坂口安吾のレビュー一覧
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ネタバレイラストと内容が合っているかどうかと言われれば何ともだが、イラスト自体は不思議な感じなので、帯通り画集としても楽しめると思った。
坂口安吾は初読。リアリスト?
バカだとわかっていても恋愛をしてしまう。それが人間……うむ。
「苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう」の「いささか」という副詞にああ……となんか分かるような切ないような。
いささか、つまり多少は、少しは。
多少の慰めにはなるが充ち満ちることないよということだろうか。
詩的な目で見ること云々のところで、現代でいうところのヤリ◯ンメン◯ラを思い出した。
最後に、「孤独は、人のふるさとだ。」
この段落のところで何を伝えたかったのか分からなかった。人生経験積めばわかるようになるかな。 -
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ネタバレ■江戸川乱歩「鏡地獄」
既読を再読。
■谷崎潤一郎「人魚の嘆き」
未読のまま。
水島爾保布の挿画ありの中公文庫で読みたいので。
■小栗虫太郎「方子と末起」 ★
初読。まさことまき。
百合、スール、手紙のやり取りという少女小説、にして不思議の国のアリスモチーフ。
推理小説<恋愛小説。
■泉鏡花「妙の宮」 ★
初読。
たった4ページだが、なんでこんな風景を思い描いたのだろう? と。
■木下杢太郎「少年の死」
高原英理・編「少年愛文学選」で既読。
■坂口安吾「蝉―あるミザントロープの話―」
初読だが、混乱をそのまんま文章にした風情で、よくわからなかった。
Misanthrope はフランス語で「人間ぎらい」の意味。
■夢野久作「死後の恋」 ★
どこかで読んで、ポッドキャストで朗読を何度も聞いて、また読んだ。
グロテスクと美が結びついたらこうなる。
■芥川龍之介「疑惑」
初読。
まあまあ。
■小川未明「百合の花」
初読。
太郎。勇。独楽。泉。お花。百合の花。
言葉と絵で描く夢のような。
■中島敦「文字禍」 ★
再読、かもしれない。
いわゆる「ゲシュタルト崩壊」を、その概念が提唱されるもっと前に小説化している。
しかもある意味残酷童話的な話として。
これは面白い。 -
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ネタバレ総題の漢字よし。
収集箱じゃつまらない、蒐集函なのだ。
カバーイラストも素敵。
新潮文庫nexというレーベルで、ヤングアダルトにこの作品たちを差し出した編集部、GJ!
■坂口安吾 桜の森の満開の下
既読を再読。
■芥川龍之介 影 ★
初読。
芥川といいえばドッペルゲンガーなのでそういうことかと中盤で思わせておいて、ラストなんと映画だった? 夢だった? というオチ!
しかもそれすら真実かどうか不明な放り出し方。凄い。
しかし、「歯車」でも感じたことだが、狂気に飲み込まれそうな感覚を、それでも作品化「しちゃえる」ことが、逆に悲劇だったのかもしれないと考えたりもした。
■江戸川乱歩 芋虫
既読を再読。
■泉鏡花 浮舟 ★
初読。
少年士官、袂の懐中時計が消えたと思いきや、遭遇した赤ん坊が持っている。
赤ん坊は落ちないよう橋に赤い帯で結ばれている。
という、それだけの話。
それだけなのに、耽美で禍々しい予感だけが、際立つ。
■折口信夫 身毒丸
初読。中公文庫で読み切れなかったのだ。
で、実際読んでみても、あまり文意が読み取れず。
俊徳丸伝説をもとにした謡曲や説教はもとより知らず。
中上健次や三島由紀夫文脈で名前を聞いたことがあるくらい。
wikipediaに、
>折口信夫は俊徳丸伝説から仏教的・教義的な要素を取り払い、近世芸能の原始的なかたちを再現することを意図して短編小説「身毒丸」を書いた(大正6年発表)。「身毒丸」は「しんとく丸」にこの字を当てはめたもので、主人公は先祖伝来の病を持つ田楽師の息子として描かれている。折口信夫は「しんとく丸は『俊徳丸』と表記されることが多いが、もともとは『身毒丸』と表記されていたのだろう」と語っている。
とあるが。
なんとなくホモホモしい雰囲気で、いいといえばいいのだが。
■小栗虫太郎 白蟻 ★
初読。
面白……かったかどうかはわからないが、なんだか凄みのある文章だった。
というのも、人里から隔絶された家族は全員狂って、野生に返っていると思いきや、実際は明朗な滝人という女。
明朗というか、小栗式衒学を織り交ぜる形で、木の根っこに対して延々語りかける、その絵面はもう狂人。
しかも子供はフリークスで、足元の草むらをザザザーッと這い進む、それを殺人の道具にしちゃう、という、もうドウカシトル話。
その背後には、夫が入れ替わっているのでは!? という疑念があるわけだが、その犯行理由が凡庸に思えるくらい、クルットル設定で、あー確かに「黒死館殺人事件」でもワケワカランが勢いは凄まじかったなと思い出した。
■谷崎潤一郎 刺青
既読を再読。
■夢野久作 瓶詰地獄
既読を再読。
■太宰治 駈込み訴え
既読を再読。
耽美幻想という函に入れられることで、別の見え方。
■夏目漱石 夢十夜
既読を再読。 -
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ゼミで扱われる関係で表題作「桜の森の満開の下」を読んだのと、たまたまその流れで「土の中からの話」、解説で紹介されていた「夜長姫と耳男」の計三遍を読んだ。
語り手は冒頭、桜の花の下について、次のように語っている。
(前略)近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。(p99)
これに続いて、物語の舞台となる鈴鹿峠の街道が、桜の森の話の下を通らなければならないがために、旅人の気が狂ってしまい、しだいに「人の子一人通らない山の静寂にとり残されて」しまったと言い(p100)、鈴鹿峠のある山に住む山賊の話が語られる。山賊は、人の命を絶つことも気にしない「ずいぶんむごたらしい男(p100)」だったが、そんな男でさえも、鈴鹿峠の桜の森の花の下は怖ろしく、気が変になったという。
男は、追い剥ぎを続けるうちに、鬼である女と暮らすことになる。物語の最後、女が鬼であることに気がついた男は、自らの手で締め殺してしまうが、そのときそれまで怖ろしくて坐っていられるような場所ではなかった桜の下に、坐っていることができたのだった。
この物語は、桜の森の下を怖れていた山賊が、一人の女(正体は鬼)を得て都での生活を経験したことで、桜を怖れなくなった物語だとひとまずまとめることができる。語り手は、一貫して桜の森の下が恐ろしい場所であることを語ろうとするわけだが、なぜ桜の花の下に、そのように人の気を狂わせる力があるのかは、結局分からない。
男は始めて女を得た日のことを思いだしました。その日も彼は女を背負って峠のあちら側の山径を登ったのでした。その日も幸せ一ぱいでしたが、今日の幸せはさらに豊かなものでした。
(中略)
男は桜の森の花ざかりを忘れてはいませんでした。然し、この幸福な日に、あの森の花ざかりの下が何ほどのものでしょうか。彼は怖れていませんでした。(p128〜129)
(前略)彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。
桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。(p129〜130)
語り手は、桜の森の下の恐怖の正体を、そこに満ちている「孤独」に求める。山賊の男は、女を得たことで「孤独」でなくなり、女を殺したことで「孤独自体」になってしまった。だから、桜の下に満ちている「孤独」を怖れなくて済むようになったというのである。
それにしても、ここで言う「孤独」とは一体何なのか? 山賊の男は、これまでにもたくさんの女を得てきたのにも関わらず、彼の「孤独」を癒すのに、この女=鬼でなくてはならなかったのは、なぜなのだろうか?
それは、女の欲しがるものを満たしてやれるのが、自分だけだと思い込んだからである。
「でも俺は山でなきゃ住んでいられないのだぜ」
「だから、お前が山へ帰るなら、私も一緒に山へ帰るよ。私はたとえ一日でもお前と離れて生きていられないのだもの」
女の目は涙にぬれていました。男の胸に顔を押しあてて熱い涙をながしました。涙の熱さは男の胸にしみました。
たしかに、女は男なしでは生きられなくなっていました。新しい首は女のいのちでしt。そしてその首を女のためにもたらす者は彼の外になかったからです。彼は女の一部でした。女はそれを放すわけにいきません。男のノスタルジィがみたされたとき、再び都へつれもどす確信が女にはあるのでした。(p125〜126)
女は、強かに都で暮らしたいという自分の願いを果たそうと生きている。とはいえ、ここには、結局のところ、男に従うしかない女という構造がある。その意味で、いかにも家父長制的とも言えるような気がする。
しかし、皮肉なことに、そんな自分自身を必要としてくれる女というのは、鬼なのである。ここに男の「孤独」を満たしてくれる女というものが、どのようなものかという批判性があるような気がする。
まったく関係がないが、以前にこの「桜の森の満開の下」を読んだことがあると思っていたのだが、実際に読んでみたら、まったく覚えがなかった。梶井基次郎の「桜の樹の下には」と間違えていたことに、巻末の「作者案内」を見て気がついた(p442)。それと、どうでもいいことなのだが、何回見ても、「桜の森の満開 下」と読み違えてしまう。なんだか、「桜の森の満開 上」があって、上下巻なのだという想像が、付きまとってくる。
なんだか、紛らわしいテクストだなと思う。それだけ、自分の中で坂口安吾が、確固たる作家性の領域を作っていないのだと思う。なんだか、坂口安吾が好きで、今回このテクストを選んだ発表者に、申し訳ない気がする。 -
Posted by ブクログ
【2025年57冊目】
第二次大戦前から戦後にかけて活動した小説家である坂口安吾。表題作「暗い青春」では自殺して間もない芥川龍之介の旧宅に通い、同人誌の編集に勤しんだ苦の日々が描かれている他、幼少期の親との確執から、恋や人生に向き合った10つの短編によって構成されている一作。
小説かと思って読み始めると肩透かしを食らうかもしれません。これが私小説というやつなのか…日記?これはこれとして、受け入れられてきたのでしょうが、現代だとどうなんでしょ、なんとも言えないところですかね?
表題作の暗い青春は秀逸な表現とかもあって好きでしたが、「女」について書いた話は「誰が主語なんだ、女は何人いるんだ」と思って難しかったです。安吾にシンクロできなかったな。
随筆とかエッセイとか独白が好きな方にはいいかもしれませんが、小説が好きな方は違う姿勢で臨まないと混乱することになると思います。
時代、ですねぇ。 -
購入済み
今は昔
著者坂口安吾の作品を読んでいると、随分と現代的で今書かれていても不思議がないものから、時代がかっていて現代の常識から大幅に外れているものまである。夫婦関係を買いた本作品は後者の代表的なもので、女性が結婚後も普通に仕事を続けているケースが増えた現在ではおよそ考えられないものである。