池田香代子のレビュー一覧
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ネタバレどんなに自由のない状況に陥ろうと、その時の自分自身の精神的存在について決断を下せるという自由がある。自分がどのような人間であろうとするか、自分が何を大切にするか、何を捨てたくないか。無期限の暫定的存在は未来や希望の消滅、目的の喪失に繋がりやすい。その曖昧な精神状態では精神的に破綻する。その時目的は未来に向ける必要がある。過去に向きすぎると未来の可能性や目的を見失う。この際失業者の場合も似たような心理的状況に陥ると触れられているが、確かに退職後のニート期間はこの状態に近しかった。ただ、過去にはすでに経験した人生の価値があり、その宝は誰にも環境にも奪えやしない。スピノザ『エチカ』の引用、「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」自分と距離を置き苦悩の理由を考えることによって、苦悩自体は消えなくとも支配されている状態からは遠のくのではないか。
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お金持ちの点子ちゃんと、そうではないアントンとの友情、この言葉だけでは足りないくらい深い絆で結ばれている2人。当時のベルリンの様子を一生懸命想像してみる。
この作家ケストナーさんはナチスにより迫害をうけ、著書を焼かれ、執筆を禁止されながらもひたすら次代の子供たちのために書き続けた。どんな気持ちや期待を持って書いたことだろうと想いにはせる。
ユーモアたっぷりな点子ちゃんの天真爛漫さとアントンの一生懸命生きる姿に感動する。アントンとお母さんとのやりとりでは涙なしでは読めなかった。
この本は黒柳徹子さんと芦田愛菜さんのおすすめと聞いてゆっくりと読んでみた。昔きっと子供のころ読んだことあったかも、でも感動や心に響くものはまた大人になって格別。こんな心に残る本に出会えて本当に幸せ。 -
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夜と霧を読んだ。
フランクルは強制収容所の中のような自由を完全に奪われた生の中でも「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限される中でどのような覚悟をするのか」の一点だと述べた。
がんじがらめとは、生きる場所も、食べるものも、やることも、外側から完全に拘束され、自分では何一つ選べない。収容された人々は番号で管理され、アイデンティティが剥奪される。愛する人が生きているのかすらわからないというような状況。
しかし、人間の精神的自由は誰にも奪うことができない。フランクルは「どれほど過酷な運命であっても、それにどんな心構えで向き合うかという『内面の自由』だけは、誰にも奪えない」と説く。
苦しみの中で絶望して自暴自棄になり、仲間を殴ったり、人間性を捨てるのか。それとも圧倒的に理不尽な苦難を前にして人間としての誇りを保ち、苦しみを引き受けて生き抜くか。
ここでいう覚悟は「運命に対する精神的な態度を決めること」を指す。
外側の状況や肉体は奪われても、その苦難にどんな心構えで向き合うかという最後の自由だけは、人間から絶対に奪えない。
仕事で成果を出したり楽しい体験をすることだけが生きる意味ではない。理不尽な苦しみに直面したとき、それに屈して卑屈になるのではなく、誇りと人間性を保ちながら誠実に耐え抜く姿勢そのものに、人間としての崇高な意味が生まれるとする。
もし「生き延びられたかどうか」という結果だけに意味があるのだとしたら、運悪く収容所で亡くなった人たちの生はすべて無意味だったことになってしまう。フランクルはそれを真っ向から否定し、たとえ助からなかったとしても、最期の瞬間まで人間らしくあろうと覚悟を決めて生き抜いたこと自体に絶対的な価値があると述べている。
それでは、安逸に生きている人は、彼の言葉をどう受け止めればいいんだろう。私は安逸に生きてしまっているから、彼らを想像することしか出来ない。外部からがんじがらめにされることもなく平穏に生きている。幸運の上、限りなく自由な人生を歩むことができている。そういう私は覚悟を持ちながら生きていけていないのではないか。
私はどこに生きる意味を見出し、誇り高く生きていくことができると言うのか。
フランクルは「人生から何を求めるかではなく、人生が自分に何を求めているかを問うべきだ」と言った。
安逸さや平穏の中にいる人間にとっての覚悟とは、「何を選んでもいい自由がある中で、自分の時間や命を何に向かって使うのか」を自分で引き受けることなのではないか。
目の前の仕事や学びに真摯に向き合うこと、誰かの言葉に耳を傾けること、美しいものに出会って心を震わせること、そして理不尽な苦しみを抱える他者の痛みに想像力を働かせること。誰からも強制されていないからこそ、そうした日常の一つひとつを適当にやり過ごさず、誠実に選び取っていく姿勢そのものに、確かな覚悟と誇りが宿るのではないか。
過酷な歴史や他者の苦悩を前にして「自分は安逸なのではないか」と立ち止まり、自分の生きる意味を真剣に問い直しているその姿勢こそが、すでに無自覚な安逸さから一歩踏み出し、自分の生に向き合おうとする覚悟の始まりになっていることを信じたい。
このように考えていけば、自分は何のために生まれ、なぜ生きているのかと考えるのではなく、この時代に生まれた私がこうやって体験から学びを得ようとしたり、美しいものを見たり、聞いたりして心を動かしたり、大切な人にまっすぐ想いを伝えたり、自分が今できること・やりたいと思うこと・正しいと思うことをやって、楽しい人生を全うすることこそが、生きる意味であり、誇り高く覚悟を持って生きることにつながると思う。
現代の社会において、斜に構えて何にも感動せず、誰も愛さず、面倒なことから逃げて冷笑しているほうが、楽ではある。
その中で、あえて自分の心を動かし、美しいものを美しいと感じ、大切な人を大切にし、自分が正しいと思うことにエネルギーを注いで「楽しむ」。これは、流されていてはできないこと。自分の意志で世界に向き合っていなければ手に入らない。
だからこそ、与えられた平穏の中で、自分の命を輝かせて「楽しく人生を全うする」ことは、逃げでも妥協でもなく、立派な覚悟であるのではないか。
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この本はおそらく数え切れないほどの人を救ってきたのだろうなと思った。
最近自分の周りのことや自分の生き方に対して思うことがあり、以前途中まで読んでいた本書を最初から読み直したが、自分の中の大切な何かを救ってもらえたような気がして号泣してしまった。
1番有名であろう精神の自由について語る章は本当に感動したし、これからも何度も読み返すだろうと思う。
この方が経験した苦痛を越えるような体験をすることはないだろうが、普遍的な真理を書いた本書だからこそ、時を超えて語り継がれるのだろうし、読むたびに大切な何かを私たちに教えてくれるのだろうと思う。
人それぞれ様々な苦しみを抱えていると思うが、苦しんでいることそのものを丸ごと、それでいいんだと、受け止めてくれるような本だと感じた。
どのような状況にあっても人としての尊厳を忘れないこと、それはとても難しいことだと思うが、心の中にとめて生きていきたい。
人生が私たちに問うている、自分がどういう人間でありたいのかを。
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前半の怒涛の後半から一点、視点が変わって、1巻の間の謎が一気に解消され面喰う冒頭。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』ぶりにこの展開を味わった気がする。いや『ネシャン・サーガ』か。懐かしい。
ソフィーは自分が物語として書かれている存在にすぎなくて可哀想だ、と思うヒルデもまた、ヨ―スタイン・ゴルデルに描かれている存在だ。この複層構造が気持ちいい。とこれを読むと、著者ヨースタインやそれを読んでいる私もまた胡蝶の夢に過ぎないのでは、という新たな問いが生まれることは不可避で、物語と哲学の融合に(いい意味で)翻弄される。
マルクス・ダーウィン・フロイトは、個別に主著の内容は把握していたが、カント以降の思想史は全然終えていなかったのでかなり理解が深まった。非常に分かりやすい。さすがにソフィーやヒルデほどの記憶力・理解力で頭に叩き込めるものではないが、思想が影響を受けてドミノ倒しに次の思想へとつながっていく潮流を把握できてありがたい。
本書はダイジェストのようなものなので、個々の著作に掘り進めていかねば。 -
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ネタバレ人間とはなにものか。生きる意味とは何か。
本書は、ナチスの強制収容所で筆者自身が生身の体験者となり、内側から見た残虐な強制収容所を書き記した実録である。また、こうした経験を心理学の立場から解明し、収容所生活への被収容者の心の反応を「収容・収容所生活・解放」の3段階の観点から解き明かしている。
特に印象的であったのは、筆者が収容所生活を送る中で「人間とはなにものか」という問いを持ったことである。私たちの住む社会においてもまともな人間とまともではない人間が存在するが、日々を送る上では然程深淵にまでは気に掛けることができないでいる。しかし、強制収容所ではこの人間が持つ善と悪の合金、いわゆる「人間らしさ」(人間の本質)を嫌となく見せつけられるのである。つまり、本書を読むことで人間が持つ人間らしさを再認識し、その上で人間である自分がどのような意思で判断を下し、どのような行動を取るのかを改めて考えさせられた。
二つ目に印象に残った点としては、「生きる意味とは何か」というところである。現代の社会において生きる意味を見出だせず、命を絶ってしまうニュースがよく報道されている。このような前後不覚な症状に陥る原因としてはSNSなどの周囲からの評価的観点が大きいのではないだろうか。本書を読む前においては、自分もその一部であり、「生きることの意味を問う」事ばかり考えていた。しかし、筆者は逆転の発想で「わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」と記している。これは、生きる意味の本質を突いていてとても腑に落ちた。大きく頷いた。これらは、私たちが人生を採点する立場にいるのではなく、私たち自身は人生という問いを解く立場にいるということである。
本書を読んで、人間の本質を知り、その人間が生きる意味とは何かを知ることができた。生きていくうちに数々の苦労に直面することがあるだろうが、そのとき自分という人間は問に対してどのように判断をし、どのように行動をとっていくべきなのだろうか。
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ネタバレp.91
記憶は頭の中だけに関係している。~ いい記憶も悪い記憶も、頭の中にあるのだ。
頭の中には、ぼくたちが学んだことをすべて入れておくひきだしがある。 ~
思い出は、ひきだしの中には入っていない。思い出はぼくたちの真ん中に宿っている。たいていはうつらうつらしているが、生きているし、息だってしている。そして、たまに目をあける。 生きていて、息をして、まどろんでいる。手のひらに、足の裏に、鼻に、心臓に、そしてズボンのおしりにだって。ぼくたちがかつて経験したことは、何年も何十年もたってから、突然もどってきて、ぼくたちの目をのぞきこむ。すると、ぼくたちは感じるのだ。そうだ、思い出はなくなってしまったんじゃないんだ、ただ眠りこんでいただけなんだって。
p.228
ルートヴィヒ・リヒターは今も愛され、称賛されている。グスタフ・ニーリツを知っている人はもういない。時は残るべきもの、いつまでもあるべきものを選り分ける。そして、時の選択はたいてい正しい。
p.280 お母さんが下り坂でコースターブレーキをいつも忘れてしまったことについて。
さいわい、ぼくはプロの深層心理学者ではないので、現実の背後にひそむ意味を読み解くこうした論文や解釈は、書かずにすませることができる。ぼくにとっては、人間を描写することのほうが人間を解説するよりもおもしろい。描写すれば、じゅうぶん解説したことになるし。でも、今ぼくがおもしろ半分に書いた一文は、真実のひらめきをふくんでいるんじゃないだろうか。そうだとしても、ぼくは驚かない。 -
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引き込まれる!
アリストテレスなど、そのままだとどうしても難解になりがちな哲学の各要点を本当に分かりやすくまとめてくれている。そしてそれまでの哲学者の動きや思想がどう後世に繋がっていくのかという影響の流れがよく掴める。これは中々見事です。特にキリスト教が席巻した中世~宗教革命後への流れは今までよく把握していなかったけれど、おかげで近代以前の哲学史を1本の串で通して理解することが出来た。
各時代における問題解決方法は限られていて、その中で真理を追い求めるとなれば選び取れる方法は少ない。
科学の発展がそれを後押しし、方向づけてきたとはいえ、アリストテレス以降にもキリスト教世界感がこれだけ深く探求され、そして約1000年にもわたって真理追求という道に関わり続けたのは未だに不思議に感じる。
ルネサンスで人間に目が向き、宗教革命で宗教を批判的に見ることが可能になり、そして哲学的に再び宗教を捉え直すことでようやく、長かった呪縛から抜け出せたのだろう。恐ろしく時間がかかったものだ。
こうして歴史を通して哲学を眺めてみて、人というのはよくこれだけややこしいことを考え続けるものだな感心した。 -
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本書はユダヤ人である著者が強制収容所の極限状態を生き抜いた記録である。
私はこれまでアウシュビッツ強制収容所の映画を数多く観てその劣悪な状況を学んできた。それに比べると本書は驚くほど淡々描かれている。
強制収容所の悲惨さは多くの人が書物や映画で知ることができる。本書が優れているのは、悲劇の記憶に留まらず、暗闇の中のわずかな光として「生き延びるための術」を示してくれているところである。極限状態を生き抜く方法は「運」と「正気を失わないこと」の2点に尽きる。
希望をなくした人が、突然理性を失ったり、無気力になったり、命を落とす姿が描かれている。心が死ぬと体も死んでしまう。人間にとって、精神の破綻がいかに恐ろしいものであるかを痛感させられた。反対に体が死にそうでも心が死ななければ生き延びられるかもしれない。著者が最も言いたかったのはこのことだと思う。
感情を煽るような場面はなく、心理学者として冷静に記録していることに、深く敬意を払いたい。特定の誰かを悪者にしていない。収容所で妻と引き離され、命を奪われている。客観的になれるのは並大抵のことではない。著者は学者として「人間の本質」を浮き彫りにしようとしているのだ。この記録に徹する姿勢こそ、彼を「正気」でいさせ続ける術だったのかもしれない。
ある程度世の中の仕組みや人間模様を見てきた50代の私にとって、本書はこれまでの人生経験の「答え合わせ」をするかのようだった。「未来への希望を持つことが生き延びる術」である。それは普通の生活をしていても同じことだと思う。
若者にぜひ読んでもらいたい。人間とは何か、生きるとは何か。厳しい現実の中でどのような態度を選ぶかで人生の意味は変わる。
人類の歴史において二度とこのような非道なことを起こしてはいけない。強い戒めとしても、本書は語り継がれるべき不朽の名著である。 -
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心理学者が強制収容所を体験して得た知見をしるした本。今年は8月15日に向け本書を選ぶ。こんなに本の書き出しから心が不安定になり鼓動が高まる体験は初めてだ。
一 …とにかく生きて帰ってきたわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。(P5)
いわゆる体験記で事実を語るものとは一線を画す。著者フランクルが無機質な数字番号119104に置き換えられ収容された体験を被収容者として心理学者として後世に書き残す。したがって書店での分類も学術書(心理学)になっていた。
残虐な強制収容所での現実が被収容者の心にどのように影響を与えたのか、第一段階「収容」第二段階「収容所生活」三段階「収容所から解放されて」に分類
第一段階、きっと死の直前で助かるだろう(恩赦妄想)。幻想が潰えていったあとの最初の反応はやけくそのユーモアと好奇心。
第二段階、自身、仲間の強制労働者は心を保つために、感動の消失、鈍磨の段階へ移行する。収容所生活の後半記述部、人間の生きる意味を問うくだりはどのような逆境におかれたとしても人間の尊厳を保つうえでの大きなヒントになる。
一 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできない。(p130)
どう反応するかにおいて人は自由である。どれだけ外的要因にさらされようと内面における自由は犯されない(人も居た)。内面的な拠り所(関係性)をもつ強さ。
一 あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない(p138)
第三段階、緊張と弛緩の急激な差異が心を乱す。さらに解放後の幸せをイメージしていたこととのギャップ(一人だけ生き延びたり、収容されなかった住民のありきたりの会話、大変だったねぇ)に苦しんだ。不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。
オリガ・モリソヴナの反語法、平和と愚かさ、小川洋子が読みとく『アンネの日記』 とつづいてきて
強制収容所の実態に関心が高まる。