島田雅彦のレビュー一覧
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ネタバレラノベ転生もののパロディ。転生の仕組みを「量子もつれ」により説明しているが、わざとであろうが、衒学的であってももっともらしさはない。ニュー新橋ビルか前ビルと思しき雑居ビルに「転生者支援センター」があり、ヨガ教室の一角で転生支援を行っている。
時雨は転生者と称する二重人格ともみえる男と付き合い、支援センターに就職する。異世界の技術を持ってきた転生者により転生ステーションが完成し、投資家が企む「大植民計画」を阻止しようとする。
「大植民計画」は多重世界を帝国支配しようとする陰謀の一環で、それに対し宗教で対抗しようとする。The島田流で竜頭蛇尾のきらいあり。 -
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禁断の「皇室小説」と銘打っているだけあって、タブーに踏み込んだ印象。しかし、これをタブーとか攻めていると受け取ってしまう、自分の価値観が古いのか?無限のカノン3部作は読んでいないが、理解に困ることなく物語に引き込まれた。
パラレルワールドの皇室が舞台で、主人公はその皇后不二子。著者はやんわりと否定するが、どう見ても不二子のモデルはあのお方。
不二子の様々な悩みや不満、政治への思いが口語体で語られながら話は進んでいく。不二子の発言やSNSの書き込みの体裁で、敗戦国日本としての社会的・政治的問題がわかりやすく説明されており、知見が広がった。最初は、島田雅彦のイメージから、過激なイデオロギーを心配していた。読み進めていくと、不二子の思想は確実にリベラルだが、思っていたほどの偏りや過激さは感じなかった。それは自分が政治音痴ゆえ、その辺に鈍感である、というのもあるのだが。
政治的な話だけでなく、不二子や天皇の考え方や人生観にも共感した。首肯するような名言もあり、良い刺激になった。
小説としては非常に面白い。が、本人を連想させる皇族に著者の政治理念を語らせるのは如何なものか?という疑問は拭いきれない。 -
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159歳まで生きて明治維新から平成までを見てきた男、という話なんだけど、それほどSFファンタジーぽさはなくて、一般人の目から見た歴史という感じ。もっと政治的な事件やできごとについて語られるのかなと思っていたんだけど、それよりも、たとえば文明開化、日露戦争、関東大震災、第二次世界大戦、終戦、オリンピック、高度経済成長などを、ごく一般の人たちがどういうふうに見ていたか、そのころどんなふうに暮らしていたかがわかる感じだった。本当にその当時実際に生きていた人の思い出話のようにリアル。主人公159歳まで生きた男が子ども~若者までの時代、つまり明治、大正、昭和の戦後くらいまでの話がより詳しい感じだけど。
やたら長寿であることの説明も、不老化した細胞が…、とか思ったより現実的な感じで(でもちょっと「精霊」とかは出てくる)、ロッキード事件でも有名なフィクサー児玉誉士夫(あんなに当時有名だったのに名前忘れてて検索してしまった…)がモデルの人物が、自分も不老不死になりたいからと主人公に近づくとかおもしろかった。
ラストのほうで、時間の哲学みたいなこととか、死生観みたいなことを考えさせられて、個人的にだけどけっこう暗い気持ちになった……。結局、若いころにはいろんなことを見て経験できるけれど、長生きしたとしても晩年はやはり暇を持て余して孤独になる、っていうか……。
日本の未来についても、実質「滅びる」ことが短く書かれているし。
でも、著者は絶望してはいないと感じられてそれはよかった。
「悲惨な事態をできる限り避けようと努力し、非情な運命から逃れようとし、また日々の暮らしの中に安らぎと楽しみを得ようともしてきた。そして、それらの営みを忘れまいとした。」すべてはそれでいい、というような。 -
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所謂「居酒屋」に留まらず、本書は「酒と料理と人が居る場所」について語られている。
語られる料理やお酒を食べたくなるのはもちろんのこと、そのお店、その場所、その国へ行きたくなること請け合いだ。
テレビの食レポが胡散臭くて嫌いな私だが、それは味のみを語るからだろうか。いや、味すら語っていない。レポーターの感想だけ聞かされても、食べたくはならない。
本書は、料理を食べ、土地のお酒を飲み、なぜそれを欲するのか自分の原体験や現状を振り返る。難しいことは何も書かれておらず、呑み食いは生きる糧だよね、と再認識させてくれる。
そして、では自分も空想居酒屋を実際に開店しようとなる。結局、料理とは自分好みに自分自身がアレンジしていく行為に面白みがある。
自分の嗜好性にあった本のため高評価であるが、もしかしたら好みは分かれるかもしれない。
なんてことない普通の料理のみが登場する。
さて、私も昼間買い込んで冷やしておいた新発売ビールと季節の野菜、安売りの時にストックしたチーズで自分居酒屋開店だ。 -
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ネタバレ皇后とお付きの侍女とがインターネットを武器に政権の腐敗と戦う、由緒正しい通俗小説。著者の作品史から見ると、10年後に書かれた『エトロフの恋』の続編にあたる。
初出は『新潮』2019年6月・12月号。タイミングを考えても、2016年8月の明仁天皇の退位メッセージにインスパイアされた小説の一つであることは明らか。この小説では、天皇が米国に隷属化する政権の保守政治家たちを糾弾する「おことば」を発信、皇居内で皇后とともに自己幽閉することで「世直し」=「令和の改新」を目論んでいく。興味深いのは、天皇と皇后がロシアの大統領と中国の国家主席との間で個人的なコンタクトを取り、反米=後の生存戦略を企んでいる点(中国の主席は大連にミニ京都を作って皇室の亡命ルートさえ準備してしまう。満洲国の裏返しのようだ)。
2025年のいまから考えれば、この政治的構図の「お気楽」ぶりは明らかだが、ウィキリークス問題が象徴するように、米国の覇権に対する批判者が相対的にプーチンを「まし」に見てしまう構図は確かにあった。こうした見方を作ってしまったことは、ロシア=ウクライナ戦争以後の左派・リベラルの言論の落ちつかなさとも関係していると思う。
韓国/朝鮮の不在も気になる。なぜ日本の小説家は日本列島を中心とする国際関係や心象地理を描く際、ほぼ必ず朝鮮半島、沖縄、台湾、東南アジアを取り落としてしまうのか? これもある種の「擬似大陸」意識のあらわれなのか? -
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ネタバレ本屋で見かけ、そのタイトルに惹かれて手に取った。前半部分はタイトルを表象するような哲学的な内容であるのに対し、後半はその実演編(?)としての位置付けなのか、著者自身が飲み歩く描写が多く、個人的には前半の方が馴染んだ(後半に出てくる店も是非行ってみたいとは思うが)
本書を通じて自身の中で顧みたことは、「自分はどれだけ自らの思考に自覚的であるか」ということ。以下にも引用した通り、何か特定のテーマについて思考を巡らせていることを人は「思考している(A)」と捉える傾向にある。思考が何らかの論理的帰結を導き出すための手段なのだとすると、所謂「思考している(A)」状態は、比較的長く細い論理を紡ぎ出しているイメージ。一方、散歩をしながら散漫に思いを巡らせている状態も「思考している(B)」のだとすると、こちらは比較的短い論理の束を蓄積しているイメージ(例:なぜ無人の古着屋が複数店舗あるのか)かなと。これらは互いに排他的ではなく、他者との対話などの刺激を契機に、Bが並び替えられたり接合点を見つけられたりして、面白いAの論理ができあがるのかなと考えて見たりした。仮に上記の考え方に一定の合理性があるのだとすると、物事を考える仕事をしている身として、Aを紡ぐためにBを日常的に行い、短い論理の束を蓄積することが肝要なのだと、一つ自身が散歩を行う合理的な?理由を導出できた。
特に印象に残った箇所は以下
「心にゆとりがないと、ヒトは気宇壮大なことは考えられないし、未来を設計したりもできない。一個の脳で考えられることには限界があり、他人の脳味噌を借りる必要がある。本日も初めて訪れる街や見知らぬ他人からインスピレーションをもらうために徘徊に出かける」(p.6)
「思索家は好んで、自らを異郷に置いてみたがるし、さまざまな他者と対話を試みるし、奇妙なもの、わけのわからないものを目の前にして驚きたがる(中略)学者もアーティストも自分のフットワークを鍛え、その落ち着きのなさ、挙動不審ぶりを誇るべきだろう」(p.8)
「読書も、テキストの森に踏み込み、コトバと出会い、刺激を受けるという意味では、散歩なのである。そして、散歩は街や山谷に埋め込まれた意味やイメージを発掘するという意味では、読書なのである」(p.9)
「人は何か特定のテーマについて考えている時に限って、自分は思考をしているという自覚をもつかもしれない。しかしその実はもっと不埒で、同時に並列的にいろんなことを考えている。とりわけ放心状態でボーッとしている時というのは、自分では何も考えていないと思っているかもしれないが、単に特定テーマで考えていないだけであって、同時にさまざまな想念が浮かんでいる状態にある。散歩をして適度にリラックスしている状況で、自分の五感に入ってくる外部的な刺激には逐一反応をしているのだ」(p.62)
「「初めに孤独ありき」だからこそ、新たな仲間との出会いが発生する」(p.72)
「歩くとは、誰かの後追いをするということである。道があるのは、誰かがかつてそこを歩き、踏み跡をつけてくれたお陰なのだ」(p.130)