石持浅海さんの新刊は、石持流の無理筋路線を維持しつつ、シチュエーションにひねりを加えた力作か。真犯人ではなく「真」犯人。その心は?
舞台は、様々なアーティストを支援する、山あいの芸術村。芸術家の卵たちはニックネームで呼ばれるが、スタッフの「私」は、発明家のエジソンさんの死体を発見する。殺したのは、現場で倒れていた恋人で歌人の小町さんのようだが…。
35歳で退村するルールのこの村で、小町さんは初めて物になりそうな村民だった。そこで村長は考えた。小町さんを逮捕させるわけにはいかない。誰か他の物にならなそうな村民を犯人にしてしまえ。そのシナリオを、「私」に描けという。
こんなもん、設定の時点で笑うしかない。石持作品で、警察への通報を遅らせるパターンは多いが、推理のためではなく、「真」犯人の捏造のためですよ、おい。警察を信じさせるようなシナリオなど、本気で描けると思っているのか?
村長は本気なのだ。元作家志望の「私」も、最初は渋っていたが、結局は嬉々としてシナリオを考える。周囲のスタッフも、村長を諫めるどころかあっさりと従う。毎回、登場人物の思考回路に呆れるが、今回は呆れを通り越してしまった。
言うまでもなく、予期せぬ事態に見舞われる呆れた面々。その度にシナリオは練り直し。それでも諦めない。出版社からオファーがあるという小町さんの短歌が、どれだけ素晴らしいのか知らないが。結局、混乱する一同の救世主となったのは…。
それにしても、芸術村のスタッフたちも、石持さんご自身も、芸術家をかなり曲解しているのではなかろうか? 小町さんに売れてほしいがために、他の村民には「堕落」の烙印を押す。こんな事件を起こした芸術村を、存続させるのか、おい。
何だか石持作品には珍しいエピローグという気がしないでもないが…やっぱりそうなっちゃうよねえ。淡々と語っている「私」はどうよ???