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Posted by ブクログ
青木省三先生の著書で本書が紹介されていて手にした児童文学。
子どもたちの心に寄り添う成熟した大人に見守られながら、様々な事情を抱えた個性あふれる思春期の子どもたちが青春を刻んでいく様子が活き活きと描かれていた。
前半は登場人物の多さに誰がどんなキャラクターの子なのかいまいち掴めず話についていけてなかったけど、禁煙さんが登場したあたりから俄然面白くなりどんどん話に引き込まれた。
禁煙さんと正義さんの再会やマルティンと正義さんとのやり取りには泣けた。
この本が書かれたのがドイツがナチス政権の手に落ちた年だったようで、子どもたちや国民に対するケストナーの命懸けのエールを随所に感じ、胸が熱くなった。
以下、心に残った文章
・人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要
・子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない
・ただ、正直であることがどんなに辛くても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。
・ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!
・へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえ凌げば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。
・かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人々が勇気を持ち、かしこい人々が臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。
・ぼくらを成長させたいんなら、自分も成長しないではいられない教師が必要
・平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある
・ぼくが願っているのは、何が大切かということに思いを巡らす時間をもつ人間が、もっとふえるといいといこと
Posted by ブクログ
クリスマスの物語ということで、この時期まで取って置いた、タイトルだけは若い頃から知る本書を読み、改めてケストナーはいつだって子どもたちの味方だということを、強く実感することができ、それは彼に対する紛れもない信頼度の高さを裏付けるには、充分過ぎる程のものを私に残してくれた。
その根拠の一つに、普段は飄々とした感のある「まえがき」から、既に熱いケストナー節を感じられたことがあり、それは大人も子どもの頃を経て大人になっているはずなのに、時に子どもだからといった見做し方をしてしまう、そんな大人に対する嘆きは言い換えれば、大人と子どもの間に境界線など存在しない平等性なのだと思い、それは本編の登場人物にケストナーが語らせた、『子どものころのことを忘れないでほしい』というメッセージにもよく表れていて、ケストナーの児童書が子どもだけではなく大人が読んでもハッとさせられるのは、そうした忘れかけたものを思い出させてくれるからだと、私は思う。
また、それを裏付けるものとして、『子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない』や、『生きることのきびしさは、お金をかせぐようになると始まるのではない』があり、子どもだって何も考えず、ただ日々を楽しく生きているわけではないし、寧ろ、大人以上に繊細で脆い部分も併せ持った複雑な一面もあることを、ケストナーは本書の主要キャラクターである五人の少年たちに投影させているのである。
例えば、将来はプロボクサー志望の、喧嘩なら誰にも負けない自信のあるマティアスでも、涙を堪えきれないときがあるということ。
例えば、普段は真っ直ぐな性格のウーリが、時に理解を超えるような行動に出ることだってあるということ。
例えば、頭の切れる皮肉屋で、どこか他人を見下したような態度を見せるゼバスティアーンにだって、内心は異なる気持ちを持つことだってあるということ。
例えば、母親に出て行かれた父親に厄介払いされたジョニーにだって、知識欲や将来の夢があるということ。
例えば、成績が最も良く正義漢も強くて頼りになる、非の打ち所の無さそうなマルティンであっても、決してそうではないということ。
といったように、子どもというのは、時にどうしようもなくなる瞬間が訪れるときもあって、そんな時に寄り添える人が、もしいてくれればという願いを物語の中で具現化しているのは、単なるケストナーの優しさだけではなく、それがそのまま彼自身が過去に体験した学校での辛い思い出とも重なっているからであり、そうした納得できない過去に対して何とかしたいと人一倍思う、彼の願いがそれだけに留まらないのは、本書を執筆した時代とも大きく関係しているからだと思う。
その1933年という年が、訳者の池田香代子さんのあとがきによると、ドイツがナチス政権の手に落ちた年であることを知ることで、ケストナーがまえがきに書いた、『勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう』という言葉が腑に落ちるようでありながら、おそらくそう思った根拠は、『平和を乱すことがなされたら、それをした者だけではなく、止めなかった者にも責任はある』に表れているようで、そこにはまさに当時の現場で体験した、ケストナー自身の率直でやるせない悲しみや怒りが色濃く滲み出ていながらも、実際に彼の本が燃やされた出来事を物語に反映させていることには、彼のユーモラスで強かな反骨精神が表れているようで、私は心から尊敬の念を覚える。
そして、その最たるものとして、おそらく他の作品のレビューでも書いたのかもしれないが、そうしたナチス政権化の時代に執筆したとは到底思えない、子どもたちにささやかな幸せを運んでくれるような牧歌的で明るい雰囲気が、彼の作品中には始終漂っていることがあり、この人は作家という仕事に、どこまでも忠実で正直で、そして堂々と絶望的な時代に立ち向かっていたのだということが、ありありと目に浮かぶようで、それは本編でも、自然と私の頬を涙が伝い落ちていく場面を何度も見せてくれたように、子どもたちの心からの叫びを伴った痛みに比べれば、彼のそれなんてと思わせる程の、彼自身の人の良さが何よりも物語っていながら、そうした純粋な気持ちというのは、たとえどれだけ時を隔てようが確実に物語から伝わってくるからこそ、こうして私も何とかして、彼の作品の素晴らしさを伝えたくなるのである。
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