【感想・ネタバレ】「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたいのレビュー

あらすじ

メディアや政治家に煽られながら、危機意識ばかりが高揚し続ける日本。東日本大震災で集団化はさらに加速し、敵や異物を排除しようとする動きがますます強まっている。そんなときに勃発した領土問題。気がつけば取り返しのつかない事態が引き起されているかもしれない。私たちは何を考え行動すべきなのか。

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Posted by ブクログ

著者はドキュメンタリー映画監督の森達也氏。彼の映画は、オウム事件など社会問題を中心にした作品が多いようだ。
個々の信条と違うものもあるかもしれないが、彼が本書で伝えるメッセージは強烈であり、筋が通っている。自分の意見をメディアで発表することは、反対の立場の人からの猛烈なバッシングが予想され、とても勇気がいることだと思う。家族にも迷惑がかかるかもしれない。森氏は、社会や日本、そして世界の行方を憂う正義感から、それをあえて声高に訴えている。
例えば、森氏は死刑制度の有効性に疑問を抱いている。死刑だけでなく、終身刑や無期懲役もない国ノルウェーについて書かれた章がとても印象的だった。77人を射殺した犯人は懲役20年で、その間大学で勉強することもできる。刑期を終えれば、住居や就職の斡旋もされる。ノルウェーの犯罪率は、日本と同程度、つまり非常に治安が良いという。一方、厳罰化が進む日本では死刑判決の数は増え続けている。
森氏の主張では、メディアなどで警戒を呼びかけと、必要以上に人々が構えて疑心暗鬼になってしまう。どこか変だと思いながらも、誰も意見を言わなければそれが社会のコンセンサスになってしまうことに、彼は警鐘を鳴らしている。
いろいろ考えさせられる一冊だった。

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2017年03月29日

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作者の意見にほぼ9割賛成である。集団の忖度、アンタッチャブルな話題、雰囲気、これらが日本を危ない方向に押しやろうとしている。もっとオープンに、冷静に議論する世の中にしていかないと、不幸な過去を繰り返すことになる。
そして、弱体化したジャーナリズムを何とか立て直せないか!せめてNHK位しっかりして欲しいが、今は安倍に抑え込まれてしまっている。情けない!

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2016年06月09日

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見えにくいから、見ようとする。聴こえにくいから、聴こうとする。分からないから、考える。自ら取る行動のひとつだったとは。そんな一歩の無い、ものすごくスムーズで分かりやすくするテレビ・メディア。メディア。悲劇も喜劇も日常。

163頁〜引用、
ベトナム戦争において米軍が敗退した最大の理由は、国内外に高まる反戦の世相に抗しきれなくなったからだ。そのきっかけの一つは、そもそもの戦争介入が米軍の謀略によって始まったことを暴くペンタゴン・ペッパーズの存在やソンミ村事件などの実態を、メディアがスクープしたからだ。

ところが存在しない大量破壊兵器を大義として始まったイラク戦争に対しては、なぜか世相に火がつかない。こうぞうはべとなむせんそうとほぼ同じなのに、イラク戦争に対しては、メディアを、受容する人たちの意識が喚起されない。

その理由の一つは、メディアの質の変化にあると僕は考えている。ベトナム戦争の時代の戦争報道の主流はスティール写真だった。一秒の何百分の一。しかもモノクロがほとんどだ。つまり欠陥したメディア。ところが今の戦争報道の主流はビデオ。情報量はスティール写真とは比べものにならないくらいに増大したのに、人の心は喚起されない。揺り動かされない。(中略)表現の本質は欠陥にある。
メディアは徹頭徹尾足し算だ。

310頁
かけてもいい、国家に救われた命より殺された命のほうがはるかに多い

316頁
透明人間にペンキをかければそのアウトラインは浮かび上がる。国家とはそのようなものだ。実体はない。でも前提するからには実体があると信じなければならない。だから色とりどりのペンキをかけて、法令や政治や統治や憲法や人権や刑罰や軍隊や税金などの輪郭を浮かび上がらせねばならない。
前提でありファンタジーでもあるのだから、その内実は「思われる」ことによって具体化する。

317頁
私にとって国というのは、そこに暮らす人たちのできるだけ多数の幸福を実現するためのしすてむであってほしいと思っています。たとえるなら国はマンションの管理組合、政治家は管理組合の理事のようなものです。人は何かに帰属しないと生きていけないとしても、マンションの管理組合に帰属することで自己のアイデンティティを確立する人などいないはずです。乱暴かもしれませんが、国なんて本来その程度のものなのではないかなと思わなくもないです。

350頁
殺されるかもしれないとの恐怖はすさまじい。そして殺すときの良心の負荷もすさまじい。心を壊さないことには殺せない。そもそも語りたくないことに加え、壊れているから記憶が定着しない。だから語りたくても語れない。なぜ人が人に対してこれほどに残虐なことができるのか。その理由がどうしてもわからない。
こうして加害の記憶は途絶え、被害ばかりが語り継がれる。だから戦争の実相がわからない。加害の記憶を思い出さないことには、憎悪と報復の連鎖は止まらない。

351頁
「もしもまた同じような状況になったら絵鳩さんはどうしますか」との質問に対して、ゆっくりとマイクを手にした絵鳩は、「私はまた、同じようにするでしょう」と言った。
「皆さんもそうです。それが戦争です」
辛そうだった。苦しそうだった。でも絵鳩はごまかさない。決して隠さない。…

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2015年10月07日

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当事者でもないのに、なぜこれほど居丈高になれるのか?不安や恐怖、憎悪だけを共有しながら、この国は集団化を加速させていく―。取り返しのつかない事態を避けるため、今何ができるのか。

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2015年01月26日

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タイトルが印象的で、そのテーマについて掘り下げた本であると思い購入したのだが、実際は幅広いテーマで雑誌に掲載されたショートエッセイをまとめたもので、ああ違ったのね、という感想を持った。タイトルの『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』は、当事者ではないものが、被害者遺族の思いを共有できると考えること自体が不遜だというのが、著者の考えを示したものだ。

一方、このタイトルは、遺族の神聖化を通して、遺族の心情を害するかもしれない言動や行為を「不謹慎」だとする空気の支配によって、なされるべきことがなされないメディアへの批判でもある。つまり本書は、マスコミ批判の書である。メディアというものが提示できるのはどこまでいっても「事実」ではなく「視点」でしかない、ということに対して自覚的であれとの主張で一貫している。テレビ上がりのドキュメンタリ作家として、マスコミの言葉というものに敏感であり、それが透明でないことを肌感覚として知っているのだ。対象に切り込む時の躊躇がないため「エッセイ集」と呼ぶとイメージが違ってくるのかもしれない。ここで挙げられた問題提起に対しては、真摯に向かうべきことのように思う。

著者の森達也は、オウムのドキュメンタリ『A』を撮った監督だ。恥ずかしながら、途中までそのことを知らずに読んでいた。本書では、オウムについては少しだけ触れられているが、他に震災報道や裁判員制度、死刑制度などの社会的問題から、スリッパのしまい方や書類の押印、ネクタイの着用など日常の違和への考察を通して「制度」への無自覚な行動が批判的に論じられる。その意味でも無自覚性への批判が、この本を貫く主題であるとも言える。もちろんそれは「視点」をずらすことにより得られる見解でもある。

著者はネットでうすらサヨク、平和ボケとしてネットでは批判されているらしい。しかし、そのように定義されるであろうものから著者は遠く離れている。著者はネットにあふれる、「他人ごとであることについて無責任に言い放つ」ことに対する無自覚さと不寛容さに対して強い嫌悪ともどかしさを感じているのだ。著者は、少なくとも拉致問題の蓮池さんや、オウム事件の永岡さんと直接会って話を聞いている。

クマバチの例(実は毒をもたない)から始めているが、本書に通低する主題を最初に提示する上で非常によくできた話だ。著者にだって先入観はあり、そのことについて著者も反省することもあるという姿勢を著すとともに、反省してその事実を明らかにすることを厭わない姿勢こそが著者のポリシーであり、世間やマスコミに抱く違和感の源泉であるのだ。そして、多くの「クマバチ」が世の中にはあるのだ。

第5章「そして共同体は暴走する」で、ポーランドのイエドヴァブネの話が取上げられていたのには軽く驚いた。ナチスではなくポーランドの地元住民によって行われたユダヤ系住民の虐殺。この地名は、高橋源一郎の『銀河鉄道の彼方に』にも隠された地名として出てくる。実はNHKスペシャルでも取り上げられたことがあるというのを初めて知った。アイヒマンの話を好んで持ち出す著者の目には、ナチス以降も同じような暴走の危険性が世界には溢れているように見えるのだろう。イエドヴァブネという地名については、アウシュビッツと同じように記憶しておくべき地名なのかもしれない。
著者が引用するナチスの台頭を許すこととなったドイツの詩人ニーメラーの詩は印象に残る。

「視点」を持つことと同時にそれに自覚的でかつ他の視点があることを知っていること、それはたとえ行動に直接に表現されないとしても大切だ。それはわれわれが持つべき「謙虚さ」であろう。

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本書の中のあるエッセイでも拉致問題が取り上げられている。この本を読み終わったあたりの時期に、横山めぐみさんの両親が北朝鮮に渡り、めぐみさんの娘(つまり孫)に会って帰ってきた。それを聞いて、めぐみさんはこれで本当に生きている可能性はないということなんだなと思った。なぜなら、孫に会うということは生存に関する話を両親がしてしまう可能性があるにも関わらず、許可をしたということではないかと思ったからだ。もちろんそれも可能性の問題だ。しかし、報道ではそういった可能性に触れることはほとんどなかったと思う。「死んでいる可能性」に触れることもなぜかタブーになっているようだ。「これからも拉致被害者の帰国に向けての活動が....」と言われるのだ。やはり、この国のテレビはおかしい。

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2014年04月20日

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賛否を問うのではなく、論理的思考とはどのようなものなのかを知るためにより多くの人が読めばいいと思う。
引用が多用されているようにも感じられるだろうけど、より客観的であろうとする試みとして受け入れられる。
死刑の是非を考えるテーマで、非常に考えさせられた引用があった。命は罪を償う手段として利用されるべきではないというもの。確かに、罪は償えない。時間を戻せないのと同じ。加害者の死の執行と、被害者の死の取消とどちらを望むかは明らかだ。

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2014年01月15日

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面白かった。被害者の人権。仮想敵と共同体の暴走。薄気味悪い善意。普段深く考えないことをゆっくり考える機会になった生きていくための思考の本。

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2022年07月08日

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正義という相対的な思想は、時に戦争という非人道的な惨劇に転化する。法のもとで人を殺す死刑制度、それが果たして正義なのか。正義をとことん疑う。メディアから溢れ出てくる情報は発信する側のフィルターがかかった偏向な事象でしかない。盲信という安易な価値基準から抜け出していく。悩まない日常に平穏は訪れない。苦悩する果てに未確定な希望が見えてくる。"安心安全" を謳う怪しさはすぐさま正義を持ち出して線引き・分断を提示する。そこに怒りをこめて打破したい。ここにも "苦悩" と "怒り" が秘められている。

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2021年04月29日

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ネタバレ

死刑の話かと思ったら、色んなジャンルの事が書かれてた。
約10年程前に書かれたものもあり、懐かしいニュースもある。
テレビの言ってる事に違和感を覚えたのは高校生の時。その時の自分の感覚は正しかったのだと再認識!
やっぱり鵜呑みにしないで、きちんと自分の頭で物事を考えないと!

印象的だったのは、朝鮮語の翻訳者の話。
私も英語やけど字幕と実際に言ってる事の意味合いが微妙に違うと思ったことが何度かあった。

信頼できるニュースやメディアを探すのって大変ね。

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2021年02月04日

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発売された当時に購入して、その時は途中までしか読めなくて、でも大事なことが書いてありそうだったからずっと持っていた本。
最近、世の中のことや、人の心と社会の動きのつながりのようなものが気になりはじめていて、その考えを深めてくれそうだなと思いもう一度手にとった。
今度は、最後まで一気に読んでしまった。
森さんがこの本を上梓したときから、世の中はますます共同幻想的な傾向が強くなっていると思う。
実態のない恐怖にみんなが怯えていて、そのこころが解きほぐされなければ、みんな優しくなれない。

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2020年08月30日

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(日本的)自由主義者によるコラム集
内容は、かなり偏っているけれど、自分の考えが偏ってきた時に読むと、アタマがほぐれる。

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2019年05月21日

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森達也の書く内容には毎回どきりとさせられる。本書もそうだ。
それは私にとって都合の悪いことが書かれているからだ。

「当事者のことを慮れ」「当事者の身になってみろ」。大きな事件・
事故・災害等があるとこんなことを書き散らしていることがある。

当事者への共鳴が正義であると思ってるからだ。だが、正義には
もれなく危険が付きまとう。正義だと思い込んだものを振りかざす
時、人は違う意見を排除しようとする。

「まったき正義」はないと思っている。それでも自分の意見が、思想が
正義であると思ってしまうことがある。

だから、森達也が書く文章は耳に痛い。自分の思い上がりを指摘
されるからだ。

本書には非常に都合の悪い話が詰まっている。犯罪者に極刑を
求める第三者、領土問題、善意の伝播、既存メディアの在り様、
北朝鮮による拉致問題等々。

本書に書かれている内容すべてに賛同できる訳じゃないが、
凝り固まった思考を動かすことが出来る。

読みながらまた思い出す。アメリカのニュース・キャスター、
クロンカイトの愛国心についての言葉を。国のやることすべて
に賛意を示すことだけが愛国心ではない。国のやることに疑問
を呈することも、また愛国心じゃないのか…と。

過熱するヘイトスピーチ、煽られる危機とそれに伴う不安の拡大、
そして異なる文化や習慣を持つ人々への根拠のない憎悪。

ここ数年の日本を覆う薄気味の悪さ。異を唱えようものなら
「ブサヨ」「非国民」「売国奴」なんて言う言葉を容赦なく浴びせ
られる。

それでもやっぱり「おかしい」と思える感性をなくしたくはない。

「自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味が
分からない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。僕は自国の
民族や文化を愛している。でもこれを誇るつもりはない。なぜなら
世界中の国が、独自の民族や文化を持っている。歴史も同様だ。
 誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いし
ばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は
何よりも誇りに思う。」

「九条の国、誇り高き痩せ我慢」と題されたエピローグの一節だ。
そうなのだ。日本が世界に誇る憲法九条。それを変えようをして
いる人たちがいる。

憲法改正反対っ!なんて書くと森達也同様に「頭がお花畑か」
なんて言われちゃうのかな。言われてもいいや。私は九条を
変えて欲しくない。

マイノリティでもいい。でも、声を上げるマイノリティでいたい。

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2017年08月21日

Posted by ブクログ

 いかに現在の世の中が住みにくくなってきているのか時代にそって考えればうすうすわかる事なのにそれをどうしても頭から否定をしてしまうから他者に対する思いやりという心がなくなってしまう。

 立場がどちらであれその考え方を正しいと思った時点で間違いなのにそれに気づこうとしないのか気づけないのだろう。

 人が生存するために大切な思考という能力が退化してきているのではないか。いくら勉強ができてもそのような能力は自らがその中に入り込めなければつくことはない無論それは片側の論理ではないという事が前提である。

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2016年05月10日

Posted by ブクログ

話の7割くらいは賛同できず、本人が言うように「お前の頭の中はお花畑か!?」とも思ってしまう。しかし、残り3割が激しく同意できるし、今まで自分が気づかなかったことなので、タチが悪い。
この人の話もっと聞きたいと思ってしまうよ。

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2015年08月03日

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森達也の言ってることに概ね賛成。
しかし、ノルウェーが厳罰化しないことは、宗教的基盤もあるのではないかな。日本人は因果応報という考えが根強いから、殺したのならそれ相応の報いを受けるべき、と思うだろう。だから、こういうことって、法学者やジャーナリストだけでなく、他の学者なんかも交えて日本人全員がもっと真剣に考えるべきだと思う。
ネット右翼みたいな人たちより、森達也の方が勉強し、取材し、真剣に考えていることは間違いないわけだから、反対の考えの人こそ読んでみるべき本だと思う。
確かに、当事者じゃないから冷静に考えられるってことはあるわけだし、当事者の気持ちは当事者にしか理解できないとも思う。
それにしても、吉田茂は立派なことを言っている。孫に聞かせてやりたいね。

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2014年08月11日

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視野を広げたい人は必読。
読んでいて何度本を叩きつけたくなったか分からない。
それはこの本に対してではなく、この世に蔓延っている現実、嘘、欺瞞に対して、そしてそれを知らずにいた自分に対しての怒りに対して。
それだけでも、この本には充分に価値がある。明日は少し違う自分になれるから。

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2014年07月12日

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僕は、この世の中で起きる物事の全てに自分なりの答えを持ちたいと常に思っている。けれどこの本を読んで感じたことは「自分の立ち位置さえ確立されていれば、この世の中で起きる物事の全てに自ずと答えは出る」ということだった。
「被害者遺族の思いを想像することは大切だ。でももっと大切なことは、自分の想像など遺族の思いには絶対に及ばないと気づくことだ」
こういうことは、日々の人間関係や家族関係でも重要なこと。
「目を覚ませ!」と何度も横っ面を叩かれたような感覚。

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2014年06月08日

Posted by ブクログ

雑誌『経』に掲載された著者の40編ほどの連載を、加筆修正してまとめたもの。
古くは2007年のものから、2011年の東日本大震災直後に書かれたもの、本書刊行の直前(2013年夏)に書かれたものまである。

実は印象的なタイトルにひきつけられ、死刑制度についていろいろ著書のある著者の本であることもあって、そのあたりを掘り下げた本かと思い手にしたのだが、タイトルはあくまで連載の一つにつけられたものだったようだ。
よって、話題はオウムはもちろん、国際社会の在り方から司法、思想、現代社会の暗部などなど多岐にわたっており、本来のテーマとしては、サブタイトルがそれを集約しているものと思われる。

人々が集団になったとき、実体のない「共同幻想」(吉本隆明氏の造語らしい)にとらわれ暴走する。その論理が、社会で起きている様々な現象に当てはまっていることを、著者は危険視している。
「国家は前提であり実体はない」という言葉は印象的だ。一見唐突なようだが、国というものを端的に表している。国際社会という視点で物事を考えるとき、常に頭の隅に意識しておいたほうがいいのかもしれない。

さて、やはりというべきか、本書の中でニルス・クリスティの修復的司法の本『人が人を裁くとき』について言及されている。著者はご本人にも会われたらしい。
クリスティの本、ずっと積読のままだなあ、読まねば。

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2014年06月05日

Posted by ブクログ

新聞で見かけたのがキッカケだったように思う。
タイトルが印象的で。
すべてこの話なのかと思ったら、連載の単行本化だったので、一表題だったことを読み始めてから知りました。

どれも興味深いものだった。
善意は暴走しやすい、というくだりは、某弁護士ドラマを思い出し。
印鑑文化の話はその通りだとも思うが、印鑑を作っている人のことを考えるとなぁとも思ったり。
テレビがうるさい、というのは同意見だ。
真実を解明し切れていないことに対する不安感の欠如はあるように思った。
推定無罪の有名無実化については、何とも。。。だから誤認逮捕の場合でも周りから犯人であるかのような目を向けられてしまうのだと思った。

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2014年02月17日

Posted by ブクログ

表題を含む多くの事案について書かれた雑誌掲載コラムをまとめたもの。副題の方が本書に書かれた内容を端的に表していると思う。中心になっているのは当然ながらオウム関連のものが多いが、その他は映像制作者としての著者の立ち位置からのものが目立つ。幅広い諸問題に対する著者の見解にうなずいたり首をかしげたりしたが、めんどくさいからと日頃スルーしてしまっている問題を、ちょっと立ち止まって考える、その切っ掛けを与えてくれる良書だと思う。

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2014年02月10日

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ネタバレ

タイトルは、死刑制度廃止の意見への反論に対してのもので、訊きたいのは「被害者遺族のための死刑制度ならば、遺族が存在しない天涯孤独な人が殺されると刑は軽くてよいのか?」ということ。
死刑制度、刑罰の厳罰化、犯罪やテロ対策、竹島や尖閣など、世間の常識や期待、正義などの危うさ(暴走)、それにおもねるメディアの実情に意識を向けさせられる。
著者の意見は、自身が気にしないといいながら何度も触れるようにブサヨ(ぶさいくな左翼の意?)、お花畑満開(理想論の意?)という批判もあるように、一面的な意見だと感じられるが、問題意識の切り口としては必要な情報だと受け止めた。
14-18

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2014年02月09日

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 「推定無罪の原則」や「残酷な刑罰を禁じる」憲法や世界人権宣言・・・その他の諸権利を獲得するまでに世界中で流された血と、その時間を考えれば、死刑制度や日本のマスコミの犯罪報道に違和感を感じるのは当然であろう。その違和感の正体を著者は考え抜いていく。紹介されるノルウェーの現実はすごい。ノルウェーには死刑も終身刑も無期懲役もない。望めば刑務所内で大学教育まで受けることが出来、出所の際には住居と仕事が提供される。11年71月のオスロの政府庁舎の爆破、郊外の島で起きた銃乱射事件を経てもなお、死刑の復活や厳罰化を望む声はないのだという。「罪を憎んで、人を憎まず」ということか。これもまた、人類が到達した地平なんだけど・・・・。

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2014年02月02日

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当たり前のことを当たり前に発信することが怖い社会になりつつあるような気がします。勇気とは何かということも考えます。

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2014年01月26日

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最近は、森さんの書かれるものを読むと、ああ、また火の中の栗を拾ってるなあと思う。そして、いったいいつ頃から、こういう発言をするのにやけどをする覚悟がいるようになったのだろうか、とも。

死刑制度、領土問題、北朝鮮、厳罰化、オウムについてなどなど。森さんの言っていることはとても説得力があり、全面的に賛成とは思わなくとも、傾聴に値する。自分はどう判断するのか、考える機会をあたえてくれる。日頃マスコミを通じて大量に流される情報を、いかに無自覚に受け取っているか気づかされて、反省する。

自分の気に入らない人(有名無名にかかわらず)を、読むのもイヤになるような汚い言葉で罵倒したり、プライバシーを暴露したりすることが、当たり前のように行われるようになってしまい、危うそうなことは言わないに限るという空気がどんどん広がっていると思う。新聞の投書欄から住所を突き止められて嫌がらせをされることまで起こっている。

いやだなあと思うニュースには事欠かないけれど、ストーカーに殺された女子高生が死後にまで徹底的に蹂躙されたこと、ヘイトスピーチデモが拡散していること、この二つには何と言っていいかわからない激しい憤りを感じた。おそらくその多くは普通の生活を送っているであろう市井の人が、ここまで品性下劣になれるのか。山の中に「新しい村」でも作りたくなる。

まあ、そういうわけにはいかないから、せめてものこと、自分で考える。そして、情けなくなるほどささやかなことではあるけれど、お互いを尊重する関係を身の回りで作っていく。これだって結構難しかったりするのだ。いやほんとに情けないけれど。

本書を読むと、著者の森さんをはじめ、バッシングや葛藤にめげず、行動し発言する人が必ずいるということも、またよくわかる。心に残って離れないのは、大阪在住であるノルウェー人の女性のメールだ。2011年に起きた銃乱射事件でこの小さな国は大きく揺れた。それでもノルウェー社会は、厳罰化に転換することなく、寛容な姿勢を貫いている。事件の翌日、犯人の母親が事件現場に花を手向けに来たとき、遺族たちは静かに献花を見守ったそうだ。罵声を浴びせる人などなかったという。これが日本なら…、と思わずにはいられない。

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2013年11月26日

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表題に惹かれ手に取ったが
期待とは欠け離れた内容であった。
しかしながら無知が及ぼす大罪には共感でき、又これ等の事象から
多くの事をきずかせてもらったことに感謝したい。

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2024年09月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今回読んだ中のなるほどなあ文↓

『僕たちはメディアによって事実を見せられているのではなく、事実に対しての視線を見せられているに過ぎない』
『表現の本質は欠落、つまり引き算にある』
『暴走の駆動力となる「過剰な忖度」』

日常でもついつい過剰な装飾や上乗せ表現をしがちだが、それでも伝わった感がしない昨今、ちょっと足りないかな?程度のコミュニケーションを心掛けていきたい(あくまでも個人の範疇内で)

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2018年01月02日

Posted by ブクログ

彼の話は割と好きだが、少々くどい。
また、死刑に関する話から始まって、
自分理論を信じ混みすぎてフラット感が薄く感じる。
本来は、様々な意見を聞いて
いろいろな観点があって、それで考えている
ということだから、
多分彼に全面的に賛成するのもある意味ダメだと思う。
そう思って読めば、例えば彼の味覚に関する
考察はかなり稚拙で、せめて火の賜物くらい
読んでほしい。
神経科学をかじった身としてはそんな浅い意見は
やめて!と思った。
ノルウエーの寛容さは納得。
今まで行った中で一番いい国だった。
中国列車事故の報道とか、確かに違和感感じまくりだったのは
被害者より中国サゲメインだった、
あの雰囲気に違和感だったんだと納得。
ただ、検挙率99パーセント超えてる=治安がいいは若干疑問。
犯罪系の本読めば
明らかに他殺っぽいのに自殺扱いされてる事件も多いし
そこから疑わなきゃじゃないかな〜と。

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2016年11月09日

Posted by ブクログ

将軍さま チャングン ニム 翻訳の方向性

元皇軍兵士の証言 中共の洗脳組

文明や文化とは洗脳 ネクタイの役割

ポーランド イエドブァブネ ユダヤ系住民の虐殺
ナチスドイツ兵ではなくポーランド系住民

被虐と加虐

ホロコーストからパレスチナ分割決議
イスラエル建国の過程
被害側は危機意識を燃料に課外側へと反転する
悲惨な体験を被虐だけの記憶として強く民族の意識に刻んだからこそ、他社に対してこれほど過酷な仕打ちができる

裁判員制度の始まりはアメリカ資本の要請


異端審問、魔女狩りはユダヤ人が対象であった
イエスはユダヤ人に処刑された

ユダヤ人はなぜ自分達を抑圧してきたキリスト教ではなくアラブ人を抑圧するのか?
イギリス、アメリカ、フランスが仕組んだことか? 紛争の火種をわざと残した?

尖閣も北方領土も?

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2014年08月11日

Posted by ブクログ

著者は、映画監督で作家で、明治大学の特任教授もやっているらしい。連載されていたコラムのようなものをまとめたもの。

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2014年02月20日

Posted by ブクログ

本書の題名を、貴方にこそ言いたい。上杉氏との対談本をよんでいてなんかしっくりこないこんじがあった理由が今分かりました。

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2013年11月30日

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