小池真理子のレビュー一覧
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ネタバレこれまで,小池真理子の理想が見えていなかった。
三つ以上の方向があるような気はしていた。
真琴の自己陶酔は,一つだと感じた。自分を美しいと思う。
千鶴の浩二への想いも,一つかもしれない。
「浩二はしばらくの間,じっと千鶴を見つめていた。雨まじりの風が強く吹き,闇の中でベランダに下げた丸い物干しがくるくる回っている。わかった,と彼は真顔で行った。「でも,車は貸さないよ」「何故?」「僕も一緒に行くからさ」また涙があふれそうになった。」
もう一つはみつからない。乃里子の真琴への思いだろうか。美しいものが好き。
推理小説としても,いくつも途中での予想を裏切られたという点ですごいと思った。
今 -
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ネタバレp50
「誰も否定できない,正しい当たり前のことを当たり前の顔をして口にして,したり顔をする人間が,わたしは昔から苦手だった。この種の人間は,人の心の中に生まれる曖昧な勘定を理解できないばかりか,強引に整理して,整理しきれないとわかると,平然と切り捨てにかかる。」
p51
「わたしはいつも中途半端だった。一番大切なものが,何なのか,わからなかった。同時に,一番背を向けたいものが何なのかも,わからなかった。大切なものも,背を向けたいものも,全部,自分が暮らしている家の中にあるような気がした。」
小池真理子が書きたいのは,当たり前の生活の中の,微妙なずれなのかもしれない。 -
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ネタバレ序章と終章以外は,志麻子,正臣という2人の主人公の名前が章の見出しになっている。
読むのが辛かった訳ではない。
志麻子,正臣と読むと,ちょっと休憩したい。
同じところをぐるぐる回っているような感じ。
読後感として,赤川次郎の「杉原爽香」シリーズが思い浮かんだ。
赤川次郎の理想の女性像に対して,男性のだらしなさ。
小池真理子理想の男性像として,どんな状況でも自分のことに一途になって欲しいという気持ちが垣間見える。女性の行動は生き方としての美学が赤川次郎と違う。
何が美しいかを主張したくて,長くなっているのだろうと推測した。
辛くはないが,ぐるぐる感が残った。
そうか,志麻子,正臣とい -
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ネタバレ唯川恵が解説を書いている。
「この美しい結末に、涙することのできる自分が嬉しかった。
大丈夫,私はまだ失ってはいない。大切なものを感じる力をちゃんと持っている。
私がこの「冬の伽藍」で感じた感動を、今,読者のみなさんと共有していることをとても光栄に思う。」
うまい。この文章を読んだら,唯川恵の書いたものが読みたくなってしまう。
作家は、他の作家のよいところを見つけた時に,その作家自身も伸びるのかもしれない。違う方向へ進みながらも、別の方向も良いと思えることに自信が涌くのだろう。
「冬の伽藍」は第一部は目をつむって、黙々と読み進み,
第二部の手紙の部分まで辿り着くことが大切。
第二部の -
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ネタバレ「エリカ」と「瑠璃の海」を同時に読んでいます。
エリカの感想には
小池真理子の書きたかったこと。
日常にありえる設定で、どの方向へ進むかではない。
どの方向へ進んだとしても、そこにあるのは日常であるということ。
設定そのものに対する見方を提示している。
描写の旨さは、旨いことがいいことなのではなく、日常的である枠に収めてしまうところがいいことなのではないか。
小池真理子が書きたかったことはそんなことではないかと思う。
と書きました。
瑠璃の海も全く同じ文脈で読んでいます。
進んだ方向に疑問を投げかける方も見えます。
物語なのだから、そちらに進んだらという仮設だと思って読まないと,疲れ