中野信子のレビュー一覧
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ネタバレ会社を辞めた友人に会いにバンコクに行き、おうちに伺った際、「そこの本棚の本、読みたいのあったらお好きにどうぞ」と言われ、
旅先でもあったので嵩張らずにすぐ読めそうなものを、ともらってきた一冊。
本当は帰りの飛行機とかで読みたかったのですが、なんやかんやで積読になり、5年越し?に手に取りました。
以下、印象的だったところ。
・相手を議論で打ち負かさなくてもいい。ただ、相手の言うことにしっかりと耳を傾けながらも、笑顔を絶やさず、自分の主張は曲げない。(中略)それだけで、あなたのペースに巻き込まれて味方になってくれる人が倍増します。(P38)
・まずは、相手をすっかりいい気分にさせて、自分の言うことを聞いてくれやすいようにしておきます。その裏で、自分が誘導したい目的地に話を持っていく交通整理を、ちゃっかり進めているわけです。(P55)
・「系統的脱感作」まずは、自分の最も嫌いな部分、それも思い出したくもないような後悔している出来事を、どんどん挙げていきます。次に、それらを徹底的にポジティブに捉え直していくのです。(P60)
・苦手なことへの対処法。「実験の詳細を詰める作業(苦手な作業)は、フランス人よりもその作業が得意だと思われている日本人やドイツ人になりきることで、こなしていました。」(P63)
・苦手なことを周囲の人たちにフォローしてもらうのが上手な人。フォローしてくれる人を褒めるだけではなく、フォローしてくれた人にはちゃんとお礼をしていた。「気の利いたプレゼントを用意してくれたり。とてもエレガントに、かといって嫌みにならないように、彼はお礼を欠かしません。」(P69)
・「いい人が寄ってきて、いい関係を続けられる」には。「結果的に、あなたが自分のことを認めていくことで、価値ある人脈を築いていくことができる」(P76)
・脳の完成度は食べ物に確実に影響される(P163)
・本来、脳というものは、集中できる環境を作ってやると、勝手にそのことに集中してしまうようにできている。「集中力をつける」ための意味のなさそうな努力をするより、脳が集中しやすい環境作りをするほうが、ずっと簡単で効果的(P169) -
Posted by ブクログ
TVでよく見る中野先生のエッセイ。
とても頭のいい方なんだということがあふれ出ている文章で、ちょっと難しい感じもしました。
でも、全体的に怒っているし愚痴もあって、そういうところがなんだか私たちと一緒じゃん!と思えたりもします。
親子関係がやや難しかったのかな・・・?と感じさせる部分がありましたが、具体的な話はなかったのでもう少しその辺りを読みたかったなと思いました。(でもご両親が健在だと、きっと書きにくいですよね...。)
ちょうど中盤あたりの「溺れる人は静かに沈んでいく」「ネガティブ思考には独特の中毒性がある」というところは以降はとても面白く、一気読みしました。 -
Posted by ブクログ
「我こそは正義だ」と確信した瞬間、人は簡単に正義中毒に陥る。この本は、その“脳の仕組み”を静かに解きほぐしながら、なぜ私たちは他人を許せなくなるのかを、科学の視点から照らしてくれる。
怒りや不満が湧くとき、そこには必ず脳のクセがある。そのクセを知ることは、自己防衛ではなく、自分の人生と社会全体にとってのプラスになるという指摘が印象的だった。
多様性を狭めた集団は短期的には成功するが、進化の歴史では滅びていく──この視点は、正しさを振りかざしたくなる衝動に静かなブレーキをかけてくれる。
そして鍵となるのはメタ認知。怒りが湧いた瞬間に一呼吸置き、「今、自分は正義中毒の症状が強くなっている」と気づけるかどうか。その小さな“気づき”が、他者を許すための最初の足場になる。
さらに、前頭前野は加齢で萎縮するという事実。だからこそ、合理的思考や客観的思考を日常的に使い、自分を振り返る余裕を持つことが、脳を老いから守るトレーニングになるという指摘は、静かに胸に残った。
ネットはツールにすぎず、知的偏食を加速させるのか、予防に使うのかは結局、使う側の意識次第。この言葉は、現代を生きる私たちへの警告でもある。
最後に心に残ったのは、「人間は永遠に完成しない」という前提に立つこと。自分や他者の愚かさを“人間だから仕方ない”と受け止めること。その柔らかさこそが、正義中毒から自由になるための道なのだと感じた。 -
Posted by ブクログ
何か読んだことあるものも混ざってるような…と思ったら、週刊文春WOMANに連載されてるらしい。そんな雑誌読んだかな?読んだんだろうな。
中野先生はけっこう前にテレビでよく見てた頃は、空気を読むよりズバッと言う印象だったけど、今回は忖度というか相談者の気分を良くすることを目的に言ってるのかなと思う返答が多かった。特に有名人相手のは。
もちろんためになることもあって、個人的にはここらへん。
・失敗するシーンを見られない→共感性羞恥、サイコパスの反対。社会不安障害が起きやすい。
・シャーデンフロイデ→相手の失敗を喜ぶ感情。正義中毒もこれ。
・ネズミのユートピア実験→理想的な環境下では少子化が進み、自分の身だしなみを異様に整えるネズミばかりになる。最後は滅びる。
・ほとんどの哺乳類はタダメシに対して対価を払おうとするが、ネコはしない。社会を形成しないことと無縁ではなさそう。
最後に「我々は自然と内的に生じる欲求をもっと認めてもいいのではないか」と書かれてて、最近の世の中の潔癖さ、融通の効かなさに辟易してる身としては、わかる…となった。
未曾有の少子化が加速的に進み、若い子が異様にルッキズムを気にしている社会になってしまったことと無関係でもなさそう。滅びないといいけど、どうなるんだろうね。
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独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
一人でも寂しくない人をかわいそうな人だと決めつけるのは間違いだというのはわかるんだけど、不本意でぼっちになってしまった自分のような者はどうしようもないという思いが拭えない。
特に自分は、(形式的に)女性パートナーがいないことがすごく寂しい。(ちなみに、形の上では女性のパートナーが欲しいが、自分に性愛を感じてくれるのであれば、パートナーは男性でも女性でも良いと思っている)
人とのつながりはあるけど、最終的に何かあったときに、この人を助けなきゃ、と思ってくれるのは、やはり家族などの親密圏の人間関係しかない。そうすると、身の回りに助けてくれる友人はいるけど、みんなパートナーや家族がある。自分には、親兄弟を除いて、他人から親密圏の人間関係になってくれた人がいないので、それを思うともの凄く孤独に感じる。
自分を(特に男性として)性愛の対象と見てくれる女性に、生涯出会えないとすれば、男としてはこれほど寂しく、孤独なことはないと思っているので。
でももう、これは、仕方がないのかなとも思う。
この孤独を癒やしてくれることはもうないのかもしれない。
自分自身、なぜ女性パートナーを得ることのハードルがこんなにも高いのかなと思っていたら、どうやら自分はヘテロセクシャルではないからか、と気づいたら、それはやはり仕方のないことなのかなと思った。趣味から気の合う女性などはいたが、だいたいそういう人は相手が居るし、そうすると、それでも奪おうという気もなくなる。
なんでかなと思ったら、自分が女性という性にそんなに性愛を感じないからなのかなと思った。(でもアセクシャルではないところがなかなか面倒)
なので、女性に興味を持つには、もの凄く長い時間がかかる。そうするともうこの先、女性と親密圏の関係になることはなさそうな気もする。
寂しい人生に思えてしまう。
諦められないけど、諦めて、さみしさに苦しむ人生を送らざるを得ないのかなと思った。 -
Posted by ブクログ
独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
正しく「嫌う」って、大事なんだなと思った。
子どもの頃はある程度、嫌いなものも一度受け入れてみるというのは必要だけど、大人になってからは「距離を置く」ことで、身の危険を回避することも重要な能力かもしれないと思いました。
自分はそれでうつ病を発症してしまったので・・・。
20代の無職の時に、一応職探しはしていたのですが、親の友人に「お前は逃げている」と言われて、じゃあ自分が無職なのは自分に原因があるのだろうかと徹底的に向きあった結果、うつになりました。その人のせいにしてしまって申し訳ないなとは思うけど(その人とは今も付き合いがある。幸いにしてわだかまりはない)、その人起因でうつを発症したという思いは正直消えない。
昔から、自分がなんとなくモヤモヤすることからは離れたのですが、特に父親からは〈今でも)「お前は逃げている」と思われていることはよくわかる。ただ、若いときは自分が間違っていると思っていたのだけれども、振り返ってみると、そこから離れたことで自分の身を守れた(採用してくれそうな会社を断ったこともあったが、その後数年してその会社が潰れたりした)こともあって、この「直感」(もしくは「嗅覚」)は実は大事だと、中年の今になって再確認している状況。
何事もほどよいバランスが大事なのだなと思った。
うつになってよかったとはやはり今でも思えないけど、自分の直感を少しは信じて良いと、中年になってから気づかされた。 -
Posted by ブクログ
題名「呪」かと思ってたら「咒」と…面白かったです。
そうか!と妄信は出来ないけれど、そういう考えもあるのか、という、見方をひとつ増やすような読書でした。
反社会性パーソナリティはよく耳にするけど、その反対?の向社会性パーソナリティもなかなか危険です。同調圧力よりも過激な気がする。
どちらかに偏りすぎないように自制、ということかしら。積極的に反社には傾かないけれど、「大人しくしとこ…」の点で向社会性には傾いている…
それから、「わかりやすいものを下に見る」の意識はあるかも、と思いました。
きっと、わたしがわかりやすいと思ってるものの中にも、実は複雑で全くわかりやすくないものだったというケースは往々にしてあるだろうから思い込みはいけない。
全体的に刺激的な説が唱えられていましたが、あまり纏まりはないように感じました。
色々な説を知れたのはよかった。
この本は、「この説についてもっと読みたいな」などと思うための入り口がたくさん用意されている本なのかもしれません。