あらすじ
正解を誰よりも早く選ぶ努力はやめませんか。
「女らしさ」は損か得か。「女らしさ」は誰のために存在するのか。そもそも「世間が考える女らしさ」とは何か──生き方が多様化し、男女ともに「正解」や「ゴール」がない今、私たちはどのような道を選択すれば、心地よく生きられるのか。
コラムニストのジェーン・スーと脳科学者の中野信子が、女性のみならず男性もが知らず知らずのうちに組み込まれている「残酷なシステム」を詳らかにする。
「自分の欲望をなめるな。普段はひた隠しにしても、その炎が消えることはありません。隠せば隠すほど胸の奥でくすぶり、自由闊達に生きる人を恨めしく思い続ける燃料になってしまう」(ジェーン・スー)
「私たちは、迷い、間違える。正しい答えを選べない。何が正しいのかすらわからない。私たちは不完全である。しかし、こうした私たちの不完全性が、何かの意味を持つのだとしたら、どうだろうか」(中野信子)
コロナ禍で可視化された男女の不都合な真実、2023年のアカデミー賞でわかった「分母(選ぶ者)が変われば結果も変わる」という事実ほか。
◎敵と味方とルールを再検証する ◎恋愛と結婚、私たちの場合
◎なぜ女は自信を持ちづらいのか?◎いつか結婚も出産もレジャーになる
◎ジャストフィットな生き方は自分で決める
*2019年刊行の『女に生まれてモヤってる!』に最新状況を
を加筆、再編集して新書化したものです。
(底本 2023年6月発売作品)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ジェーン・スー/中野信子 両氏の対談形式で綴られる「女性」テーマの本です。
2019年刊行の『女に生まれてモヤってる!』に加筆・修正したものだそうです。
実体験をもとに現実味が濃く語られるスー氏の考えと、「人間という生き物」の在り方を俯瞰で考えて語られる中野氏の考え。
両者ともに、「あるある」と頷きながらも、ユーモアや「なるほど」と思う目から鱗の考えもあり、楽しんで読み終えました。
特に印象に残ったのは、今、様々なことで悩んでいる「個人的」問題が、実はゲームのルール(=社会構造)の問題である可能性が高い、ということ。
生物学的に見た人類の在り方が変わることによって、ヒトが生殖の考えを転換させ、女性に求められる条件そのものが無意味になるかもしれない、という考えは、一見フィクションのようでありながら、「そうなったら自分はどうしたい?」と仮定の想像を働かせるスイッチにもなったような気がします。
他にも、忘却することで新しく学べるということや、スー氏の父が「いまを生きること」に重きを置いているという話、自分一人では悩んだり考えたりばかりで先に進まないようなことですが、この本をきっかけにヒントを得た気持ちになりました。
女性がジェンダー論について語る、というと「どうせ男を下げてるんでしょ?」と思われがちかもしれませんが、こちらの本は男を下げている、という感じがなく、男女ともに読みやすいのではないかなと思います。
---<本文からの引用>------------------
バグに気づけると、人にもていねいに対応できるようになります。このバグは女にだけ存在するものではありませんから、自分も「あの人が女だったら言わない言葉」を男に投げかけずに済むようになるのです。
ー 162ページより
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※「バグ」≒ジェンダーバイアス、社会的構造における男女の不均衡、押しつけられる「らしさ」のステレオタイプ等々
Posted by ブクログ
中野さんとスーさんの子どもの頃に抱いていたモヤモヤ、違和感から
時間をかけて見出してきた「女らしさ」という概念への対峙の仕方やこれからへの展望
確実にやってくる変化への期待も興味深く
性差がきっとなくなっていくからこそ
自分の身の振り方やキャリアについても考えさせられた
Posted by ブクログ
読んでいると、女性として日々感じていた小さなモヤモヤを、『あーなるほど!それが原因なのね!』とはっきり自覚させてくれ腑に落ちるような感覚にさせてくれます。
対談形式で書かれた内容はとても読みやすい。
研究論文をおり混ぜ論理的に解説してくれる中野信子さんと、パワフルに等身大で生きていてグッと刺さる言葉を身近な表現にして話すスーさん。2人とも違った視点を持っているからこそ逆に面白かった。
最終章では、この難が多い社会の中で失敗しても自分らしく逞しく生きていこうと勇気を与えてくれる内容でした。
Posted by ブクログ
「早く40代になりたいんです」と言い続けてきました。40代になるとさすがに、若い扱いもされなくなるかと思って。
結局、年齢不詳で不審な見た目と言動なまま40代になって、初対面の人とかからの扱いはあまり変わらない訳ですが、内面は本当に楽。知ってる人から面と向かって、結婚云々を言われなくなっただけでもこんなに楽なんて。
でも、たぶん内心では思われてるだろうけど、と思ってしまうところにわたしもまだまだ毒されているんだろうというのがわかる。
この点は、男性の方が大変かも。40代になっても「結婚は?」って言われそう。。。
ジェーン・スーさんと中野信子さん、確か以前読んだスーさんの対談本のおひとりが中野さんで「やり取り面白!」と思っていたので、一冊丸々も楽しく読みました。
お二人とも、その時に出来る精一杯をやってこられたんだろうな、とつくづく感じました。
女性についての諸々も面白く読みましたが、中野さんが紹介されてた、「地球は新たな地質時代に突入している説」が特に印象的でした。
「過剰適応した個体は環境の変化に耐えられない」、なるほど……いつかはホモ・サピエンスも絶滅するのかなぁ
Posted by ブクログ
◾️record memo
要は、男女問わずみんなに好かれる「いい子」になろうとすると、自己決定権を手放しがちになるんだよ。自分の意思より親や社会の期待を優先して、職場では同僚から嫌われないように、上司の機嫌を損ねないように振る舞う。割を食っても、頑張る。女性の場合は女らしさの社会規範に従い続けていくと、誰かにとってのベストサポーターにはなれるかもしれないけど、自分は何がしたいか、どう生きたいかを自由に考えて決めるのが難しくなることがあるよね。自分のことなのに裁量できなくなっちゃう。
「若さ」や「美人」のように、一般的に「得」と世間にみなされているものは、ほとんど長期的には使えない価値なんだよね。「頭のよさ」のほうがマシだと思ってはいた。若さ貯金って絶対に増えることはない。ずっと減り続けていく。減り続けるしかない貯金に頼る戦略のあやうさって、人間を蝕むと思うんだよね。
ひとつだけ気をつけてほしいのが、若さを何に向かって行使するかってこと。若さに値段をつけてお金に換えるような人たちにそれを行使すると、行使しているつもりで搾取されかねない。
あのね、この本を読んでいる人全員に実感してほしいんですけど、今この瞬間があなたのこれから先の人生においては一番若いんですよ。だから、「私なんてもう若くはないから」という考え方で何かを諦めることはしないでほしいと思う。
と同時に、中野さんの話で『アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング』って映画も思い出したのよ。コンプレックスだらけのぽっちゃり系女子が頭を打って、実際の見た目は何も変わっていないのに、「私、絶世の美女になっちゃった!」と勘違いするラブコメ映画。外見は変わらないまま自己認識だけがよい方向に変わったら、超ポジティブに行動できるようになって、欲しいものがどんどん手に入るようになる話。まぁフィクションだけど、一理あるとも思う。
もちろん、きれいになりたい気持ち自体は肯定されていい。メイクが上手になりたい、スタイルをよくして服を着こなせるようになりたいという思いは、自分がそうしたいなら、他人につべこべ言われる筋合いはない。
一方で、「女はメイクをしたり着飾ったりするのに時間とお金が掛かる」、「女は社会的にそれを期待されがちだ」までは肯首できるものの、「だから男の人におごってもらうのは当然だ」となると、私は正直どうかと思うよ。その理屈を正当化していくと、だんだんと被害者視点からしか物事を考えられなくなるんじゃないかな。
でも、私自身はおごられることはそう好きなほうじゃない。ちょっと気が重い。
それってなぜなんだろうとじっくり考えてみたんだけど、結局はさっきスーさんが言った「自己決定権を手放すことにつながりかねないから」なんだよね。おごられることを受け入れるのは、相手の支配を受け入れてもよいというサインになることがある。
だから、いわゆるハイスペックな男性は苦手なんです。世の中的には「結婚するなら絶対にハイスペックな男性がいい」という女性は少なくないと思うけど、私は可能な限り避けたいですよ。だってどうしたって向こうはこちらを支配したいでしょうから。そういう関係性を受け入れるか、または別れるかのどちらかしかない。一方だけに裁量権があるような関係性はやっぱりかなりしんどいと思うなあ。
ただ、声を大にして言いたいのは、「世間の考える女の得って、最後は行き止まり」ってこと。その場その場でお得なことはあるんですよ。お金が浮くとか労力がいらないとかね。でもそういう「得」は、年齢を重ねていくと必ず行き止まりになる。
自分を支配しようとする相手にパラサイト(寄生)することでしか得られない得だからだよね。だから離別や死別で宿主がいなくなると、次をすみやかに見つけないと、どうにもならなくなる。
まずは、意見が異なる、利益が対立する。たったそれだけの理由で、誰かを簡単に敵認定しないほうがいいですよね。SNSではそういう場面をたくさん見ますが、そもそも格好よくはないし、無駄も多い気がします。単純に、違うよね、だけでいいよね。
じゃあすべての女が頭脳明晰で自信満々でなきゃいけないのかっていうと、そうでもない。仕事で言えば、できない人のパフォーマンスに結果が大きく左右されないのが本来の会社のあり方だと思うんですよ。ある程度の人数がいる会社ならね。社長や役員は無理でも、課長や係長クラスにだったら多少仕事ができない人がいてもいい。というか、現にいるでしょ。
その理屈で言うと、今後は「仕事ができない女性管理職」が爆誕していいんですよ。「できる女」幻想みたいなのが激しいじゃないですか。役職に就くならとにかく優秀じゃないと、って。そういうこと言ってるから誰もなりたがらないんだよ。仕事ができない男性管理職なんてゴマンといるのに。
休日は休むためにありますが、疲労困憊なら一日中寝ていることが幸せの行使になりますし、体力は残っていても精神的なストレスが強ければ、バッティングセンターに行ったり友達と喋りまくったりするのが幸せの行使になります。雨だったら読書かもしれないし、晴れていたら散歩かもしれません。傍から見ると「せっかくの休みなのにもったいない」と思われることでも、私にとっては必要だったりするのです。つまり、あなたも私も幸せになりたいけれど、幸せな形や幸せにたどり着く方法はその日の状態によって異なるし、人それぞれでもあるということ。
女同士だからって、何でもわかり合えるわけじゃない。でも、それでいい。「わかり合えない」と「敵」はイコールでは結ばれないから。
女性は男性に守られるべき存在であり、小さく、愛らしく、可憐でなくてはならない。そうでなければ「選ばれない」。そういう雑誌記事、ネット記事を本当によく見かける。「モテる女が絶対にやらない◯◯」「男がドン引きする女の3つの共通点」等々。女性は男性よりも能力があるように見せてはならない、女性は男性よりも賢くあろうとしてはいけない、女性は男性よりも……。
いや……もうそんなに言うなら選んでもらわなくていいですよ。
選んでもらっても、タダ働き同然で男性のライフのメンテナンスに一生を捧げることをどうせ求められるのでしょう?
男性だって、自分のほうが強く、賢く、格好よくなくちゃいけないとか、そんな刷り込みのせいで毎日ストレスかかって大変だろうなとも思う。
これは若い世代の女性に伝えたいんですけど、自分が本来持っている「自分らしさ」と世間一般に言う女らしさがうまく合致する人もいれば、私のようにそうではない人もいる。そこが一致した、しないで、自罰的にならなくていいですからね。自分らしければどっちでもいいんだよ。
「誰かのために生きる」って、恐ろしいことに、実に心地よいことなんだよね。だけれどもその心地よさは長く続かないし、基準も簡単に変わる。ちょっとつらい状況に陥ると「どうしてこの人のために、自分がこんなつらい思いをしなきゃいけないんだ」に簡単に変わっちゃうんです。どんなに自発的に決めたとしても。
「自分が一番大事だから、この人に一緒にいてもらいたい」ならいいと思うんです。でも「この人が一番大事だから、自分を犠牲にしてもサポートしよう」はいずれ破綻しちゃう。苦しくなるよね。
私は女らしくないことや、子どもを産んでいないことに対しての税金未納感みたいなものがいまだにあるんですよ。それはやっぱり一生消えないと思う。消えないんだけれども、まあちょっと面白がれるチャームぐらいな感じに今はなっているかな。
何か目標を達成したり仕事に成功したりしても、「私の実力ではなく、運がよかっただけ」と思い込んでしまうことを「インポスター症候群」というのですが、インポスター症候群は女性がすごく多いんです。男性よりも、女性のほうがこの心理を持ちやすい。本当は実力があるのに、「私なんて実力がないのにいいのかな」と罪悪感に苛まれてしまうのは圧倒的に女性のほうだ、という。
ちなみに、自分の不安を埋めるために恋愛や結婚に走るのは無駄だと思う。結婚したからといって、相手や相手の優れた資質が自分のものになるわけではないし。そもそも結婚した夫婦の3分の1が離婚する時代だし。
耳に入ってくるモヤモヤワードに共通点がないかをチェックするのも効き目がありました。結婚式で新婦が言った「これからは一生懸命、彼の人生を支えていきたい」という言葉。女の先輩からもらった「子どもは産んでおきなよ」というアドバイス。「意外と女子力高いね」という褒め言葉だかなんだかわからない評価。言われたことを並べてみると、「私が男だったらそもそも言われないだろうし、別にモヤモヤもしないな」と思うわけです。自分が男だったら言われない、もしくはモヤモヤしないと思ったら、それはバグです。プログラムのミスです。あなたのせいではありません。
「私が男だったら、こうは言わないだろうな」と思うような発言を、無意識でする人もいます。そこで「私が男でも同じことを言いますか?」と相手に尋ねるか、「あ、こりゃバグだな」とスルーするかはあなた次第です。
バグに気づけると、人にもていねいに対応できるようになります。このバグは女にだけ存在するものではありませんから、自分も「あの人が女だったら言わない言葉」を男に投げ掛けずに済むようになるのです。
私を含めた多くの女が、周囲の機嫌を損ねることに対して恐怖を抱いてる。禁忌なんだよね。周りの機嫌を損ねるような行動を取る女に対して、女が男以上に厳しくなるときさえある。「お前は村のルールを忘れたのか?」みたいに。有性生殖がいらなくなったら、それはなくなるね。結婚も出産も、レジャーのひとつになるかもしれない。
そうなると別にパートナーを探す必要がなくなる。強いて言えば、一緒にいる相手として価値が高まるのは、「居心地のいい人」でしょうね。
まだそういう未来はきていないけど、私はそういう人を選んでいるのかもな。家に帰ったら仕事のことは一切話さないし。会計も別なので相手の預金通帳を見たこともなければ、こちらのも見せない。一緒にいて居心地がよければそれでいい。
置かれた場所で咲きなさい、という言葉を見ると、何だか苛立ちを感じてしまう。普通は、こらえ性のない、だらしない自分を叱咤激励して、何かをやり遂げさせるための声援としてありがたく受け止めるべき言葉なのだろうけど、天邪鬼な自分がいる。やっぱり素直には受け取れない。そんな自分にある種の残念な気持ちも感じつつ、違和感を消し去ることができないのが私の業の深さだな、と思う。
その違和感を言語化してみるとこんな感じだ。
なぜ見ず知らずのあなたに、そこで咲きなさいとか言われなければならないの?
置かれた場所で咲く必要はどこにあるの?
私たちには足がついているのに、どうして移動してはいけないの?
その場所に自分が合っていない、と感じたのなら、私たちはいつでも、どこへでも行ける。私たちは、花ではない。環境に合わせて適応するというやり方から、自分に合った環境を探して移動し続けるというやり方を、私たちは選択した。
もうね、悪いほうに気持ちが曲がったらアイロンかける、曲がったらアイロンかける。その繰り返しで「私ならできる」「私ならできる」と思考のクセをつけていく。私は作業として機械的にやるようにしてる。いちいち「でも、やっぱり私なんて……」と考え込まない。「あー!また曲がったー!」ってアイロンかける。それを繰り返したら、ちょっとずつ自信がついて自分で自分の人生を決められるようになったよ。
「普通は〜」も危険ワードだよね。「普通」ほど、人と認識に差があることってないもん。できるだけ言わないようにしてるけど、なかなか難しいよ。
Posted by ブクログ
女らしさが「誰のためか」というタイトルからして、女らしさが提供されるためのものであるような謙虚さやイジらしさを感じさせられる。通常、「〜らしさ」という言葉は、学生らしさや日本人らしさなどの模範性を示す。この模範は確かに文化的な期待の表れであり、社会的に期待される役割をも示すから、確かに「誰かのため」に存在するものでもある。また、女である事は片方の性と区別するための定義だから、提供する相手は男だと考えてしまいそうだが、そうとは限らない所にこの問いの面白さがある。
そもそも女であることは自然発生的なものだ。誰かのために作られた職業ではない。自然発生したものに、その性機能や身体性を前提にして時代の社会ニーズに合わせ、人類史の中で後から獲得してきたのが「女らしさ」である。押し付けられてきた、とも言えるかも知れない。誰かのためという言い方は、押し付けられたという語感の方が強い感じがするが、こうした感覚的なモヤモヤを中野信子とジェーンスーが言語化してくれる。
その中で中野信子が披露する知識も本書の面白さだ。WHRが0.6から0.7の範囲の女性から生まれた子はその範囲外からの女性の子より、IQが有意に高い、とか。ちなみに、WHRはヒップとウエストの比率でくびれの事で、私はこれこそ女性起因ではなく男性同士の競争起因だと思ったが。
ー 遺伝子史の話になりますが、性別を決める性染色体はメスはXX、オスはXYだよね。つまりオスのみがY染色体を持つのですが、そのY染色体がどんどん小さくなってきているという報告も。X染色体とY染色体を比較すると、そもそも大きさが違う。Y染色体のほうが小さくて、軽いんですよ。試験管の中に精子を入れておくと、Y染色体が上澄みにきて、X染色体が下にくる。それを利用して産み分けを試みる人もいるようです。で、このX染色体に比べるとY染色体のほうが小さくて軽いというのは、昔からというわけではなくて。どうも少しずつ小さくなっているらしい。そう遠くない未来にY遺伝子は小さくなり続けてセットから消え去る、つまり消滅するんじゃないかという説もあります。
ー 本書を手に取った皆さんの中にも、かつての私と同じように、正解を選ばされる人生を強いられ、間違えることへの恐怖に生え、失敗したと晒される人たちの姿を借りた、社会からの無言の脅迫に、苦痛を感じて来た人が少なくないだろうと思う。でも。正解を誰よりも早く選ぶ努力なんて、もうやめにしませんか。一見、想定外であったり、失敗のように見える結果の中に、新しい喜びや未来がある。それを見つけ、選んだ答えを正解にしてきたのが、私たち人類の歴史ではないのか。皆さんがこの先、迷う喜び、迷う贅沢を、存分に楽しんで行かれることを願っています
正解を選ばされる人生。誰かの期待に応える人生。何かしらの社会的ロールを担う必要があるのは、人間関係が存在するからだ。その関係性を断ち切ることは難しいが、必ずしも百点満点を効率的に取る必要はない。「らしさ」から外れた隣接可能性こそ、人類の醍醐味だと思う。
Posted by ブクログ
大学に入って、サークルのみんなでご飯行った時に、「あなたはまだ奢ってなかったね」と先輩に奢られて、なんかモヤモヤした。新入部員には一回は奢りたい人だったらしい。これ経の森若さんじゃないけど、私も出来ればイーブンでいたい人なんだよね。男女とか先輩後輩とか関係なく。
みたいな事を思い出した。
地質年代の視点から見ると、地球規模の大きな変化によって次の時代がもう始まっているって話は面白かった。当時の地球における酸素が大量に発生した事で地球表面の主役が変わった様に、今は地球に毒だと思われてるプラごみやら二酸化炭素やらで主役が交代するんだろうか。
魚の性別交代の小ネタなども興味深く読みました。
選んだ答えを正解にする。なるほど。面白い。
Posted by ブクログ
読み始めて既視感…と思っていたら「女に生まれてモヤってる」の新書版でした。かつて読んだ本でしたが、再読。
私も歳をとったので「女らしさ」とかいう社会のバグから解放されつつあり、最初に読んだ時よりは幾分か気楽に読めたなぁ。
これから大事なのは「選んだ答えを正解にできる力」、納得しかない。
理想の社会は訪れないけど、それに向かって不完全を完全に近づけていくのが社会だろう、というのも納得であった。
最初に読んだ時は私自身は独身だったけど今は結婚して子どももいるので特にわかると思ったのは「女同士だからってなんでも分かり合えるわけじゃない」。そして「わかり合えない」イコール「敵」じゃない。ここ大事。
Posted by ブクログ
中野信子さんの頭が良すぎて少し難解なところもありましたが(笑)、全編通して痛快でした!
思春期〜若手社員時代、比較的女性らしいと思われることの多かった私は女であることを優位に強かに使っていた気でいたけれど、何か違っていたのかもしれない。
何にせよ中野信子さん、ジェーンスーさんのお2人はカッコいい。自分と違う生き方だからこそ憧れる。
Posted by ブクログ
「女らしく」と言われることに抵抗がある女子校出身者のわたし。
やはり「らしさ」とは、社会が与えた役割と権力の差。
さらに最近感じていた、「女同士で悩みを共有する方が難しい」ということについて。
既婚未婚、仕事のあるなし、子の有無、妊活…ライフステージの分かれ道にいると、女だからこそ共感し合えないのだ。
そもそも性別が同じ=生活がほぼ同じ、という時代ではないし、そうなる必要はない。
■引用
・私が女に生まれてよかったなと思えることの筆頭は、皮肉なことに社会からあまり期待されないで生きてこられたことなんです。
・男女問わずみんなに好かれる「いい子」になろうとすると、自己決定権を手放しがちになるんだよ。自分の意思より親や社会の期待を優先して、職場では同僚から嫌われないように、上司の機嫌を損ねないように振る舞う。割を食っても、頑張る。
・女は一枚岩じゃない。でも、それでいい」という認識が広まるのは、多様性のある社会を目指すのに必須。ただし、注意も必要
・性差と言われている「らしさ」の正体は、役割と権力の差が生むものがほとんど。立場が人の発言や行動を作る
・結婚して夫のために生きることも、子どもを産んで子どものために生きることも選べなくて、そんな自分は利己的だと思ってずっと苦しんでいた。そんな自分が生きていていいのかなみたいな自信のなさがあったんですね。でもあれも今思えば、女らしさが解約できなかったからであって、私のせいではなかった。
Posted by ブクログ
スー様名言、納得のピッタリ表現が多発!絶妙でドンピシャな言葉の使い途に感嘆。
例えば、、、あなたのせいじゃない、社会のバグ!!とか選択(決断)→アイロン→正解にしていく。など。クマノミ談義も愉しく、男性の行く末はいかに…
産まなかった、産んでない女性側の心境が良く分かる良書。
Posted by ブクログ
女性だけではなく、他人からの「こうあるべき」に歯がゆい思いをしている人に読んで欲しい1冊。
女性として扱われることの具体例は、自分自身も体験したものが多く、めちゃくちゃ頷いた。
社会にはいまだにジェンダーや年齢でジャッジされたり、役割や価値観を押し付けられることがある。
そんな時にモヤっとして、気にする自分が悪いのかなと思っていたが、社会のバグのせいとは!
社会や他人から支配されないように、自分がどうしたいかを優先すること、越権してくる相手をちゃんと拒んでいこうと思った。
個人的には、ジェーン・スーさんの模索しながら色々チャレンジしている姿にとっても好感を持ったので、他の著書も読んでみたい。
Posted by ブクログ
ハイスペックな男性は裁量権があって、一方的にこちらを支配したいだけだろうから、苦手である。40歳は不惑だと言われるが、道徳的ということではなく、たんにドーパミンの分泌が減り、扱いづらい感情が落ちついてくるということでは。学習能力と記憶力はトレードオフで、一般的には記憶力がいい人のほうが、新しい環境に適応しにくく、過去の成功体験などこれまでの記憶を忘れる能力が学習にとって重要である。等々、なるほどと思うことが多くあった。
Posted by ブクログ
読後、もっと自由に生きてもいいかも、生きづらさを社会のせいにしてもいいかも、って爽快感を抱いた。
・仕事の出来ない女性管理職がいてもいい
・これさえあれば幸せ(恋愛結婚、、)というものがある気がして、ふとした時に絶対的な価値観に囚われている自分に気づく
私は容姿に恵まれたほうだから、良くも悪くも女らしさが重視される社会で生きやすさを感じてしまう。でも、自分の人生自分で生きないと後で後悔するから気をつける。
Posted by ブクログ
女であることのメリットデメリットを導入として、女であることつまり社会的固定概念としての女らしさを定義し、女らしさの型にはまることの生きにくさに軸足を置いて話を進めている。フェミニズム的な観点で話を進めるわけではなく、この両名の経歴からすれば当然こういった帰結になるだろうなという展開で話が進んでおり、本書の主張は一般女性に対する再現性は低いように感じた。良くも悪くも感情論が排された極めて論理的な思考で話が進んでおり、例えば結婚や出産して一人前に見られる女性のあり方等の古い因習に対する不合理さに話が及んでいる。対談形式であるために、意味がつかみづらいところがあり、一般女性への再現性の低さを感じたが、本書から女としての固定観念について、男と女を分け二元的な視点で分けて見るのではなく、1人の人間として一元的に考えるべき問題だという視点を感じた。
Posted by ブクログ
結構、真面目な本だった。色々考えて胸が苦しくなってしまった。
代理母の出産について「賛否はありつつも」としながらも二人とも賛成の姿勢を示していた。確かに子どもを望んでいながら、難しい方にとってはとても希望のある話だと思う。でも、日本で今すぐに代理母出産を制度的に認めるかってなると難しい問題だなって思った。
妊娠すると精神的・身体的も不安定になるし…。出産は勿論身体へのダメージは大きいし。十月十日お腹の中で育てていれば愛着も湧くし、自分のお腹で育てた子と別れなくちゃいけなくなるってすごく辛いと思う。それを全部振り切ってお金だけで人の子どもを産もうとするのはよほどボランティア精神がないとできないと思うけど…。
もし、代理母制が認められるとしたら代理母の権利も整えていかないといけないなと思った。代理母が経済的に弱い人たちに偏ってはいけないし、ましてや彼女らを踏みつけるようになってはいけないし。
そんなことをつらつら考えながら読みました。
Posted by ブクログ
女らしくしないといけないという空気をいまだに感じる。ほんとに誰のためなんだろう。子供のときよりも仕事を始めてからのほうがなんなら顕著に感じる。この問題に真正面から向き合って声をあげようものなら四面楚歌を食らうだろうなと。まだまだ解決しそうにない問題だ…