池田香代子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本書は「哲学者からの不思議な手紙」とサブタイトルがあるように、哲学について書かれたファンタジー小説です。
哲学というと何やら小難しい印象がありますが、小説の形式をとったストーリー仕立てで、物語を楽しみながら読み進めることができました。
とは言え、上巻と下巻の両方を通して読み終えた時の感想は、ただストーリーをなぞり、それを楽しんだだけで、何か大切なものに気づかず通り過ぎてしまっているような気がして、続けてもう一度読み直しました。以下は上下巻を通して再読しての感想です。
主人公は「ソフィー」という名の14歳の普通の女の子。そんな彼女のもとに、
「あなたはだれ?」
とだけ書かれた差出人不明の手 -
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本書は「哲学者からの不思議な手紙」とサブタイトルがあるように、哲学について書かれたファンタジー小説です。
哲学というと何やら小難しい印象がありますが、小説の形式をとったストーリー仕立てで、物語を楽しみながら読み進めることができました。
とは言え、上巻と下巻の両方を通して読み終えた時の感想は、ただストーリーをなぞり、それを楽しんだだけで、何か大切なものに気づかず通り過ぎてしまっているような気がして、続けてもう一度読み直しました。以下は上下巻を通して再読しての感想です。
主人公は「ソフィー」という名の14歳の普通の女の子。そんな彼女のもとに、
「あなたはだれ?」
とだけ書かれた差出人不明の手 -
Posted by ブクログ
天真爛漫でなんとも独特なキャラクターの点子ちゃんと、健気で母想いのアントン。
お互いを思いやる2人の友情と、それぞれの家庭の事情やいくつかの出来事が絡んで物語は進みます。
2人も(もちろんワンコのピーフケも!)とっても魅力的なのですが、周りにいる大人たちが様々すぎる。いろんな種類の大人を集めた図鑑みたいで、コレ子どもも楽しく読むだろうなぁ。
そしてやっぱりケストナー、まえがきからガンガン話しかけてくるのですが、そこで「章が終わるごとに立ち止まって考えるよ」と前置きがあります。
章の終わりに差し込まれるこの部分、語り口は軽快なんだけどなんかもう深くて重い。
この作品が発表された1931年のドイツ -
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Posted by ブクログ
学生の時以来の再読です
久しぶりに読みましたが相変わらずわかりやすくて面白いなぁと感じました
哲学について全く知識がない人でもすんなり読むことができると思います
むしろ全く知識がない人の方が楽しめるまであるかもしれません
ミステリ要素もあるので物語としても楽しめます
多くの日本人がうっすら抱いている宗教への嫌悪感について、本作を読むと違った見方ができるようになるかもしれません
宗教と哲学は切っても切れない仲なのだということを教えてくれます
下巻もこのまま読みます!
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いま、ふたたび自分の存在を問い直すときがきた
14歳の少女ソフィー -
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Posted by ブクログ
ケストナーの作品は、決して夢見る甘い出来事ばかりが起こる物語ではない。そこにリアリティがあるが、ちゃんと希望を持てる話しであるところが好き。
登場する子どもは、真っ直ぐで、目の前の出来事に夢中で一生懸命で、それ故に無謀さもあるけれど、とっても勇敢だ。
読んでいてスカッと、そして胸が震えるのは、主軸のストーリーに加えて、物語の主役としては地味でも本質的に素晴らしいことをした登場人物にも万遍なくスポットライトをあてる大人が登場すること。
そして、胸がキュンとするほどいじらしく、勇敢な子ども達とその周りの大人とのやりとりに心底気持ちがあたたまる。 -
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Posted by ブクログ
ケストナー作品では『飛ぶ教室』『二人のロッテ』『点子ちゃんとアントン』をこれまでに読んでいて、どの作品でも子どもの健気さや、親子の関係性にぐっと来ていたけれど『エーミールと探偵たち』でもエーミールとお母さんの関係性に憧れてしまう。エーミールと教授くん、2人が親について話し合う場面、かなり好きなんだよなあ。
登場する子どもたちは《こんな子いたな》《いそうだな》と思わせられるリアリティがあるのに、絶妙なバランスで《こんな子(友達)いたら良いなあ!》が混じる。現実的で理想的って、そりゃあ夢中になれる物語じゃないか。
探偵たち全員、エーミールを助けたいって動機はたぶんあるのだけれど、それより何より、 -
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Posted by ブクログ
クリスマスの物語ということで、この時期まで取って置いた、タイトルだけは若い頃から知る本書を読み、改めてケストナーはいつだって子どもたちの味方だということを、強く実感することができ、それは彼に対する紛れもない信頼度の高さを裏付けるには、充分過ぎる程のものを私に残してくれた。
その根拠の一つに、普段は飄々とした感のある「まえがき」から、既に熱いケストナー節を感じられたことがあり、それは大人も子どもの頃を経て大人になっているはずなのに、時に子どもだからといった見做し方をしてしまう、そんな大人に対する嘆きは言い換えれば、大人と子どもの間に境界線など存在しない平等性なのだと思い、それは本編の登場人