代をより深く知るなら、この後、終戦日記を読むと、理解が深まるのかなと思っています。