上田紀行のレビュー一覧
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■■評価■■
★★★☆
■■概要・所感■■
●感想
○「愛すること」と言うタイトルには当初は大層な印象を持って読み始めた。結果内容は非常に良かった。
○最後の手紙 一歩を踏み出せない人のための文章は、また読みたくなる。
伝えたいことは、繰り返し、自分の言葉で、感情に訴えるようにありありと書く。さらけ出して書くと、こうも響くのかという感じを受けた。
○愛されたいけど愛していない 人が多い。。。自分も含め。と感じる。
●愛は与えたら減るものではなく、増えるもの。お金や物質みたいに、与えた(使った)ら、減るものではない。そこがポイント。愛情はどんどん与えることが幸福につながる。
●承認欲求は -
Posted by ブクログ
■■評価■■
★★★★☆
■■概要・感想■■
○愛する意味の著者と同じ方の書籍。出版年は2005年だが、扱われている問題はむしろ今のほうが深刻になっており共通である。
●「自分の幸せのみを喜ぶものの幸せは有限である。しかし他人の幸せを我がことのように喜べるものの幸せは無限である」。
○愛は与えると減るものではなく、増えていくものであるという著者の別の本にあるような考え方が大切なんだと思う。
○相対化されたあるべき姿を目指すのは、経済的に生きていくためには必要。だけれど、個人の、絶対的な価値観でのワクワクを感じることだったり、理想に向かってのギャップを埋めていく作業こそが、生きる意味につな -
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東工大のリベラルアーツ研究教育院の13人の先生方が「大学でなにを学ぶか」また、リベラルアーツ(教養)とは何か、という問いに答えている。
13人もの先生の話なので、一つ一つが短くて読みやすく、入学式での校長先生のお話のような感じだったが、次の4月から大学生の私にとってはとてもためになることばかりだった。
教養の重要性について熱弁している先生もいれば、読者に寄り添ってやる気を引き出してくれる先生や、自らの大学生活、さらには大学教員生活での経験をたっぷり書いている先生など同じテーマだが十人十色で、面白い本だなと感じた。
すでに2度読んだが、何度でも読み返したくなる良い本だと思った。 -
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東工大ではここ10年くらいをかけ、「リベラルアーツ」の名のもと、理工系の学生たちに文系的な知を体得してもらう取り組みをしている。本書はその取り組みを中心的に推進してきた池上、上田、伊藤3氏によるもの。各氏の論稿と鼎談を収載している。
自分も含め、文系の人々は理系からっきしって人けっこういるけど、社会に生きたり本読んだりしながら生きている以上、いくら苦手意識をもっていたとしても理系の人のほうが文系分野を取り込みやすいだろう。そして理系の人が文系の素養(リベラルアーツ)を手にすればよりよい世のなかがつくりやすいような気がする。たとえば、科学技術を純粋に探究しているうちに核兵器ができちゃうようなこと -
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教養って何なんだろう?自分の根っこを太くするって言ってもどうしたらいいのだろう?このような疑問に対して、ある程度はこの本を読んでイメージできたが、やはり難しい。
すべてを疑う、クリティカルシンキング、とがるなど、理解はできても実行するとなると難しいと思う。それを少しでも意識しながら生活することが大切なのだろうか。本書にも述べられているように、特に今のコロナ禍においては、多くの情報が錯綜し、メディアの報道すら一部分しか見えていないかもしれない。自らも正確な情報をとりにいき、かつそれをも疑い、それらの知識をまとめて考え運用し、ベストな選択、行動をする。今の状況は、平時に比べると本書に述べられている -
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東工大の「リベラルアーツ教育」を構想した面々、池上彰ら実施にあたった人々の問題意識の高邁さや努力は素晴らしいと感じる。東工大については、今野浩のエッセイにもたびたび触れられていたが、理系学生に人文知の薫陶を与えようという意識が非常に高く、般教の教授連も大物が就くらしい。とはいえ、そもそも「リベラルアーツ」は高等教育の場で身につくというものであろうか?。
本書の中でも何度か出てくるように、試験、試験で能率を追求する知的訓練で鍛えられた「優秀な学生」は、「教養」の涵養にも効率を重視する。人文知の世界の「基本書」は、どれも数をこなせるようなものではない。しかし多くの学生は、いわばよくできた「知のカタ -
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東工大で教鞭を取っている研究者たちの
若者へのメッセージ。
理系トップ大学の先生方が
リベラルアーツを勧めている。
でも、これって実は難しい。
私も大学時代は、やっと好きなことだけできる!
と思って、文学系の講義ばかり取ってたなあ。
他の分野は最低限だけ取って。
今なら、もっと幅広に学ぼうと思うのに。
でも、今の自分がそう思える人間になったのは、
大学時代に好きなことばっかりやってたからだとも思う。
生徒にも、視野を広くしろと指導するけど、
高校のうちに分からなくても良いと思っている。
いつか彼らが自分で気付く時のための種蒔きを
していると思っている。 -
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ネタバレ大変革期のVUCA(Volatile, Uncertain, Complex, Ambiguous)な社会では「定型業務の専門家」ではなく「適応力のある専門家」が必要だ。この混迷期に適合した専門家は、具体的知識(クイズ的知識)ではない、より高次な知識(メタ知識)を身につけた人のことで、アクティブラーニング(既存の知識を整理しなおす学習活動)を繰り返し行うことで育成される。
定型業務の専門家−−<知識のメタ化>−−>適応力のある専門家−−<リベラルアーツ教育>−−>リーダーシップのある専門家
『「リーダーシップのある専門家」になるために』(室田真男)より要約 -
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今年度、本格的にリベラルアーツの授業を受け持つことで、予備知識を入れておくために講読。リベラルアーツっぽいことを講義する自信はあったものの、あくまで自己流だから、専門家・経験者のご意見を拝聴できた。
結論を先に述べると、教育する側として、既に理解している章もあれば、再発見できた章もあった。前者だと、池上彰「自ら問いを立てること」、國分功一郎「問いを発する存在になる」などは、普段の専攻教育科目でも発しているとおり。対照的に、後者の章としては、中島岳志「教養はどのような時に役立つのか」が、これまで頭の中でぼんやりと考えながら教えていた理想を、文章で具現化してくれていたうえで、非常に有益だった。 -
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担当業務がこれまでの領域とあまりにも異なったので、ハウツーばかり読んでいて、最近古典など読めていなかったが、久しぶりに読もうという気持ちになれた。
しかし、まだまだ学ぶべきことが多いと自分の無学を恥ずかしく思う。がんばらねば。
経営の意思決定をする際に、例えばオプションA、B、Cがあったとする。当たり前の話ですが、どの選択肢が一番優れているかは事前には分からない。どんなに分析して予測しても、実際にやってみなければ分からない面がある。だとすれば、事前に最も強固な拠りどころとなるのは、その人の中にある「論理的な確信」しかない。
それは、具体的なレベルで仮定に仮定を重ねて、各オプションの期待値 -
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Posted by ブクログ
「平成の社会と宗教」というテーマで4人の論者がそれぞれの立場から平成の30年を振り返り語った本。
平成の30年間は、ぼく自身が生まれてから今までの期間とほぼ一致したので、この30年間の振り返りはすごく身近に感じた
今まで宗教について、深く考えたことがなく、なぜ人は宗教にはまるのか?について考えさせられたり、仏教やキリスト教など2000年以上もの変わらず続いている宗教を学ぶ意義があるのかを考えるきっかけになった。
WHOによる健康の定義も1998年にスピリチュアルという言葉が加わるほど宗教は密接に関わっている。
こと日本では宗教に対する嫌悪感は多少あるようだが、これはおそらく1995年の地