上田紀行のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
■■評価■■
★★★☆
■■概要・所感■■
●感想
○「愛すること」と言うタイトルには当初は大層な印象を持って読み始めた。結果内容は非常に良かった。
○最後の手紙 一歩を踏み出せない人のための文章は、また読みたくなる。
伝えたいことは、繰り返し、自分の言葉で、感情に訴えるようにありありと書く。さらけ出して書くと、こうも響くのかという感じを受けた。
○愛されたいけど愛していない 人が多い。。。自分も含め。と感じる。
●愛は与えたら減るものではなく、増えるもの。お金や物質みたいに、与えた(使った)ら、減るものではない。そこがポイント。愛情はどんどん与えることが幸福につながる。
●承認欲求は他人からの愛を求めている。自分本意ではない価値観。それが感情を不毛にさせるとある。
○ここでの愛はGIVEと読み替えたほうが良いかもしれない。
○今思い返すと、本書は非常に良かった反面、愛の定義が多面的すぎて、愛という言葉の意味にall in one感がある。
○なので、ここで使われている愛という言葉の抽象度を一段具体に進めた言葉で理解すると良いと思う。これにより、ふんわりしたところから行動につながる具体の世界に、還元することができると思った。 -
Posted by ブクログ
■■評価■■
★★★★☆
■■概要・感想■■
○愛する意味の著者と同じ方の書籍。出版年は2005年だが、扱われている問題はむしろ今のほうが深刻になっており共通である。
●「自分の幸せのみを喜ぶものの幸せは有限である。しかし他人の幸せを我がことのように喜べるものの幸せは無限である」。
○愛は与えると減るものではなく、増えていくものであるという著者の別の本にあるような考え方が大切なんだと思う。
○相対化されたあるべき姿を目指すのは、経済的に生きていくためには必要。だけれど、個人の、絶対的な価値観でのワクワクを感じることだったり、理想に向かってのギャップを埋めていく作業こそが、生きる意味につながると感じた。
○行間、具体例、想いを受け取って実施していくことが大事なのかと思った。 -
Posted by ブクログ
東工大のリベラルアーツ研究教育院の13人の先生方が「大学でなにを学ぶか」また、リベラルアーツ(教養)とは何か、という問いに答えている。
13人もの先生の話なので、一つ一つが短くて読みやすく、入学式での校長先生のお話のような感じだったが、次の4月から大学生の私にとってはとてもためになることばかりだった。
教養の重要性について熱弁している先生もいれば、読者に寄り添ってやる気を引き出してくれる先生や、自らの大学生活、さらには大学教員生活での経験をたっぷり書いている先生など同じテーマだが十人十色で、面白い本だなと感じた。
すでに2度読んだが、何度でも読み返したくなる良い本だと思った。 -
Posted by ブクログ
東工大ではここ10年くらいをかけ、「リベラルアーツ」の名のもと、理工系の学生たちに文系的な知を体得してもらう取り組みをしている。本書はその取り組みを中心的に推進してきた池上、上田、伊藤3氏によるもの。各氏の論稿と鼎談を収載している。
自分も含め、文系の人々は理系からっきしって人けっこういるけど、社会に生きたり本読んだりしながら生きている以上、いくら苦手意識をもっていたとしても理系の人のほうが文系分野を取り込みやすいだろう。そして理系の人が文系の素養(リベラルアーツ)を手にすればよりよい世のなかがつくりやすいような気がする。たとえば、科学技術を純粋に探究しているうちに核兵器ができちゃうようなことがあるとして、リベラルアーツや人間の根幹に関する知があれば、倫理的にすべきでないことを止めるなり逡巡するなりといったことができるのではないだろうか。
著者3氏を中心とした東工大での取り組みの様子(特に上田氏執筆の章)は非常に読みごたえがあった。リベラルアーツという新たな方向性(実は東工大のそもそものお家芸だったのだけど)に向かうにあたり、周囲の反対や非難を受けながらも一歩ずつ進めていった軌跡は、いわばリベラルアーツ的な知をもって、東工大にリベラルアーツを植えつけた実践例ともいえるのではないだろうか。
とはいえ、やっぱり「いい大学」だからできたんだろうなとも思う。学生集めや経営に必死な大学では、とてもこんな時間と余裕をかけた取り組みはできないだろうな。
ついでにちょっと批判めいたことを書くと、リベラルアーツの取り組みは「とがったリーダー」を輩出するためのようだけど、リーダーってとがっているほうがいいんだろうかとまず思う。もちろん、とがったリーダーが必要な場もあるだろうけど、そうじゃないタイプのリーダーが最適な場もあると思うから。
さらにいえば、リベラルアーツがリーダー育成と結びつけられているのもちょっと疑問。東工大という「いい大学」の自負として、歯車になる人でなくリーダーになる人を育てるんだっていう意識(エリート意識的なもの)が見え隠れする……と思ってしまうのはひがみだろうか。リベラルアーツが生きるための知だとすれば、それはリーダであろうとなかろうと身に着けるべきことなのでは。 -
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教養って何なんだろう?自分の根っこを太くするって言ってもどうしたらいいのだろう?このような疑問に対して、ある程度はこの本を読んでイメージできたが、やはり難しい。
すべてを疑う、クリティカルシンキング、とがるなど、理解はできても実行するとなると難しいと思う。それを少しでも意識しながら生活することが大切なのだろうか。本書にも述べられているように、特に今のコロナ禍においては、多くの情報が錯綜し、メディアの報道すら一部分しか見えていないかもしれない。自らも正確な情報をとりにいき、かつそれをも疑い、それらの知識をまとめて考え運用し、ベストな選択、行動をする。今の状況は、平時に比べると本書に述べられていることを意識しやすい世の中なのではないだろうか。 -
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東工大の「リベラルアーツ教育」を構想した面々、池上彰ら実施にあたった人々の問題意識の高邁さや努力は素晴らしいと感じる。東工大については、今野浩のエッセイにもたびたび触れられていたが、理系学生に人文知の薫陶を与えようという意識が非常に高く、般教の教授連も大物が就くらしい。とはいえ、そもそも「リベラルアーツ」は高等教育の場で身につくというものであろうか?。
本書の中でも何度か出てくるように、試験、試験で能率を追求する知的訓練で鍛えられた「優秀な学生」は、「教養」の涵養にも効率を重視する。人文知の世界の「基本書」は、どれも数をこなせるようなものではない。しかし多くの学生は、いわばよくできた「知のカタログ」欲しさに、基本書の梗概あるいは「書評」的なものを、次から次とこなすだけで、「教養」を手に入れた、と満足するだけのような気がする。
高等教育で教養を教育できる、というのは、リベラルな教員が抱く幻想ではないか。特に、東工大のような理系畑では、専門で自分の地歩(学士号でもよいが)を築くためだけにでも、文系の5倍の時間を要求されているはずだ。現代の理系学生は、寺田寅彦とは異なる時代に生きている。驚異的に膨れ上がった科学技術体系を自分なりにモデル化して脳の回路に埋め込む必要があるのだ。教養なるものに無際限に時間を費やす余裕はないであろう。
もちろん、小学校などで、啓発スキルに優れた良い教師に巡り合った経験がある一握りの優れた学生は、世界全般について広い興味を持ち続け、多忙な専門の学習の間にも、自身の根と幹を、太く、広くする営為を、自身でコツコツと積み重ねているだろう。結局は個人の幼少時からの心がけと積み重ねである。大学生になってから教養、教養と言っても、雑多な知識を脳のどこかに書き込むにすぎない。既に遅いのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
東工大で教鞭を取っている研究者たちの
若者へのメッセージ。
理系トップ大学の先生方が
リベラルアーツを勧めている。
でも、これって実は難しい。
私も大学時代は、やっと好きなことだけできる!
と思って、文学系の講義ばかり取ってたなあ。
他の分野は最低限だけ取って。
今なら、もっと幅広に学ぼうと思うのに。
でも、今の自分がそう思える人間になったのは、
大学時代に好きなことばっかりやってたからだとも思う。
生徒にも、視野を広くしろと指導するけど、
高校のうちに分からなくても良いと思っている。
いつか彼らが自分で気付く時のための種蒔きを
していると思っている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ大変革期のVUCA(Volatile, Uncertain, Complex, Ambiguous)な社会では「定型業務の専門家」ではなく「適応力のある専門家」が必要だ。この混迷期に適合した専門家は、具体的知識(クイズ的知識)ではない、より高次な知識(メタ知識)を身につけた人のことで、アクティブラーニング(既存の知識を整理しなおす学習活動)を繰り返し行うことで育成される。
定型業務の専門家−−<知識のメタ化>−−>適応力のある専門家−−<リベラルアーツ教育>−−>リーダーシップのある専門家
『「リーダーシップのある専門家」になるために』(室田真男)より要約 -
Posted by ブクログ
今年度、本格的にリベラルアーツの授業を受け持つことで、予備知識を入れておくために講読。リベラルアーツっぽいことを講義する自信はあったものの、あくまで自己流だから、専門家・経験者のご意見を拝聴できた。
結論を先に述べると、教育する側として、既に理解している章もあれば、再発見できた章もあった。前者だと、池上彰「自ら問いを立てること」、國分功一郎「問いを発する存在になる」などは、普段の専攻教育科目でも発しているとおり。対照的に、後者の章としては、中島岳志「教養はどのような時に役立つのか」が、これまで頭の中でぼんやりと考えながら教えていた理想を、文章で具現化してくれていたうえで、非常に有益だった。20世紀の批評家・劇作家である福田恆存のメッセージ、すなわち「「99匹」のための実学、「1匹」のための教養」を事例としたのが、本章および本書の主題を明らかにするために、的を射ていた。リベラルアーツで得た「教養」というのは、「何らかの形で人生の前提が崩れた時」にこそ意味を持つものであり、大きな躓きを経験した時、「引っ掛かりのインデックス」が多いほど、危機に強い人間になる(68-69頁)。この点を、まだそれほど大きな躓きをしていない大学生に伝授できることこそ、リベラルアーツの授業に意味が出てこよう。
他方で、有用だったとは言い切れないが、いかにもリベラルでおもしろかったのが、中野民夫「僕は大学時代、何よりも旅から学んだ。」と、多久和理実「「リベラルアーツなんてやりたくない」という人へ」。これだけぶっ飛んだ大学生活を送れる余裕を、現代の大学生にも持ってもらえると、本書の役割も大きかったと言えるのではないだろうか。