塩野七生のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
文藝春秋への寄稿文(2003/6-2006/9)をまとめたもの。時事テーマである、戦争を通じて、政治について考えさせられる一品。
以下注目点
・意思を持続させるエネルギーの中で、最も燃料効率が良いのは私利私欲。
・相手がどう考えどう出てくるかを知って”勝負”に臨むのは、ゲームに参加したければ最低の条件である。
・派兵の目的はいずれも軍事ではなく政治にあるのでは共通しているのだから。
・「やる」ことよりも、「やりつづける」ことのほうが重要である。
・体力、国家にとっての経済力、の回復が必要不可欠になる。
・政策の継続性の欠如こそが三世紀のローマ帝国にとって、諸悪の根源であったのだった。
・大義とは、客観的ではなくて主観的である場合はなはだ多し。
・アレクサンダーとカエサルは、敗者さえも納得する大義に変えた。
・他の国が大義と言おうが日本だけは心中でせせら笑い、それでいながら冷徹に国益を考え、その線で行動することだけである。
・伸縮自在な距離を保つということは、手段の目的化という、専門家を事象する人々の犯しがちな誤りから、自由でいられるやり方の一つではなかろうか?。
・傲慢とは、心中にひそむ劣等感の裏返し。
・「いかなる事業といえどもその成否は、参加する全員が利益を得るシステムを、つくれたか否かにかかっている。」
・「自分ならばどう考えるだろうか」を、あらゆることのスタート・ラインにしてみてはどうであろうか。
・政治とは、個人ではできない事柄を代わって行うことでないか。
・魚は頭から腐る。ローマ帝国末期に起こった真の悲劇。 -
Posted by ブクログ
紀元前133年から前120年のグラックス兄弟の時代。ティベリウスとガイウス兄弟。護民官の立場で農地解放、失業者対策に乗り出すが、結局ローマ市民の理解得られず。短期で失敗し、肖像さえも残っていない。
前120年から前78年、マリウスとスッラ。
平民出身で各地の軍団渡りあるいてきたガイウス・マリウス。 軍政改革実施し、ローマ軍団を志願兵制とする。ゲルマンなど蛮族が同盟国や周辺の属州地域への侵入を排除。マリウスには、知識なく、平時の統治能力はなかった。
同盟者戦役を経てローマを統一したスッラは、独裁者として行政改革など数多く改革を行う。このとき、イタリア半島の全住民に市民権認める。スッラは国政改革を成し遂げ、突然辞任。自らを幸福者、フェリックスと呼んで亡くなる。
前78年から前63年ポンペイウスの時代。スッラ体制の崩壊によるスペインでのセルトリウス戦役を平定し、その後、黒海からカスピ海、そして紅海に至るまでの全地域に、ローマの覇権を打ち立てた。
面白い。益々、目が離せなくなってきた。 -
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「逆襲される文明」
2013年11月~2017年9月に文藝春秋に掲載された塩野七生のエッセイ集である。
エッセイ集なのでやむを得ないのかも知れないが、タイトルと内容がちょっと一致しない。今から見るとだいぶ古い内容もあるので、そういえばそんなこともあったなと思い出しながら読んだ。
ヨーロッパから日本を見ることの視点の違い、また、日本では気がつかない、あるいは報道されないヨーロッパの様子がよくわかる。
特に大量の移民問題は日本ではなかなかわかりにくい。常に接する人たちにとってはきれい事では済まされず、居住環境が悪化するのは目に見えている。幼稚園や小学校がうるさいと言って問題となるような日本で、大量の移民が入ってきたらどうなるのだろうか。
難民は国家によるリストラだと言い、リストラしないで国を建て直す方が長期的には国は繁栄すると著者はいう。そして、リストラしないで国を建て直すには人材の活用が必要であり、そのメカニズムを考えるのが政治だと言っている。
人材の活用が重要だと言うことはよくわかるが、そのメカニズムとは一体どういうものだろうか。優秀な人間の登用だろうがどうもイメージがわかない。
年末に出る「ギリシア人の物語Ⅲ」が塩野七生の最後の本になるそうである。本人曰く、本を書く気力はあるが体力が続かないと言っている。考えてみれば80歳になろうというのだからやむを得ないような気がするが、なんともさみしい気がする。 -
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紀元前1世紀、カエサルの生い立ちからルビコン川を越えるまで。少年時代の暮らしぶりを通して、当時のローマ市民の生活も詳細に描かれています。30代後半から台頭し、クラッスス、ポンペイウスと組んで三頭政治を開始、ガリア(ギリシア語でケルト、現在のフランス)総督に着任します。ヴェルチンジェトリックス(ヴェルキンゲトリクス)率いるガリア人部族連合とのアリシア攻防戦に勝利しガリア平定を決定的なものにします。この戦役は単なる征服としての意味を越えて、ライン以西、ドナウ以南を文明化(≒ローマ化)することによるヨーロッパの創出につながった、と著者は記します。そして三頭政治が崩壊したことによりポンペイウスとの対立が決定的になると、カエサルは反逆軍として北からローマに向うためルビコン川を渡ります。
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筆者はルネサンスを「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名づけられることになる、精神運動の本質でした」と定義。
そしてなぜダビンチやミケランジェロといった天才がうまれアートが芸術がうまれたのか?について、何かを見聞きするだけではほんとに理解できない、それを語りあたり字にしたり絵にしたり建築にしたりといった「創造するという行為が、理解の「本道」につながると。知りたい、ほんとに理解したい、だから造る。
ほんとうの理解とは創造やアウトプットを通じて生まれるということを以下のようにも指摘。
「言語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、言語を使って表現していく過程で自然に生れる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。明晰で論理的に話し書けるようになれば、頭脳のほうも明晰に論理的になるのです。」
ルネサンスは、中世の反動でいっきに見たい、知りたいが爆発。ほんとうにもっと深く知りたいという欲求が創造を生み出した。
とくにフィレツェト、ローマ、ベネチアの3つの都市国家の重要性を指摘。
都市国家とはそれまでの農村国家とはまったく別のスタイルの街。
中世は、土地を資産とする経済構造下にあり、その土地を所有する封建領主が主導権をふるっていた時代でした。これに対し、土地は持っていないが頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家。都市とはイコール頭脳集団、と言ってよいくらい。いろいろな種類の人があつまるがゆえに、いろいろなものがうまれていく。
一方で、ローマ法王庁や封建諸侯たちのような、異分子導入によるカルチャーショックを嫌って純粋培養をつづけた組織が危機に陥ったのが、中世末期であり、ルネサンスという精神運動を生む端緒になった。
ルネサンスはフィレンツェからはじまりローマへ。そして最後はヴェネチアにうつっていく。初期のフィレンツ、ローマ時代を代表する人物は
ダビンチとミケランジェロ。この二人に共通するのは「絵画、彫刻、都市計画、解剖、機械器具等々に手を広げたレオナルドや、絵画と彫刻と建築の傑作でイタリア中を埋めた観のあるミケランジェロのように、専門別に分けることが不可能な人が出てくる。分類不可能ということで、「万能の人」(uomo universale)と呼ぶしかなかった天才たちです。」という普遍性。
一方でベネチア時代にはいると「画家は絵だけに、建築家は建築だけに専念していたヴェネツィア人とは、大きなちがいですね」に変容していく。
筆者はその背景を「専門化とは、相当な成果があがった後ではじめて効果を発揮できるシステムだから。反対にスタート期には、分化されていない渾然一体のほうが新しいことの創造には適している。新しい考えとは必ず、既成のわくからはみ出たところから生れるものだからです。」と定義。時代に大転換期は普遍性のある天才が、そしてある程度、成熟してくると専門性の天才が生まれてくると。
また、芸術にはお金が莫大にかかる。ルネサンスといえばメディチ家だが、じつはメディチ家の繁栄は十五世紀になってから。それなのにフィレンツェのルネサンスは、明らかに十四世紀からはじまっていると指摘。ルネサンス=メディチ家の見方をしていたけど自分は勘違いしていた。
また、当時はペストによる人口の大激減があった。しかしながらそれをむしろプラスに転換したのが当時のイタリア。「人口の激減とは、やむをえずにしろ人々の関心を効率性に向けざるをえなくする。それ以前は都市に流れこんでくる人の量を頼りに上昇していたフィレンツェ経済も、ペスト以後は、質を重視し個々の生産性の向上を期すやり方に変わってくる。ヴェネツィアでもまったく同じです」。少子化を叫ぶ日本でも同じことがいえる状況だ
また芸術は金にならない、といわれやすいが、以下の一節を読むとその考えを改めざるをえない。
「わたしは、この都市の気分を知っている。われわれメディチが追い出されるまでに、五十年とは要しないだろう。だが、モノは残る」。これはルネサンス後期をささえたメディチ家の当主の言葉。しかし、そんなパトロンによって生み出された芸術に、ローマ、フィレンウェ、ベネチアはいまだに飯をくっている。
あれから五百年以上も過ぎた今のフィレンツェを埋めている観光客の群れを眺めるたびにこのことを思い出すと筆者は語る。
京都のような歴史都市も同様であろう。当時の富裕層によってさまざまな彫刻や寺院が建築され、それによっていま飯をくっている現実。
芸術は金にならない、ビジネスこそ金になるとはいうが、一方で1000年前の京都でつくられたビジネスはほぼ残ってなく、いっぽうで芸術はのこっていてそれで飯がくえている。
最後にルターによる宗教改革への言及が興味ふかい。もともとはルターは、神ー教会ー人の中抜をおこなった。それによって人々は、余計な教会をはさまずに聖書を信じればいよいというふうになった。しかし教会は弊害もあったが、狂信的にいきがちな宗教活動を中庸にする緩衝にもなる。これは現在の社会にもあてはまることで、_?
純粋に理念に準じると美しいが狂信さと紙一重になる。意味のある中間組織、中庸さをもたらす何かの重要性をかんじる。