池田香代子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ人間とはなにものか。生きる意味とは何か。
本書は、ナチスの強制収容所で筆者自身が生身の体験者となり、内側から見た残虐な強制収容所を書き記した実録である。また、こうした経験を心理学の立場から解明し、収容所生活への被収容者の心の反応を「収容・収容所生活・解放」の3段階の観点から解き明かしている。
特に印象的であったのは、筆者が収容所生活を送る中で「人間とはなにものか」という問いを持ったことである。私たちの住む社会においてもまともな人間とまともではない人間が存在するが、日々を送る上では然程深淵にまでは気に掛けることができないでいる。しかし、強制収容所ではこの人間が持つ善と悪の合金、いわゆる「人間らしさ」(人間の本質)を嫌となく見せつけられるのである。つまり、本書を読むことで人間が持つ人間らしさを再認識し、その上で人間である自分がどのような意思で判断を下し、どのような行動を取るのかを改めて考えさせられた。
二つ目に印象に残った点としては、「生きる意味とは何か」というところである。現代の社会において生きる意味を見出だせず、命を絶ってしまうニュースがよく報道されている。このような前後不覚な症状に陥る原因としてはSNSなどの周囲からの評価的観点が大きいのではないだろうか。本書を読む前においては、自分もその一部であり、「生きることの意味を問う」事ばかり考えていた。しかし、筆者は逆転の発想で「わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」と記している。これは、生きる意味の本質を突いていてとても腑に落ちた。大きく頷いた。これらは、私たちが人生を採点する立場にいるのではなく、私たち自身は人生という問いを解く立場にいるということである。
本書を読んで、人間の本質を知り、その人間が生きる意味とは何かを知ることができた。生きていくうちに数々の苦労に直面することがあるだろうが、そのとき自分という人間は問に対してどのように判断をし、どのように行動をとっていくべきなのだろうか。
-
Posted by ブクログ
ネタバレp.91
記憶は頭の中だけに関係している。~ いい記憶も悪い記憶も、頭の中にあるのだ。
頭の中には、ぼくたちが学んだことをすべて入れておくひきだしがある。 ~
思い出は、ひきだしの中には入っていない。思い出はぼくたちの真ん中に宿っている。たいていはうつらうつらしているが、生きているし、息だってしている。そして、たまに目をあける。 生きていて、息をして、まどろんでいる。手のひらに、足の裏に、鼻に、心臓に、そしてズボンのおしりにだって。ぼくたちがかつて経験したことは、何年も何十年もたってから、突然もどってきて、ぼくたちの目をのぞきこむ。すると、ぼくたちは感じるのだ。そうだ、思い出はなくなってしまったんじゃないんだ、ただ眠りこんでいただけなんだって。
p.228
ルートヴィヒ・リヒターは今も愛され、称賛されている。グスタフ・ニーリツを知っている人はもういない。時は残るべきもの、いつまでもあるべきものを選り分ける。そして、時の選択はたいてい正しい。
p.280 お母さんが下り坂でコースターブレーキをいつも忘れてしまったことについて。
さいわい、ぼくはプロの深層心理学者ではないので、現実の背後にひそむ意味を読み解くこうした論文や解釈は、書かずにすませることができる。ぼくにとっては、人間を描写することのほうが人間を解説するよりもおもしろい。描写すれば、じゅうぶん解説したことになるし。でも、今ぼくがおもしろ半分に書いた一文は、真実のひらめきをふくんでいるんじゃないだろうか。そうだとしても、ぼくは驚かない。 -
Posted by ブクログ
引き込まれる!
アリストテレスなど、そのままだとどうしても難解になりがちな哲学の各要点を本当に分かりやすくまとめてくれている。そしてそれまでの哲学者の動きや思想がどう後世に繋がっていくのかという影響の流れがよく掴める。これは中々見事です。特にキリスト教が席巻した中世~宗教革命後への流れは今までよく把握していなかったけれど、おかげで近代以前の哲学史を1本の串で通して理解することが出来た。
各時代における問題解決方法は限られていて、その中で真理を追い求めるとなれば選び取れる方法は少ない。
科学の発展がそれを後押しし、方向づけてきたとはいえ、アリストテレス以降にもキリスト教世界感がこれだけ深く探求され、そして約1000年にもわたって真理追求という道に関わり続けたのは未だに不思議に感じる。
ルネサンスで人間に目が向き、宗教革命で宗教を批判的に見ることが可能になり、そして哲学的に再び宗教を捉え直すことでようやく、長かった呪縛から抜け出せたのだろう。恐ろしく時間がかかったものだ。
こうして歴史を通して哲学を眺めてみて、人というのはよくこれだけややこしいことを考え続けるものだな感心した。 -
Posted by ブクログ
これは幸せなことだろうけど、ここまで追い詰められた状況におかれたことが無いから共感・感動の感情を持てない。苦しいときに絶望、とか生き難い、とか感じることがあればまた違う気持ちを持つかもしれないが、まだ自分はその経験がない。
この本は私たちが経験し得ないほどの極限状態、絶望の状況でどんな精神となるのか、生きることをどう考えるかを綴っている。そんな過酷な状況でなくても、生活の中で落ち込み絶望する場面で、客観的に自分を見れるきっかけになるんだろう。
どれだけ厳しい時も、自分がどのような精神的存在になるかについて、決断は下せるし、どう考えるかは自由である。自分の有り様が完全に制限された中で、どう覚悟するかが、生きることを意味あるものにするかを決める。
自分の目の前にある全て…苦しみ、死…苦しいから生きる意味がないと言えば、耐えて生きていても意味がない。安逸で行動的に生きることだけが意味あることではなく、運命も死ぬことも生きることの一部である。 -
Posted by ブクログ
終戦記念日だから、戦争というものがどういうものかを読んでいる。
ラーゲリから愛をこめてっていう映画と驚くほどに似ていた。この映画はシベリアの強制収容所の話だ。人間の残酷さ、戦争というものは大義名分をもって人間性を奪うものだということは普遍なんだと思った。
気をつけてないと、注意深くコントロールしていないと繰り返される。だからこそ、先人たちはこの経験を語り継いできた。
人間というのは、軽薄で楽観的な一面もあり、この「戦争」というものがどういうことかすぐに忘れる。自分とは関係ないという根拠のない楽観に身を置くのは、よくあるヒトの心理らしいので今の私達の楽観はただの根拠のないファンタジーかもしれない。
他の人の感想読んでると、この本を読む人ですら「今の平和な世界でよかった」「これんなことが本当にあったのか」「悲惨すぎて信じられない」という意見がある、でも今現在もこういう状況に置かれている現実は多分ある。平和を維持するのは、努力が必要なんだ。悲しいけどそれが人間というものなんだと思う。
強制収容所は今の倫理観でいうとあり得ない気がするけど、多分そんなことはない。人間っていうのはその時はそれが正しいという詭弁を思いついて、その物語をみんなで信じる生き物だから。
そして、強制収容所という理不尽で過酷な場所で生涯を終える大多数の人にとってその生は意味がなかったことなのか?そうではない、苦しむことも生きる意味だという見解は、それが真実なんだろうけど想像するとあまりにも恐ろしい。
そんな中でも人間性を失わずにいられること、ラーゲリの映画では今の平凡で何気ない日常の幸せを忘れないでいること、それを希望に生き抜くことだと教えてくれた。
映画冒頭と最後の二宮和也の台詞は頭から離れない。そしてこの本の中でも同じ結論であった。
本を読まない人はせめて映画を見てほしい。ミセスの主題歌、感動的でいい曲だなって思ってたけどこの本を読んでからはちょっと変わった。あんな風に大袈裟に壮大な曲は相応しくないかもと思ってしまうくらい、現実は悲惨でつらくて、苦しい。そしてこれは過去のものではない。人間というのは進化してるようで根本は変わってない。
しかも、今回知ったけどシベリア抑留はむしろ戦後の話だったんですね。国家というもののありがたさと、怖さを知りました。 -
Posted by ブクログ
イスラエル建国の歴史や今のパレスチナの問題から疑問に感じていることとして、ホロコーストを経験したユダヤ人たちがまるで無神論のようになってしまったのではないか?と言う点があります。
今の状況はホロコーストの帰結としては理解できますが、少なくとも私の倫理観からは理解できません。
本書でも、人間とは人間とは何かを決定する存在であると言う表現や、人生に期待するのではなく、かけがえのないと思う人や事柄がその人と言う存在に意味を与え、人生そのものがその人に対して具体的にどう行動するか期待している言う点など、どちらかと言えば神の不在を肯定するとも取れる内容もありましたが、しかし私にとってもその内容は納得できるものでした。
実際のところどっちが正しいとかそう言うことではないとは思いますが、なんだかとても重たい宿題を出された気分になりました。 -
Posted by ブクログ
収容所で何が行われたか事細かに書いてあるものではないが、それでも早く戦争が終わってほしい、早く解放されてほしいという思いで読み進めるのが辛かった。
解放後、希望にしていた未来が来ることがない人々の失意は想像できる範囲でも悲惨で、なんて惨たらしいことをしたんだろうと思う。
「こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いやふたつの種族しかいない、まともな人間とまともでない人間と、ということを。」
訳者のあとがきにもあるように、現在のイスラエルの戦況を見ると憎むべき相手を間違ってはいけないとは思いつつ、複雑な思いだ。 -
Posted by ブクログ
本書は、実際に強制収容所での悲劇のなかにあった筆者、ヴィクトール・フランクルが自分の経験を心理学的に捉えるという試みを通して、人間の真相に迫る、ホロコースト文学。読破してまず感じたことは、これは自分には理解しきることはできないだろう、ということ。
一つには、自分がまったくの傍観者でしかないことがある。これは、筆者もたびたび言及していたことだが、絶滅収容所にいたことのない傍観者の自分には、当事者たちの境遇、心もちを完全に解することは敵わない。
また、人間の恐ろしさ、これも自分には理解しきれない。今までの健やかな生活も、豊かな感情も、すべてを人間から奪う存在がほかでもない人間である、という惨い事実。このことも自分にはとても想像できない。
最後に、人間がいかに偉大な存在であるか、ということ。「そこに唯一残された、生きることを意味あることにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかで、どのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた」。どれ程過酷な状況にあっても、生きる意味を追求し続け、生も苦も死も受け入れる者。筆者は「けれども、それがたったひとりであったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある」と述べる。かくも偉大な人間の存在を自分はいまだ信じることができない。 -
Posted by ブクログ
心理学者が強制収容所を体験して得た知見をしるした本。今年は8月15日に向け本書を選ぶ。こんなに本の書き出しから心が不安定になり鼓動が高まる体験は初めてだ。
一 …とにかく生きて帰ってきたわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。(P5)
いわゆる体験記で事実を語るものとは一線を画す。著者フランクルが無機質な数字番号119104に置き換えられ収容された体験を被収容者として心理学者として後世に書き残す。したがって書店での分類も学術書(心理学)になっていた。
残虐な強制収容所での現実が被収容者の心にどのように影響を与えたのか、第一段階「収容」第二段階「収容所生活」三段階「収容所から解放されて」に分類
第一段階、きっと死の直前で助かるだろう(恩赦妄想)。幻想が潰えていったあとの最初の反応はやけくそのユーモアと好奇心。
第二段階、自身、仲間の強制労働者は心を保つために、感動の消失、鈍磨の段階へ移行する。収容所生活の後半記述部、人間の生きる意味を問うくだりはどのような逆境におかれたとしても人間の尊厳を保つうえでの大きなヒントになる。
一 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできない。(p130)
どう反応するかにおいて人は自由である。どれだけ外的要因にさらされようと内面における自由は犯されない(人も居た)。内面的な拠り所(関係性)をもつ強さ。
一 あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない(p138)
第三段階、緊張と弛緩の急激な差異が心を乱す。さらに解放後の幸せをイメージしていたこととのギャップ(一人だけ生き延びたり、収容されなかった住民のありきたりの会話、大変だったねぇ)に苦しんだ。不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。
オリガ・モリソヴナの反語法、平和と愚かさ、小川洋子が読みとく『アンネの日記』 とつづいてきて
強制収容所の実態に関心が高まる。