上田紀行のレビュー一覧
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この生きにくい現代社会をどのように生きていけばよいのか。文化人類学者のエッセンスをまぜて語る一冊。なんだか心に染みた。
筆者は「私が本書で提案したことは、交換可能な存在として扱われるようになった自分をもう一度交換不可能な存在にするための戦いである」(P203)とまとめているが、今の時代を生きていくのに大事な戦いな気がした。
・「できる人」よりも「魅力的な人」になることを目指すのも、子どものきっかけとして社会とつながっていくことを志向するのも、共同体のしがらみをあえて引き受けるのも、「自分はほかの誰でもない私自身として、今この世界で生きているんだ」という確かな実感を再び抱けるようになるため(P -
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ダライ・ラマとの対談をしているのをきっかけにこの本を読む。
著者の主張の出発点は、いまの世の中の閉塞感の本質は「生きる意味が見えない」という生きる意味不況であると定義。
仮に経済成長を復活して果たしたとしてもこの閉塞感はかわらないだろうと。
なぜ生きる意味不況になってしまったのか?
それは高度経済成長を通じて「他者の欲しがるものを手にいれる」という人生観が主流になったからだと指摘。
その引き換えに物質的豊かさを手にいれることができたのでまだ代償として成立していた。16
しかしながら、経済的豊かさを手に入れた今、他者の欲しがるものを同じように欲しがって手に入れてもこれ以上、幸せになれないことをみ -
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ネタバレ生きる意味を失ったのは、自分が欲しいものが自分で選んで手に入らなくなったから。バブル中の旺盛な消費欲だって、自分の価値でなく他人が買いたいものを所有することで悦に浸っていた。その価値基準が崩れたから、みんな迷いはじめたという指摘に納得。
収入だとか成績だとか他者から見て計りやすい数字で人生の勝ち負けを見定めるために、自分で自分の人生を輝かせられる意義を失っていく現代人。その癒しのためにはワークショップなどが必要と説く。
ご自身の活動の援護としての本という気がしないでもないが、読むと気は楽になるかも。しかし、現実はこうしたヒーリング自体が経済構造に組み込まれている現実がある。
経済成長より -
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ネタバレ『池上彰の教養のススメ』の流れで読んだ。
生きる意味が見いだせないでいるのは何故か。そこには世間の目を気にするという日本的な恥の文化、新自由主義的グローバリズムによる構造改革の中で数値と画一的な価値観が押し付けられ、異質が排除されてしまいがちな状況がある。
家庭、学校、会社、社会のいずれも画一的な理想像に沿ったイイ子を求め、受け入れる一方で、それに対する違和感や反発、そして生きる意味が見いだせない状況。
生きる意味を見出すためには、自分自身のワクワク感と苦悩(現実とワクワクとのギャップ)に向き合うこと、そうした一人ひとりの価値観を認め合い高めあうようなコミュニケーション。
貧富の格差、所得の配 -
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ネタバレしばらく前のネット記事で、この本が数年前の大学入試の現代国語問題で一番多く採り上げられたというのを読んで興味を持ち、読んでみることにしました。
題名からの第一感は「説教くさくて鼻につきそう」というネガティブなもので、実際そういう要素がないわけでもないのですが、全体としては現代の日本社会の閉塞感の問題点を、社会心理学的に解き明かし、解決策を提言するというスタイルで、なかなか説得力があっておもしろかったです。文章は論理的で読みやすく、なるほどテーマから言っても入試問題向きというのがうなずけました。
経済政策をはじめとする政策提言についての見解に関しては、同意できない点も多かったのですが、社会に「新 -
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ネタバレ東工大で教鞭をとる文化人類学者の作者とダライ・ラマがダラムサラで2日間対話をした記録。高校の時に仏教学校に通っていた僕にとっては仏教の授業で語られることは「理想高く、しかし実践はなんか形式的」という印象であった。大学進学後は、仏教のことはほとんど考えたこともなく今に至る。それが、近年、キリスト教的一神教思想と密接な資本主義の行き詰まりがいろいろな所で語られるようになり、親鸞ブームのように仏教の教えは見直されてきているように感じる。そこで、入門書代わりにこの対話を読んでみた。
まず感じたことは、真偽のほどは不明だが、仏教会も医師会などと同じで「官僚化・硬直化」しているという事実。確かに、世襲制 -
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宗教学と文化人類学を専門とする著者が、「生きる意味」を失った現代世相を分析し、日本人が「生きる意味」を取り戻すために必要なことについて考察した本。どんなことも数値化して客観評価を行うことや、一人ひとりの個性や感情を無視してひたすら効率化に走ることが、均質化した「取り替え可能」な人間を生み出していることを指摘し、これこそが「生きる意味」を失うことの本質であると主張している。そして、この状況を打破するために、一人ひとりが自分にとっての「ワクワクすること」を見つけ、ときには「苦悩」しながら「内的成長」を遂げることで、自分自身の人生を取り戻すことを読者に促している。
本書で提案されている内容は、現代日 -
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読み応えのある一冊。
日本の仏教に希望を持てず、むしろ嫌悪していたわたしには、目の醒めるような内容だった。
著者のように、ただ絶望するのではなく、真っ向から立ち向かい、行動することが、正しい生き方なのだと思う。そんな問題意識と知性を持つ日本人がいてくれたことに感動すらした。
そして、その著者とのダライ・ラマ法王の対話がとても本質的で刺激的。熱を帯びた、充実した対話の様子が伝わってくる。
ダライ・ラマ法王の本にありがちな、「ありがたいお言葉」を並べた文言集ではなく、生のダライ・ラマに触れることができた気がする。一歩も二歩も踏み込んだ内容。
このような出会いがあるから、読書はやめられない。
対談 -
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自分は、チベットの現状、特に人権状況に危惧感をもっている。そのため、ダライ・ラマに対してひいき目があるのはいなめない。
それを割り引いても、ダライ・ラマの話は、仏教、宗教くさくなく、魅力的。
①ダライ・ラマ:社会不正をただすために闘うという場合には、その目的が果たされるまでその怒りは維持されるべきである。(p95)
ダライ・ラマは怒らないといった宗教者がよくいう弱い発言はしない。チベットの人権問題で闘うダライ・ラマは怒りを持ち続けているのだろう。
②上田紀行:神がすべてを決定しているのではなく、自らが世界を作り出していくというのが仏教の立場であること、仏教とは発想の出発点 -
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ネタバレ[ 内容 ]
仏教が葬式仏教と呼ばれるようになって久しい。
日本の「ホトケ」はほんとうに死んでしまったのだろうか。
思えば私たちは仏教に何の期待もしなかった。
期待がなければ志も力も育たない。
しかし、いま志のある僧たちが、いろいろな活力ある仏教の実践を行っている。
経理の公開、NPOの主催、イベントを通してネットワーク作りを行うなど、他者との関係性=「縁起を生きる」を求める僧たちの活動が続けられている。
右肩上がりの時代が終焉し、現代は個人のかけがえのなさを喪失させる時代だ。
様々な苦を抱えて生きる私たちは、仏教にいま何を期待すればいいのか、お寺が変われば私たちの社会はどう変わるのか、仏教の