あさのあつこのレビュー一覧
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ネタバレ読み進めて後半、ネズミの生い立ちが分かってから
何故だか紫苑と同じく涙が出てしまった。
ネズミって一体何者だ?という謎が少し解け老という人物が火藍とも繋がりがあって、イヌカシと莉莉の義父がまさか月薬だったなんて…繋がってきた。
繋がってきて楽しい気持ちもあるけれど
読んでいて後半とても怖かった。
この本を読んでいく度に今の日本とも繋がるじゃないけど政治的な事も含めて考えてしまう自分がいます。
次巻では沙布を助けられるかな??
老の言う通りたくさんの死者が出てしまうのかな…。
イヌカシや力河、月薬、ネズミ、紫苑、生きるよね?
大丈夫だよね?
このまま次もう読み始めます( ; ; ) -
Posted by ブクログ
山繭から作られる鶯色の帯
普通の蚕より 大きな繭で 量産はできない
この帯が 亡くなった遠野屋の番頭
火事で焼けたあとで見つかった若い女の遺体
浮世絵で描かれた女
阿波屋のお芳という女房
いろんな人を繋げていく。
お芳は 遠野屋で開かれた小間物や着物 帯などには 関心を示さない
なりは女だけど 心は男
死んだ娘とは 深い関係があった。
山繭の帯は 東北の羽馬藩で作られていた。
羽馬藩の出のものが 事件に関わっていた。
そしてお芳は 問題をもみ消す殺し屋の役目があった。
遠野屋にも 襲いかかる。
貧しい災害ばかり起こる東北の藩に
野蚕からとった 太い絹糸で織った帯が産まれていた。
お芳の最後も 潔いいより哀れな感じがします。
遠野屋に怪我をさせる女の本気
その傷口から 毒を吸い出して消毒する小暮進次郎
ちゃんと本質的に 遠野屋を大事に思っていて
ほっとしますね。 -
Posted by ブクログ
弥勒シリーズで まだ読んでなかった本を読んでみました。
相変わらず ビターチョコレートのような本です。
清之介や 信次郎の中にある深い侍の部分
でてくる女たちの深い女の心持ち
だけど 真面目な同心が女郎と心中した事件で
本当のホシの狙いは 信次郎の上司の転覆が狙いだなんて
そんなこと よく考えましたね!
男に縋りたい病的な願望を持つお登勢は 初めて自分の話しをちゃんと聞いてくれる おうの に心を開く
自分が欲しかったのは いつも側にいてくれる男だったのか はたまた 自分の話しをちゃんと聞いて受け止めてくれる同性だったのか
話しを聞いてもらえると 心が落ち着いて 自分の価値もわかるのかもしれません。
しかし こんな文章は 男の作家には書けないだろうなあ!
おうのの話しを聞いて 清之助は おうのを対等な
経営者だという気持ちを持つ
お店の安定のためにも 清之助の心の安定のためにも
よかったですね。
又 読み残してた何冊目かを読みます。
久しぶりに読んでも 面白かったです。 -
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ネタバレ本作は、6巻まで続いた『バッテリー』の続編である。新田東は横手に勝てたのか? 巧と豪、瑞垣と門脇のその後はどうなったのか? 6巻では明記されなかった試合の行方が気になる人には、ぜひ読んでほしい。
勝敗を先にいうと、新田東は3対1で横手に勝利する。瑞垣の悪魔のような言動を乗り越えた巧と豪の絆はより強く結びつき、かつて瑞垣自身が「姫さん」と揶揄した相手は、二度とその名で呼べないほどの本物の「怪物」へと、皮肉にも彼自身の手によって仕上がっていたのだ。
瑞垣の門脇に対する積年のコンプレックスは、目の前で門脇が泣いても晴れることがなかった。それどころか、それさえも新たなトラウマとなり、夜な夜なうなされてしまう。だが、瑞垣の本音も建前も、良し悪しも知り尽くした周囲の人物が、彼を放っておかない。海音寺や妹、チームメイトが、瑞垣の背を押し手をひこうとする。その姿は、巧が周囲の人物のおかげで孤独な天才という座に落ち着かなかった姿と、重なって見える。
いよいよ門脇に会いに行った瑞垣に、門脇の母親が彼を抱きしめたり、横手の監督がその手に横手の野球部を押し付けるように委ねる。瑞垣に好意を寄せる人物が、ありのままの彼を抱きしめて離さない。そして、その手に野球を戻し、再起のチャンスを与えるかのように。瑞垣は他人をおとしめ、不幸にしたところで自分の心は晴れないことを思い知る。そのために野球を利用したところで、自分に不幸がそっくり返ってきたことを受け止める。そして、彼は再び海音寺を頼り、巧のもとへ向かって彼の球を受けようとする。
当然、うまく捕球することはできない。しかし、野球を通じて歪んだ精神と人間関係が、やはり野球を通じて立て直されていく。その再生の第一歩をもって、このシリーズは完結する。巧が、求められれば相手が誰であっても投げるというのも、彼の成長をさり気なく感じさせる。二人でボールを投げて、掴んで、また投げるというコミュニケーションの根本的な面白さは不変なのだ。
このシリーズの醍醐味は表裏一体で、肯定と否定の織り成す人間関係も描くところだ。野球を軸に人が出会い、ぶつかり合い、歩み寄るところもあれば、ぶつかりあったまま終わるところもある。はじめは巧を否定する登場人物も多く、巧を理解できないと言って終わる描写が多かった。
しかし、それでも巧は投げ続けることを諦めない。まるで作中に描かれる岡山の自然と同じで、内容や良し悪しをまるごと含めて、人間関係とはこういうものだと、どこか引いた視点から淡々と描写される。この描き方が自然かつ残酷で、希望も絶望も感じさせる。それでも巧がボールを投げ続ける限りは、それを中心に登場人物が寄せては返す物語が続いていく。
巧や瑞垣を、嫌いなままでも良い。豪や門脇の執着を、自業自得だと線を引きたくなっても良い。それでも、野球で生じた問題は、やはり野球でしか解決できないのかもしれない。ボールは投げて、受け止めたら、投げるしかない。捨てられないボールに悩まされながらも、また投げて、受け止めた時に、何か違う感触を得ることができる。瑞垣は最後に巧の球を捕らえたとき、その球を敵に回すことの意味を噛みしめる。
笑えなくなった豪に笑えと言ってあげられたのは、意外にも瑞垣であった。このシリーズ全巻の感想は書けなかったが、彼らの紆余曲折を読めて本当に良かった。アニメやサブスクの手軽さのおかげで、この名作に巡り会えたことに、心から感謝したい。 -
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ネタバレいよいよ最終巻。巧と豪は、バッテリーとしても一人の人間同士としても、すれ違う気持ちをこじらせながらも、お互いに向き合って本音をぶつけ合うことを諦めない。
一方で、頭が良すぎるがゆえに本音を素直に出せなくなった瑞垣と、彼を純粋に信じながらも巧との勝負にしか集中できない門脇。こちらは交わす言葉が噛み合っているようで、最後まで気持ちがぶつかり合わずにいた。
新田東は、横手に勝てるだろうか?
最終巻にして、その結末は描かれずに終わる。
私は野球というスポーツにまるで興味がなく、用語もさっぱり分からない。それでも最後まで、続編のラストイニングも読みたくてしかたがなかったのは、このシリーズは勝敗にこだわるスポーツものではないからだ。野球を軸に人が出会い、成功も失敗も泥沼もすべて引き受けて成長していく、人間ドラマとしての面白さがある。野球そのものへの理解はさほど必要ない。才能と努力、大人と子どものもがき、それらを岡山の方言やのどかな情景が静かに支えている。
「お前がキャッチャーじゃなくても良いんだ」
巧が放ったこの一言は、豪を「キャッチャーでいなければならない」という執着から解放し、ひとりの友人としての歩み寄りを促す。
豪は巧と違っていくらでも言葉を尽くせる人間なのに、巧との関係性だけはうまく言葉にできず、巧を否定することしかできない。しかし、巧はそんな豪をありのままに受け入れる。バッテリーでありたいが、バッテリーでなければならないわけではない。そんな表現しかできない巧に、豪もまた、巧の不器用な思いやりをそのまま受け入れられるようになったのだ。
彼らのたった1年間の紆余曲折に、ピリオドがつく最終巻。勝敗が描かれないのは、そういう物語ではないことを伝えたかったのかもしれない。ただ、あまりにも不完全燃焼に感じたなら、ぜひ続編のラストイニングも読んでほしい。勝敗を6巻よりも細かく試合を描き、その後のことも少しは描いている。瑞垣が嫌いだが、どこかで報われてほしいという気持ちになれば、ぜひ。 -
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ネタバレ登場人物たちの人間関係が限界まで煮詰まっていく第5巻。巧と豪はつかず離れずの距離感を掴みつつもあるが、いまだお互いの本音を測りきれずにいる。
1巻では周囲を拒絶しているように見えた巧だが、5巻ともなると意外な一面を見せる。野球へのこだわりはそのままに、他人に対して彼なりの思いやりを発揮するのだ。豪と野球の話をしづらい時には、あえて自ら世間話や恋愛の話題を振る。
しかし、日頃のストイックさとかけ離れすぎているせいで、豪は「なぜ今その話を?」と困惑するばかり。母親の入院中に弟と買い物をして料理を作るという巧に、豪は驚きを隠せない。巧なりに周囲と馴染もうとしているのだが、その試みは唐突で不器用なせいか、なかなか功を奏さない。青波だけは巧の優しさを知っており、それが豪に拒絶された時は、豪に強烈に怒ってみせる。巧にも色んな面があることを、分かっているのだ。
一方、そうとは知らずに振り回されているとしか思えない豪は、言葉を発することさえ諦め、内側へと塞ぎ込んでいく。豪が巧の本気の投球を掴みそこね、手が震えるほどのショックを受けた瞬間、巧は次の球を豪が掴める威力に落とした。
おそらく、豪に球を当てて傷つけまいとした巧の、彼なりの配慮だったのだろう。しかしそれが、かえって豪のプライドを決定的に引き裂いてしまった。巧の才能と優しさのギャップを受け入れられず、それでも彼の本気を受け止めようともがく豪の意地。この痛々しい摩擦さえも、ふたりの関係を動かす強烈な原動力となっている。
悩みの尽きないこのふたりを引き続き掻き乱すのが、瑞垣と門脇のふたりだ。
正直、私は中盤から瑞垣のパートが増えていく展開が不愉快だった。巧と豪のひりつく世界を見たいのに、瑞垣の相手を落とし込もうとした泥沼に、自らが溺れていくドロドロとしたコンプレックスが、物語を奪っていくように感じたからだ。
門脇という絶対的な天才に追いつけない絶望を、理屈で理解していながら、感情が追いつかない。積年の思いをぶつけてもなお瑞垣の心は晴れない姿は、人を呪わば穴二つという結末さえも感じさせる。
しかし、そんな瑞垣こそが本作の魅力を引き出す狂言回しなのだろう。
野球が彼らを泥沼に引きずり込んだのなら、そこから抜け出す手がかりもまた、野球の中にしかない。自分の本音をごまかし続ける瑞垣は、ごまかせないと悟った豪や巧に勝てるのだろうか。 -
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ネタバレ私はアニメからこのシリーズに入ったが、やはり小説のほうが作品のらしさが強く感じて、とても読み応えがあった。子供らしさと少年らしさと、老若男女に共通した人間らしさが、登場人物の言動とコミュニケーションから読み取ることができる。主人公は孤高の天才ピッチャー原田巧と、巧と出会った長倉豪のふたり。まだ12歳の、中学入学を目前にした小学6年生のふたりだ。
巧の野球にすべてをかけた姿勢は、自然かつ超然としていて、それに誰もが追いつくことはできないのかもしれない。しかし、巧自身はそれに深く悩むのではなく、それに追いつけないと、お前を理解できないとこぼす他者との関わり方に悩んでいるように見える。
巧の生い立ちとしては、父親の都合で転校が続き、ひとところに落ち着いた生活が出来なかった。巧の父親も自身の仕事や体調をどうにかするので精一杯で、弟も生まれつき身体が弱く今も体調を崩すことがしばしばで、母親はそれらを支えるのでいまも精一杯で、誰もが落ち着くことができず、彼が孤立するのもやむを得なかったのだ。
そんな彼らを家に住まわせたのは、巧の母方の祖父である。地元では名の知れた野球の指導者だが、巧の家族を受け入れながらも、どこか彼らとは一線を引いているような、なかば持て余しているような距離感を保っている。複雑な環境で育った巧は、揺るぎない実力と自信を持ちながらも、それをどう言葉や態度で表現して良いのかまでは、分からない。そんな不器用な巧を、つかず離れず接する祖父は、巧に期待しすぎず、しかし、家族としての愛情や信頼を注ごうとする。巧の才能をまるではかれないと思いながらも、しかし、その行く末がどうあれ、受け止めようとはしているのだ。
一方で、地元の大病院に生まれた豪は、野球でも勉強でも人間関係でも、自分の才能とそれを伸ばす努力のバランスを保ちながらも、将来は病院を継ぐという進路をどこか持て余している。そこに巧という天才ピッチャーを見出し、彼の球を受け止めるキャッチャーになりたいという夢を見つける。揺るぎない環境に生まれた豪は、その環境のために、現実的な進路を取らざるを得ないのだろうか? それもまた自身の現実と知り、ややもすれば退屈と感じながらも、巧というあまりにも現実離れした相棒ができたことで、ふたりで野球をするという夢を見ることができた。しかし、巧は物理的にはすぐそばにいるのに、精神的にはまるで遥か遠くにいるように感じるのだ。巧は野球の厳しさそのもので、まるで他者を受け付けないような人間で、とんでもない人を相棒にしようとしているのだと、豪はことあるごとに目の当たりにしてしまう。
巧には、豪のような人当たりの良さや要領の良さがまるでない。しかし、巧は他人のことをよく見ている。ただし、態度をまるで変えることができないのだ。なぜか?巧にはそんな手本となる人間が周りにいなかったか、いても学ぶ機会がなかったからだろう。余裕のない両親と生きるかどうかも分からない弟、野球にすべてを費やした祖父と過ごせば、豪のような人当たりを培う機会などなかったのだろう。そんな巧は、野球だけを大事にしようとするのも、やむを得ない。
1巻は、巧の生い立ちと非凡ゆえに周囲に馴染めない様子と、豪の巧とは対象的で、地元に根付いた生い立ちによる落ち着きながらも物足りない様子と、その2人の出会いを描いている。岡山県ののどかな様子や方言、山おろしの風の描写などは、大人でも子供でも読みやすく、ほどよい長さの表現が淡々と綴られていて、情景が思い浮かぶ。これはアニメもうまく表現できていたと思う。1巻で惹かれたなら、ぜひ6巻まで、続編であるラストイニングまで読んでほしい。ただし、評判通りにもどかしさが何かとつきないシリーズであることには注意してほしい。