中島京子のレビュー一覧
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学校が苦手だった少女が、放課後を過ごした喫茶店の常連客たちとのあれこれ。それは30年前の話。
ノスタルジックで、ある時はSFチック。そして、子どもの頃の回想というフィルターもかかって、ちょっと不思議な雰囲気を醸している世界。
小説家には一つだけ、聞かれても答えなくていい質問がある。
「それは本当?それとも嘘?」
『「はくい・なを」さんの一日』(「タタン」と名付けてくれたのは白いひげの老小説家)
『ずっと前からここにいる』(百年先からやってきた女)
『もう一度、愛してくれませんか』(吸血鬼の夫婦現る)
『ぱっと消えてぴっと入る』(おばあちゃん子)
『町内会の草野球チーム』(学生さんと喫茶店)
『バヤイの孤独』(学者は、自分の研究対象に恋をしているものだ・・・と私は思う)
『サンタ・クロースとしもやけ』(サンタ・クロースはたくさんいる。だって世界中の子どもたちにプレゼントを届けるのだもの)
『カニと怪獣と青い目のボール』(嵐のように現れて、すぐに去っていった「トックン」のこと)
『さもなきゃ死ぬかどっちか』(トモコが突然、タタンの前に現れた。タタンの名前も「トモコ」だった) -
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「うらはぐさ風土記」で中島京子さんのファンになり2作目。昭和の女中さんのお話が面々と綴られて最初はうんざりしていて、挫折しかかった。
レビューを読んでいると評価も高く、後半からは物語が加速するらしいと知ると、勝手なものでどんどんと興味が湧いてくる。タキさんや時子さんの物言いに慣れてくると時代背景や生活そのものも面白く、何となく予測できたストーリーもラストでびっくりの結末。また違った解釈になりとても深かったし、映画化もされているとかで、さすが直木賞受賞作品は違うなぁと。もう少し中島京子さんの作品を極めてみようと思う。どんな世界が待ち受けているのか楽しみ。 -
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うらはぐさという植物が風知草と同じだと
この作品のレビューを読んで知った。
わたしは風知草という言葉だけを知っていて、
(亡くなった母が書を習っていて、額縁に入れられたこの風知草という言葉をしょっちゅう見ていた)
これがどんな植物であるとか、
花言葉がなんなのか、とかは全く知らなかったけれど、
うらはぐさと風知草がつながった時、
あ、これは読まねば!と感じて手に取った。
それはさておき、ほんわかとした表紙と共に、
中身もびっくりするようなショッキングな出来事は全く起こらず、東京西部の架空の町、うらはぐさに住む人々のコロナ明けの日々のあれこれが描かれたこの作品。
年の初めに読むのにちょうどよい
力の抜けた読み心地と読後感だった。
架空の町とはいえ、日本のどこか、
どこにでもありそうなその雰囲気がなんだか懐かしく、
幼い頃に住んでいた場所を思い出させ、
優しい気持ちになれた。
もう長いことマンション暮らしだけど、
一戸建て、しかもこんな感じの年月を経た家や庭、
いいなぁ〜、と思った。
物語のラストも
このうらはぐさの花言葉にふさわしい。 -
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ネタバレ木原音瀬先生のお話を目当てに購入したので、お目当ての話だけ読んでもいいかと思って最初から順番に読み始めましたが、全部読んでしまいました。
全部読んだあとに思ったことは、やっぱり木原音瀬先生は癖が強い。笑 男性が妊娠できる世界という設定はおもしろかったし、男性も苦しんでほしいと思ってしまいます。
お気に入りは白い結婚の「ダーリンは女装家」、「いつか、二人で。」
今年は黒い結婚寄りの、暗めのお話を読むことが多かったので、白い結婚で心が洗われました。ハッピーエンドもいいですね。
ダーリン〜
15歳の時に大好きだった人と結婚するなんて素敵。男であり女でもある旦那さん、いいですね。認知症になったお母さんが「結婚はいいものよ」と言ってくる場面が沁みました。
いつか、〜
老後の夫婦が旅行に行く話だと思って読み始めたら、まさかの死んだ後に一緒に天国に向かうお話だったとは。これもとてもロマンチックでした。山あり谷ありの人生だったけど、お互いが大好きのまま、一緒に天国に行けるなんて…借金取りが来て鬱病になる以外は本当に羨ましい人生だなと。(借金取りが来るのはさすがにこわすぎる。)幸せな気持ちになりました。 -
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読書中から、今自分が住んでいる場所、土地、風土に愛着が湧いてきた。
都会や便利、お洒落という文脈の中にはない土地「うらはぐさ」。
そこで育まれる人たちの生活が伝わってくる。
少し昔ぽさ、昭和の香りも残しつつ、現在の生活が日々僅かに変化しながら過ぎていく。
『こういうのは、あれだろうか。
「残るものは形を変えて残っていく」、その「形」だろうか。』(p193)
誰かに、何かのきっかけで自分が経験した「大したことない話」をすると驚かれたり、重宝がられたりした経験があると思う。
他人から見ればドラマチックだったりする。
「うらはぐさ風土記」でも度々、ちょっとしたエピソードを読んでいて、へぇーと思ったり驚いたりした。
普通の人との茶飲み話が、1番面白かったりする。
「五 狼男と冬」ではぎゅっと心臓が掴まれた。
普通の人の中に起きていた、唯ならぬこと。
時代が進んだ今だからこそ、理解され消化されるであろうこと。
あ、これが「カタルシス」か、と思った。
(※ webより→カタルシスとは、哲学や心理学における「精神の浄化」のこと。 無意識の内に抑圧されている、過去の苦痛や恐怖、罪悪感をともなう体験、そのときの感情などを、言葉で外に出すことによって、不安や不快感などを浄化することを指します。)
道路拡張計画では、変化をどう受け入れる否かという場面が出てくる。
伝統芸能をみていても思うこと、変化や革新があるからこそ継続されている。
人間は今いる時点、場所が心地よければ変化を嫌う。けれどそれでは自分も社会が進まないということもわかっている。
住んでいる場所の愛着は保ちつつ、ちょっとの変化を受け入れる。
変わることもいいじゃないか、と背中をそっと押してくれる本でもある。
(p202)
「テセウスの船」と呼べると思う?」「全部のパーツが入れ替わっても?」
「すっかり新しいものになってしまっても」
マーシーはしばらく眼鏡を押さえて考えていて、それから大きく息を吐いた。
「感情的には呼べると思います」
「感情的に?」
「はい。みんながそれを「テセウスの船』だと思っていて、テセウスが船に乗ってどんな旅をしたかも語り継がれていて、それを大事にしたいという感情が継承されているなら」「ほほう。なるほど。傾聴すべき意見だな」