折口信夫のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
角川ソフィア文庫 折口信夫 「 古代研究 民俗学篇 」
日本人の精神生活における古代的要素を研究した本
神はどこにいて(常世)、祭りの何を目印に来臨し(依代)、どこを通ってくるのか(聖水信仰)を 民俗学的に紐解いた論文集。さらに 聖水信仰を 王権論につなげている。池田弥三郎 安藤礼二 の解説のおかげで 読めた
面白い論文
*常世の論文「妣が国へ・常世へ-異郷意識の起伏」
*依代の論文「ひげこの話」
*聖水信仰の論文「水の女」
*王権論へ展開する「高御座」
*国家神道を否定した「神道の史的価値」
これだけ「神」を論じているのに「神」を定義していない。序文「わが魂のふるさと〜ノスタルジ -
Posted by ブクログ
折口信夫文学忌 1887.2.11〜1953.9.3
迢空忌 釈迢空(シャクチョウクウ) 歌号よ
時折、立ち寄る博物館に 折口先生のコーナーが常設されており、再現された仕事部屋等もあり、身近なおじ様と思っていましたが、作品は遥かな感じでした。
今回は、「死者の書」のみ。「口ぶえ」は、今月、他の作品集に収録されて新刊で出版されるようなので、是非そちらで。コミックにもなっているようです。
柳田國男の高弟、民俗学の基礎を築き、国文学者で国語学者。
1939年 日本評論初出
上代に詳しい方なら、大丈夫かもしれないですが、一読では、理解できず、第一印象は夏目漱石の夢十夜を濃厚にしたような幻想小説 -
ネタバレ 購入済み
久々一気読み
古文や歴史で習ういろんな人物の姿が
こうやって物語となり漫画となって浮かび上がるのは
しみじみと感じ入るなにかがあり。
美しい絵からじんわりと、
運命に翻弄される貴人たちの悲しみや無念なんかも、1000年以上の時を超えて思いやられて。
姫が神代から続く魂の悲恋の連鎖を
仏への帰依によって昇華し
その思いとともに天上へ昇ったのかなぁとか、、、
うーん、解釈はいろいろあるんだろうけど
なにせ、この物語は
とにかく美しい
浮世離れした、かむさびた姫の
純粋でひたむきな
恋心なのか、慕う気持ちなのか。
とにかくただ面影人を求め
その寒そうな肩に何かお掛けして差 -
Posted by ブクログ
「海上の道」柳田国男
柳田の最後の著書であり、様々な論議を呼んだこの論文を私は初めて読んだ。「日本人の祖先が、南方海上より流れ着いた人々であった」という論旨そのものは、現在では明確に批判・訂正されているので、改めて読むモチベーションがなかなか持てなかったのである。この全集では、まず「文学」として読もうとしている。「科学」と対立する文学という意味で、私も確かに文学であると思う。構造はほとんど随筆だからである。柳田は、青年の頃拾ったヤシの実からこの論を立てている。私は勘違いしていたが、ヤシの実を沖縄の浜辺で拾ったのかと思いきや、伊勢の浜辺で拾ったのである。そこから、様々な思いと民俗事象を述べた後に -
Posted by ブクログ
・池澤夏樹=個人編集「日本文学全集 02」(河出書房新社)は 池澤が「初学者に向けた和歌入門のつもりで編集した。」(池澤夏樹「解説」419頁)書である。折口信夫「口訳万葉集」、小池昌代訳「百人一首」、丸谷才 一「新々百人一首」の三作を収める。和歌入門といふだけあつて万葉集から勅撰集までといふ、正に和歌といふにふさはしい時代と作品を扱つてゐる。実際に歌 を詠まないのならば、これで十分である。折口のはいささかぶつきらぼうであるが、他は丁寧に解説し、小池はすべてをきちんと訳す。丸谷は必ずしも訳すこと をしないが、その内容は多岐にわたる。そこから自然にその歌の意味も見えてくる仕掛けである。ただし、折口
-
Posted by ブクログ
表題作「死者の書」は奈良時代の称徳帝の世を舞台に作られた物語。
かつて二上山に葬られた滋賀津彦(大津皇子)の魂は、自身の最後に見た耳面刀自(中臣鎌足の娘)の姿のその一点を、死してなお世への執着のように覚えていた。
一方、藤原南家豊成の娘、郎女は、二上山に沈む夕日に立ちのぼる貴人の面影を追うようになり、とうとうそれを恋うて二上山元の當麻寺に這入ってしまう。
滋賀津彦を思ううちに、彼の魂が傍へ添うようになり、彼女は蓮糸で衣を織り彼の肌に着せたいと願い始める。そして出来上がった衣に彼女は絵の具で、その姿を描いて見せ…。
大津を恋う心はその身に流れる藤原の血に、大津が憑いたからなのか、それとも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ総題の漢字よし。
収集箱じゃつまらない、蒐集函なのだ。
カバーイラストも素敵。
新潮文庫nexというレーベルで、ヤングアダルトにこの作品たちを差し出した編集部、GJ!
■坂口安吾 桜の森の満開の下
既読を再読。
■芥川龍之介 影 ★
初読。
芥川といいえばドッペルゲンガーなのでそういうことかと中盤で思わせておいて、ラストなんと映画だった? 夢だった? というオチ!
しかもそれすら真実かどうか不明な放り出し方。凄い。
しかし、「歯車」でも感じたことだが、狂気に飲み込まれそうな感覚を、それでも作品化「しちゃえる」ことが、逆に悲劇だったのかもしれないと考えたりもした。
■江戸川乱歩 芋虫
既読 -
Posted by ブクログ
折口信夫らしい語り口調(学生向け)だった。
明治の女性短歌が盛り上がった理由についても少し言及していて、山中智恵子が折口信夫に少し執着していた理由が分かった気がした。単に古典の先生というわけでもなく自覚していたかはわからないけれど古代に根差したフェミニズムが入っているような気もした。
歌の話円寂するとき。後書きにも書いてあったけど要は短歌全集を一夏蔵に籠って「玉藻集」が一番良いですよと言いのけた人間が短歌の限界を明治に語り始めていて、今でも説得力があった。
短歌はまたその時代の人の心に戻ろうとしているけれど、一過性の芸術であることから逃げようと思ったら、山中智恵子のような宙から言葉を形作