あらすじ
貧しい家に生まれたひとり息子は,両親の愛情をまっすぐに受けとめて育ち,働きづめの母親を懸命に支えた.大好きな体操,個性的な先生たち,つらかったクリスマス,大金持ちになったおじ,母親との徒歩旅行……軽妙かつ率直に語られる数々のエピソードが胸に迫る.ケストナーのエッセンスがつまった傑作自伝,待望の新訳.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
名作だな。これは手元に置いてときどき開いては笑ったり唇を噛んだりするべき本だ。百年の孤独と似たようなところすらある。子どもの本にしておくだけではもったいないよ。買おうかしら。
Posted by ブクログ
読後感の重いものを読むのが好きなので、好みの本の中で、読み終わって幸せな気持ちになる本はあまりないのだが、児童文学の名作は、読むと幸せを感じることがある。それは単に明るく軽々とした気持ちではなく、不幸やアクシデントが人生には必ずあるが、幸せに生きることは不可能ではないという思いが満ちるといった感じ。そしてその中でも特に切ない幸福感を感じられるのがケストナーの作品である。
そのケストナーのその人となりがどのように形成されていったかがわかるのがこの本である。
ケストナー自身が、祖先から始まって、第一次世界大戦までの自分自身のことを書いた、前半生の自伝である。
子どもにも読めるように書かれているが、ケストナーの家庭の特異さは伝わる。二十歳のイーダは、姉たちに、結婚は生活だからと説得され、「ぜんぜん好きになれない」と感じた、真面目な職人のエーミールと結婚する。これがケストナーの両親である。
これは非情な選択というわけではなく、ちょっと前の日本も同じ感覚だった。ましてや1892年である。
「結婚とは家事とやりくりと料理と子どもを産むことでできているのだから。愛なんて、よそいきの帽子くらいには大切かもしれない。でも、とっておきの帽子がなくたって、人生ちっとも困らない!」(P60)
結局イーダ、すなわちケストナーの母は生涯夫を好きにはならなかった。夫エーミールは真面目で穏やかで、子どもを可愛がったのに。イーダは一人きりの子どもであるエーリヒだけを愛した。エーリヒと母は気も合ったし、趣味も合った。そしてお互いに愛しあっていた。
たった三人の家族で二人だけが愛し合う。残された一人はどんな気持ちでいる?
そしてその一人の思いに、気づかないような二人ではないのだ。気づいていながら、それには触れない。それは、二人がどんなに朗らかに過ごしていても影を落とさないわけにはいかない。
ケストナーは子どもの心を忘れないからたくさんの子どもを主人公にした名作を書けたわけだけど、忘れられなかったというのが本当のところなのだろう。そのことが、彼自身の家庭を作ることにストップをかけたのではないか。
しかし、お陰で私たちは彼の作品を読むことができる。
不思議なことだし、ありがたいことだと思う。
「ぼくたちは幸せで不幸だ。不幸の中にも幸せがあったりもする。」(P207)
「忘れてしまったのは古いことで、忘れられないことはきのうのことだ。そこでのものさしは時計ではなく、大切さだ。いちばん大切なのは、楽しかろうが悲しかろうが、子ども時代だ。忘れられないことは忘れてはいけない!」(P20)
コルドンの書いた評伝も読まなくちゃ!
Posted by ブクログ
存在は知っていたものの未読だった本で、新訳を機に初めて読みました。ケストナーらしい、優しく、たまに鋭く斬り込む文章で、まるで物語を読むのと変わりなく楽しみましたが、奥に秘められた故郷や家族親族への大きな想い、時代に対する深い慈しみと怒りのような、生身の感情が溢れていて、小説とはまた違ったケストナーの言葉を感じました。
タイトル通り、少年時代の終わりと共に終わっていて、あくまでも子どもの目線で見たままの世界がそこにあり、苦しさよりも、生き生きとした少年の日常の印象が強く、戦争の気配はまだないですが、ケストナーが生きた時代をより深く知るなら、この後、終戦日記を読むと、理解が深まるのかなと思っています。
Posted by ブクログ
ケストナーらしさがギュッと詰まったような自伝。まえがきにもあるように、子どもにも、子どもではない人にもおすすめ。第11章は、かつて子どもだった私と、いま母親である私の両方に深く刺さるものだった。
Posted by ブクログ
洒落たまえがきにはじまり、
職人技のような流麗たる筆で語り尽くすラスト、そしてまた飄々としたあとがきで終わる なんともケストナーさんな1冊でした。
ご両親の生まれから 出会い ドレスデンのかつての美しさ。
ケストナーが生まれてからは まるでエーミールと探偵そのままで、下宿人の先生のことなんて懐かしいとさえ感じてしまいました。
でもやっぱりお母さま。
それはそれはやり手なお母さんですが
しっかりと悩みを抱えていました。
クリスマスの贈り物を父と母それぞれが競うように用意していたのを感じ取ってしまう繊細な少年ケストナーには、
何度も母を探し歩く不安な日々がありました。橋の上で川の流れを見つめる母を見つけるまた小さな男の子の姿は、今はもうどちらの気持ちもわかる歳になった読者を泣かせます。
_彼女は完全な母親になろうと思い、そうなったのだから、彼女の賭け札であるわたしにとっても疑いの余地はなかった。つまり、わたしは完全なむすこにならねばならなかったのだ_
つらい…
エキセントリックなフランツおじさんや小学校のレーマン先生とのロッククライミングなどなど ほんとに鮮やかに子ども時代が描かれますが、
1914年の8月 休暇先から満員の汽車に乗ってドレスデンへ帰る人々。
_世界戦争がはじまった。わたしの子ども時代はおわった。_
この悲しみを含んだ鋼のような言葉の後に
おわりのあとがきがあります。
正直私はここが1番好き
猫たちとのたのしい会話で このおはなしに書いたことと書かなかったことを照れくさそうに言い訳しているというか
羊飼いの少年の靴下が下がりそうなことを心配しつつ 飄々とサヨナラするなんて
やはりマエストロでした。