池田香代子のレビュー一覧
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ケストナーの作品は、決して夢見る甘い出来事ばかりが起こる物語ではない。そこにリアリティがあるが、ちゃんと希望を持てる話しであるところが好き。
登場する子どもは、真っ直ぐで、目の前の出来事に夢中で一生懸命で、それ故に無謀さもあるけれど、とっても勇敢だ。
読んでいてスカッと、そして胸が震えるのは、主軸のストーリーに加えて、物語の主役としては地味でも本質的に素晴らしいことをした登場人物にも万遍なくスポットライトをあてる大人が登場すること。
そして、胸がキュンとするほどいじらしく、勇敢な子ども達とその周りの大人とのやりとりに心底気持ちがあたたまる。 -
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ケストナー作品では『飛ぶ教室』『二人のロッテ』『点子ちゃんとアントン』をこれまでに読んでいて、どの作品でも子どもの健気さや、親子の関係性にぐっと来ていたけれど『エーミールと探偵たち』でもエーミールとお母さんの関係性に憧れてしまう。エーミールと教授くん、2人が親について話し合う場面、かなり好きなんだよなあ。
登場する子どもたちは《こんな子いたな》《いそうだな》と思わせられるリアリティがあるのに、絶妙なバランスで《こんな子(友達)いたら良いなあ!》が混じる。現実的で理想的って、そりゃあ夢中になれる物語じゃないか。
探偵たち全員、エーミールを助けたいって動機はたぶんあるのだけれど、それより何より、最高に楽しい遊びが始まったぜ!なマインドなのが実に良い。
エーミールを応援しながら、それよりちゃっかり自分が楽しもうとしてしまう。でも目的達成のためにはガマンも必要で、ってこういうところ、子ども時代に読んでたら教科書にしたのにな笑
深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』を読んでこの本も読んだけれど、、、
この本が戦中戦後の荒廃すさまじいドイツの子どもたちの心を明るくしたり、英語版で読んだ他国の子どもたちがドイツの子どもも素敵なんだなって思ったりした歴史があるのだと思うと、感慨深い。本にしか照らせないものがある。 -
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クリスマスの物語ということで、この時期まで取って置いた、タイトルだけは若い頃から知る本書を読み、改めてケストナーはいつだって子どもたちの味方だということを、強く実感することができ、それは彼に対する紛れもない信頼度の高さを裏付けるには、充分過ぎる程のものを私に残してくれた。
その根拠の一つに、普段は飄々とした感のある「まえがき」から、既に熱いケストナー節を感じられたことがあり、それは大人も子どもの頃を経て大人になっているはずなのに、時に子どもだからといった見做し方をしてしまう、そんな大人に対する嘆きは言い換えれば、大人と子どもの間に境界線など存在しない平等性なのだと思い、それは本編の登場人物にケストナーが語らせた、『子どものころのことを忘れないでほしい』というメッセージにもよく表れていて、ケストナーの児童書が子どもだけではなく大人が読んでもハッとさせられるのは、そうした忘れかけたものを思い出させてくれるからだと、私は思う。
また、それを裏付けるものとして、『子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない』や、『生きることのきびしさは、お金をかせぐようになると始まるのではない』があり、子どもだって何も考えず、ただ日々を楽しく生きているわけではないし、寧ろ、大人以上に繊細で脆い部分も併せ持った複雑な一面もあることを、ケストナーは本書の主要キャラクターである五人の少年たちに投影させているのである。
例えば、将来はプロボクサー志望の、喧嘩なら誰にも負けない自信のあるマティアスでも、涙を堪えきれないときがあるということ。
例えば、普段は真っ直ぐな性格のウーリが、時に理解を超えるような行動に出ることだってあるということ。
例えば、頭の切れる皮肉屋で、どこか他人を見下したような態度を見せるゼバスティアーンにだって、内心は異なる気持ちを持つことだってあるということ。
例えば、母親に出て行かれた父親に厄介払いされたジョニーにだって、知識欲や将来の夢があるということ。
例えば、成績が最も良く正義漢も強くて頼りになる、非の打ち所の無さそうなマルティンであっても、決してそうではないということ。
といったように、子どもというのは、時にどうしようもなくなる瞬間が訪れるときもあって、そんな時に寄り添える人が、もしいてくれればという願いを物語の中で具現化しているのは、単なるケストナーの優しさだけではなく、それがそのまま彼自身が過去に体験した学校での辛い思い出とも重なっているからであり、そうした納得できない過去に対して何とかしたいと人一倍思う、彼の願いがそれだけに留まらないのは、本書を執筆した時代とも大きく関係しているからだと思う。
その1933年という年が、訳者の池田香代子さんのあとがきによると、ドイツがナチス政権の手に落ちた年であることを知ることで、ケストナーがまえがきに書いた、『勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう』という言葉が腑に落ちるようでありながら、おそらくそう思った根拠は、『平和を乱すことがなされたら、それをした者だけではなく、止めなかった者にも責任はある』に表れているようで、そこにはまさに当時の現場で体験した、ケストナー自身の率直でやるせない悲しみや怒りが色濃く滲み出ていながらも、実際に彼の本が燃やされた出来事を物語に反映させていることには、彼のユーモラスで強かな反骨精神が表れているようで、私は心から尊敬の念を覚える。
そして、その最たるものとして、おそらく他の作品のレビューでも書いたのかもしれないが、そうしたナチス政権化の時代に執筆したとは到底思えない、子どもたちにささやかな幸せを運んでくれるような牧歌的で明るい雰囲気が、彼の作品中には始終漂っていることがあり、この人は作家という仕事に、どこまでも忠実で正直で、そして堂々と絶望的な時代に立ち向かっていたのだということが、ありありと目に浮かぶようで、それは本編でも、自然と私の頬を涙が伝い落ちていく場面を何度も見せてくれたように、子どもたちの心からの叫びを伴った痛みに比べれば、彼のそれなんてと思わせる程の、彼自身の人の良さが何よりも物語っていながら、そうした純粋な気持ちというのは、たとえどれだけ時を隔てようが確実に物語から伝わってくるからこそ、こうして私も何とかして、彼の作品の素晴らしさを伝えたくなるのである。 -
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ルイーゼとロッテは9歳の双子の女の子で、『巻き毛のおてんば』と『おさげのきまじめ』という個性の違いはあるものの、それ以外となると、どっちがどっちなのか見分けがつかない程の瓜二つぶり。
そんな二人も初めて出会った時は大変で、ルイーゼの方が激しく動揺したために、ついロッテに冷たく接してしまったが、その夜、すすり泣くロッテの髪をぎこちなく撫でるルイーゼに、思わず彼女の指を探したくなったロッテ。
そして、翌朝にはロッテの前に立って、きまり悪そうにもじもじと足踏みしているルイーゼに(他の女の子が見たら、あのルイーゼがと、きっと驚くだろう)、ロッテは無理してようやく微笑んでくれて、それは見えないくらいに小さかったけれども、ルイーゼはほっとして微笑み返した瞬間、彼女たちの人生は新たなスタートを切ることになる。
というのも、「ルイーゼ・パルフィー」には父しかいなくて、「ロッテ・ケルナー」には母しかいない、これが何を意味するのかは、なんとなく想像がつくだろうと思う。
大人も人間なので、夫婦間には色々あって当然だろうとは思うけれども、そこで巻き込まれる子どもの気持ちは、いったいどこに行くのだろうという疑問が湧き、親から見た子どもと、子どもから見た親というのはそれぞれに全く同じだとは思わないことからも、大切なのは、子どもにとって両親の存在とは、どのようなものなのかを、彼らがもっと子ども心に寄り添って考えることなのではないかと、本書を読んで何度も思った。
エーリヒ・ケストナーという人は、大人の中に於いて、とても稀有な存在なのかもしれない、子どもへの敬意をはっきりと作品に表す作家であり、『点子ちゃんとアントン』では当時のナチスが台頭した世の中に対して、自分たち大人が何も出来なかったことを子どもたちに謝っているし(ケストナー自身は、政府から目を付けられて命の危険にさらされていたというのに)、本書に於いても、双子の女の子の素敵な作戦がきっかけとなって、周りの大人たちの意識を優しく変化させる展開には、子どもの持つ大好きなものに対する一途さがもたらす不思議な力の可能性を感じられたことに胸を打たれた、そんな彼への賛辞は池田香代子さんのあとがきの、『わたしがほしかったのは同情でもはげましでもなく、この尊敬なのでした』からも実感できた、「子どもなのにえらいね」とか、「けなげだね」といった、『いわば一段高いところからのほめことば』では無い点に、ケストナーの作品は児童書の枠を超えた、子どもだけではなく大人が読んでも充分に考えさせられるものが多いのだと思われた、それはまさに本気で世界を良い方向に変えたい、彼のどこまでも強靱で揺らぐことの無い高い信念に基づいた意志が、たとえ今は清らかな魂になってしまったのだとしても、作品の中にいつまでも残り続けていて、しかもそこに必死さは微塵もなく、親しみやすい語りかけるような文章で温かく読み手を迎えてくれる、そんな優しさが子どもたちへの敬意となり、まさに本書の中の言葉のような『新しいしあわせの一瞬一瞬』を、現代に於いても変わらずに運んできてくれるのである。 -
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児童文学の翻訳の勉強をしたいと思い、久しぶりに手に取った。高橋健二訳のケストナーで若い頃読んだ身としては、池田香代子訳はより子どもの視点に立った、時代に沿った読みやすい訳だったと思う。ただ、ところどころに20年経った今はもう使わないと思われる言葉もあった。
それはさておき、貧富の差を越えた子どもらしい友情、親思いのアントナーという子どもを描きながらも、ケアをされる親の身勝手さまで描くケストナーには、時代を超えて脱帽させられる。何よりも時に入る温かい注釈にほっとする。
子どもの本作りには大人の温かい気持ち、真剣な思いがいかに必要か、改めて学ぶことができた一冊だった。