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「した した した。」雫のつたう暗闇、生と死のあわいに目覚める「死者」。「おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。」古代世界に題材をとり、折口信夫(1887-1953)の比類ない言語感覚が織り上げる物語は、読む者の肌近く忍び寄り幻惑する。同題の未発表草稿「死者の書 続編」、少年の眼差しを瑞瑞しく描く小説第一作「口ぶえ」を併録。(注・解説=安藤礼二)
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Posted by ブクログ
「おれの骸が、もう半分融け出した時分だった。そのあと、「たをらめど 見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。 其時、手で、今してる様にさわって見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、腊のように、ぺしゃんこになって居た 。臂が...続きを読む動き出した。片手は、まっくらな空をさした。そうして、今一方は、そのまま、岩牀の上を搔き捜って居る。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でなされたのでのうて、何でおざりましょう。当麻路に墓を造りました当時、石を搬ぶ若い衆にのり移った霊が、あの長歌を謳うた、と申すのが伝え。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「香具山の南の裾に輝く瓦舎は、大官大寺に違いない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでいるのが、飛鳥の村なのであろう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生い立たれたのであろう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「学問や、芸術の味いを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであった。南家の郎女の手に入った称讃浄土経も、大和一国の大寺と言う大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであった。姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てて、写経をしていることもあった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火の下で、一心不乱に書き写して居た。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「お身は、宋玉や、王褒の*書いた物を大分持って居ると言うが、太宰府へ行った時に、手に入れたのじゃな。あんな若い年で、わせだったのだのう。お身は 。お身の氏では、古麻呂。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。兵部大輔は、やっと話のつきほを捉えた。お身さまのお話じゃが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になって居る そうつくづく思いますじゃて。ところで近頃は、方を換えて、張文成を拾い読みすることにしました。この方が、なんぼか 。大きに、其は、身も賛成じゃ。じゃが、お身がその年になっても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顔を持って居るのは、宋玉のおかげじゃぞ。まだなかなか隠れては歩き居る、と人の じゃが、噓じゃなかろう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしもうた心持ちがする。 じゃが全く、文成はええのう。あの仁に会うて来た者の話では、豬肥えのした、唯の漢土びとじゃったげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思うが、お身なら、諾うてくれるだろうの。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかった山に、躑躅が燃え立った。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群一群咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのって居るようである。ある日は、山へ山へと、里の娘ばかりが上って行くのを見た。凡数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るようだ、と声をあげた。ぞよぞよと廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植えをする。其時は、見に出やしゃれ。こんな身でも、其時はずんと、おなごぶりが上るぞな、と笑う者もあった。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「郎女の額の上の天井の光りの暈が、ほのぼのと白んで来る。明りの隈はあちこちに偏倚って、光りを竪にくぎって行く。と見る間に、ぱっと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華*と言うものであろうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。仄暗い蕋の処に、むらむらと雲のように、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂い出た荘厳な顔。閉じた目が、憂いを持って、見おろして居る。ああ肩・胸・顕わな肌。 冷え冷えとした白い肌。おお おいとおしい。郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のように、語を逐うて居た。おいとおしい。お寒かろうに 。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交って、馬酔木が雪のように咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあわれである。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「もう此頃になると、山は厭わしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまう。郭公は早く鳴き嗄らし、時鳥が替って、日も夜も鳴く。草の花が、どっと怒濤の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑にも、立ち替り咲き替って、栽え木、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、蒲が秀き、藺が抽んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄かに伸し上るように育つのは、蓮の葉であった。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧に凪いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡る船と見えている内に、暴風である。空は 々青澄み、昏くなる頃には、藍の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色に輝いて居る。大山颪。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、 りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上って、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様に枝を搔き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰の上に生え上って居る萱原は、一様に上へ上へと糶り昇るように、葉裏を返して扱き上げられた。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「見てたもれ。とついぞ言わぬ語と共に機をおりた。女は尼であった*。髪を切って尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあったが、剃髪した尼には会うたことのない姫であった。はた はた ちょう ちょう。元の通りの音が、整って出て来た。蓮の糸は、こう言う風では、織れるものではおざりませぬ。もっと寄って御覧じ 。これこう おわかりかえ。当麻語部姥の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかった。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著 「ちょうど、その頃、左大臣は*、熊野参詣の順路を、だいぶ乗り出していた。難波では四天王寺の日想院を宿房として、一夜どまりの後、住吉へ移って行って、そこに三日参籠と言うことになって 留した。その間に、急に今度の熊野詣では、とりやめと言うことになって、急に使いが、京都へ向けて出発した。熊野三山は元より、其への路次の寺社へはそれぞれ、そのよしを通達する為の使いの下向したのは、今朝方のことであった。左大臣は、この三日、その二つの寺社の舞楽を見つづけに見ていた。その間にふっと気が変って、遠い紀国の奥へ入ることをおっくうそうに思い出したらしいのである。」 —『死者の書・口ぶえ (岩波文庫)』折口 信夫著
夢幻能のような小説である。 折口信夫『死者の書』、1939年に書かれた幻想小説だ。長くはないが濃密な、この異色の傑作を読むにあたっては、いくらかの知識を事前に仕入れておいた方が良い。これから書くことは所謂ネタバレだが、古代史に相当詳しい人でない限り、この予備知識によって謎解きの楽しみを奪われたと感...続きを読むじることはないと思うので、このまま書き進める。独力で折口の仕掛けに挑んでみたいと思う人は、ここで引き返されたい。 物語の舞台は奈良県葛城市、二上山(ふたかみやま)の麓にある当麻寺(たいまでら)である。七世紀に建立されたこの仏教寺院には、当麻曼荼羅(たいままんだら)と呼ばれる織物が保管されている。中将姫と呼ばれる藤原家ゆかりの女性が、蓮糸を用いて一夜で織り上げたという伝説のある織物だ。姫はこの功徳によって、生きながら極楽浄土へ召されたと伝承にある。 この中将姫が『死者の書』のヒロインである。難解な語り口のため挫折率が高いといわれる作品だが、「中将姫(藤原南家郎女)がいかにして当麻曼荼羅を織り上げたか」を幻想味たっぷりに描きだした、いわば架空の縁起物語であるという大筋を押さえておけば、幾重にも錯綜する語りの中で迷子になることはないだろう。 そしてもうひとつ、中将姫伝説と並んで、この作品には重要なモチーフがある。姫の誕生に先立つこと百年、天武天皇の子として生まれながら、謀反の罪で処刑され二上山に埋葬された、大津皇子(おおつのみこ)の悲劇がそれである。〈した した した〉という印象的な水滴の音とともに冒頭で目覚めるのは、大津皇子の魂だ。皇子の辞世の句とされる歌が万葉集に残されている。 ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 折口の想像力は、中将姫と大津皇子というふたつの傑出した魂を、藤原一族の血と、二上山というパワースポットを媒介としてめぐり逢わせた。それは別の言い方をすれば、百年の時を越えて成就する、スピリチュアルな恋の記録だったかもしれない。 『死者の書』を読むにあたって知っておくべき最低限の予備知識は、このくらいだ。あとはただ、折口の魔術的な語りに身をゆだねていれば良い。古代人の魂魄が憑依したかのごとき、折口のほとばしる情念を感じとることができれば、それで良い。稀代の民俗学者にして歌人であった折口信夫が、自身の持てる全てを注ぎ込んだ作品。〈死〉を冠する題名とは裏腹に、これほど生き生きとした古代人の息吹が感じられる小説は、そうあるものではないのだから。
1943年(昭和18年)9月末に刊行されました。大東亜戦争宣戦布告から2年の秋、戦場や軍事工場へ多くかりだされていた若者が、戦地にただ一冊携えたといいます。折口が戒名にもした釈迢空の名で詠まれた壮行の詩は「生きて帰れ」というメッセージでした。折口信夫素晴らしい。
折口信夫文学忌 1887.2.11〜1953.9.3 迢空忌 釈迢空(シャクチョウクウ) 歌号よ 時折、立ち寄る博物館に 折口先生のコーナーが常設されており、再現された仕事部屋等もあり、身近なおじ様と思っていましたが、作品は遥かな感じでした。 今回は、「死者の書」のみ。「口ぶえ」は、今月、他の作品...続きを読む集に収録されて新刊で出版されるようなので、是非そちらで。コミックにもなっているようです。 柳田國男の高弟、民俗学の基礎を築き、国文学者で国語学者。 1939年 日本評論初出 上代に詳しい方なら、大丈夫かもしれないですが、一読では、理解できず、第一印象は夏目漱石の夢十夜を濃厚にしたような幻想小説でした。 理解できそうなところまで、紐解いてみました。 奈良県の當麻寺(たいまでら)に残る「当麻曼荼羅縁起」が、取り込まれているという事です。 主人公は、中将姫 747~775 藤原鎌足のひ孫で 藤原豊成の娘。才能ある美女。 能にも「当麻」という作品があるようです。 もうひとりの主人公は、大津皇子(亡霊)。663~686 天武天皇の第三皇子。学識、才能あるイケメン。謀反の疑いをかけられて処刑される。 物語の中で 郎女(いらつめ)、姫と呼ばれるのは、中将姫です。郎女は、若い女性を親しんで呼ぶ時の古語。 亡霊の皇子と中将姫の間に100年の時差があり、各章が時間の流れの通りに配置されていないので、 パズルのように各章が収まった時が快感。 オノマトペ的な音の表現があちこちにでてきます。 私のイメージでは、語り部が、語りやすいようにするためなのですが、臨場感が上がるのは確かですね。 以下は、覚書です。 一. 二上山に葬られていた大津皇子の目覚め。 死の際にふと見た耳面刀自(美しさ女性・藤原鎌足の娘)を思い出す。着物は塵となり、裸のままだ。寒い着物を求める。 したしたした 水の音 ニ. 目覚めた皇子の亡霊が見る景色。男達が、藤原南家の郎女を探している。 こうこうこう 魂呼の声 三. 藤原南家の郎女は、結界破りの罪を償う為、万宝蔵院の庵室に匿われる。 付き人の媼が藤原家の古物語を語り聞かせる。 四. 媼の語る大津皇子。耳面刀自への執心。その執心が、やはり美しい郎女をこの地に呼んだのではないかと。郎女は、金色の髪を持つ皇子の亡霊を見る。 五. 蘇った大津皇子の魂が記憶を取り戻す。 妻(山辺皇女)も子も殺された。自分の名さえ残っていないだろうと嘆く。 六. 藤原南家の郎女の二上山へのいきさつ。奈良から藤原の里への許されぬ一人旅。 郎女は写経に取り組む。遂に千部をなす。 しとしと 雨 七. 郎女の神隠し(家出)の様子。 西へ西へ二上山へ。 女人禁制の地へ入ってしまう。僧侶に見つかる。 八. 奈良の都の様子。大友家持登場。昔を懐かしむ。 遷都、火災と藤原家にも厳しい社会。 東大寺四天王像開眼の話題。 九. 大友家持が気の向くままに朱雀大路から、五条、右京と都散歩。最後は、三条まで。藤原家の跡地。 十. 郎女は書物を得る。大切に育てられた郎女は、御簾の中で書物と出会い外の世界を知る。生きる糧として没頭していく。 十一. ウグイス“法華経 ほけきょう”と鳴く。 蓮の茎で糸を紡ぐ、付き人達。 十二. 女人結界を破り寺の浄域を汚してしまった郎女。その処遇は、本人の意思で、自分の咎は自分で償うとして二上山の麓の寺に。 十三. 郎女は、皇子の亡霊の魂の白い玉の幻想を見る。 つたつたつた 亡霊の足音 十四. 大友家持と大師恵美押勝(藤原仲麻呂・姫の父の弟)との 語り。一族の長として気持ちが通じる。 十五. 当麻の里の郎女の謹慎生活。夜毎訪れる亡霊を心待ちにする。 十六. 当麻の里は春から夏へ。女達は蓮の糸を紡ぐ。 種々、鳥達の変化。当時の使用人の様子。 十七. 秋分の日、嵐の中郎女が居なくなる。 あっしあっし 弦打ち 十八. 蓮の糸で布を織る、郎女。切れては織り、織っては切れて。この布で皇子の素肌を覆いたい。 十九. 郎女は布を織り上げる。 裁っては縫い、ほどいて、布は小さくなってしまう。天竺の僧侶のような衣を作る。 二十. 巨大な布に絵を描く。弔いの織物。これが曼荼羅のタペストリーとなる。
難解で、とりあえず読んだーという感じ。解説を読むと少しわかって面白い。謎解きのような、頭の片隅に置いておいて、少しずつ折に触れて、スッキリしていくといいな。 口ぶえはどちらかというと読みやすかった。
表題作「死者の書」は奈良時代の称徳帝の世を舞台に作られた物語。 かつて二上山に葬られた滋賀津彦(大津皇子)の魂は、自身の最後に見た耳面刀自(中臣鎌足の娘)の姿のその一点を、死してなお世への執着のように覚えていた。 一方、藤原南家豊成の娘、郎女は、二上山に沈む夕日に立ちのぼる貴人の面影を追うようにな...続きを読むり、とうとうそれを恋うて二上山元の當麻寺に這入ってしまう。 滋賀津彦を思ううちに、彼の魂が傍へ添うようになり、彼女は蓮糸で衣を織り彼の肌に着せたいと願い始める。そして出来上がった衣に彼女は絵の具で、その姿を描いて見せ…。 大津を恋う心はその身に流れる藤原の血に、大津が憑いたからなのか、それとも。 中将姫から得た物語、よく練られていると思います。 かの當麻曼陀羅を、大津へのラブレターにするとは…畏るべし折口信夫の創造力!
●「死者の書」 妄執と云うには美しすぎ、恋愛と云うにはいびつで、救済と呼ぶにはエロティック。 ●「死者の書〜続編」 え?何で未完なんですか?! すごく続きが気になるんですけど。 ●「口ぶえ」 自叙伝的物語。 すごく‥‥ホモです。
死者の書は何度も読み返し、その度に魂を奮わされてきた。初稿も読み、人形劇の映画も観たし、近藤よう子の漫画も読んでいる。大坂に単身赴任時に当麻寺や二上山には何度も足を運んだ。 口ぶえも既読。 死者の書の続篇について知ったのは、中沢新一さんの本からだったかな。 概要を知って、それほど食指が動いた訳では...続きを読むなかったんだけど、本屋の棚に見付け、読んでみた。 従って、このレビューは続篇についてのみ。 左大臣の名が明かにされないのは、本編(?)で亡霊の名が伏せられているのと共通している。読み始めて、あっさり折口の文章に絡め獲られる。 住吉から堺の古墳群を望み、学文路(かむろ)の寺に逗留する。高野山に行く南海電車にそんな駅あったなと思うが、そんな立派な寺あるんかな。当麻寺との繋がりも示唆されて、おっという気持ちになる。 房主と左大臣との対話の占いの話から日京卜からキリスト教らしき唐の不思議の術に話が及ぶ。初稿でも郎女の観想する阿弥陀の姿がキリストを彷彿としていたことを思い出す。このあと、どういう展開だったんだろう。知る術もないんだけどね。
内容は難解。ただ、日本語の使い方が恐ろしい。例えば石棺の中で蘇った死者に垂れる雫の音「した、した、した」。その死者が人を呼ぶ声「こう、こう、こう」。朝が来て東の空が「ひいわりと」白んでくる。昔の人は語彙が少なかったというが、こういう表現を目にするとよほど伝わってきてむしを恐ろしい。
前知識ゼロで購入した本書。 音の文章表現に惹かれたのだけど、歴史小説として(黒岩重吾作品以来)、この時代設定は大変好みなので、心躍らせながら読み進めた。 何度か「ぬぬ、これはひょっとしてひょっとするのか」などと思いつつ、『死者の書』を読み終え、『口ぶえ』にいたってそれは確信に。 BLだったでござ...続きを読むる。 特に否定はしないけど、ただちょっとびっくりした。けっこう露骨なので。 『口ぶえ』の情景描写はとても素晴らしく、R.カーバーやC.マッカラーズの作品を彷彿とさせる。 解説を読むと民族学的に読むのが正解のようだけど。
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