折口信夫のレビュー一覧
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民俗学者にして歌人の釈迢空の歌をすべて収める決定版。ぽつりぽつりと言葉を編みながら、自己の内面へ深く降りていく語り口が魅力的だ。「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり」「人も馬も 道ゆきつかれ死ににけり。旅寝かさねるほどのかそけさ」「道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行きとどまらむ旅ならなくに」「ながき夜の ねむりの後も、なほ夜なる。月おし照れり。河原菅原」「なき人の 今日は、七日となりぬらむ。遭ふ人も あふ人も、みな 旅人」「たゝかひに果てし我が子の 還り来し夢を語らず。あまりはかなき」「山の葉のわかやぐ村に かへりゐて つくづくに思ふ。われは死なざりき。」「いまははた
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ネタバレ姉御の歌う二上山。闇に眠る皇子が目覚める。
月が照らす峰々を見下ろし、鳥のように砂光る川へ下降する。当麻路へと続くその光景を声にして味わえば、中将姫の、郎女の、大津皇子に重なる天若日子への、尊者への彩画は曼荼羅となる。
なんと美しく狂おしい物語。中将姫へのオマージュ…
女人結界を犯した罪で当麻寺山陰の小さな庵室に籠る藤原南家郎女の、世に疎い純真さと賢さは何処からくるのだろう。
叔父である恵美押勝と大伴の話も絡めた事も面白く、俗世と郎女のストイックさの対比にも思えた。
郎女が織る命の蓮の織物
中将姫の当麻曼荼羅信仰に重なる。
中将姫が蓮糸で織った「当麻曼荼羅」
未完の死者の書続編が気になり -
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【沖縄文化論の草分け論集】
明治政府による廃藩置県で琉球王国が滅亡し沖縄県とされたのは、1879年である。日本で沖縄文化研究の本格的な気運をつくったのは民俗学の創始者の柳田国男だった。柳田は南島こそ日本文化の源流と見ていたのだ。柳田の『海南小記』に刺激されて、折口信夫も沖縄を訪ね、『琉球の宗教』を書く。他方、民芸運動の主唱者柳宗悦は、沖縄における「民衆芸術」の営みを愛でた。
本書は、柳田、折口、柳をはじめとする沖縄文化論の草分けの論考が詳細な注記とともに読みやすい形で提供されている。返還50周年を機に、沖縄の文化を見つめ直すのに格好な本である。
柳田「日を経て南の風の吹く頃には、遙かなる常夏の -
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物語の舞台は奈良時代。
二上山(ふたかみやま)の麓にある當麻寺(たいまでら)に、ひとりの娘が迷いこんだ所から物語は始まります。
娘の素性は藤原南家郎女(ふじわらなんけのいらつめ)、藤原鎌足を祖先に持つ貴族の姫君でした。
本来なら家来にかしずかれ、立ち歩くことさえ稀であるはずの姫が、一晩中山を歩きとおしたあげく女人禁制の寺の境内で見つかったのですから、僧たちも藤原家も大騒ぎです。
姫に家を忘れさせ、寺の禁忌を破らせたもの。
それは何百部もの写経の末に見た奇蹟であり、
二上山の向こうに顕れた御仏の尊いお姿であり、
女人には禁じられているはずの思索と自我の萌芽でした。
しかし掟は掟、罪を償うまでは -
購入済み
とにかく美しく。
細かめのわたしなりの解釈は下巻のレビューに書きました。
他の方のレビューにある
魂の飢えという言葉が、非常にしっくり感じました。
忘れさらるる時代の魂たちよ
どうか鎮まりたまえと
斎女となる運命を背負った乙女が
祈り(折り)を捧げている
そんな話にも思いました。
ところで全然話も変わりますが
古典やってて時々でてくる
斎女ですが、なんというか
俗世の争い…政治も恋愛も…から離れて一定の地位にあるワーキングウーマン的な感じを私は持っておりまして。
そこにいるのが一番安全な気がする…っていつも思うのですよね。
いいじゃん!って。伊勢に行くのは寂しいかもしれ -
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夢幻能のような小説である。
折口信夫『死者の書』、1939年に書かれた幻想小説だ。長くはないが濃密な、この異色の傑作を読むにあたっては、いくらかの知識を事前に仕入れておいた方が良い。これから書くことは所謂ネタバレだが、古代史に相当詳しい人でない限り、この予備知識によって謎解きの楽しみを奪われたと感じることはないと思うので、このまま書き進める。独力で折口の仕掛けに挑んでみたいと思う人は、ここで引き返されたい。
物語の舞台は奈良県葛城市、二上山(ふたかみやま)の麓にある当麻寺(たいまでら)である。七世紀に建立されたこの仏教寺院には、当麻曼荼羅(たいままんだら)と呼ばれる織物が保管されている。中 -
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