毎月のように出版されている池上彰の著書は、「現代社会を観察するための基礎情報」を、気軽にコンスタントに得るために、手に取っていきたいと思っている。
以下、新たに得た視点の備忘録。
⚫︎ほとんど語られないことだが、現在の中台問題の根本には、きっかけとして「国民党軍の台湾への逃避」より前に、「日本が台湾を植民地として欲した」ということがある…、この気付きを得た。
日清戦争の結果、台湾は、日本に領地割譲されたわけだが…
※日本の台湾統治と、その後の敗戦により、台湾に「国際法的な空白期間」が生まれた。
※50年間の日本の統治により、中国本土と台湾に、社会的・文化的な分離の基盤が発生した。
以上のような点において、「中台問題の土台」は、日本によって作られたとも言えるのである。
しかし、中台問題を論じるときに、この視点は、日・中・台の、どの政府や論壇でも、あまり語られないようだ。
それは、各国の政治的な思惑によるものだが、歴史学的なレベルや、日本人の歴史認識(特に責任意識)においては、この論点は、広く知られるべきだと思う。
⚫︎フランスという国の「ものの考え方」には、いつも驚かされるし、憧れさえ感じる。
渡邉雅子『論理的思考とは何か』を読んだ際にも、フランス式の小論文修辞法「ディセルタシオン」には、その知的レベルの高さに圧倒された。
本書においても、フランスの思想における先見性が紹介される。
なによりも、「人権」という概念を確立したことこそ、フランスの最大の栄誉であろう。
現在のわたしたちが持つ価値観・倫理観・社会観…その他ほとんどの基礎が、1789年フランス革命の「人権宣言」から始まって、今に繋がるのだ。
なんと、「行政文書の公開を求める権利」まで明記されている。
1871年、世界初の労働者による(わずか72日間の)政権「パリ・コミューン」においては、婦人参政権・義務教育の無償化・生活保護の整備・常備軍の廃止までが謳われている。
21世紀になっても、誤魔化され、実現していないようなことまで、「権利」として要求されている。
なんという先見性であろうか!
フランスに根強いた共産主義運動は、パリで学んだ鄧小平、ホー・チ・ミン、ポルポトに影響を与え、大きく世界史を動かしていくことになる。
⚫︎ドイツの「過去の反省」の、成功と失敗から、日本が学ぶべきことは多いと思う。
西ドイツにおいては、ナチスによる虐殺を、庶民が「見て見ぬふり」をしたことまで反省されている。
黙認は、賛同や追随と同じものであることが、強く意識されている。
東ドイツにおいては、そのような反省はされず、ソ連占領下で、「悪いのは資本家、労働者は被害者」という理解がされた。
日本においては、「東京裁判」という戦勝国の手による裁き以外に、日本人の戦争犯罪を、日本人自身の手で裁くことが、まるでなされなかった。
そのため、軍国主義や植民地主義に、賛同・追随・黙認をしてきた「一般庶民の罪」が忘却され、あたかも被害者であるかのような歴史認識が形成されていった。
戦争経験者の世代は、西ドイツ形の反省意識を内発的に持つ人も多かっただろうが、戦後世代は、東ドイツ形の歴史認識しか持っていないのだ。
戦後81年目の今に至っては、「一般庶民の加害性」に対して、目が向けられることは、ほとんどない。
(ただ、漫画・アニメ『この世界の片隅に』や、小説『女の子たち風船爆弾をつくる』などの、近年のクオリティの高い創作物においては、むしろ、この視点が、強く表現されている。)
現在のドイツにおいて、排外主義・陰謀論・人種差別・ネオナチを擁する「極右政党」は、主体的な反省を行わなかった「東ドイツ」で支持が高い。
東ドイツ形の歴史認識を培ってきた日本社会は、同じように、排外主義・陰謀論・人種差別・ネオナチが育つ土壌となっているのではないだろうか?
もう一点は、ドイツと日本の原子力発電への「反省」の相違点である。
ドイツは、チェルノブイリ原発事故への反省から、環境問題への市民活動が活発化し、福島第一原発の事故を見て、ついに、原発の全廃に舵を切った。
日本は、福島第一原発の事故を経ても、また、何事もなかったかのように忘却し、原発の新設・増設を掲げている。
わたしたちは、主体的に、自発的に、「反省するチカラ」を持っていないのだろうか?