森達也のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレメディアが機能不全を起こせば、悪い影響を与える。メディアと国民の同質化、その国民が選ぶ政治家も同じレベルになる。
メディアが増えた。今後も加速する。
上野の国立科学博物館。
人間は群れたから成長できた。副作用がある。場の空気を読むのは本能。
暗示を受けやすく信じやすい性質がある。
集団は暴走する。
断言と反復で戦争に導ける。
自由の責任に耐えられない=フロム『自由からの逃走』
放送禁止歌の規定はない。自主規制だけ。
国別のキャラクターの証明=エスニックジョーク。船が沈没するときの飛び込ませるアナウンスの例。
集団性は、マスゲームを見ても、どの民族にも共通する傾向だが、日本人は強いのではないか。
世間、というのは外国語に翻訳しずらい。
日本人の集団性は天皇制が影響を与えている可能性がある。
人間は共同体に属さなければ生きられないが、帰属の度合いは考えるべき。
不安が強くなったとき、強い力や有名人に惹かれる。思考が止まるから。
SNSはエコーチェンバー現象が起こる。似たような思考の人が集まる。違う意見は聞きたくない。
関東大震災で朝鮮人を虐殺した話と同じ。信濃毎日新聞、新愛知、で事実ではない号外が出た。これが関東に伝わって、朝鮮人がりが始まった。
戦争がなくならないのは、闘争本能があるからはなく、自衛本能があるから。
メディアは不安や恐怖をあおる。そのほうが売れるから。しかし、権力の監視も重要な役割。
毎日新聞の沖縄返還協定の密約のすっぱ抜きは、事実よりも不倫スキャンダルによる情報入手のほうが注目された。情報源を守るというジャーナリズムのルールを守っていない。
メディアの監視機能が機能するには、社会にも成熟が必要。
不安や恐怖に関する遺伝子としてセレトニントランスポーター遺伝子がある。L型は楽観的、s型は悲観的、アジアはS型が多い。日本人は突出して多い。
大杉栄、伊藤野枝の死、亀戸事件。
熊本地震のときの動物園からライオンが逃げたというデマ情報の例。SNSで拡散した。
イラク戦争のフェイクニュース=少女ナイラ、油にまみれた水鳥。
フェイクニュースは衝撃的だからこそ広まる。
戦争のとき新聞が恐れたのは真実を伝えたときの不買運動。
反撃、と呼ぶか、敵基地攻撃、と呼ぶか。
SNSはカスタマイズされている。
すべての情報は誰かの視点である。世界は多層的であり多面的である。
ツイッターは日本中心。アクティブユーザーの数はアメリカと同数いる。日本は匿名が好き。ツイッターは匿名が可能。匿名率は75%。
報道では実名報道を優先する=メディアの競争原理。自分は隠したいが他者は知りたい。
誹謗中傷は放置されるほうが多い。下手に反論すると火に油になる。
日本は団体スポーツが得意。
メディアと教育は不可分。どちらも同じくらいリテラシーが発展する。
情報はすべて解釈。 -
Posted by ブクログ
森達也『虐殺のスイッチ』ちくま文庫。
様々な国や時代で起きる虐殺。
虐殺が起きるメカニズムを解き明かすノンフィクションかと思ったら、森達也がこれまでに手掛けた『A』シリーズを事あるごとに引合いに出す自己満足的なエッセイのような作品だった。
最近は日本国内でも、毎日のように殺人事件のニュースを耳にする。殺人だけでなく、我が子を虐待する親や同級生を過激な虐めで死に追いやる学校生徒。まるで人間の持つ良心という抑止の箍が外れたかのようだ。大昔、『ススムちゃん大ショック』という永井豪の漫画があったが、まさにそんな状況だ。
世界に目を向けても、ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射実験、中国によるアジア諸国の領海侵犯と、直ぐにでも虐殺に発展するような危機が渦巻いている。
思えば、今の時代、世界の警察を自認するアメリカの自作自演とも言われる同時多発テロとその後のイラク戦争から虐殺という悲劇への緊張が高まったようにも思う。結局のところ、アメリカのイラク侵攻、ロシアのウクライナ侵攻は人間の権力志向の最たる結果だ。
森達也は、集団化と同調圧力が虐殺に向う2つの鍵だと言うが、これに人間の権力志向を加えるべきではないか。
カンボジアのクメール・ルージュの大量虐殺、オウム真理教による地下鉄サリン事件を中心にした虐殺、関東大震災の朝鮮人虐殺、ナチスのホロコースト、ベトナム戦争、インドネシア政権による虐殺、ルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺。歴史に見る数多くの虐殺事件のスイッチは様々だが、集団化と同調圧力の2つが鍵を握る。
そもそも戦争と犯罪、紛争とを全く区別せずに虐殺で括って論じているところが気に食わない。
本体価格780円
★★★ -
Posted by ブクログ
親ガチャ、という言葉は刺激が強い。けれど、どこか、中空だ。親は選べないけど、こうした私がいるのは、先祖から延々とつないできた命の営みの必然だったりする。問題は、この言葉が一見生まれによる不運さ、を切り取っているようで、強烈に親ガチャで決まるような社会は生きるに値するのか? という問いを内包しているのではないか、ということだ。生まれに着目すれば、次にでてくるのは育ち。育ちとは何か。環境と引き継いだものの影響の及ぼしあい。
しかし、親ガチャで決まるということは、この間の一切合切が、省略されたレールの上に載っているということか。透明カプセルのなかで、社会そのものをスルーする。そこにあるのは、うまくやっていくために意図的にコントロールする仮面をかぶった自己と、そうでない自己の強烈な解離がおそらくあるのだ。
この本は池田清彦、中島義道、和田秀樹、室井佑月、森達也、香山リカ、土井隆義さんの小論集。視点が、それぞれ少しづつ違っていて、不思議なトートロジーの尾を踏むような現象が同時多発的にみられているようだ。これは何を意味するのだろうか。たぶん、突破力の圧倒的な不足なのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
【第33回講談社ノンフィクション賞受賞作】
東京地裁で初めて、完全に壊れている麻原彰晃を見た著者。
マスコミも、誰も、声をあげようとしない異常な裁判。
麻原彰晃と、事件を起こした側近たちを死刑にすることで、すべてを終わらせ、忘れようとしているかのように思えます。
オウム真理教事件によって、大きく変わってしまった日本社会の深層を浮き彫りにする、ドキュメント作品です。
あの時期はそれほどに、日本国民のほとんどが、オウムや麻原を「絶対的な悪」として認知していた。過去形ではない。今だって数量的にはそう見なす人のほうが圧倒的に多いはずだ。だからあらためて書く。「人を殺すならばそれは宗教ではない」とのレトリックはあまりに浅い。歴史の縦軸を見ても世界の横軸を見ても、信仰が戦争や虐殺と親和性が高いことは、小学生にだってわかるほどに自明なのだ。 ー 155ページ